「アウラ」カルロス・フエンテス

 

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前記事に続き、岩波文庫フエンテス短篇集を読んだ。

 

 


アウラ

「君」……二人称小説だ!しかも『子供の領分』のような現在形

バス停でバスが停車せずスピード落とすだけってマジかよ。メキシコ…というか海外ではそれが一般的なのか?


老人の家に住み込みで雇われるって『ムーン・パレス』を思い出す


ホラーか?
指示の通りに建物を進んでいくなんてまるで「注文の多い料理店」だ

兎をベッド上に侍らせているお婆さん……
うさぎが日常に出てくると途端に幻想的な雰囲気を帯びるなぁ
コルタサル「パリにいる若い婦人に宛てた手紙」然り、「日常に潜む怪奇」の普遍的なモチーフなのか?

 


p.164

後ろを振り向いたとたんに、王冠のように並んでいる献灯の瞬く光に目を射られる。もう一度夫人に視線を戻すと、その目が異様に大きく見開かれている。目はまわりを囲んでいる角膜と同じ色をしているが、まるで液体のような透明感をたたえて大きく見開かれている。夫人は数分前までその視線を気取られまいとして目を閉じ、厚い瞼の皺の下に隠していた。いま君の目に映っているあの透明な目に影を落としているのは黒い瞳孔だけだ。その視線がふたたび乾いた洞窟の奥に身を潜めようとしている──退却しようとしているんだ、と君は考える。

すげー幻想的でまどろっこしい文体だ。明らかに雰囲気を作りに来てる

 


p.165

アウラ……」
君があの寝室に入ってはじめて夫人が身体を動かす。老女がもう一度手を伸ばすと、すぐそばで激しい人の息づかいが聞こえる。夫人と君の間にもう一本別の手が伸びてきて、老婆の指に触れる。横を見ると、若い娘がそばにいるが、真横にいる上に、突然音もなく現れたので、全身を見ることができない。たしかに音はしているのだが、その時は聞き取れず、あまりにも静かなので後になって音がしていたことに思い当たるといった類の物音だ。

びっくりした〜!音もなく真横から若い娘の手が現れるとかどんな状況だよ

 


p.166

寝室のまぶしい光が恐ろしいとでもいうように、少しずつ目を開けて行く。君はようやく、波のように打ち寄せ、泡立ち、静まって緑色になり、ふたたびふくれあがる海のような彼女の目を見るだろう。君はその目を見て、いや、思い違いだ、彼女の目は君がすでに見たことのある、あるいはいずれ見ることになるはずのべつの緑色の美しい目と変わるところはないと自分に言い聞かせるだろう。いや、自分を欺いてはいけない。打ち寄せ、変化して行くあの目は、君だけが予見し、求めることのできる風景を差し出しているのだ。

なんだこの文章!?!? 意味が取れない
アウラが現れてハッキリと文体が変わった。
>読了後追記:そういうことか。ここで既に伏線が貼られていたのね。


現在形だけでなく「君は〜するだろう」という推量・未来形の文も結構混じってきてる。

 

光と闇、視覚的な演出にかなり凝っている
映像的なことを小説でやろうとしてる?

 

自宅に荷物を取りに帰ろうとしたら止められたり、食卓に人数以上の食器が並んでいたり、屋根の上の庭で猫が燃えていたり、そんな庭や猫は存在しないとお婆さんに言われたり、めちゃくちゃ不穏だ〜〜〜生きて帰れる気がしねえ

 

p.186

目のところにぽっかり穴が開いた顔が間近に迫ってくるのを見て、声にならない叫び声をあげ、汗まみれになって目を覚ます。その手が君の顔と髪の毛をやさしく撫で、その唇が聞き取れないほどかすかな声でささやきかけ、君を慰め、静かにして、愛し合いましょうと語りかける。

悪夢から目を覚ましたっちゅーのに次の文もたいして変わらない光景が平然と続くのこわすぎ

 


p.189

「清らかで汚れない生活を送るにはひとり暮らしがいい、そう考えて皆さんは私たち女に孤独を強いるんですが、そういう人たちは、ひとりで暮らす方がかえって誘惑が多いということを忘れているんですよ」
「どういうことかよくわからないんですが」

