『夜になるまえに』レイナルド・アレナス

 

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レイナルド・アレナス『夜になるまえに』

2023/11/20~12/1(9日間)

 


2020/12/11

最初っからやばすぎる。文章から感じる圧倒的なエネルギー。書くために生まれてきた人間、書くことに憑かれた人間なんだなぁ。作品でなく作家を信奉するのが僕は嫌いで、だからアレナス好きを公言していてもこの自伝を今まで手に取っていなかったが(本当は2年ほど前にも冒頭をかじったことがある)、今回、なんとなく(本当になんとなく)再び開いてみた。

で、自伝って「俺ってこんなに波乱万丈で辛く苦しい逆境のなかを必死に生き抜いてきましたよ自慢大会」みたいなイメージがあってそもそも好きじゃなく、そしてアレナスの人生はまさに「波乱万丈」だ。だから僕も2年前に読みかけたときはそういう鼻につく自慢気な感じ(そもそも自伝なんて書くやつは全員鼻持ちならない)がダメで本を閉じたのだけれど、今回は、そういうところを飛び越えて、ひらすらに文章のエネルギー・魅力に圧倒されて読み進めている。

マジでこんなにドラマチックな人生が現実にあるのかよ。初めて知った味は土の味、虫がうじゃうじゃで腹が膨らんだとか、幼少期から現代日本人としては信じられない描写が並びたてられる。「嘘松!」という言葉はあまりにも文化の隔絶にたいして無理解だから言えないけれど。(でもツイッタラーだから一瞬思っちゃうんだ。ごめんね)

 

そのころのぼくのセックスの相手は動物だった。まず、牝鶏、子山羊、豚。もう少し大きくなると、牝馬牝馬をものにするのはたいてい共同作業だった。男の子はみんな牝馬の高さになるまで岩に登ってその快感を味わったものだが、それは熱い、そして、ぼくたちにとっては果てのない空洞だった。 p.30

最後の一文の意味がわからない。どういうこと?そのままだと性器が牝馬に届かないから岩を踏み台にしたってこと?「共同作業」ってところから、岩=男の子が組体操的に足場を組んだもの、みたいにもとれる。(とれない?)

果てのない空洞、すごみがある。それも、向き合うときは一対一のはずなのに、「ぼくたちにとっては」という複数形を持ってくるところにすごみを感じる。

 


2022年4月26日 早朝 最初から読み直し始めた。

 


2023年11月20日(月) p.9~

邦訳の新刊記念に、今度こそ読むぞ!!

アレナスの文章はやっぱりめっちゃ読みやすい。故郷のような安心感。もちろん、小説ではなく自伝であるがゆえの飾らなさも読み易さを助長しているだろう。
幽霊が当たり前にいる幼少期の世界観たまらない。石牟礼道子『椿の海の記』と共鳴するものがある。


11/21(火) 〜p.79

存在感のある祖母の描写、という点でも椿の海の記だ。信心深く破天荒で悩ましいおばあちゃん、めちゃくちゃ良い。

 

11/22(水)p.80〜143

キューバ革命からフィデル・カストロ共産主義政権下での青春時代。

国立図書館にスカウトされてから作家・文学関係者との交友を持つようになると、知っている名前も多くなり始めてめちゃくちゃ面白い。特にビルヒリオ・ピニェーラとレサマ=リマについての章は素晴らしくて泣きそうになった。『パラディーソ』読んでてよかった。レサマの妻も最高。

カルペンティエルはやはりアレナスらにとっては俗っぽい二流の作家なのだな。

申し分のない才能の持ち主たちは新たな独裁に取り込まれたとたん、価値あるものは二度と書けなくなってしまったのだ。『光の世紀』を書いたあとのアレホ・カルペンティエルの作品はどうなったか。どれも最後まで読めないようなひどい駄作。 p.139

いや、『光の世紀』(1962)までは評価してるのか。体制に取り込まれる以前/以後という物差しでアレナスが幾分主観的に図っている節もあるのだろうけれど、『方法異説』や『春の祭典』は駄作であると。まぁ確かに日本の読者からもそれらの評判はあまり聞かない。


11/24(金) p.144〜192

・エロティシズム

性的冒険と創作活動が分かち難く結び付いている。本当にこんな世界/社会があったのか、というほどに遊びまくっている。

アメリカとキューバホモセクシュアルの社会的位置付けの違い、捩れが興味深い。

海への憧れ、執着、エロス。とんでもなく詩的で感動的。〈海〉は『凪のあすから』ではヘテロセクシュアルなモチーフだったけど、ここではホモセクシュアルな官能性の象徴。

幼少期に木に突っ込んだエピソードがあったように、自然へのエロスが通底しており、だからこそアレナスの描く世界はこんなにも荒々しくエロティックで抒情的であるのだ。

政治と性の話が8割を占める。アレナスが生きてきたキューバを語る上では必然なのだろう。


11/27(月) p.193〜232

『めくるめく世界』並の入牢→脱獄→逃走劇
波瀾万丈すぎる。しかも小説書いた後にこれをやってるんだから恐ろしい

母がほうきで掃いている描写良かった。

 

11/28(火) p.233〜278

地獄の刑務所生活。監獄「モーロ」城って『パラディーソ』でも出てきたとこだっけか

本当にこんなことが現実にあったのか、と唖然とするしかない様子。アウシュヴィッツとも異なる凄惨さ

そして反革命分子としての自己批判、「告白」…… アレナスにこんな経歴があったなんて知らなかった。

母親への愛情と、母のようにはなりたくない、母のためにも元から逃げたい、という複雑な感情はそのまま『襲撃』のラストに繋がる。

逃亡中や収監中も『イーリアス』を抱えて大事に読んでいるのすごく象徴的だ。


11/29(水) p.279〜316


11/30(木) p.317〜340

・「ホテル・モンセラーテ」

牢を出てから、また違った意味で、こんなことが本当に現実に有り得るのか、と信じられないほどの狂騒の日々。ドタバタ劇。カオス、カーニバル。修道院のある竪穴の壁をみんなで引っ張って崩壊させるくだりとか最高。リアル『百年の孤独』かよ。

現実は小説よりも奇なり、というけれど、まさに小説よりも小説らしく、それでいて、小説では決して表現しえないようなものになっている。ヤバい小説を書こうと思ってもこうはならない。「奇想」小説なんてものを笑い飛ばすかのようなエッセイ。人生。

 

12/1(金) p.340~413

おわり!!!

そうやって亡命・出国したんだ……。てっきりごく小数でこっそり逃げ出したのかと。でもめちゃくちゃドラマチックだな。

「魔女たち」の章はミソジニーもあるけどなかなかに素晴らしかった。人生で出会ってきたさまざまな女性たちへの愛と憎しみを包括した尊敬の感情。

やっとのことでキューバから出国して亡命した先のアメリカ、マイアミ、ニューヨーク、資本主義体制には複雑な想いがある。もちろん、残してきた故郷キューバにはその何倍もの感情が。

カルロス・フエンテスに対面して「作家ではなくコンピューターみたいだった」と恐ろしがるのワロタ。ボルヘスは高く評価していて、ガルシア=マルケスは(主に政治的な対立で)大嫌いだったんだな。アレホ・カルペンティエルも。作風からボルヘスとは相性悪そうなのに。

マイアミで絶望していたアレナスが数少ない敬愛の念を送ったリディア・カブレラの作品読んでみたいな。

 

 

・そのあと、映画版を見ました(感想↓)

filmarks.com

 

 

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