『アムラス』トーマス・ベルンハルト

 

 

「アムラス」と「行く」という中編小説2つを収録

2023/11/6〜17
計8日間

 

「アムラス」 1964年

『凍』に次ぐベルンハルトの第2作目

計4日間

 

11/6(月) p.7~p.26

文章がヤバい。長いし修飾関係もわかりにくいし日本語として文法が合ってるのかわからないくらい難解だ…… 訳の問題じゃないよなこれ。句点はあまり使われず、「……」で文が区切られる。読点は多用され、文が長くなりまくっている。

暗さと狂気に呑み込まれそう。自殺というオブセッション。2年前に冒頭だけ少し読んだ『ウィトゲンシュタインの甥』では、医者disが激しすぎてユーモアになっているというか、真顔でずっとふざけてるように思える文章だった覚えがあるが、今作は雰囲気が一転してダーク。すさまじい。言葉でこんなものを創造できるのか、と畏怖してしまう。

 

一家心中で両親が死に、未遂で生き残った兄弟がアムラス(地名)にある塔で暮らす様子が描かれる。

語り手:兄。19歳? 自然科学(生物学)が好き。
ヴァルター:弟。18歳? 音楽や文学が好き。母譲りの病弱体質で癲癇(てんかん)持ち

 

二本の支柱であるかのごとく両親にくくりつけられた全生涯を、わたしたちにとっていつでも不気味であり、母にあっても不気味だった「ティロール癲癇」に不安を抱きつつわたしたちは過ごさなくてはならなかった…… p.14

わたしたちに聞こえたのは、途切れなくも疲れ果てた化学結合をしている澄んだ水流であり、わたしたちに見えたのは昼であろうと夜であろうと、夜以外のなにものでもなかった…… p.15

気分を変えるにも互いを介するしかなく、わたしたちはアムラスで、たぎりたってはまた硬直する兄弟の結びつきにいるわたしたちを見た……くり返し問いつづけながら、どうしてぼくたちはまだ生きなくてはならないのか、と……だがいつまでたっても答えはなかった──明察に導いてくれる谺はこれまでなく、決まって脳卒中のようにはね返ってくるばかり!──それが人間にとってふさわしいとはいえ、わたしたち自身のなかで、わたしたちの周りでいっそうのこと、刻々と収縮してゆくふたり分の脳髄における孤独状態にあり、ほかによすがもないため互いを恃み、惨めなこときわまりない立ち居振る舞いで…… p.16

 


11/7(火) p.26~60

呪われた土地、呪われた家族、呪われた兄弟。『悪童日記』よりも前の作品か……
父親の仕事?が傾いて資産を失ったために一家心中しようとしたのか。
一方、わたしたち兄弟の後見人となってくれている地方政治家の「おじ」は裕福になっていた。父とおじが、「わたしたち」の兄弟関係とアナロジーになっている? おじは母のきょうだいっぽいけど。

「床と壁」「アウクスブルクの小刀」などの小さい章立て

数ヶ月だけ通った大学・アカデミアへの痛烈なdis

父の友人の精神科医ホルホーフへ宛てた何通もの手紙の形式で進む。

わたしたちはいつも互いの身体を嫌悪して生きてきて、それがしばしば切実だった、これは本当だ……ヴァルターの体質、過剰な体質は母の体質だったが、わたしには異質で…… わたしの体質は、父のそれで…… わたしたちふたりは一生涯、相互のあいだが媒介されていた…… ヴァルターの病を通じてわたしたちの(互いに寄せた)反感は、(互いに抗する)好感となった…… p.47


弟ヴァルター死んだ!!

