『秋期限定栗きんとん事件』米澤穂信(2009)

 

秋期限定栗きんとん事件』上下巻

2024/2/2~9(6日間)

 

※ 諸々のネタバレし放題なのでご注意ください。

 

 

 

・前回までのあらすじ

 破局サイコ―――!!!!!!!

 

 

上巻

 

2/2(金)

第一章 おもいがけない秋

シリーズで初めて、小鳩くん以外の人物による一人称のパートがある。新聞部1年の熱血男子、瓜野高彦くん。この子と小鳩くんで代わる代わる語り手をやっていく構成なのかな。

小鳩くんあいかわらず探偵やりたくてうずうずしてて草 ほんと君ってやつぁ……

名前も知らないクラスメイトの女子(仲丸十季子さん)から告られて付き合い始めた小鳩くん。わろた。これは小佐内さんとの不倫まったなし!!! やっぱりな! 最初っからそうだと思ってたぜ!!
小市民の互恵関係は認めないけど不倫関係なら許すよ!

第1巻ですでに不倫の匂いをかぎとっていたってコト……?

完全に一致



 

うおおおおおお!!!!
一方で小佐内さんは瓜野くんと付き合い始めた!!!!! 両NTRだ!!
うれしい・・・ひたすらにうれし〜〜〜 興奮がおさまらない…… こんなにも性癖に合っているなんて……

古典部シリーズも、アニメ化部分の先で千反田さんと折木くんが疎遠になってそれぞれ別のひとと親密に付き合い始めたりしてるのかな……そうだったら今すぐ『氷菓』から読み始めますが。(でもこの小市民シリーズもそうだけど、まったくそういう話だと知らないで読み進めて知るのがいっちばん嬉しいんだよな。)

ひとつ歳下の男の子と付き合う小佐内さん良すぎる。。。 こういうラノベのヒロインNTR妄想ってだいたい歳上の男と〜だけど、後輩男子いいっすね……天才の采配としか言いようがない。

これ、両浮気・不倫展開になるのかな。それとも、それぞれに恋人を作ってみたけどやっぱり小市民の互恵関係がいちばん!と元鞘に収まってしまうのかな。お願いだからそれだけは勘弁してくれ。双方が恋人をもったまま、再びつるむようになるのならば背徳感があるのでOKです。

 


第二章 あたたかな冬

学内新聞を改革したい瓜野くんを「応援」するために小佐内さんがなんらかの謀略を遂行した?

いっぽう仲丸さん&小鳩くんカップルはベタに高校生の慎ましくも幸福な交際を楽しんでいる。小鳩くんがふつうに恋愛をしているのを見るとすげぇ嬉しいんだけど、これはおそらく「ざまぁみやがれ!これでお前の凡庸さは証明されたなぁ!」という類の後ろ昏い愉悦だと思う。

そんな小鳩くん側の休日デートにて、今作初の明確な推理パート。隣町のショッピングモールへの満員の路線バスにて、彼女に空席を贈るために次に降りる客を観察によって推論する。

こういうの好き。めっちゃしょうもなくてこじんまりとした些細な推理。事件にもならない、謎解きですらない洞察ゲームを日常風景のなかで見出して没入する。春期のおいしいココア、夏期のシャルロットの系譜。

推論を完了する頃には、当初の目的(彼女のため)を忘れ、推理そのものに夢中になっていた小鳩くん。小佐内さんと離れても、相変わらず謎解きジャンキーではある。

 

推論中に幾度も、仲丸さんはいま自分が考えていることをわかってくれるかな、そんなわけないよね……という思考も巡らせている。これはつまり、小鳩くんが自分の才能の発露を愛しの彼女に自慢したい、見せびらかしたいという(探偵のエゴというよりも彼氏の可愛げが垣間見える)欲求を示していると同時に、しかし探偵狂としての自己をこのひとは絶対に理解してくれることはないだろう、という傲慢な切り捨て/線引きをも窺わせる。まるで仲丸さんと自分は本質的に住む世界が違うとでもいうように。自分と同じ側の世界にいて、自分の本当の姿を理解してくれるのは──小佐内ゆきただ一人だとでもいうように。(えっ堂島健吾って誰?)