本作でも女性思想について触れている
ズレまくってる会話がうまい

 


p.198

「これからお遊びをしましょう。あなたは何もしなくていいわ、私にまかせてくれればいいの」
オパール色の淡い光があたりを金色に染め、部屋にあるものやアウラをひとつに溶かし込んでいるが、ベッドに腰を下ろした君はその光がどこからくるのかと思ってまわりを見回す。光源を探して天井を見上げている君の様子を、アウラはそっとうかがっているのだろう。その声の感じから、彼女が君の前にひざまずいていることがわかる。
「空は高くも低くもなくて、私たちの上と下にあるの」

(読了後メモ)2人の相対的な位置関係と、光の空間的な配置と、それからこの建物=小説じたいの密室空間/時間を統合して扱っている文章がほんとうにうまい。最後の台詞はそれ単体で取り出してもかっこいい

 


p.203

それらの品物の名前をひとつひとつ読み、手で触れ、使用法や内容説明に目を通し、商標を声に出して読み上げるが、他者、名前も商標も、本来あるべき堅固さも欠けている他者のことを忘れようとして、そうしたものにしがみついているのだ。アウラはいったい僕に何を期待しているのだろう?

他者=アウラのこと?

 


p.205
「もうひとりの人」? やっぱりアウラとコンスエロ夫人は一心同体なのかな
片方が片方を乗っ取っているか、そもそも存在の根本から複製のようなものか

 


p.211

三枚目の写真には、軍服ではなく平服を着た老人と並んで、庭のベンチに腰をおろしているアウラが写っている。その写真は少しぼやけている。そこに写っているアウラは最初の写真ほど若くはないが、彼女であることはまちがいない。そして、彼……いや、写っているのは君だ。

なるほど〜これがしたかったがゆえの二人称なのね

 


p.212

君は時計に、人間の思い上がりが生みだした、偽りの時間を計るあの役立たずのしろものに二度と目を向けないだろう。時計の針は、真の時間を欺くために発明された長い時間をうんざりするほど単調に刻んでいるが、真の時間はどのような時計でも計ることはできない。まるで人間を嘲笑するかのように、致命的な速度で過ぎ去ってゆくのだ。ひとりの人間の人生、一世紀、五十年といったまやかしの時間を君はもう思い浮かべることはできない。君はもはや実体を欠いたほこりのような時間をすくい上げることはできないだろう。

時計で計れる単調な"まやかしの時間"の否定
本作でもメキシコ(新大陸)とフランス(ヨーロッパ)の対比が行われているが、真の時間(流動)⇔ 偽の時間(単調)という対立もここに重なってくるのだろうか

 


p.213

何時間も口をきかなかったせいで、まるで人の声のようにくぐもっている自分の声を聞くだろう。

こわっ。もう人ではなくなっているのか……

 


ーおしまいー

 

なるほど。
フェリーペ(「君」)、コンスエロ夫人、アウラの三角関係かと思いきや、夫人の夫リョレンテ将軍を含めた四角関係であり、そして本質的には男と女、たった2人の間の時間を超えた永遠の愛の話だった。
「純な魂」で一瞬勘違いした、いつの間にか視点人物が入れ替わったり人物の境界が融解する仕掛けがこっちではガッツリ使われていた。コルタサルっぽいな〜と思ってしまうが、時系列ではこっちが先だろう。
怪奇幻想ものとしてはポーの流れは当然汲んでいるのだろうなぁ

わりと正統派の怪奇小説なのに、ヨーロッパと対比する形でのメキシコのアイデンティティ……といった要素を主題に組み込んでくるのがとてもフエンテスらしい。

屋敷の壁を食い破るネズミやら松明・月などの照明描写、リョレンテ将軍の回想録、真っ暗な庭で栽培されている植物などなど、様々な要素が伏線としてキレイに回収され、非常に完成度の高い作品だった。
きれいにまとまり過ぎてるのは好みではないが、本作はみんな大好きファム・ファタルものだし、入れるべきところでギアを思い切り入れる文章にも凄みを感じ、かなり楽しめたというのが正直なところだ。


訳者解説によると、本作執筆中にパリで上映されていた溝口健二監督『雨月物語』と上田秋成による原作に衝撃を受けたらしい。川端『眠れる美女』にマルケスが影響されて『わが悲しき娼婦たちの思い出』を書いたように、日本の作品がラテアメ作家に意外と影響を与えていることが多くてびっくりする。そういえばプイグは小津安二郎成瀬巳喜男の大ファンだったらしい。

 

 

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