内科医の癲癇患者用椅子と、病院のある建物の階段、何階建てかについて「わたし」は考えていた。

 


11/8(水) p.60~92
弟の手記! 短文集といったかんじ 「曲馬団」

 

ご承知のとおりわたしたちは散文の敵であり、おしゃべりな文学、愚かな物語、とりわけ歴史小説、資料や歴史的偶然の反芻には吐き気を催すのでした、たとえばサランボーにすら…… p.70

露骨にメタ自己言及っぽい記述。この小説自体が〈物語〉や典型的な〈散文〉とは対照的なうわごと小説だから。


ヴァルター「律」  再びアフォリズム集のような

全生涯。ぼくはぼくであるのを望まない。自己はありたいと望むのであり、ぼくであるのを望むのではない…… p.72

ぼくはぼくの死と理想的な関係にある。 p.73


「ある役者」 子供のグロテスクさを表すよくある寓話

「書付帳」 ヴァルターが自殺直前に書いたもの?

「アルドランスで」

ヴァルターは塔の窓からの飛び降り自殺であっただろうと推測された。
ひとり残った「わたし」はおじの伝手でアルドランスの山林監視所で働くことになる。
精神が比較的安定し、生物学や文学への関心も戻ってくる(文学はヴァルターのものを引き継いだ?)。

引きこもってるより毎日働いたほうが心身ともに健康になるのわかるわ~~
木樵たちへの言及。のちの『樵る』との関連は?


11/9(木) p.93~p.117

幼少のころよりすでにわたしは、世界からひそかに出てゆく、と考えていた……みんなのうちわたしだけがひとり残されている。 pp.93-94

山林監視所で働き始めて精神が安定したと思いきやそうでもない? 「わたし」のうわごとは続く…… だんだん断片性が高まってきているような。

「唐松林」「木樵」

山岳は人間に敵対する。高い山岳が人間を圧迫するときの残忍さ……人間の脳髄のなかへ進出する岩石の恐怖の方法。 p.98

人間・自分たちに対する自然の圧倒的な存在、自然に対して人は無力……的な文はしばしばある。語り手にとって自然とは。

 

「ねえ」と令嬢が言う、「ちょっと墓地に寄ってゆきましょうよ、この前の火曜日も墓地に寄りませんでしたっけ……おじさまのご家族のお墓に」…… わたしたちは門を抜け、それから左に折れ墓へ降りてゆくと、彼女が言う。「お墓参りがずっと好きだったんです。」祖母とともに彼女はいつでも「手の届く」あらゆる墓地を訪れた…… p.99

農園の「令嬢」とかいう女性キャラが初めて登場した。ヒロイン? 

 

わたしが先に歩き、令嬢のために森の藪をかき分けるよう努める……彼女はかき傷だらけで……上着の袖を掴んでわたしを植林したばかりの若い森から連れだし、唐檜の幹と幹のあいだへと背を押す…… 彼女のあとを追おうとするが、彼女は左右に跳ねながら進む…… わたしが隠れ、彼女が隠れ…… わたしが呼ぶと彼女は応えず、彼女が呼ぶとわたしは応えず…… p.104

ここやけにキャッチーですき

 

いろんな固有名詞の単語を羅列する。地名から専門の生物学用語へ

 

わたしたちは考えることをはじめたときから、両親がわたしたちの家に導き入れた精神の高山性近親交配のなかでつねに生きてきた。 p.111

どゆこと?(今更

 

あの両親のもとに生まれていなければ、とか、この地域に生まれていなければ、という呪詛。親ガチャ、出身地ガチャ。

 

大学教授宛ての書簡のなかから鬱病大学院生向けの文章みつけた

わたしの思考は役に立たず、もはや思考ではありませんし、わたしの感情も同様です…… 規則にしたがい何か月ものあいだ講堂で過ごさなくてはならなかった暗い時代につづいて、突如としてこのうえなく暗い時代となったのでした…… わたしはこれ以上なにも研究をいたしません、精神の均衡を完璧に破壊され、圧殺された経験の森のなか、それらの経験を精神の物凄まじい根拠としてわたしは歩んでいます、すべては死にました、すべての書物は死にました、わたしが吸い込んでいるのも死んだ空気にすぎません…… pp.113-114

 


おわり!!

