『夏期限定トロピカルパフェ事件』米澤穂信

 

夏期限定トロピカルパフェ事件』(2006)

 

 

・前巻の感想はこちら


 

※ふつうに謎解きのネタバレをするので注意

 

 

2024/1/31~2/1(2日間)

 


1/31(水)

・序章

あ、前作の直後の高1の夏じゃなくて1年以上経った高2の夏なんだ。高校3年間を四季一周で構成しようとしているわけか。

 

大目標 つかみ取れない六等星 

「小市民」の座は、もはやもらったも同然だ。 p.20

小市民なんて目指すようなものではない、という逆説が大前提 

 

 

・第一章 シャルロットだけはぼくのもの

おもしろいやん 探偵モノでたまにある、主人公が事件解決ではなく事件を起こす犯人側になるパターン。小鳩くん見直したぞ! 探偵やってるよりずっと好感度高いよ。

めっちゃしょうもないことだからこそ、小佐内さんを前にした時の緊張感が面白い。

犯行過程と思考をつぶさに描写したあとで、その犯行が見破られて、どこに穴があったのか、という形で読者に謎を提示する。こういうのもあるんだな。

前作のおいしいコーヒーの作り方みたいな、日常の些細な出来事ですき。

 

 ……途中から、ケーキの味なんてどうでもよくなっていた。川中島の合戦は、戦闘の意味にではなく両雄がぶつかりあったことにこそ知られるだけの価値がある。 p.63

小市民が「両雄」「英雄」になっててもいいのか?


最終的に戦いに負けて、まんまと夏休み小佐内さんのスイーツ巡りに付き合わされることが決まったの許し難すぎる!!! 

 

 どんな人格でもそうだと言われるかもしれないが、小市民というライフスタイルは他者との人間関係の中で確立されるものだ。 p.30

ふむ

 


2/1(木)

・第二章 シェイク・ハーフ

夏休みに三日と空けずに甘いものめぐり、挙句にじゃれつくようななぞなぞメール。これではほとんど、男女交際だ。 pp.69-70

そうですね

 

 ぼくと小佐内さんが志望しているのはぼんくらではなく、小市民だ。だけどぼくは、あえて訂正はしなかった。小市民は声高に自らを小市民だと言いはしない。 p.75

それはそう。ずっと言ってる


中学生が薬物事件で逮捕とか高校生を食い物にする薬物グループの暗躍とか、木良市治安悪いな……ミステリの舞台は一般にそうなりがちだが。

 

「小鳩くん、楽しそう……」
 しまった、と背すじが寒くなった。そうだ、ぼくはいま、健吾が残した何が何だかわからないメモを、読み解こうとしていた。それは、探偵的行為に他ならない。ぼくは小市民だ。小市民は意味不明のメモを見て、その真意を探ろうとはしないのだ。 pp.8-89

それはそう……というか、小市民はこういう風にいちいち自らの行為が小市民的かをいちいち思案しない。

 

 それにしても残念だ。健吾が電話に出ない以上、このメモは自分で解かなければならない。健吾は一人の女子生徒を助けるために活動している。そしてぼくに、助けを求めたのだ。それに応じるのは責任ある人間としてごく当然の行動であり、小市民としても、恥じることではない。
(中略。節またぎ)
 小佐内さんの目が何となく冷たいのを感じながら、ぼくは再びメモを見る。誰かから電話がかかってきたけれど、いま忙しいので保留する。
「いまの、堂島くんから……」
 何か小佐内さんが呟いたような気がするけど。 pp.89-90

小鳩くんの探偵行為忌避・小市民的自重が完全に形骸化・ギャグ化して扱われている。もうやめたら? でも、「小市民」だなんだとうだうだ言い続けることが彼にとっては探偵行為をするための必要不可欠な口実に他ならないんだよなぁ。あ~ほんとうんざりする!!


手書きの「半」のメモの謎、さすがに幼稚すぎんかと舐めてたらさらに何層にもトリック仕掛けてあって悔しい。

 

小佐内さんが小市民の誓いを捨てようとしている?

