『縛られた男』(3.)イルゼ・アイヒンガー

 

 

 

 

続きです。後半の6編を一気に読みました。

 


・鏡物語

さあ行きなさい!今がそのときよ!皆呼ばれて行ってしまった。行きなさい、あの人たちが戻ってくる前に、あの人たちのささやき声がまた大きくなる前に、階段を降りて守衛の脇をすり抜けて、夜になってゆく朝を駆け抜けて。 p.116


ある女性(おそらく)の人生を、死(葬式)から出生(幼少期)まで逆回しで語る。しかも「あなた」の二人称。


逆回し小説って、木原善彦『実験する小説たち』で紹介されてた気がするけど、これのことか!!!と思いながら読んでいたが、あとで確認したところ、全然違う作家の長編だった。(マーティン・エイミス『時の矢』)

っていうか、こっち↑に「世界初の〈逆語り小説〉」という触れ込みが付いてるけど、1991年に対して「鏡物語」は1952年だから、アイヒンガーのほうが40年も早いじゃん。マイナー過ぎて気付かれていない……

関田涙さんの『時の矢』の記事でも逆行系小説がまとめられているが、「鏡物語」は無かった。

 

で、「鏡物語」は、二人称×逆再生という、わかりやすくトリッキーな要素を2つ掛け合わせた短篇であり、それだけ聞くと地雷臭が半端ない。実際、自分は逆回しというアイデア自体にとくだん感心はしない。(Twitterでたまにバズってそうだし)

しかし、アイヒンガーの魅力の本質はそんな表層的なところにはない。文章だ。前回の「夜の天使」で衝撃をうけたように、やはり良い文章を書く。逆語りの実験小説というよりも、「"鏡"物語」という題の通り幻想文学だと捉えたほうがいい。

葬列が壁伝いに戻ってゆく。薄汚い小さな礼拝堂の中のろうそくはもう一度灯され、代理司祭はあなたに、生きよ、と弔いの祈りをささげる。彼は若者に力強く握手をして、舞い上がってお幸せにと言ってしまう。これは、この代理司祭が出す最初の葬式で、彼は首まで真っ赤になっている。そして彼が言いなおす間もなく、若者は立ち去っていった。あとは何をすれば良いのだろう。葬式の参列者にご多幸を祈った人がいるのなら、あとは死者を家に帰すほかないでしょう。 p.112

「葬式の参列者にご多幸を祈った人がいるのなら、あとは死者を家に帰すほかないでしょう」 まだこの序盤では逆語りだと気付いていなかったのだが、それでも良い一文だと思ったし、知った後に読み返してもその魅力はまったく失われない。

 

ここからあなたたちは幾度となく海岸を下るように上って、どこかへ逃避行でもするかのように家に帰り、家に帰るかのように出かけて行く。 p.121

アイヒンガーお得意の詩的な言い回しが逆語りという形式自体と見事に調和している。

 

ある日、あなたは彼を初めて見る。そして彼もあなたを見る。初めて、それは、もう二度とないということ。でも恐がらないで。あなたたちは別れなど告げなくていい。もうとっくに済ませているのだから。もう済ませているなんて、何て都合がいいんでしょう! p.124

いいですね。「逆語りゆえの面白さ」と「そもそもアイヒンガーの文章に固有の面白さ」の両方がいっぺんに味わえる。分離不可能

 

それは秋の日になるでしょう。全ての実りがまた花になる期待に満ちた。もう来ている秋、明るい霞と破片のように足の間に散った影を連れて。それで足をずたずたに切ってしまうかもしれない。りんごを買いに市場へやられたらその影に躓いて転んでしまうかも。希望のあまり幸せのあまりそれに躓いて転ぶの。 p.124

アイヒンガー特有のセンスがありすぎる比喩表現も健在。「転ぶの。」という結び方(翻訳)もすき。

 

まだあなたは小さすぎる。まだ長い休み時間には校庭を並んで歩いて、ひそひそ話をして赤くなったり、口に手をあててくすくすと笑ったりしなければならない。でもあと一年待ったら縄跳びをしたり、塀のうえから下がっている枝をつかみに行ったりできるわ。外国語も習ったけどそんなに簡単には記憶に留まってはくれない。母国語のほうがずっと難しい。もっと大変なのは読み書きを習うこと。でも一番大変なのは全てを忘れること。最初の試験で全部憶えていなければならなかったことを最後には何も憶えていてはいけないのよ。合格できるかしら。ちゃんと黙っていられるかしら。口が開けないほど怖がったら全て上手く行くわ。 p.125

「口が開けないほど怖がったら全て上手く行くわ」ですって!