 

ここまで考えてから振り返ると、先ほどの小佐内さん&瓜野くんパートでもまったく同様に、瓜野くんという新しい交際相手をかわいい「無能/無知な」後輩として位置付けているかのようだった。

覚悟と熱意だけあって肝心なことは何も成し遂げられない一介の高校1年生男子。

 

すなわち、小鳩くんと小佐内さんそれぞれにしれっと出来た恋人は、どちらも無知で凡庸な、ミステリの世界で活躍することなど考えられないモブキャラ──すなわち真の意味での〈小市民〉であることを示唆している。そういう2対2のコントラストを強調する構図を作って、小鳩くんと小佐内さんの特別性を高める方向に物語が進んでいきそうで、けっこう不安だ。なぜなら、せっかく凡人の地位に甘んじてくれている小鳩くん達が、ふたたびその座を打ち捨てることが容易に予期されるから。

 


2/3(土)

2章おわり

瓜野くんの、とにかく自分が良い記事を書いて名を残したい、という思いのもとに放火事件を嬉々として追いかけ、あまつさえ犯罪の発生を心待ちにするようなスタンスにはヒヤヒヤするなぁ。小鳩くんのやれやれ系のウザさとはまた違った、世間知らずでエゴイスティックな若者の危なっかしさ。

小鳩くん(名探偵)は事件に出会って嬉々として推理をするけれどそれを第三者に披露することはあまり乗り気でない場合も多い。たほうジャーナリストの瓜野くんは、まずなるべく大きな事件があってほしいと願い、それを取材して新聞の形で大衆に自分の功績を流布するために動いている。

 


2/5(月) 〜p.190

第三章 とまどう春

「何も殺さずに食べられるから。牛を殺さなくても、ミルクは搾れる。鶏を殺さなくても、卵は採れるの」 p.167

彼氏にスイーツが好きな理由を訊かれての小佐内さんの「冗談」  さすがにテンション上がっちゃったよね。『春期~』の「小市民(プチ・ブル)」を彷彿とさせる、そんなわけがない言ったもん勝ちの小賢しいレトリックなんだけど。

 

「心配いらないって! 小鳩ちゃんのことそんなふうに見てたのは、あたしぐらいだから。むしろ『小鳩って面白くない?」って訊いたら、みんな『普通でしょ』って言ってたよ」 p.181

仲丸さんおもろい人だな〜〜!!
そんな仲丸さんに対して小鳩くんが「ここは敢えて適切な応答を避けて分からないと答えよう」などと考えているのマジできつい。健常者エミュレータではしゃいでそう。


2/6(火) p.190〜243

上巻おわり。

秋から春への半年間。瓜野くんが連続放火事件のコラムで成果を認められて新聞部部長になり、小佐内さんにキスを迫るも紙一重(物理)で拒まれる。小鳩くんは唐突に出来た彼女の名前を半年経っても覚えておらず、挙げ句にその彼女:仲丸さんは三股をかけている酷い人であると情報通から暴露される。放火事件に小佐内さんが関係している可能性を鑑みて小鳩くんは調査を開始する。

小佐内さんの暗躍を小鳩くんが追ういつもの構図。

着々と、小市民コンビの予定調和の再結成までの道のりが舗装されつつある。あ〜あ。

仲丸さんと小佐内さん、詳細は違えどふたりとも「彼氏」を体よく利用している「悪女」ということになってしまったら、それはそれで酷いなぁ

 

 


下巻

 

2/8(木)

第四章 うたがわしい夏

 的外れだよ。それは違う。
 仲丸さんには、一生わかってもらえないと思うけど。 p.122

きしょすぎて吐きそう

 


2/9(金)