 


・第三章 激辛大盛

めっちゃ短くてびっくり 幕間みたいなもんか。
長編ミステリとしては当然いっぱい伏線を仕込んでいるだろうけど。
小佐内さんも出てこず、健吾の「泣き言」を聴き流しながら家系?激辛タンメンを食べる

 

「まあ、なんだ。いろいろ思うに、泣きごとを聞かせるにはお前が二番目に適してる」
「二番目? 一番は」
「穴掘って埋めとくのが一番だな」
 だけどそれでは、穴の上に葦が生えると風が吹くたびに泣き言が流れ出てしまう。 p.113

最後の一文、そういう定型句があるのだろうか。やけにウェットに富んでいておっええやんと思ったんだけど。
「風にそよぐ葦」という故事成語付和雷同みたいなこと)が『新約聖書』マタイ伝にあるらしいけど意味がびみょうに違うしなぁ

 

「踏み込みが足りないんだ。火の粉をかぶってまで川俣さなえを助けたいと思っていない。こいつは偽善だ……」
 ぼくは少し残念に思う。健吾は正義漢なので余計なことに手を出すけれど、迷うより先に手が出る単純な積極性は見ていてそれなりに面白いのだ。そんな健吾が偽善なんてタームを持ち出して自分を縛っちゃいけない。その言葉は、もっと冷笑的なタイプの人間が口にしてこそ面白いのに。 p.118

たとえば小鳩くんとかね。「小市民」なんてタームを持ち出して自分を誤魔化すような人間が。

 


・第四章 おいで、キャンディーをあげる

公然の仲の異性同級生の自宅でお相手のお母様と対面するシチュだ! テンション上がってきたぞ。

小佐内さんが年齢の割にとても若く、つまり小学生ぐらいに見えるのは、お母上の血のおかげなんだろうか。そう思ってしまうほど、目の前の女性は高校二年生の娘を持つ年齢には見えなかった。いくらなんでも高校生には見えないが、服装次第で大学生でも充分通るだろう。 p.129

アニメ化されたら宇崎母みたいな感じで小佐内母のエロ絵が娘よりも大量に流通するのだろうか。

 

麦茶を飲みながらふと、あの生活感の希薄さはこの部屋に由来するのではなく、小佐内さん自身に原因があるのかもしれないな、と思った。小佐内さんは、どうしてもちょっと、ずれてるから。
 もっともそれはぼくも同じで、そこのところの矯正こそがぼくたちの小市民計画の主眼だったりする。 p.131

え、そうなの? じゃあずれてる者同士でつるんでも矯正できないのでは。とっとと離れろバカ!あんぽんたん!!


事件経過に関する三人称っぽいパートが挿入されるが、これも小鳩くんの一人称の語りのなかに無理やり包含されるのだろうか。あとで読んだ新聞記事の引用、みたいなかんじで。

 

 

前作の終盤とほぼ同じ展開……いやもっとキツい、陳腐なプリンセス救出劇だが、これが終章ではないことが救いだ。つまりこれで終わりではなく、このあと絶対になにかひっくり返されるだろうから、つまらないと切り捨てるのにはまだ少しだけ早い。

 


・終章 スイート・メモリー

てか今更ながら、これだけ色んなスイーツ巡りをしていても、小佐内さんはこれから食べるスイーツを前にして写真を撮るようなことはせず、食べることに集中して楽しんでいるのがいいね。時代柄、スマホやインスタはまだ無いので当然とはいえ、前巻で買い替えた小佐内さんのガラケーにはカメラ機能がついているのに。(小鳩くんのには無い)

これは、「小佐内さんはインスタ映えとかを気にしない真のスイーツ好きでいいね」ということではない。(説明がややこしいのだけど)小佐内さんはスイーツの写真を食べる前に撮る選択肢があるのにそれをあえて選んでいないのではなくて、まだインスタ/スマホが存在しないことによって、そういう「選択」("深読み"といってもいい)が介在する余地がないところで、一心に好きなものを堪能しているのだと思えるところがいい。

 

この終章はまるごと解決篇だ。

〈ヒロイン〉の謎を〈ヒーロー〉=男主人公=名探偵が解き明かすことで、5つの章が連なった〈物語〉に調和が訪れる。決して誘拐事件の解決でミステリとしての調和が訪れるわけではない。

