「優しさ」イーユン・リー

 

 

 

黄金の少年、エメラルドの少女 (河出文庫)

黄金の少年、エメラルドの少女 (河出文庫)

 

 

河出文庫から出ているイーユン・リー『黄金の少年、エメラルドの少女』の最初の短編「優しさ」を読んだ。

本作を読むきっかけは、以下のツイートだ。

 

 

 

 

これを見て即アマゾンで注文し、めちゃくちゃハードルが上がった状態で読んだ。 

 

 

私は生れてこのかた一人として誰かを傷つけたことはない。というより、ついうっかり傷つけたとしても、与えた痛みはごくわずかで、あっというまに忘れてしまう程度のものだ──たとえ感じたにせよ。ところで、これでは幸せな人生になりえないどころか、ほとんど人生ではない、と言われてしまうかもしれない。たぶんそのとおりだろう。 p.8

 


「キノコと名付けたひよこ」とか「中都市の駐屯地」とか地味に韻を踏んでるのが気になる。翻訳による偶然だと思うけど。

 

この子たちのことはありがたいというより、行く末を知っているので不憫に思う。私のような無関心な人間でも、誰かの人生に潜む殺伐とした暗さを見るのは、ひどく恐ろしい。 p.8

 

以来、人生はそういうものだと私は悟った。一日一日が、最後には殻に戻ろうとしないひよこみたいになるのだ。 p.10

人生は殻に戻れないひよこみたいなもの。生まれ堕ちることの残酷さ、やるせなさ
ところどころ、出生を憐れむ一面を見せる。
当時の中国の生活レベルをよく知らないが、そういうのが醸成されやすい社会だったのかな

 

「どうして不幸そうなの」今日もなお、目を閉じれば、あごの下に触れる魏中尉の指を感じることができる。そうして春の暗がりに向け、私の顔を上げさせた。「教えてよ。どうすれば幸せ?」 p.8

 

百合か!?!?
年の差、(かつては)軍隊の上司-部下、(現在は)母親-独身……属性多っ

 

抑制の効いた淡々とした語り。事実が連なり、修辞的な比喩や言い回し、感情表現は少ない。
それだけに、「はい、中尉」のやり取りでなぜ泣いたのかよく分からない。実家を離れ厳しい軍生活が始まることへの不安?もっと意味深いもののような気がするが、掴めない。

 

p.27
故郷の公衆電話係の女性と、その知恵遅れの息子の挿話が良い。こういう細部のエピソードにこそ作品の風格が滲む。

 

現在は41歳一人暮らしで、18歳から入隊した軍生活を回想していて、そこに更に、より若い頃の杉教授との思い出などが語られる・・・という、重層的でかなりややこしい構造になっている。

 

私は窓の向こうの常緑樹に目をやり、その中の一本になりたいと願った。私は人よりも木のほうが好きだった。いまでもそうだ。杉教授が、人間ほど残酷な生き物はそういないわ、と言ったことがある。(中略)ここに並ぶどの木も、これから出会う人たちより値打ちがあるわよ。人にうんざりしても、まだ見ていられる木があるっていうのはいいことじゃない? pp.28-29

 

彼女の表情はすでに楽しげではなくなり、古老のようでありながらも永遠に年をとらないような顔つきになった。こんなふうにうたえるなんてどういう人なの、と私は思った──彼女は超然として俗世に侵されないように見えるけれど、もしこうした歌が訴える苦しみを感じたことがないなら、なぜここまで人の心に残るようにうたえるのか。 p.37


南(ナン)いいなぁ……
人間を魅力的に描くのがうまい。しかも一辺倒でなく、いろんな類の人を出してくる。

 

列車に乗っている間、合唱団の指揮者にチェスを教えてもらったの、と彼女は言った。その間小さい子たちはうたったり騒いだりしていたんだけど、まだ七つにもならないお人形のような女の子が、周りが見えない天使みたいに何時間もバイオリンを弾いていたんだよ。 p.38

 

振り返ってみると、あらゆる悲劇的な話に耐えられたのは、言葉をあまり理解できなかったからではないかと思う。ずっと私は、読んでもらった話とは違う話を思い浮かべていたのかもしれない。 p.41

 

ディケンズ『デイヴィッド・コッパーフィールド』、ロレンス、ハーディ……
外国語(英語)の小説をじっくり読み聞かせてもらって、段々と話が理解できるようになっていく。
こうした言語越境的な要素が入ってくると、中国からアメリカに渡って英語で書いている著者を意識せざるを得ない。

 

