『春期限定いちごタルト事件』米澤穂信

春期限定いちごタルト事件』(2004)

 

2024/1/27~28(2日間)

 

※真相のネタバレ普通にあるので注意

 

1/27(土)

・プロローグ
・羊の着ぐるみ

高校時代がはるか遠くのものになったのだなぁという感慨。
発狂しそう。小鳩くんの飄々としてますよ感に胸を掻きむしりたくなるし、小佐内さんとの関係はなんだこれ!?!? 甘ったる過ぎる!!!! うおおおおおお 好きとか嫌いとかでなくて、ひたすら "発狂" するしかねぇ

 

お互いを盾や言い訳に使って小市民たることを目指す、とかごちゃごちゃ言ってるけど、要するにふたりだけの甘美で居心地の良い空間を守りたいんだよな。本当に目立たずに平穏に暮らしたいなら、そもそもふたりでつるまないほうがずっと良いだろう。意識的にか無意識的にか、そこに関してだけは目をつむっている。「俺たちのイチャイチャ関係を邪魔するな」──そう言っているようにしか見えない。

 

〈小市民〉という自称ノンポリ的な政治的態度に憧れる子どもたちを大量発生させているであろうことには、プロパガンダとしての邪悪さを感じざるを得ないが、しかし繰り返すように児童向け作品にまで左翼的な倫理を求めるというのは(宗田治とかもあるけど)さすがにやり過ぎでは、という自重と、さらに翻って、いやむしろ子供向けだからこそそういう点が大事なんだ、という食い下がりの両方が思い浮かび引き裂かれる。あ〜〜発狂するぅ〜〜(それでいったら当然、「発狂」という語の無邪気な使用もまた大いに加害的/差別的であろう)

 

でもまじめに、若い男女が仲良くつるんでいる描写に恋愛的なコンテキストしか見出せないというのも感性が貧しいなぁと絶望する。ここは自己のそういう気持ちをなんとか抑えて、本当に彼らは恋愛や性愛の介在しないアロマンティック/アセクシャル的な関係を築こうとしているのだと捉えてみようか……あぁ難しい……

 

これは『氷菓』(アニメしか観てない)の千反田えるさんとか、『さよなら妖精』のマーヤとかでも思ったけれど、もしかして米澤穂信作品の(メイン)ヒロインってみんなこういう感じの、徹底的に(男子主人公から)客体化された造形なのか。男女バディものということで、『繭の夏』みたいに交替で語り手を務めてくれないかなぁ。小佐内さんの内面がまだほとんどつかめない。

 

ヤングアダルト向けの本に出てくる高校生たちにアラサーのおっさんが文句を垂れるというのは、犯罪よりも犯罪的だ。
この意味では中高生のうちにこれを読めなかったのは不幸というべきなのだろう。

 


p.32まで

探偵モノと怪盗モノを同時にやっている?

彼らが目指す「小市民」とは、なるべく目立たずに波風を立てずに……ということだから、必然的に目立ってしまう探偵行為をなるべくこっそり済ませようとするのは、探偵であると同時に優れた怪盗でもあることを求められる。(まぁ怪盗たる者、なるべくド派手に目立つべし!と謳う方々もいるだろうけれど……怪盗クイーンとか……)
だから、謎解きだけでなく、「いかに謎解きで自分を目立たせないか」という第二の課題に常に取り組むことになり、むしろそっちの方が彼ら及び本作にとっては重要である点に特徴があるのかもしれない。

(格好良く推理をキメて)目立ちたいけど目立ちたくない。そんなアンビバレントな自意識はプロローグの「夢」から明示されている通り。言い換えれば、このミステリははじめから「探偵行為なんて自意識過剰な恥ずかしい行為である」という認識の上に成り立っており、それでもどうしても惹かれてしまう欲望と、そんな己の浅ましさを隠蔽して〈小市民〉であろうとする欲望のダブルバインドをこそ「青春」として提示しようとしているのだろう。

 

 顔を上げた小佐内さんに、下から見上げられる。
「小鳩くんは、思い当たる節があるの?」
 ぼくは頬をかいた。
「うん」
「そう……。小鳩くん、やっぱり××したんだね」
 言葉に詰まった。小佐内さんの声が冷ややかだ。ぼくは、いささか慌てて言った。
「いや、そういうわけじゃないけどね」
 ふうんと呟くと、小佐内さんはぼくから視線を逸らした。なんとなく後ろめたさを感じながら、それを押し込めるようにぼくは続けた。 p.45