実はあの日すでに「りんごあめ」を食べてたんでしょ、と小鳩くんに指摘される小佐内さん。完全に「シャルロット」の件を意趣返しする構図になっててうまい。

やはり最終的には小佐内さんが真犯人、怪盗として名探偵の小鳩くんの前に立ちはだかる。『亡霊ふたり』の男女関係はこの逆だったから好きだったのかな。

実質同じであるという識者の意見もあります。まぁたしかにそうとも言えるか……

 

 夏休み中、幾度となく覚えた違和感の数々。ぼくの知る小佐内ゆきであればそうはしないだろうという行動が、ぼくは小佐内ゆきを大きく誤解していたのではという不安を招いていた。それらが整理され、誘拐への防衛策であることが推理され、本人もそれを認めたいま、ぼくはやっぱり小佐内さんのことを諒解できていたんだと思えた。 p.205

 

よくできてる。よくできてはいる、と思うけれど、根本的なところで好きになれない。こういう、最後の最後で、物語の冒頭からの前提を思いきりひっくり返す構造の作品を、小市民のみなさんは誉めそやすのかもしれないけれど、わたしは大市民なのでタラタラ文句を垂れ続けますよ。

 

でも、こういう、終盤で〈ヒロイン〉のこれまでの言動のすべてを伏線回収してどんでん返しする構造って、たとえばエロゲの『パルフェ』とかと何が違うの?とも考える。(わたしは『パルフェ』をベタに誉めそやす側の人間だ。)

ひとつ思い付くのは、『トロピカルパフェ事件』ではヒロインの言動の謎が明かされることで、やっぱり彼女はそういう人間だったんだね、ぼくの理解は間違ってなかったよね、と「諒解」p.205 されるのに対して、『パルフェ』ではヒロインのこれまでの言動の理由が明かされることで、なんて俺は彼女のことを何もわかっていなかったんだ、なんということだ……と、とても受け止めきれないほどの残酷な事実の奔流に男主人公はただただ押し潰され、そして〈彼女〉という人間の途方もない深みに戦慄する。つまり真逆であるともいえる。

端的にいえば、〈男主人公〉(=名探偵)が〈ヒロイン〉という謎を見事に解き明かしてしまうから『トロピカルパフェ』は綺麗にまとまっていて、とてもよくできていて、そしておもしろくない。それじゃあ駄目なんだ。男主人公が、名探偵が謎を解いてしまっては。けっきょく "そういう構造" になってしまうから。『パルフェ』では、男主人公は〈ヒロイン〉という謎をひとつも解き明かさない。解き明かせない。向こうからすべてを、訓練された軍隊の連鎖砲撃のようにぶちまける。彼は、その弾丸=真実にひたすら打ち抜かれてボロボロになるだけだ。そこに〈調和〉はない。〈破滅〉だけがある。彼女という謎をなにひとつ解き明かせなかったという罪だけが名探偵ではないエロゲ主人公のもとにはのこる。(そしてそのあとに、推理的解決とはなにひとつ関係のない行為/展開によって大団円──TRUE SEX──が訪れる。)

これが『パフェ』と『パルフェ』の違いであり、ミステリとエロゲの違いであり、ラノベ(一般文芸)とエロゲの違いである。

 


と、思ったら、さらにもう一段階どんでん返しがあるようだ。

小佐内さんの「もう一枚裏」まで解き明かし切って、

満足感を胸に、ぼくは呼びかける。 p.209

「満足感」!! 嗚呼!!! なんて奴だろう小鳩常悟郎!!!!

さいごに男主人公が「満足」してしまっては駄目なんだよ。。。 

 

 さあ、どうだ。
 犯人を目の前に推理の当否を問う瞬間。何度迎えても、このときばかりは息が止まる。取り乱されたり、怒り出されたり、いきなり泣かれたこともあった。ほんの数回だけど、心の底から「何を言ってるんだ?」と言われたこともある。小佐内さんは? p.212

そりゃそうだよなぁ。そういう反応が、「ミステリ」の外では自然だし当然だよなあ。
こういう記述があるということは、やはりこのミステリは、ミステリの外を視界に入れている。視界に入れたうえで、それでもミステリの内側に閉じこもって開き直ることをしているのだと思う。

 

「さすがに、小鳩くん。伊達に『小市民』なんておこがましいスローガンを掲げてない」 p.212

"『小市民』なんておこがましいスローガン" !!! いいフレーズですね。

 