「悪いことを教えようとしてるなんて思わないでね。あなただってもう、こういうこと知っておいていい年だよ」潔は声を落として言った。小説の中に生々しい部分がたくさんあるの。男と女がセックスする場面に全部印をつけといてくれない? p.44

 

彼はためらってから、握手しようと手を差し出した。私はもっと何か言いたかったし、彼にも何か言ってほしかった。彼の手を取ったが、指が触れたとたんに二人とも手を離した。「さようなら、妮妮のお姉ちゃん」
「さようなら、妮妮のパパ」
二人とも、そこを動かなかった。一台の自転車のベルが鳴り、それに続いて他の自転車のベルも次々鳴った。鳴らす必要はないのに──きっと自転車置き場を通りかかった子供が、ベルを全部鳴らしたい衝動にかられたのだろう。 p.52


う、うめぇ……ストーリーテリングが、文章が、上手い・・・
なんて言うんだろう、奇をてらわずに率直にハートウォーミングな話を書いても、安直さや嫌味っぽさをまったく感じさせない。これはちょっとイーユン・リーすごいぞ。。。
このストーリーテリングの上手さはこれまで読んできた中だとバルガス=リョサに少し近いのかな。短編と長編という違いはあるが。王道の小説をどっしり構えて書いて、文句の付けようがないほどの作品を作り上げてしまう作家。
(訳者あとがきによればウィリアム・トレヴァーを敬愛してるらしいがトレヴァー読んだことない……)


英語読めない上司×英語読める部下 とか更に最高の属性が追加された

 

高校のとき、その年頃のたいていの女の子と同様、私にも一人や二人は男友達がいたのだが、私は彼らの手紙を新しい封筒に入れ、返事を添えずに返してしまった。始まってはいけないものを終わらせるには、これでじゅうぶんだろうと思いながら。 p.61

かわいそう過ぎて草

幼い頃の淡い恋ともつかない別れのせいかアセクシャル気味の主人公…‥小糸侑か?
それに年上の相手なんて。やが君じゃねえか


p.62
これは・・・・・・百合・・・・です・・・・・・・(昇天

これもうイーユン・リリーだろ・・・

 

 検索したらやっぱり同志はたくさんいた。

 

 

私はつるはしの柄にもたれ、班の二、三名が一緒に泣き出すのを眺めた。彼女たちの世界は、浅薄きわまりないジレンマでしか難しくならないのだ。 p.67

 

魅力的な人間を描くのがうまいと上で述べ、それは間違っていないが、どの人物もキャラ立ちしている。すなわち割とそれぞれに類型的ではある。主人公(人に興味がない)、魏中尉(ツンデレ鬼教官)、杉教授(人間嫌い)、南(天衣無縫)、屏(甘ちゃん)、潔(陽キャ)、妮妮のパパ(初恋の残念音楽家)……

従軍時代だけを書いたらめっちゃ面白い女子校モノっぽくなると思う、読んでみたい(共産党下の女子軍隊と女子高生をいたずらに同一視するのは宜しくないが)

 

母は他にも何か言いたいことがありそうだったが、私は別れを告げた。彼女はただ明るく笑い、若い女の子っていつもあわてているのよね、と言った。それから、もう放っておいてというように父と私に手を振った。 p.71

お互い大事に思っているのにすれ違う。
人と人のつながりの温かさとやるせなさを慎重に、柔らかい手つきで描く。

 

私たちはこの世でいちばん孤独な家族かもしれない。そのように運命づけられているのだから。 p.72

ヤバい泣きそう

百合小説であり、フェミニズム小説であり、傷付け合いながらもなんとか支え合っている家族(になれなかった家族)の物語でもある……これだけのページ数なのに読み応えがすごい……

 

豚が求めるものは単純で、幸せは容易にかなえられた。一方で男の子たちには悩みがあったが、それでも冗談を言っていた。彼らの夢は、仲間だけではなく本人にとっても滑稽だったのだ。 p.74

 

私が彼じゃなくて残念だね、と私が言うと、潔は、からかわないで、と答えた。私は本気で言ったのに、わかってもらえなくて悲しかった。彼女と私は軍を出たら疎遠になるのだ。私たちは仲良しではないし、実のところ友達ですらない。今夜の思い出を彼女のために覚えておくのは私ではない。 p.82


人間と人間〜〜〜〜〜〜 って感じ。

 

p.88
飲酒百合だ……

 

他の人だったら体重でカーテンレールが壊れただろうけど、あのとおりお母さんは痩せ細っていたからね、と老女が言っていた。まるで、ふくよかな女にならなかったことが、母の唯一の不運だったかのように。 p.97