「××」のところ、原文では「推理」だけれど、こうして伏字にすると「浮気」とか「不倫」を当てはめてしまって興奮してくる…… 浮気を冷ややかになじってくる小佐内さん…………

 

 心の底から嬉しそうな顔、というには程遠いものの、小佐内さんは明るい表情で数回、手を叩いてくれた。
「さすがね、小鳩くん」
 顔が熱くなるのがわかった。嬉しいから、ではないのだけれど。 p.49

おい!!! なんだそれ!!!!!! 「嬉しいから、ではないのだけれど」!?????? 叙述トリックか…………

 

「わかればいいです。じゃ、わたしたちはこれで」
 言うと、小佐内さんはぼくの学生服の裾を引っ張りながら、後ずさっていく。なんとか穏便に切り抜けられそうだ、とぼくもほっとする。踵を返そうとしたところで、高田が哀れっぽい声をかけてきた。
「でも、お前らにはわかるだろ? 好き合ってるんなら。俺がどんな気持ちでこいつを仕込んだか」
 ぼくたちは顔を見合わせた。
 ……まあ、建前ということがある。ぼくたちは示し合わせたように同時に頷くと、今度こそ踵を返し、早足でその場を去った。 p.54

ぐああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 

「ねえ、小鳩くん。……小鳩くんは、わかる? 渡そうと思ってたラブレターを、チャンスだからってつい、思いびとの私物に忍ばせちゃう気持ちって」
「…………」
 ぼくは小佐内さんの言葉を聞きながら、このクレープやっぱり甘すぎる、ぐらいのことしか考えていなかった。
「わたしたちにはわかるだろって言ってたけど……」
 やめた。小佐内さんには悪いような気がするけど、これはぼくには無理だ。チョコバナナクレープをトレイに置いて、ぼくは溜息をつく。
「わからないなあ。ぼくには縁のないシチュエーションだ」
 まあ、それをわかりたいとぼくらが思うようになれば、そのうちわかる日も来るかもしれない。いま現在は、どちらかといえばどうでもいい。小佐内さんだって、ぼくが普通の速さでクレープを食べていれば、こんな話はしなかっただろう。
 街は夕暮れ。
「そうよね。……わたしも、そうなの」
 ウィンドウに顔を向けたままの小佐内さんに、夕陽の赤が差していた。 p.56

うわあああああああああああああああああ
・・・・・もうやめて・・・・・・・・吐きそう・・・・・・・・・・・・このクレープ甘すぎない?? 

叙述トリックというか、本気で信頼できない語り手だよな。もしかして青春ミステリは一般にそうなってしまうのか。『密閉教室』にもこんなかんじのシーンあったし。自らの恋心、感情をあえて語らない。読者に語らないというよりも、自分自身に語らないことで、それをもてあましている思春期の自意識がよく表現されている。

それでいて、「このクレープやっぱり甘すぎる」や「小佐内さんには悪いような気がするけど、これはぼくには無理だ」など、婉曲的に(モロに)表出してしまっているとも読めるのがほんとうに・・・・・・・

「小佐内さんだって、ぼくが普通の速さでクレープを食べていれば、こんな話はしなかっただろう。」なんて額縁に飾りたいくらいの一文ですよね。

 

恋愛関係とかではない、Ace/Aro的な関係としてちゃんと読もうとしていたところで、こういうのをぶっこまれると、あぁやっぱり結局 "そう" なんだね…………とガッカリしてしまう。ラブコメだと決して名指されないことが魅力のラブコメ、受け入れがたし。ちゃんと「痛々しい高校生男女カップルのイチャイチャ♡ミステリ(略してイチャミス!」と書いておいてほしい。

ところで「羊の着ぐるみ」って章タイトルはなんだったんだ。引用? 隠喩? 読解力が足りていない

 

 


・For your eyes only

これは……『さよなら妖精』の墓参りの挿話と似たような、最終的にそこそこ後味の悪い、人間の残酷さみたいなところに帰着するタイプの日常の謎だ。当時3歳の甥っ子へとプレゼントしようとして描いた絵を、高校の部室に保管したまま忘れたきりになってしまう。渡そうとしていた本人だけでなく、渡される予定だった子供のほうも、もう既に興味を持つ年齢ではなくなっているだろうから──と強引にまとめて「ゴミ」として破り捨てるオチは、ミステリとしての納得感よりも短編小説としての爽快感を優先したんだなぁと思う。

 

