『マクベス』W. シェイクスピア

 

ドン・キホーテ 前篇』(1605)の発表年とほとんど同時期にシェイクスピア四大悲劇が書かれていたと知ってモチベが上がったので、ちょうどこないだ買っていた『マクベス』(1606)村岡和子訳を読んだ。

シェイクスピアは、数年前に読んだ『ハムレット』(1601)以来、2作目。まだまだ初心者



第一幕〜第二幕

マクベス夫人の肝の座りようが凄い。夫から「いずれ王になるって予言(約束)されたわ」と聞いてすぐに全力でそれ(王殺し)を後押しする。土壇場でビビってる夫のケツを叩く。

てかずいぶんあっさり王殺しが行われた。魔女の予言→王殺しのスピード感よ。テンポが良い。

3人の魔女は『少女革命ウテナ』の「かしかかしら、ご存知かしら」でおなじみ影絵少女2人を思い起こさせる。参照元の1つか

マクベスとマクダフとマルカム、似た名前が3人いてごっちゃになる

 


第三幕

あ、そうか。マクベス夫人には「俺いずれ王になるかも」としか言ってなくて、「バンクォーの子孫が王の血を引き継ぐ」という魔女の予言の後半部を話していないのか。だからダンカン王暗殺が済んでマクベスが即位した時点で目標達成して安心しきり、逆に燃え尽き症候群になっている。そして、次はバンクォー暗殺を企むマクベスとまた気持ちの齟齬が生じている。


やっぱり言葉の力があるというか、言い回しが面白い。
第三幕第二場、ダンカン王を殺したが、将軍バンクォーがまだ生きていることに恐れるマクベスの台詞(pp.87-88)

万物の関節がはずれ、天も地も滅びてしまえばいい。
食事のあいだもびくびくし、眠っていても
夜ごと悪夢にうなされ、苛まれるくらいなら。いっそ死人と添い寝がしたい。
俺たちの安らぎを得るために安らぎの中へ送り込んでやった相手とな。
こうして心の拷問台にかけられ、
狂気の不安におののくのは嫌だ。ダンカンはいま墓の中。
人生という熱病の発作もおさまり、すやすらと眠っている。
反逆も峠を越した。鋼の剣も毒薬も、
内憂も外患も、もう何ひとつ
彼に手出しはできないのだ!

「万物の関節がはずれ〜」とか「人生という熱病の発作」とか好き

 

第一幕第一場の魔女の「きれいは汚い、汚いはきれい。(Fair is foul, and foul is fair.)」の「foul」のように、単語単位でキーモチーフにしてイメージと物語を繋げていく手法もなかなかすごい。

ただし、こうした大げさな言い回しや単語による連関などが、シェイクスピアに特有のものなのか、あるいは戯曲自体の特徴なのかは微妙なところだ。私はほとんど戯曲を他に読んだことがないので判断できない。16, 17世紀当時の他の作家の戯曲も読んでみたい。誰も知らない。

(キーワードを散りばめるのは戯曲に限らず散文でもよくあるし…)


バンクォーあっさり殺された。3人目の暗殺者が突然合流するの怪しいけどスパイか何か?
そしてマクベスにしか見えない亡霊となって出てきた。いっさい喋らないのがこわい。
そういや『ハムレット』でも亡霊が出てきたような。(亡霊が出てくるのと、劇中劇があるのと、「あとは沈黙」しか覚えてない)

 


第四幕

第一場、魔女の洞窟へマクベスが訪ねて、あの予言について詳しく教えてもらう。魔女が次々に呼び出す「幻影」が個性的で面白い。ボスラッシュみたいな感じ。

第二場、マクダフにおいて行かれたマクダフ夫人と息子の会話。この息子、子供の癖にやけに聡明でマセてるな・・・ 『ヤンヤン 夏の想い出』みたいな。

息子 お母さま、こいつ、僕を殺しちゃった。
 逃げて、お願い!            (死ぬ)

ここめっちゃ好き

「僕を殺しちゃった」でn-buna「ウミユリ海底譚」のCメロが流れ出すのはボカロリスナーの性

僕を殺しちゃった 期待の言葉とか 聞こえないように笑ってんの

 

