『繭の夏』佐々木俊介

『繭の夏』1995年刊行

 

 

2024/1/24~26(3日間)

 

読むきっかけ

↑これで◎が付いていたので。(他にも何冊か注文したなかでもいちばん早く届いたので)

 

※ ふつうに真犯人とかのネタバレ書いてるのでご注意ください

 

 

1/24(水) p.9~47
読み始めた。二章まで。
まだ物語はほとんど始まっていない。

文体が『密閉教室』よりも普通に気取っていて読みにくい。無駄な情景描写とかに労力を使いたくない(情景描写一般が無駄だと思っているわけではなく、海外文学とかで素晴らしいものを読んできているからこそ、どうせそのレベルではないからと見切りをつけてしまっている。ただミステリだとそこに伏線や大事な情報が潜んでいる可能性が常にあるから余計に読み飛ばせず疲れるんだよな……情景描写を純粋に情景描写として読ませてもくれない。嫌い! まぁまだそうと決まったわけじゃない早合点だけど。。)

17歳男子高校生の弟(主人公)と、22歳大学4年生の姉のきょうだい2人暮らし。両親を早くに亡くして親戚に引き取られて育てられたからか、こいつら異様に仲がいい。姉ちゃんが来年就職してからも2人暮らしを続けるつもりのようだ。経済事情ゆえとはいえ。。
お姉ちゃんがめっちゃ萌えで草生える 実姉モノエロゲだ。 おとーとくんは典型の文学青年

 


1/25(木) p.48~150
第三章
えっ!? 語り手が姉の祥子に交代した! きょうだい2人で代わる代わる語っていく系か いいね👍

 

第四章
ゼミ同期の轡田くん、祥子のこと好きなん?

 

第五章
スリーピング・マーダー(回想の殺人)
夏(休み)の気怠さと、若者が社会に出ていく直前のモラトリアムの憂鬱と、「何かワクワクするようなことを成し遂げたい」という漠然とした欲望がないまぜになった「青春」感を、過去に起きた(かもしれない)謎めいた事件を探っていく、という後ろ向きの冒険と掛け合わせているわけか。探偵行為の暴力性(不謹慎さ)もとうぜん扱われている。

 

第六章
第七章
咲江さんの同期の児文研メンバー4人ひとりひとりに話を伺うパートが始まった。ここでも祥子と敬太郎が代わる代わる語り手(兼インタビュアー)を務める。

 


1/26(金) p.150~328
第八章~終章(第十六章)

読み終わった! 最後の終章、咲江さんの死の夜の〈真相〉を語るくだりだけ、回想ではなくて当時の現在時制に戻って三人称で語られる。それは、曲がりなりにも〈スリーピング・マーダー〉を標榜してきた作品のオチとしてどうなんだ? 最後に投げ捨てたか? と思ってしまった。まぁ、擁護しようとすれば、「いや、むしろ本作はこの終章で三人称視点を持ち込むことによって〈回想〉行為の挫折──ひいては主人公ふたりのひと夏の〈謎解きゲーム〉の苦い終幕──を決定づけることに成功した。そうして表現されるものこそが真の青春であり、〈繭の夏〉なのだ」的なこと言えるとは思うけど。
あと、それでいて、三人称で終わるのでもなくて、終章の後半はまた敬太郎視点で軽くビターエンドを描いて終わる、というのもまた、どっちつかずで首をかしげた。最後は敬太郎視点かーい、という(フェミニズム的な?)文句にかんしては、まぁその前の章での実質的なゆいいつの〈推理〉パートがまるごと祥子に委ねられていたことから、バランス取れていて許せるけど。

 

ラストの、深夜に布団の上で姉弟が抱き合う光景はあからさまに近親相姦っぽくて、哀しい真相を知ったことからくるビターさとはまた別の背徳感を読み込んでしまった。本筋・主題には近親姦の要素を見出すことは難しいが、強いていえば宮沢賢治生命倫理(動物倫理)や子供の残酷さ、それから咲江のルッキズム的苦悩(の末の「……キスしてよ。この場で、私のこと、抱いてよ」という切実な脅迫)などのテーマの関連として結び付けられるか? ……苦しいっすね。

 

咲江さんの真相は確かにとても哀しくてやるせなくて、尾を引くような読後感だったけれど、ただ、これまで聖母のように優しくて純粋無垢だと思われていたキャラクターの内面のぐちゃぐちゃした怒りと絶望があった──というどんでん返しは、エロゲとかでもよくあるので、正直あ~こういう系か~と陳腐にも思えてしまった。(青春)ミステリとしては、仲のいいきょうだいが始めたひと夏の謎解きゲームだけれど最終的には自身の好奇心=暴力性を後悔するほどの辛い真相に鼻をへし折られるビターエンドで、まぁ座りはいいんだろうけれどやっぱり凡庸さは否めない。

 

あと、直前に読んでた『密閉教室』と比べてしまうと、謎解きの完成度はどうしてもかなり劣っていると思う。「回想の殺人」だから仕方ないとはいえ、あまりにも都合よく、ふたりが行動すればするほど耳寄りの重要情報が手に入っていくさまはミステリというよりはドラクエのおつかい(クエスト)を眺めているみたいだった。「とにかく足を動かすことが大事」という教訓は得られた(それしか得られなかった)。細かいところでも、終章の真相パートでは本堂の指紋が窓枠とかあちこちに付いているのでは?とか、南に見せてもらった集合写真を借りるのは断られたけど、それをさらに写真撮影したいとか申し出ていたら自然に断るのはキツかったのでは?とか、咲江の睡眠薬関連はいろいろとガバガバ過ぎない?(咲江経由以外で手に入らなかったのか、通院日と飲み会日が被ってる都合の良さ、けっきょく常用してた咲江には効かなかったの草)とか、あれこれ引っかかるところはたくさんある。ロジックの完成度は重視していないのだろう。これは「本格ミステリ」ではないってことでいいの? これももしかして入るの? (まぁそもそも『密閉教室』が「本格」だというのもえぇ……と思ってしまったが。まず「どう考えても本格でないミステリ」を読んだことがないから判断のしようがない。『ディスコ探偵水曜日』とかはさすがに違うと思うが、あれはミステリかどうかもかなり怪しい奇書の類だろう。『さよなら妖精』などの米澤穂信作品も非-本格ってことでいいよね。『亡霊ふたり』は──どういう謎解きだったかもうさっぱり忘れてしまったが、非-本格でしょう、たぶん。(これ意味ある??) )

 

とはいえ、やはり、ミステリは読み易くていいですね。すらすら読める。小説を読んでいて、ストーリーの先が気になって読み進めたくなる、という体験を久しぶりにしている。そうか、先が気になる小説ってあるんだ・・・ストーリーがほぼ存在しない、苦行みたいな小説ばかり読んでいたから……ベルンハルトとかアレナスとかプラトーノフとか…………

 

 

 

 

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