「教えてあげる。小鳩くん。あのね……」
「待った」
 ぼくは思わず声を上げていた。
 新しい材料が出てきた。考え直す価値がある。 p.216

ほんっっっとこいつ!! 小佐内さんを性(分として探偵行為をしたい)欲のはけ口にしてやがる!!! 探偵行為をやめるための小市民同盟としてじゃなくて探偵行為を思う存分やるための都合のいい相手として組んでるんじゃねえか。もうやめなよ

 

「待った、って……。将棋じゃないのよ、小鳩くん」
「……」
「チェスでも、囲碁でも、バックギャモンでもカナンでもスコットランド・ヤードでもないの。それでも、小鳩くんは自分で説明したい?」
「小佐内さん……」
「終わったのよ。もう、誰も解決を必要としてないの。 p.217

うおおおおおおおクリティカル!!! もっと言ってくれ小佐内さん!!!!!!

 

「小鳩くん。その中身、もう、何だかわかるでしょう?」
 一言で答えられる問いだ。しかしぼくは、そこに余分な説明を付け加えずにはいられない。非常にタチの悪いことに、この期に及んでも自分がなぜ気づくことができたか説明しないではいられないのだ。 p.219

うわあ・・・・・ きもすぎて、うざすぎて、無様すぎて一周回って哀れにも思えてきた。作者がこういう小説を書こうとしたばっかりに、その主人公役として必然的にこういう "タチ" を付与されてしまった哀れな小鳩くん・・・・・・ほんとは「説明」なんて、推理なんてやりたくないんだよね。作者にやらされてるだけ、こういう性格にさせられてるだけだよね。かわいそうに・・・・・・・

 

 

 しかい、いまの小佐内さんの顔は、見たことがなかった。小佐内さんは笑ったようだけど、ゆっくりと視線を逸らしていった小佐内さんの笑みは冷たい、というよりもどこか寂しげな、疲れきったようにも思えるものだった。 p.225

傷物語 〈Ⅲ 冷血篇〉』のラストカット?

 

 

 小鳩くんはわたしを信じたと言ったわ。でもわたしも、いま小鳩くんを信じる。小鳩くんは絶対、わたしが怖がっていたということを、本当にはしてくれないの。なぜなら小鳩くんは、考えることができるだけだから。共感することができない人だから。……わたしと、おんなじに。 p.227

うおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!

 

わたしたちがとっても賢い『狐』でも『狼』でもないんだとしたら、『小市民』になろうっていうのも嘘なんだとしたら、何が残るか、ねえ、わかる?」
 本当は『狐』なんかじゃないのに自分を『狐』であると思い込んで、そして『小市民』になると宣言したんだったら。しかも、それすらも嘘なんだとしたら。
 それはまるで、綿菓子のよう。甘い嘘を膨らませたのは、ほんの一つまみの砂糖。
 何が残るか、もちろんわかるよ、小佐内さん。小佐内さんのくちびるが、ゆっくりと動く。
「残るのは、傲慢なだけの高校生が二人なんだわ……」 pp.227-228

そうそうそうそう!!! よくぞ言ってくれた!!!!! えっ!?!? マジでこんな自分好みの方向に進んでくれるの!?!????!? めっちゃ興奮してるけど信じられない気持ちもある。

 

「ねえ小鳩くん。わたしたち、もう一緒にいる意味ないよ」 p.228

きたあああああああああああああああああああああああ

 

中学生だったわたしたちには、その約束は絶対に必要なものだって思えた。多分、本当にそうだったと思うの。
 だけど、もう、きっと充分。船戸高校では、わたしたちは地味なカップル以外の何者とも思われてない。鷹羽中学のわたしたちを知ってる人も、二年も経てばもう何も言わないわ。
 何より、わたしたちが『小市民』を目指しているというのが嘘なんだから。口では小市民と言いながら、自分は本当はそうじゃないと思っているねじれ。小市民じゃないことがつらいと言いながら、本当に小市民になりきることなんて考えてもいないゆがみ。……わたしたちが二人でいる限り、それは永遠に解消されていないって、そう思わない?」 pp.228-229