「やめられないんなら……、わたしを言い訳に使って、いいよ」 p.93

今度は小佐内さんが浮気相手だったときの妄想セリフとして読めるやつ
いけないことだとはわかってるのに彼女を前にするとついッ……(ビクンビクン

 

「だから、それがどうかしたの」
 わけ知りらしく質問をしてくるぼくに、勝部先輩は少々機嫌を損ね始めたようだ。気持ちはよくわかる。目の前で探偵めいた真似をされるのは決して気持ちのいいものではないと、ぼくは知っている。勝部先輩に不快感を与えていることを本当に申し訳なくおもうし、小佐内さんを楯にしているにしても居心地は悪い。 p.104

探偵行為の「不快さ」(=〈小市民〉らしくなさ)が相変わらず重要テーマであるようだ。

 

今回は、小鳩くんではなく小佐内さんが謎を解いたのだということにする(替え玉作戦)。

 

あとやけに高校の校舎の構造(「エ」の字型)が各章で強調されるのは、最終的にそれが大きな謎に回収されるからなのか? 

 


1/28(日)

・おいしいココアの作り方

これは謎解きとしてわりとおもしろかった。ずぼらな友人がシンクを一切濡らさずにおいしいココアをどうやって作ったのか。

そもそもやった張本人は、自分の行為を「謎」として解かれていることも知らずに別室でひとり取り残されている。つまり、謎が持ち込まれてそれを解くのではなく、第三者が半ば無理やり「謎」を見つけ出して(仕立て上げて)それを解こうとする。これこそが「日常の謎」の本懐ということだろうか。

面倒くさい手順を踏めば可能な方法は思い付くけれど、そもそも当人はそれを意識せずに自然にやっているのだし、しかもずぼらな人間の仕業である、という条件がかかってくるのがさらに面白い。単なる物理トリックや論理パズルではなく、「自然な」「意図せずに成立する」解法が求められる。最終的に辿り着く真相も、ずぼらな人間ならではのものとして納得感がある。

ミステリというよりウミガメのスープみたいだから好きなのかもしれない。

(高評価しておいてなんだが、じぶんはココアを作ったことが無いので、途中の試行錯誤の仮説や、前提があんまり共有できていなかった。話半分で、上記のシチュエーションを面白がって読んでいた。でも解決は同じズボラ人間としては共感できて良かった)

 

通底するストーリーとしては、健吾が小鳩の小学時代と今(高1)のあまりの変わりように驚き、中学時代に何があったのかと追及してくるも、小鳩はそれをいなす、という意味深なくだりがあった。日曜日に嬉々として「謎解き」に耽ってしまった小鳩に対して小佐内さんも「そっちの方が楽しいなら、そっちの小鳩くんになればいいじゃない。わたし、気にしないよ」p.146 と、まるで恋を諦めるかのような台詞を放ってくる。小学時代の小鳩くんマジでどういうやつだったんだ。小学生でそんなにブイブイいわせてたなんてことあるか? 中高生ならまだしも。

 

小佐内さんのキャラもまだあんまり掴めない。ミステリとしては、いちおう推理に絡む場面もありつつ、最終的には小鳩くんが真相を突き止めて終わるので、ワトソン役にとどまっているか。

自分に注目が集まったとたんに咄嗟に身を隠す場所を探すとか、かなり心配になる挙動をしていて、小動物的なかわいいヒロインという像にはうまくノれない。甘いものに目がなくて、自分が落ち込んでいるのを口実にしてちゃっかり小鳩くんにスイーツをおごらせようとするなどしたたかな一面も見せるが、『海がきこえる』の里伽子みたいな(私が好きな)超わがまま系ヒロインでもなさそう。

 

てか、そういえば今更ながら、小鳩くんと小佐内さんって中学で出会ってお互いに〈小市民〉になろうと結託して今のような(傍から見れば学生ヘテロカップル同然の)関係になったんだな。ふたりが出会うところから物語が始まるわけじゃなく、すでに関係が出来ているところからのスタート。本章での健吾やその姉の小鳩くんへの追及などで徐々に仄めかしてきているように、おそらくこの『春期限定いちごタルト事件』という小説最大の〈謎〉は、いかにして彼らが〈小市民〉を掲げるようになったか、というホワイダニットである。その〈謎〉は小説の語り手/主人公であり探偵役でもある小鳩くんにはもう明らかになっている(だって本人のことなんだから)。したがって、この〈謎〉ははじめから読者への挑戦であり、またそのようでしかあり得ない。小鳩くんが名探偵であると同時に優れた怪盗(〈謎〉をつくり演出する者)である必然性が、この観点からもいえる。