第五章 真夏の夜

別れていたふたりの激アツの再会を、上下巻のここまで引っ張って引っ張って、ついに来たかと思ったらマジで物理的に燃え上がらせてて草

 小佐内を責め立てている。その新鮮さを奇妙な心地で味わう。小佐内とつきあうようになってから、ほとんどの場合で主導権はおれが握っていた。小佐内はケーキのことを除けば、自分から何かを主張したりしなかったからだ。
 それでも、どうも掴みきれない感じが拭いきれなかった。ずっと素直なのに最後の最後でするりと身をかわされている。そういうもどかしさがどこかにあった。
 しかし今夜、おれは小佐内を追い詰めている。そう思うと湧き上がってくる高揚感が、自分自身、意外でならなかった。 pp.166-167

瓜野くんやっぱりモラハラとか性加害の才能あると思うよ。「男らしさ」=嗜虐性 がよく表現されている。

 

 ぼくたちが小市民を名乗るのは、本来的に自意識過剰なことだ。一人だとそれが身に染みる。だけど小佐内さんと二人でいると、その痛々しさが軽くなってしまう。ぼくは小佐内さんに自分の思い上がりを許され、小佐内さんはぼくに彼女のそれを許される。互恵関係と名付けたその甘えと、それでも小市民を目指すという建前とが摩擦して、ぼくたちは一緒にいられなくなった。 p.210

『夏期~』からあいかわらず、これを言葉にするのが的確すぎる。さすが作者!(?)

 

 「小市民」とは、まわりと折り合いをつけるためのスローガン。もう二度と孤立しないための建前。ぼくは使い物になりませんから放っておいてください、という白旗。
 そんなスローガンを三年も掲げ続けて、ようやくわかった。本当に折り合いをつけたいなら、最後の瞬間にぐっと我を殺すためには、そんなものは必要ない。ぼくが白旗を振れば振るほど、内心との乖離がいやみになる。心の中で相手を馬鹿にする気持ちが、積もって腐る。
 そうじゃない。必要なのは、「小市民」の着ぐるみじゃない。
 たったひとり、わかってくれるひとがそばにいれば充分なのだ、と。 p.212

 

 

第六章 ふたたびの秋

 

読み終えた。

……面白くなかった!!! いや、つまらないというより嫌いといったほうがいいか。

よーするに、前巻で別れた小鳩くんと小佐内さんが再びつるむようになるための話であって、それ以上でもそれ以下でもない。ならば、ふたりが一緒にいてほしくない(おさこばガチアンチの)私としては、嫌いだと言わざるをえない。

 

ふたりの特別さ、有能さを演出するための踏み台として登場させられた仲丸さんと瓜野くんが可哀相……。いや、瓜野くんも相当に嫌な奴(モラハラ男になりそうな)なので、鼻をへし折られてざまぁと思わなくもないが、それが結局、小佐内さんSUGEE展開のためでしかないので……

 

仲丸さんもなぁ〜〜〜 本作のキャラのなかではいちばん好きになれるポテンシャルはあった。ただ、三股してかつそれを知った彼氏が動揺することを望むという、かなり悪どい人であったことが発覚し、それで終わりならまぁいいんだけど、そういう仲丸さんのヤバさも最終的には小鳩くんの異常性を引き立てるために使われてしまうのが本当にかなしい。男子主人公への殺意だけがみるみる膨らんでいくミステリ。

 

仲丸さんは三股したうえに嫉妬しないことを糾弾してくる性格のねじ曲がり具合。瓜野くんは功名心のためにひとり突っ走る傍若無人さ、かつ、無理やりのキス未遂という性加害。

こうして、客観的に見れば、どうかんがえても小鳩くんより仲丸さんのほうが「最低」だし、瓜野くんが小佐内さんから受けた仕打ちは正当なしっぺ返しあるいは自業自得だ────と、そうやって、小鳩くん&小佐内さんの特別さ(すごさ)だけを強調して肝心なところでヘイト管理をする姿勢がまた気にくわない。

客観的な性格の悪さ、してきたことの悪さでいえば仲丸さん・瓜野くんのほうが上だけど、作中の主観的な「異常さ」では明らかに小鳩くん・小佐内さんのほうが上であるように描かれている。それが腹立つ!!!!!!!!!!