思います!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ねえ、こんなに何もかもを当人の口から吐いてもらっていいの??? うれしい・・・・・・・・きもちい・・・・・・・・・

 

「わたしも、小鳩くんがいるっていう安心感に甘えていた。だけど、それならそれでもいいいの。本当の小市民になることに意味を見出せなくなっているなら、わたしたち二人、二人だけの秘密のように傲慢さを抱えたままでもいい」
 それはあまりに気持ちの悪い構図だ。ぼくと小佐内さん、二人は自分たちだけが特別と思い上がりながら、でも外面的にはそんなことをおくびにも出さずに高校生活を送っていく。……しかし、それがぼくたちの現状じゃないとは、とても言い切れない。 p.229

そうなんだよ!! 「あまりに気持ちの悪い構図だ」ったんだよ1巻の最初っから!!!!

 

でも、あまりにこいつらがキモいから感情的になってしまうけれど、冷静に考えたら、「自分たちだけが特別と思い上が」っているふたりなんて高校生ならむしろ当たり前で、健全とすら言えるんじゃないかとも思う。逆に「傲慢なだけ」じゃない高校生のほうが珍しいしちょっと異様で気持ちが悪いかもしれない。若者は傲慢なだけのくらいが、自分たちだけが特別と思い上がっているくらいがちょうどいい。

でも、ここで書かれているように、こいつらが真に「気持ちの悪い」不健全なのは、そういう傲慢さ、特別だという思い上がりをどこかで冷静に自覚していながらも、そうではない、という対外的なツラ/パフォーマンスを遂行しようとしているところにある。

この何重ものねじれ、ひねくれ、自縄自縛。そして何より、そういう「特別な(=フィクショナルな)関係」を小説というかたちでパッケージングして売り物にしていることの気持ち悪さ。だからやっぱり、根本的にはふたりは悪くないのかもしれない。もし現実にこういうふたりの高校生がいたとしても、そいつらにはなんも思わん。それにオトナが口出しするのはそれこそ犯罪的に気持ち悪い。でも、このふたりは小説の主人公たちだから。そういう風に演出されているから。だからこちらも読者として真摯に向き合った結果、気持ち悪いと思わざるをえないし、はよ別れろとしか思えない。

で、けっきょくそんな「願望」通りにこういう展開になるんだもんなあ・・・・・・マッチポンプだなあ・・・・・・・完全にマッチポンプ以外の何物でもないんだけど、こういうマッチポンプにはまんまとやられてしまうなあ・・・・・・・

 

 頭の中で、小佐内さんの提案を検討する。ぼくたちの『小市民』というスローガンは、その役割を終えたか?
 それはそうとは言えない。少し自制心をなくせば、ぼくも小佐内さんもすぐにまた、後ろ指をさされることになるだろう。それはいまでもつらいと思える。小佐内さんの言うように『小市民』に意味を見出せなくなっているということは、ない。
 では、その自制心を補うため、自制心を試されるような状況を避けるために小佐内さんという方法論に限界は来ているか?
 そうかもしれない。小佐内さんがいるからこそ謎を解く。ぼくにそういう面があるなら、ぼくがいるからこそ仕返しを目論むという考え方が小佐内さんにあっても不思議じゃない。そうなら、ぼくと小佐内さんの関係は、既に軋みをあげていたことになる。
 ……気づいてたけどね。 pp.230-231

な~にが「気づいてたけどね」じゃボケェ!!!! いや気づいてたのは事実だろうけど!!

 

「……やっぱり、そういう返事になるのね」
「そうならざるを得ない」
「違うの。返事の内容じゃなくて、その方法のこと。
 小鳩くん。わたし、いま別れ話を切り出してるの。別れ話って言い方がちょっと恋人っぽすぎるとするなら、関係解消を持ち出してるの。 p.231

「ほらね。わたしたち、さよならしようってお話を自分勝手に切り出されても、痴話喧嘩もできないの。それが正しいか、妥当なのかで判断しようとしてる。考えることができるだけ。怒らないし、ちっとも悲しくないの。 p.232