 

「愛は人に借りを負わせるの」杉教授が言った。私はうなずいた。でも、それは父が母を愛するがゆえに永遠に母に借りを返していくということなのか、愛されても愛し返せないがゆえに母が父に借りを負っているということなのか、どちらだろうと思った。「最初からそんなものは負わないのがいちばんよ、わかった?」 pp.102-103

ご丁寧に全部言ってくれるじゃん。
杉教授、進撃の巨人でいうとジークイェーガーみたいな立ち位置。主人公は……始祖ユミル?お母さんの方が近いか。

 

むしろ私たちは、自分の物語よりも真実味のある他の人々の物語を読んだ。なにしろ自分の人生をうまく作っていく力がない私たちは、彼ら巨匠たちにはかなわないのだ。 p.103

 

母は若いときに、父は年をとってから、恋をした。二人とも愛を返してくれない人に惚れこんだ。でも結局のところ、二人の恋物語は私が誇れる唯一の恋物語だ。一人の男がしがない暮らしの中から女に手を差し伸べ、その女が成人してからの人生すべてでそれに報いた物語の証拠として、私は生きている。 p.104

「物語の証拠として、私は生きている」か・・・・・・

 

魏中尉が私との友情を求めてやまなかったのは、私を弟子にしようとした杉教授と同じ欲求があったからだ。二人とも新しい人間を作りたかったのであり、ただ魏中尉は杉教授と違い、他人の人生をまんまと乗っ取るには好奇心と敬意が強すぎたのだ。 p.105

 

優しさは愛と変わらないほど執拗に人を過去に縛りつける。そして杉教授や魏中尉のことをどう思おうと、優しさをもらったのだから私は彼らに借りがある。 pp.105-106


小糸侑がなんちゃってアセクシャルではなかった世界線の『やがて君になる』だった。

 

登場人物は割と類型的でシステマティックではある。しかし、どのイデオロギーが正しいか、という次元の話をしていないところが良い。相対主義とかでもなく、私が生きてきて、人から貰った優しさの贈与を借りだと感じること。借りの返し方は、夢に見るだとか、ときどき思い出すといったことで、これらはほとんど何の返しにもなっていない。意識的にする行為ではなく、無意識にそうなってしまう、そうならざるを得ないことだ。
「そうなるしかない」ことを肯定して生きていくこと。これはイデオロギーとしては現状追認の反動的姿勢だが、小説のなかで、ある一人の人間の生の物語として描かれると、そのような言葉で棄却することは到底できないように思える。


主人公は最後まで誰にもなびかないが、物語の根幹は恋愛至上主義っぽいところがあるのが面白い。それを相対化する存在として杉教授がいるのだろうけれど。

 

でも心からともに生きているのは、杉教授の本の数々だ。ディケンズ、ハーディ、ロレンス。彼らは年若い少女だった私と出会い、いつか老女となった私に出会うことになる。こうした本の中に生きる人々は、著者同様に私とは無縁な人たちだ。そして無縁だからこそ、その世界へ入っていきやすいのだろうかと思う。両親と血のつながりがないからこそ、二人の恋物語を抵抗なく自分のものと誇れるのと同じで。p.106

「若い少女だった私も、いつか老女となった私も、彼らに出会うことになる」ではなく、あくまで小説側が主語であり無時間的な存在として固定されている点が興味深い。ここで「私」は、現実に生きる人間の物語と、小説内の人間の物語を完全に同一視している。そして、「私」との無縁性を手がかりに、両親への愛情と、小説への愛情を結びつける。
いささか形式めいてもいるが、これによって上述の恋愛至上主義だとか、魏中尉や杉教授や「私」の思想性のどれが正しいかといった静的な話が、人が生きることという動的な話へ、そして物語として、記憶として読みついで"覚えておく"こと、という枠組みへと昇華していく。

 

 

優しさと記憶の話だった……

 

 

O・ヘンリー賞のその年の第一位をぶっちぎりで獲ったというのはよくわかる。文壇や文学好きに評価されやすい小説だなぁと思う。それは言うまでもなく、杉教授が「私」に読み聞かせ、また母親が寝床でくり返し読んでいる恋愛小説が物語のキーになってくるからで、「文学を読んでいる私って素敵」という文学ナルシズム的な側面があるからだ。
わたしも当然、文学好きだと自認しているので、そうしたナルシズムはあり、本作のそうした要素にも率直に感動し支持するわけであるが、しかしこれがナルシズムであることも心に留めておきたい。

 

とはいえ、これが大大大傑作であることは疑いようがない。

 

 

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