 

 

・はらふくるるわざ

章題は『徒然草』からの引用らしい

 そうだろうとも。小佐内さんが、ドリンク瓶を落とした犯人を知りたいと口にすれば小佐内さんの約束違反だし、もしぼくが真相に関する証拠を固めてきたことが知れればぼくの側の約束違反だ。あわよくば推理をさせて、などと目論んでいたのかもしれないけれど、そうは問屋が卸さない。約束がある以上、ぼくが小佐内さんにできることは、愚痴を聞いてやるくらいのものなのだ。
 ぼくと小佐内さんは約束をしている。互いに互いを逃がすこと。ぼくは、もう小賢しい知恵を働かせたりしないように、逃げると決めた。同じように、小佐内さんにも理由がある。健吾はぼくが変わったと苛立ったが、実は小佐内さんだって昔はこんなじゃなかった。小市民になると誓ったのは小佐内さんも同じ。そして、小市民は、身勝手な理由で試験を妨害されたとしても、いつまでも根に持ったりはしないのだ。小佐内さんは変わった。 p.167

これも、謎解き自体はめちゃくちゃどうでもいい、青春モノとしてベタなカンニングものであり、本当の問題はそれを実地検証で小鳩くんが解いたあとの小佐内さんとのやり取りにある。ある意味「被害者」であり「依頼者」である小佐内さんに、小鳩くんは真相を伝えない。伝えてしまったら、小鳩くんがまた「探偵」行為をしたことが、そして小佐内さんが謎解きの「依頼者」であることがふたりのあいだで明確になってしまい、「約束違反」というわけだ。小市民の誓いとは、小鳩くんと小佐内さんのふたりのあいだに、「探偵/依頼者」(解く者と解かれる者、救う者と救われる者)というある種の非対称な権力関係を発生させないがためのルールなのかもしれない。ふたりにそこまでの意図がなくても、事実上そのような効果を発揮している。

 

ただし、このエピソードは明らかに、そうして自らが被った理不尽・不利益をいつまでも根に持つことをやめて〈小市民〉たろうとすることの不健康さ、「無理がある」p.171 さまを暴き出そうとしている。もっと根に持っていい。怒っていいし、自分が巻き込まれてしまった事件なら真相を明らかにしたっていい。おぼしきことをどんどん言ったほうがいい。はらがふくれるのは好きなスイーツを食べるときだけでよくて、愚痴でも憤懣でも発露したほうがどう考えたって健全だ。

 

これまで、探偵行為の暴力性を回避するために〈小市民〉たろうとする──というポジティブな意味合いで捉えていたが、場合によってはむしろ〈小市民〉たることをやめて〈探偵〉の磁場のなかに身を置いたほうがいい、と示しているように思える。言い換えれば、ストレスや我慢ではらをふくらませてまで〈日常〉のなかに無理に閉じこもるよりも、日常の謎を暴き出して非日常的な〈ミステリ〉空間へと身を晒すことこそが適切な「逃避」であるような可能性を提示している。

 

小佐内さんたちが体現しようとしている〈小市民〉とは、ようするに「つまらない大人」になることではないか、と今回の話を読んで思った。日常生活のなかで謎に出会っても、それを謎と認めずに、見ないふりをして逃げる。解いても解いていないふりをして知らんぷりをする。コミットメントではなくデタッチメント。

子供と大人のはざまの〈青春〉真っ只中にいる小佐内さんたちは、大人であろうとするもどうしようもなく子供である自己に引き裂かれて煩悶している。うーん青春。

そしてそれは同時に、小市民であろうとするもつい探偵になってしまう小鳩くんの葛藤をも表している。うーん青春ミステリ。

 

つまり二項対立を並べるとこうなるだろう

  小市民   ⇔    探偵
  大人    ⇔    子供
  日常    ⇔ 非日常(ミステリ)
デタッチメント ⇔ コミットメント
 対等な関係  ⇔ 権力関係(非対称な関係)

必然的に権力関係を発生させてしまう探偵・ミステリの磁場から逃れるために、彼らは〈小市民〉というデタッチメント的な理想像を掲げて日常的な、対等な関係へと逃げて閉じこもろうとする。

それでも現実は大好物のスイーツのようには甘くなく、大好物のスイーツを食べる機会を逃したり自転車を盗まれたり試験を妨害されたりと、理不尽が襲い掛かってきて、容赦なく非日常的なミステリ空間へと絶えず引きずり込もうとしてくる。