「関係解消」。そうだよな、このふたりは恋人というよりまだセフレに近い。お互いに「べっべつに恋愛的な意味で好きなわけじゃないしッ。お互いの利害が一致しているから関係を続けてるだけだしッ。『依存関係じゃなくて互恵関係』だしッ!」などとしょうもねぇ言い訳を並べているふたりが、今さら恋人にはなれなくて、最後まで「冷静」なふりをして「関係解消」した、というだけのおはなし。

 

とっくに依存関係だったんだから、そうと認めてしまえばよかったのに。それでも『互恵関係』だからと、『小市民』だからと、どうしても空虚な(空虚なことにしか意味がない)ことばを楯にすることしかできなかった。

これを突き詰めて考えると、ようするに安定的で恒常的で健全な関係というのは、多かれ少なかれ「依存関係」であるということだろう。「互恵関係」ではいずれ関係は破綻する。(というか、この語から一般的に連想するビジネスライクなパートナーシップならば一時的なもので当然だし、その関係が解消されても「破綻」や「破局」なんて大層な形容はしないだろう。) まったく依存的でない関係は不健全であり、これは一足飛びに考えれば、そもそも「健全な関係」は一時的なものでしかあり得ない、ということも示唆されうる。ずっと同じ相手とばかり関係を築くことはそれだけで不健全だ。一生を添い遂げるなんて美談どころかグロテスクな話だ。フィクション消費としても、「このキャラにはこのキャラしかありえない!ずっとこのふたりでいてほしい」という欲望は不健全で暴力的である。

そして、わたしは小佐内さんと小鳩くんの関係が解消されるとき、もっともこのふたりの関係をおいしいと感じている。別れ話を歓迎し、恒久的でない関係だけを称揚すること。これは新たな健全さでありひとつの倫理だろうか? それともまた別の単なる暴力的な欲望だろうか?

(でもまぁ、二次創作同人誌でも破局合同とか失恋合同とかふつうにあるだろうから、これもまたひとつの「†関係性†消費」に過ぎないのだろう……。 わたしはそういうのにも与したくないので、小佐内さんと小鳩くんにはとっとと疎遠になってそれぞれにもっと別の人間関係を健全にでも不健全にでも構築してほしいと心から願っています。 ……ねえこれ逃げ切れてる?)


わたしにとって好ましいのは、別れ話といっても、どちらか一方の責務で、一方的に "振る" かたちではなくて、あくまでふたりともに悪いところがあって、建前上は平等に罪を背負って別れる構図になっているところ。いや、まぁかなり小佐内さん側が振っているかんじではあり、そういうのがド性癖なので興奮しているだけ説も否めないけれど、でも完全に一方的な関係解消だと、けっきょくフラれた男主人公の自意識に物語/主題が収斂してしまうし、逆に男主人公側がフるのもそれはそれでキモいので、この塩梅がまじでちょうど良い、奇跡的なバランスだと思う。尊いとかじゃないんだよな。キモいんだよ、このふたりの関係は。そんな関係をいちばん好みのかたちで描いてくれた。

 


読み終わった!

くっっそ~~~~~これは・・・・・・・・・・これは好きだ!!! めっちゃ好みのやつだ!!!!!

拉致ではあるが誘拐ではなかった、という第三段階のひっくり返しにもふつうに感動していた(名探偵の推理が的を外す展開が性癖なので)が、それで冤罪だと小鳩くんに糾弾された小佐内さんが開き直って『小市民』互恵関係の徹底的な「嘘」を暴くくだり、およびその論理的な帰結としての「別れ話」が気持ち良すぎて・・・・・・マジでドーパミン出まくってたと思う。深夜に頭が冴えわたっていた。どんなオナニーよりもきもちよかった!!!!! 『パフェ』=『パルフェ』だったんや!!!!!

 

自称「小市民」のこいつらふたりに対してじぶんがずっと言いたかった思っていたムカついてたことを、小佐内さん自身がぜんぶ的確に言葉にしてくれた。はよ別れろ!!!!!!!!!!という(最初から抱いていた)心からの叫びがさらにどんどん大きくなっていて、いい加減我慢できそうになくなったところでマジで「関係を解消」させる・・・・・・・・・・・・ すべてが米澤穂信の手のひらのうえだったと思うとめちゃくちゃ悔しいけど、負けたなぁ・・・・・・・・ ひと夏の甘くて甘ったるくて「ひどい味」の青春ものじゃないか……こういうのがいっちゃん好きや・・・・・・・