キャラ小説のメインキャラAGEの手つきとしてはものすごく上手いからこそ、そのメインキャラが嫌いな読者のひとりとしては思いっきり叫ばせてもらう。


ミステリとしてもあんま気合い入ってなかったと思う。犯人の意外性も推理の納得感もどんでん返しの面白みもない。前作が上振れしてただけか。上巻で小鳩くんが満員バス内で次にどっちの席が空くか必死に推理してたとこがピーク。

そもそも、上下二分冊というシリーズ最長編になったのだって、小鳩くんと瓜野くんというふたりの男主人公の視点を交互に並べていく形式のためであって、瓜野くんパートは最終的に小佐内さんに手酷く復讐されるための下拵えでしかないので、正直いらない。もう半分も小鳩くんパートなのでいらない。全部いらない。

 

 

中学時代、自分は特別なんだと思い上がっていたら周りから非難されたり拒絶されたりして、おとなしく〈小市民〉たろうと誓いあったふたり。(『春期』開始時点)

しかし、そんなふたりでつるんでいることで逆に平穏な〈小市民〉からは遠ざかるだけだという事実がいよいよ無視できなくなり、距離を置くことにした。(『夏期』終了時点)

それぞれに別のひとと付き合って〈小市民〉たろうとするも、かえって自らの特別さを思い知らされることになり、開き直ってふたりは元の鞘に収まった。(『秋期』終了時点)

ここまでのシリーズをまとめるとこうなるが・・・・・・・なにこれ?? 

 

前作『夏期』は、「小市民/探偵」としての小鳩くんの矛盾・傲慢さが浮き彫りになり、主人公の鼻がへし折られて終幕してくれたため、ほろ苦い挫折・別れの味を知る、王道の青春モノとして良いなぁと思えた。

しかし今作では、小鳩/小佐内の主人公ペアの特別さ、異常さ、傲慢さ──ひっくるめて〈英雄〉性とでもいおうか──がふたたび持ちあげられて終わる。

小鳩/小佐内アンチの自分としては、これはテーマとしても前作から後退しているとしか思えないのだけれど、冷静な目で見たらどうなんでしょう。

 

ややこしいのは、

A. 小鳩/小佐内のそれぞれが個別に特別である(=〈小市民〉の対極にある)こと

B. 小鳩と小佐内が〈小市民〉を目指す者同士で互恵関係のために付き合うこと

という2つの事柄があり、AとBは基本的には独立している、ということである。そして最も重要なことに、私はAとBのどちらにもムカついている。

前作『夏期』の終盤で明らかになったのは、Bの矛盾と破綻である。ムカついていたうちの片方が、作中でまさに否定されたため、とても気持ちがよかった。

しかし、Bが否定されて(=ふたりが別れて)も、A(それぞれが特別であること)は否定されたわけではない。BだけでなくAも否定されてはじめて、私は真の勝利を手にする。

そして本作『秋期』の序盤では、それぞれに恋人ができて、それなりによろしくやっている光景が描写され、Aが否定されたかにも見えた。しかしそれはブラフ、というか後の展開のための踏み台に過ぎなかった。

『秋期』では最終的に、Aの正当性をこれでもかと強調することで、互いの特別性を抑制/隠蔽するために一緒にいる(B)のではなく、
C. 互いの特別性をゆいいつ理解し合うことのできる同士で一緒にいること
を見出すに至る。

・・・・・・・・たしかにBとCは質的に決定的に異なる。異なるよ? 異なるのはわかるけど・・・・・・・・・・・・おんなじじゃん!!!!!!!!!!!!!!!! けっきょく「おさ×こば」推しってことじゃん!!!!! いや、それが小市民シリーズだってことはわかってるよ? わかってるけど・・・・・・『夏期』があぁだったから期待しちゃうじゃん!!!!!