それらを胃袋いっぱいに飲み込んではらをふくれさせてでも必死に無理して〈小市民〉であり続けようとするのか。それは不可能だし、なにより不幸で可哀想なことなのではないか…… そんなことを感じさせる印象深いエピソードだった。

ちょっと痛々しい小佐内さんの笑顔を見ながら、ぼくは思う。あんまり腹がふくれすぎると、いい日であるべきあしたに差し支えるんじゃないかな、と。 p.171

 

 

・狐狼の心

先の一件で、船高生徒指導部は小佐内さんの駐輪許可シールをつけた自転車は盗まれたものだと知っているはずだ。それを知っていてなお管理が悪いとは、なんとも理不尽な話。しかし小佐内さんは、その理不尽さは全く気にしていないようだ。もっともなことだ。理不尽を受け流すのは小市民心得の筆頭といっていい。 p.177

ええ…………

 

盗まれてから買い直した自転車を押して歩く小佐内さんと、その隣を歩くぼく。きのう通った道を、きょうも行く。街外れに近づき、家々の間に畑が挟まり始める。歩道の幅が狭くなり、二人横に並ぶとそれだけで道をふさいでしまう。後から年配女性が乗った自転車がやってきて、ぼくはそれを通すため小佐内さんの後ろにまわった。そして、そのまま後からついていく。黙ったまま、隣り合って歩くのが、ちょっと気詰まりだったのだ。 p.178

ここのなにげない情景と動作の描写、よく説明できないけど巧いというかすごく好きだな。単に夕方の田舎の帰り路というシチュエーションが性癖なだけかもしれないけど。ふたりの位置関係の変遷のさせ方とか、地味に脚本としても小説としてもうまいと思う。

 

「駄目だよ、小佐内さん。盗品は戻ったんだ。満足すべきだよ。それ以上は考えたら駄目だ。流すんだ。小市民になるって、約束したじゃないか。ここで泣き寝入りしなかったら、小市民じゃない」
 手を広げてアピールするぼく。小佐内さんの笑顔が消える。
「……うん。でも、わたし……」
「耐えるんだ。ここが我慢のしどころだよ」
 小佐内さんはくちびるを噛んだ。それから、自分が乗ってきた自転車を見、盗まれて壊されて戻ってきた自転車を見、そしてバスの行った先をまた見た。
「でも、わたしはなにもしなかったの。なにも。なのに!
  ……そうだ、ねえ、小鳩くん。こういうのは、どう?」
「どういうの?」
「小市民にとって、一番大切なものって、小鳩くんはなんだと思う」
 言下に答えた。
「現状に満足すること」
 しかし小佐内さんは、ゆるゆるとかぶりを振った。
小市民プチ・ブルにとって一番大切なのは……、私有財産保全ってことにしたら?」 pp.189-190

いやぁ~すばらしいな。なるほど。

ふたりが掲げる「小市民(つまらない大人)」という理想の欠陥があらわになったうえで、単純に「子供」に戻るのではなく、その語の歴史的な系譜に立ち返って「プチ・ブル」というルビを充てることで強行突破しようとする小佐内さん。一気に好きになった。

 

そして小佐内さんは「ラスボス」に、最後の事件の「犯人」になる。最後の物語は、真犯人が予め分かったうえで、なにをやらかすのか推測して対処する、というプロットだ。

小佐内さんが「犯人」になることのなにが良いかって、理不尽なことに巻き込まれた小佐内さんを救う小鳩くん──のような「救われる者/救う者」あるいは「依頼者/探偵」という非対称な権力関係を乗り越えて、「犯人」と「探偵」はまさに対等な関係にある、ということなんだよな。「謎を出題する者/謎を解く者」はどこまでも対等なライバル関係にある。(※後期クイーン問題を念頭に置くと原理的に犯人側がつねに優位である可能性すらある。)

これは、探偵行為の暴力性、ミステリの非-倫理性に向き合ったうえで、それでもそのジャンル内での倫理を見出そうとするもがきである。ミステリという倫理を構築せんとする営みに他ならない。

 


え、けっきょく中学時代に〈小市民〉へと方針転換した明確なきっかけ・挫折体験があるのね。まぁ小説としては当たり前だが。

 