 

けっきょくミステリの魅力は謎解きの完成度や面白さじゃなくてキャラなんだよな。人間関係、ヒューマンドラマのおもしろさ。キャラゲー=シナリオゲー。といってもこの小説は、キャラを好きなんじゃなくて逆に嫌いなキャラ同士の関係を作ってそれを計算し尽くされた最適なタイミング/シチュエーションで破局させることで読者(わたし)を絶頂させるという、かなり珍しいタイプの作品だ。過去には……『シンエヴァ』を観たときの気持ちよさ、後味の良さはかなり似てるな。しょうもないもの、嫌いだと思わせられるものを丁寧に構築したうえでそのしょうもなさを徹底的に暴いて虚仮にして台無しにして終わるキャラコンテンツの系譜。

(わたしのシンエヴァ感想はこちら↑)

 

 

ミステリにとって登場人物への思い入れがいかに小説としての面白さに直結するかが分かったし、「思い入れ」には好感だけでなく負の方向性もあるんだと分かった。
デスゲームものにも関係しそうだけど、いかにすごいトリックの殺人事件が起ころうとも、殺された奴に思い入れがなければわたしの中では「よくできたミステリですね。で、それが何?」で終わってしまう。(『密閉教室』がこれにかなり当てはまる。本作は『密閉教室』の終盤でやろうとしていたことをより成功させたと見做せるか。)

だから、殺されるのにいちばん適している登場人物はシリーズものの主人公やヒロインだ。しかしそれではシリーズが成立しない、というジレンマ。巻ごとに主人公が替わる群像劇的なのはありそうだけど。(非ミステリなら『チ。』とか)

正直に告白すれば、わたしは小市民シリーズの1巻とこの2巻を読んでいる時しばしば、「あ〜〜〜このシリーズが突如「日常の謎」から「本格」になって小鳩くん殺されねぇかなぁ〜」と思っていた。でも、ほんとうは殺されるより小佐内さんにフラれてほしかったんだ、と気付かされた。実際にその展開を読みながら。
たしかに、死んで小鳩くんというキャラの一生が無事に完結してしまうよりも、小佐内さんと別れて一生疎遠になってくれるほうがうれしいもんな。

 

要するに、こいつらふたりとも、気取って冷静になろうとせずに、しょーじきに「もう『小市民』『互恵関係』なんてキモい言い訳はやめる! あなたのことが好きです、付き合ってください」と言えばこれから先も一緒にいられた。でもこいつらはそんなことが言えるわけがないので(言えないからキモい言い訳をこれまで掲げてきたわけで)、やっぱり破局は必然だった。

(でもこれを普遍化してしまえば、年頃の男女が「恋人」関係以外で恒常的に親密な関係を築くことはできない、という異性愛主義の典型に陥ってしまう。だから、小鳩くんも小佐内さんも、普遍化なんて出来ないほどに「ヤバい奴」である必要がある。小佐内さんがそれに当てはまることは論を俟たないし、小鳩くんのキモさ/しょうもなさもまた無事達成しているといえるだろう。よかったね)


小佐内さんが最後にこぼした一粒の涙や「ごめんね」の言葉、それから少し前の「怖かった」という被害者としての想いの吐露のくだりなどは、"まだ安心できないな" という気持ちをわたしに抱かせる。わたしが見たかったのはふたりの関係の徹底的な破局だし、それがほんとうに見れたけど、でもこれは要するに、ドラマチックに破局させることでかえってこのふたりの関係を(メタに消費する場合に)より "強固" にしているのではないか?という疑念がある(し、多分これは疑念というよりも自明に読解できなければいけない機微だろう)。わたしが望んでいるのはふたりが別れてそのあと一生疎遠になることだけど、この「別れ」は暫定的な、ある種の予定調和であって、再会への、よりエモい関係に至るまでの布石なのでは? という不安がある。続編があるんだからそう考えざるをえない。これで続編でマジでふたりが交わらなかったらすごすぎるけれど。

ちくしょ~次の『秋期』はしばらくの間は読まないだろうと思ってたけど、こういう想定外に理想的すぎる終わりをされてしまったら、すぐさま読むしかないじゃないか・・・・・・ずるない??