主人公の女性("あなた")の人生は、かなり典型的で分かりやすいものである。これは逆語りという形式からの要請だろう。「普通の」小説のように波乱万丈な人生を歩ませていては、それを逆向きに語ると非常にわかりにくくなってしまう。だからほぼ必然的に、このようなシンプルな内容となっているのだと思われる。ここは仕方ないがゆえに、この形式の限界を感じた。

 


・月物語

「どうして・・」と女が三度目に聞こうとした。
「私が醜いからです。ある人にとっては一度も、十分にきれいじゃなかったからです。」
 p.141

 

ミス・地球(ミス・ユニバース)に嫌々選ばれた女性が月でもうひとりの女性に出逢う、おとぎ話か寓話のような短篇

百合というかシスターフッドっぽい。あとルッキズム(批判)要素も強い。

家父長制の社会=システムのなかで「美」が構築され、「美人」もまた屈服させられている。そうした現実社会を地球に対応させ、そこから逃れるための理想郷として「月」を置くが、その実態も理想郷とは程遠い「追放」先であった。地球と月、ふたりの「美女」が邂逅し、そして別れる。被-支配の重荷と孤独の重荷。「屈服させられることのない美しさ」

 

各大陸一の美人コンテストとなるとそうはいかない。そこには各国で一番きれいな女性だけが集まることになっていたからだ。ただ一人が欠けていた。その女性はそこへ飛行している途中で墜落してしまったのだ。たぶんこの女性もかなりきれいだったのかもしれないが、死者は除外される。というのも死んでしまうとおおかたは、現に生きている人たちよりきれいだったということになるからだ。 p.132

ここすき

 

オフィーリアは岩にかがみ込んだ。彼女はクリスマス劇のときに子供たちがその清らかな手足にまとうような白いチュニックを着ていた。遠すぎるので審査員たちにははっきり見えなかったが、明るい月の光か絶え間なく流れる水が、少女の輪郭を形作っているようだった。少女は岸の石から石へつたうように、注意深くひとあしひとあし足を運んでいた。一歩あるくと周囲にしずくが飛び散った。彼女のまわりでは水藻や輝く睡蓮が揺れ、後ろになびいていた。まるで染みついた若さや悲しみのように。 pp.136-137

「彼女のまわりでは水藻や輝く睡蓮が揺れ、後ろになびいていた」がてっきりまたハイセンスな比喩表現だと思ってたらほんとに水藻や水藻を纏ってたの草 (しかもそれが重要アイテムになる)

アイヒンガーの小説は比喩なのか実在物なのかわからない時間帯がある。本来は区別すべきではないのかもしれない(前回もそんなこと書いた)

 

・窓芝居

向かいのビルのお爺さんの様子がおかしいので通報するが……な話
オチが予想できてしまった……
最後でどんでん返しするのは「開封された司令」と同じだが、こういう系は好きじゃない
こういう、他の作家でも書けそうな作品がこの短篇集に入っていることによって、読者に変にドキドキさせたり深読みさせる効果があるのかもしれないが、それもそんなに面白くはないし。

 


・湖の幽霊たち

幽霊話3連発
最初の「ボートを岸に着けようとして、エンジンを止められなくなった男」がおもしろい。
テンポのいいコメディ。「そうはならんやろ→なっとるやろがい」系小説。コルタサル「南部高速道路」にも似てる。

 



・私が住んでいる場所

私は昨日から一階下に住んでいる。大きな声で言うつもりはないけれど、でも確かに下になった。大きな声で言いたくないのは引っ越したわけではないからだ。 p.167

カフカ……というかコルタサル「占拠された屋敷」みたいな話
下宿人の学生も一緒に潜っていくのが良い

そして学生は毎日口笛を吹きながら地下の階段を駆けのぼり、晩になると帰ってくる。夜には彼の規則正しい息づかいが聞こえる。いつかは彼が女の子を連れてきて、その娘が地下に住んでいるなんて変だと思ってくれるのを期待しているのだが、彼は女の子を連れてこない。 p.171

 


・絞首台の上の演説

お前たちのいるところは暗いな。この中庭はなんて暗いんだ。俺のところへ上って来いよ。ここに来れば自分が着ているスカートがどんなに色鮮やかか、ブラウスの白がどんなにまばゆく輝いているか良く見えるぜ。まるで炎みたいだ。でもそんなに多くの潔癖には天国だって耐えられないぜ!こっちへ来いよ。そうすればお前たちの頬は真っ赤になる。ここなら太陽が汗で窒息させられてお前たちのところにまんべんなく来るのを待っていなくていいんだ。上の方が太陽を早く拝めるぞ。ここじゃ太陽が誠実に笑っている。燃えた太陽もまだ涼しげだ。太陽は風を窒息させる前に風と遊ぶんだ。ここじゃ太陽と風は兄弟だ。それから教えてやるが、ここではまだ太陽が吹いて、空気が輝いている。そして最後の日が来ればそれは最初の一刻が来るってことだ! p.180

絞首台の上でマウントを取る死刑囚の演説。ゴール・D・ロジャー
かなり迫力はある。難解で詩的な感じはマヤコフスキー『ズボンをはいた雲』をも思い出させる。

 

急がなければ。太陽が梁を伝って這い降りてきて、お前たちの間に入り込んで色あせてゆく。深く、ますます深く落ちて行く。上がって、落ちて、身を守ろうとしている。高く上がって、自らの上昇でますます深くお前たちの上に落ちて行く。自らの落下だけが自分を埃から引き上げてくれる。自らの影を超えて再び天にたどり着くには、自分がまず落下しなければならないことに昼になってはじめて気づくんだ。 pp.184-185

影をモチーフにすることが多いように思う。

 

 

 

 

 

これで短編集『縛られた男』の12作をすべて読み終えた。

ベスト3は「夜の天使」「鏡物語」「ポスター」かな。

カフカコルタサルのような不穏不条理系の「縛られた男」「私が住んでいる場所」よりも、これらの幻想的で文章が詩的かつ難解なもののほうが好み。