 

というわけで、願うことはただひとつ。

 

もっかい別れろ。そして二度と近づくな。

 

(でも、こうなると正直、万が一また別れたとしても、それでまた狂喜乱舞する気にはなれねぇよな、良い様に踊らされるのが馬鹿らしいので…………)

 

 

でも、もともとの、Aの嫌いさとBの嫌いさを自分のなかでちゃんと弁別したほうがいい気がしてきた。

Bがムカつくのは、『夏期』のラストでぜんぶ言われてた通り、端的に「嘘」じゃんお前らちっとも小市民じゃねぇじゃん!!なぁにが「互恵関係」だよお前らが一緒にいると小市民からどんどん離れてくけどいいのか?? という理由からだ。そういう感情は『夏期』を読むことでだいたい昇華された。

たほうAへのムカつきは、なんなんだろう………… 小市民シリーズ特有のものではなく、名探偵が出てくるミステリ一般への苦手さ、あるいは俺TUEEE系のような、主人公(メインキャラ)が活躍して周りの凡庸さをダシにして格好つけるたぐいのヒーローもの(英雄譚)全般に対する苦手さに帰着するのではないかと思う。『オデュッセイア』も同じようなノリで好きじゃなかったし・・・・・・

 

じぶんの性癖として、(主に物語の主人公の)「挫折」「敗北」が好きで「達成」「活躍」が嫌いだというのがある。また、「ふたりだけにしか分からない閉鎖的で特別な関係」がとにかく嫌いで、そういう「特別さ」が徹底的に論駁されて破壊されて「ありふれた凡庸な関係だったと思い知らされる」のが大好きだ。

なので…… これ以上、言を弄する必要はないか。

 

そうだ。思うに、A(ふたりが特別であること)じたいは、まぁ描かれ方次第でどうにでも受け入れられるかもしれない。ただ、BだろうがCだろうが、とにかく特別であるふたりが「最強のふたり」的につるむ(ことで外部-世間を見下す)のが、いち小市民としてはルサンチマンを刺激されてか、ウザいんだよな。

読んでて思うのは、小佐内ゆきというひとは、孤高の狼としてひとりで生きていけはしないのだろうか、ということ。もちろん、作中では、中学時代のアレコレが~とか、趣味のスイーツ巡りの数合わせ要因としては~とか、いろいろと「たったひとり、わかってくれるひと」=「白馬の王子様」を必要とするワケは理屈付けられる。でも、私にはどれも本当に重要だとは思えない。復讐が大好きなやべーやつ。それならそれでいい。そういう小佐内さんのままに、特にだれとも深く恒常的につるまずに、ひとりで好きなように生きていってくれたら、そんな小佐内さんのことは好きになれると思う。

わからないんだよな。小佐内さんほどの異常者が、お仕着せの「ヒロイン」の枠に収まらないひとが、「白馬の王子様」との出会いを待ち望むなんて!!!(今気付いたけど、ここでがっつりヘテロジェンダーに固定されている点は批評的に重要だ。これが王子様じゃなくて女性になったら百合・シスターフッドものになり、クィアだったらクィアになる(とーとろ))

 

たしかに『夏期』での「怖かった」とか、『秋期』ラストの無理やりキスされかけたのに深く傷ついているという発言とか、ところどころ、小佐内さんの、ただ復讐狂なだけではない、等身大の「ふつうの女の子」らしいか弱さを意識的にチラ見せしている。それによって、単なるヤベー奴とも単なるいたいけなスイーツ狂少女とも簡単に像を結ばせない攪乱的なキャラ造形は特徴的だ。そういう、掴みどころのなさゆえに、なるほど小鳩くんという唯一の理解者を求めてしまうことにも納得させられそうになる。なるんだけど、やっぱり、自分のなかでは、小佐内さんは孤高の存在でいてほしい。小鳩くんとの関係が読者的に「おいしい」からという、ただそれだけの理由でくっついているように思ってしまう……認知が歪んでいるので。

 

あ、小鳩くんも孤高の存在でいてくれていいです、はい。

君は †特別† なんだから、好きなだけ周りの小市民を内心で馬鹿にしながら一生ひとりで生きていってください。

 

 

 

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