なんだこのおわり。えーと、とりあえず「わたし」は山林監視所のあるアルドランスや、(おそらくより広範の地域を指す)ティロールを立ち去ったらしい。「将来、なんとか自分自身でやってゆく……」 がんばれ。お先はどう考えても真っ暗そうだけど。

うーむ…… 序盤、文章の雰囲気の異様さ、陰鬱さと狂気に目が眩んで衝撃を受けたけれど、途中からはあんまり入り込めずついていけなかった。まぁそもそも難解で意味が取りにくい内容ではあるけれど、後半になるにつれてアフォリズム感が強くなっていったのもまた、乗りにくかった原因のひとつだろう。こういうのが強烈に刺さるひとがいるのはわかる。じっさい自分も若干刺さったというかかすって刺さりかけていたけれど、最終的には惜しい!ってかんじ。

ただし、ベルンハルトの小説のなかでこれは比較的読み易くストーリーがあるほうだとどこかで聞いたのにはマジかよ!嘘だろ!!嘘だと言ってくれ……と慄いている。これもほとんどストーリーねぇじゃん。狂人のうわごとじゃん。ベケットってこういうのをもっとヤバくしたかんじなのかな、読める気しねぇな。

 

 

「行く」 1971年

11/14(水) p.121-135

冒頭からずっとヤバい。「アムラス」はベルンハルトのなかではまだ「普通の小説」寄りだというのがわかる……

ほぼ改行がなく、最初にひとつの最小限のシチュエーションが提示されてから、それをひたすら語りによって反復し、語り手のうわ言・独白が続く。グルーヴ。テクノミュージック? ジャズ? 

いちおう三者関係モノではあるのか…。

なんか反出生主義・反生殖主義っぽい記述が続くぞ。子供に対する国家の養育費支援をも批判しているのはちょっと流石に同意できないが。ラディカルすぎる。

 


11/15(木) p.135〜170

見ることと考えること。

カラーはルステンシャッハーの店で店主と甥と議論をしたことで発狂した?
カラーの学生時代からの親友である化学者ホレンシュタイナーが国家から研究資金を引き下げられたことで自殺したのも関係している?

オーストリアの郷土の風景への愛着は認めるが、国家はボロクソに貶す。
結構エリーティズム、優生思想っぽさがある。

 


11/16(木) p.171〜214

カラーを診療する精神科医シェラーへのエーラーの悪口。ほんと精神科医嫌いだなベルンハルト。

カラーが発狂直前に入ったルステンシャッハーの店はズボン屋だった。店のズボンがどれもほつれていることから、チェコスロバキア製の低質な生地を使っているのではないかとカラーは店員(ルステンシャッハーの甥)にイチャモンをつける。迷惑客。イギリス製の最高級の布地だと言い返す甥。

「アムラス」ほど読みにくくはない。この文体は慣れればむしろスイスイ読める。「…とルーラーは言った」などの文が途中に入っているのをうまく無視して肝心の発言内容だけを繋ぎ読みすることができてくるから。
ただ、読み慣れてはくるものの、この小説、何??という異様さへの当惑は依然として高まるばかりである。ヤバ。

 


11/17(金) p.214~246

「行く」おわり!!! 変な小説ではあったがおもしろかったかといわれると全く頷けはしない。75点くらい?
歩行と思考の関係
めっちゃロジカルな文体ともいえる。コンセプチュアル。ふたつの人物や概念の入れ替えで文を連鎖・反復させていく感じとか。。

 


・訳者解説

「アムラス」バレエ化や演劇化がされてるってマジかよ。まぁ舞台が塔の中とか限られているからやり易いのか。
「行く」、エーラーとカラーがユダヤ人だったなど全く分からなかった。アメリカ亡命ってそういうことね。
「~~とエーラーは言う」という挿入文節は漫才におけるツッコミのようだという指摘、わかる。

郷土を憎んでいるが出ていくこともせず、出ていきたいと願いながらも出ていけず留まり続ける……岡田麿里は実質ベルンハルトだった…