第三場、イングランド宮殿に逃げ込んだマルカムとマクダフの会話。
マクベスを倒したら次の正統な王位継承者はマルカムだが、いきなり「自分は到底王の器ではない。まだマクベスのほうがマシだ」と自虐を並び立て始めたものだから驚いた。モブだと思ってたら突然めっちゃキャラ立たせてくるやん・・・と。
しかしそれは、マクダフの本心を見極めるためのマルカム渾身の演技だったのでややガッカリ。

マルカム (前略)それどころか
あらゆる罪悪がずらりと揃っていて
その一つ一つと縦横無尽に
駆使するのだ。そうとも、この私が権力を握れば
調和という甘い乳を地獄の底にざぁと捨て、
宇宙の平和をかき乱し、地上の統一も
すべてばらばらにしてしまう。      p.139

 

第五幕

第五場、マクベス夫人が死んだと聴いたマクベスの台詞

明日も、また明日も、また明日も、
とぼとぼと小刻みにその日その日の歩みを進め、
歴史の記述の最後の一言にたどり着く。
すべての昨日は、愚かな人間が土に還る
死への道を照らしてきた。消えろ、消えろ、束の間の灯火!
人生はたかが歩く影、哀れな役者だ、
出場のあいだは舞台で大見得を切っても
袖へ入ればそれきりだ。
白痴のしゃべる物語、たけり狂ううめき声ばかり、
筋の通った意味などない。 pp.168-169

こういう、いかにも名台詞っぽい名台詞で外さないのがすごいよな〜。そもそも現代の我々の「名台詞」のイデアを形作っている一因がシェイクスピア作品である気もする。

 

おわり!!!

魔女の2つの予言(バーナムの森、女から生まれなかった者)が見事に当たってあっさりと死んで終わった。
そもそも王に反逆するつもりはなかった一介の将軍が、魔女に唆されて大罪を犯して夫人ともども破滅する悲劇だった。
オイディプス王』とかもそうだけど、運命の予言に絡め取られて破滅する系の悲劇多いなぁ(そうでない悲劇はあるのか?ハムレットどんなだったか忘れた)


1つ引っかかったのは、マクベスがダンカン殺しの犯人だといつどうやってバレたのかが曖昧な点だ。即位パーティでバンクォーの亡霊に取り乱したところから? すぐに逃げ出したマルカムやマクダフには最初からバレてたのかな。
両義性・二枚舌・曖昧さが本作のテーマの1つらしいので、そのへんも計算されているのか。
「3人目のバンクォー暗殺者」は結局特に何もなかったけど、「3」が魔女の好む忌み数であるとp.16の注釈にあるから、その線で解釈はできるか。

 

本作を読むきっかけの1つ、同人誌『よそおい』収録の、しましまによるエッセイ「嘘でしか言えない」からの多重引用になるが、柄谷行人マクベス論』は、クライマックスでマクベスがマクダフに放った台詞「貴様とは闘わない」(p.178)に注目しているらしい。ここでの「貴様」とはマクダフではなく魔女への台詞だということ。言われて読み返してみれば、たしかに、魔女への恨み節からの流れでこの台詞を発しているため納得できるが、通読時には貴様=マクダフだと思ってた。

「(魔女の)貴様とは闘わない」と解釈することで、最後の最後にマクベスが魔女の予言・呪縛から解き放たれたのだから、これは「悲劇」ではない、というのが柄谷行人の解釈だそうで。なるほど。予言どうこうとは関係なく、目の前で自分を殺そうとしているヤツがいるから戦って負けて死んだだけ。そうとも言えるかも。

まぁ野暮なツッコミをすると、でも目の前に自分を殺そうとするヤツがいる理由は魔女の予言に絡め取られたからなので、客観的にはやっぱり可哀想だとは思う。大事なのは主観的にマクベスが魔女の呪縛・運命論から距離を置けた点にあるってことだろうけど。あれよね、ハッピーエンドとかバッドエンドとかメリーバッドエンド(なんそれ)とかの基準を、作中人物の主観に置くのか、それとも読者の主観に置くのかの違い……だとかいう典型的な議論に似てる。

本書の解説によれば、そもそも魔女の実在自体が疑われていて、すべてはマクベスの妄想であって、彼は最初から王殺しを深層心理で企んでいた…みたいな解釈もあるらしいけど、わたしはそういうオタクコンテンツにありそうな認知トリック的なものは嫌いなので、その説には乗らない。

柄谷行人マクベス論』(『意味という病』収録)も積んでるので読みたい。

 

 

 

 

 

マクベス論」

 

 

 

 

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