「(前略)よくあることだと思うかい? そうきあもしれない。それに、そんなのよりずっとショックだったのは、だ。ぼくは気づいたんだよ。
 誰かが一生懸命考えて、それでもわかんなくて悩んでいた問題を、端から口を挟んで解いてしまう。それを歓迎してくれる人は、結構少ない。感謝してくれる人なんて、もっと少ない。それよりも、敬遠されること、嫌われることの方がずっと多いってね!」 p.200

それはそう。しかしこれだと、ちゃんと探偵行為のネガティブな面に向き合っているというよりも、それをイヤイヤ思い知らされて拗ねているだけのようにも読めて微妙だな。……まぁ高校生(当時は中学生)ならこのくらい子供っぽくて然るべきなのかもしれないけれど。

 

どうせそんなことはないだろうから、どうせそんなことだろうからなどと言っていては、探偵の真似もできはしない。つまり長いものに巻かれないということで、つくづく探偵は小市民的ではない。 p.210

わかりやすい表現が出てきた。そうだよなぁ
つまり長いものに巻かれる者こそが〈小市民〉だということ。

 

「小佐内さんが、知里先輩とそんなに仲がいいとは知らなかったな」
「いや。姉貴の基準じゃ、言葉を交わせば友達だ。家に来たお前らは親友扱いだろうさ」
 まあ、実は家に伺ったというだけじゃないのだけれど。知里先輩と小佐内さんとぼくとは、三人で「健吾の挑戦」を退けた仲なのだ。 p.228

ここわろた。「健吾の挑戦(なお健吾本人は挑戦したつもりもなければ挑戦を勝手に受けられて格闘されていたことも知らない)」  あのお姉さんそういう性格の人なのね。じゃないとさすがにあの回は不自然だものなぁ。

 

・エピローグ

おわり!!!

うーん………… 最後の事件でこれまでの章の細かい要素もなるべく回収してまとめるのね。よくまとまってはいるけれど、個人的にはあんま好きじゃないやり口。上で、最終章では学校校舎を舞台に展開すると予想したが、そうではなくて彼らの住む町の地理がそこそこ重要だった。自動車学校が2つもある田舎?

 

高校生の詐欺グループとかいう犯罪スケールへと物語が広がっていって、小佐内さんの身に危険が……という典型的なサスペンスの展開にはうんざりしたけど、まぁ最終的には彼女ひとりでほぼぜんぶ解決して、小鳩くんや健吾の助けはいらなかった、というオチだったからギリ良しとしようか。。

 

「狼」かぁ…… これまで小佐内さんのキャラを掴みどころなく描いていたのもそのためだったのね。えーー小佐内さん狼のままでいいじゃん! なんで小市民を目指さなきゃいけないの? 中学時代の話をしてくれないと分からん……(小鳩くんのほうはまぁだいたい分かった。ただ、それにしても名探偵として失敗して嫌われて恥をかいて情けない思いをしたからもう探偵はやめる!小市民になる!というのはあんまり理解できないが……)

最後の締めにしても、ようするにこの作品(シリーズ)にとって〈小市民〉とはひとつの建前、それを目指しているのだと発言し続けることによるパフォーマティブな効果にのみ関わっている観念であって、本質的に、小佐内さんは執念深い狼だし、小鳩くんは「またつまらぬ推理をしてしまった……」やれやれ系のウザい探偵(狐)だということだろう。小鳩くんは論外として、小佐内さんのこと絶妙に好きになれそうでまだなれてないな……というか小鳩くんと絡む必要性を感じない。。狼らしくひとり孤高に好き勝手高校生活を謳歌しててくれ。それじゃあ青春ミステリにはならない??そうっすね……

でも序盤で悶えていたような「イチャ♡ミス」の雰囲気は後半かなり鳴りを潜めたな。……完全に途絶えていない(むしろより濃くなっているんじゃないか疑惑もある)のが安心できないところだけれど。

 

続刊を読みたい気持ちもあるけれど、それよりも、続きを読んだらよりこいつらのことが好きになれなくなるんだろうな~めんどくせぇなぁ~という気持ちがギリ勝っている。


小市民シリーズを読む前のなんとなくの想像として、「ぼくは小市民でいたいのに、やれやれ……」と言いながら推理して解決しちゃうだけの話だと思っていた。それはそんなに間違っていなかったのだけれど、しかし、探偵行為の暴力性の自覚からくる忌避感と同時に、小市民であり続けることの息苦しさ、不健康さにまでちゃんと焦点を当てて、それらのダブルバインドによって懊悩する高校生を描いていたのでわりかし(予想してたよりは)良かった。