『紙葉の家』マーク・Z・ダニエレブスキー(2000)
嶋田洋一 訳
……ああ、いや、何の話だっけ? ホラーだけどホラーじゃなく、むしろ悲哀の話?
20世紀のアメリカ文学を締めくくる超実験的な「奇書」として海外文学好きに広く知られながらも、絶版で価格高騰しているため入手困難な『紙葉の家』(House of Leaves)を読んだので、感想を書きます。
きっかけ
もともと『紙葉の家』の存在や評判は知っていましたが、入手困難だし、「奇書」をありがたがるフェイズはしょーじき卒業したし……と思って読んでいませんでした。
そんな本書に手を出すきっかけは、友人たちと雑談していて「今流行りのモダンホラーやモキュメンタリー、リミナルスペース、SCPなどの源流のひとつが『紙葉の家』らしい」と聞いたためです。
わたしはホラーもリミナルスペースもそんなに興味はないので半身で聴いていたところに、突如、名前だけは知っている文学作品が話題に上がって繫がりが見えたため、がぜん興味を抱きました。
さいきん邦訳が出版された『リミナルスペース 新しい恐怖の美学』というカルチャー解説本のなかでも、『紙葉の家』にかなり紙幅が割かれているようです。
映画化までしたゲーム「8番出口」も、遡れば『紙葉の家』の影響下にあるといえるかもしれません。
その後、読んでいたボルヘス『アレフ』のいち短編について検索していたら、やはり『紙葉の家』を研究するファンサイトに遭遇したこともあり(また紙葉の家お前かよ!)、読む機運が高まっている天の啓示を感じました。
そこで、地域の市立図書館で調べてみたところ、利用可能だったためすぐに借りて、ひと月かけて、返却期限ギリギリでなんとか読み終えました。
買おうとすると数万円は下らないため、読みたいだけならば図書館で借りて読むのがオススメです。
以下、「感想まとめ」そして「感想メモ」の順番で載せます。
とうぜんネタバレを含みます。
感想まとめ
まぁまぁ面白かった!
が、めちゃくちゃ面白かったか、好きだったかと問われると首肯できない。わたしの尊敬する人々はみんな絶賛しているので、単にわたしの好みがねじ曲がっているか、本書を深く味わう技能に欠けているということだろう。
たしかに前衛実験性はある。めちゃくちゃある。……のだが、それよりも「20世紀アメリカの伝統的なポストモダン文学の正統後継者/優等生」だなぁというのが読後の第一印象。
というのも、何重もの入れ子構造や円環構造を成すメタメタフィクションや、文字が縦横無尽にページを走りまわるタイポグラフィ表現など、表層はヤバそうだが、肝心の物語内容は、アメリカの家族の崩壊と再生! 夫婦や母息子の絆!……などと、アメリカ文学で死ぬほど見たことをド直球にやっていたからだ。
最後の母親からの書簡ラッシュなど、こんなにも感傷的でエモーショナルでいいの!?と思うくらいだ。『鬼滅の刃』の回想シーンかと思った。
ジョニー・トルーアントという男の錯乱した一人称の語り(どれだけ酒やドラッグをきめて、どれだけ女と寝たか)や、本文よりも長い注釈芸なんかも、はいはい現代アメリカ文学でよくあるやつ……という。
ゆえに、見かけ上のヤバさに比して、実際の文学的な革新性はあまり感じられなかった。堂々とベタをやっていて、高い完成度で成功はしているものの、それゆえにあんまり面白みもない。ピンチョンやギャディス、レサマ=リマとかのほうがずっと凄いし面白いと私は思う。
とはいえ、文章はふつうに上手いし、小説を読んでて、次はどこを読めばいいのか「道に迷った」体験は初めてだったし、『ネイヴィッドソン記録』の冒険ホラーパートは素直にワクワクした。ホラー小説というより、冒険小説の面白さがあった。(しかし、家のなかからは一歩も出ない「冒険」なのだが……。『ナルニア』フォロワーともいえる)
タイトル通り、不思議な〈家〉を主題とした小説だが、その意味するところは、家の建築的な側面のみならず、〈家族〉にまで至る。
ジョニーの親子関係がひとつの中心要素であり、ここはお互いに巨大感情がエグいため、マザコン文学好きにはおすすめしたい。
本質的には、家族の話がしたいから、家についてのホラー小説の体裁をとったのだといえる。
リビングから無限に続く暗黒の迷宮……という設定からは、いかに現代(アメリカ)人にとって「家族」というものが重く深く暗く根深い問題であるか、を思い知らされる。
こう考えると、まさしく王道のアメリカ・ポストモダン文学をやっている。
ただ、それゆえに、というべきか、夫婦の話を扱う際に、夫ウィルを冒険好きで未知を科学的に探究して解明することをやめられない男性として描き、逆に妻カレンは冒険したがらず「家」に籠って、風水などのスピリチュアルに頼りながら子供を見守りながら夫の帰りを待つ女性にする、というジェンダー・ステレオタイプをそのまんま踏襲した構図だったのがかなり嫌だった。そこまで「ベタ」というか、性差別的な設定にするしかなかったのかぁ、と。
(ただし、マザコン的な主題にも関連して、著者はかなり自覚的に、わざとこうした保守的な要素を必然的に選び取って描いているのだとも思う……ので、複雑な心境になる)
・ケア労働/在宅ワーク小説
女(妻)は「家」に籠って夫の帰りを待つ……といっても、では男は「家の外」へと出かけるのかといったら違って、むしろ「家の中」の、より奥深くへと冒険に出かけていく構図になるのが、本作の設定の見事なところだ。「男は外/女は内」というジェンダー差別的な構図をパロディして異化している、とも読めるのである。
実際、迷宮へと続く冒険の入り口は家のリビング(=中心部)に存在する。そのため、リビングは「家」のもっとも内側でありながら、「外」へ向かう冒険の前線基地でもある、というアンビバレントな状況になっている。小学生の子どもの悩みに父親が寄り添おうとするのを、仕事仲間が冒険のしたくの邪魔だと一蹴する描写は印象的だった。なぜなら、家庭外の「仕事」と家庭内の育児という「ケア労働」とがひとつの場で同時に起こることでコンフリクトを生んでいる、と読めるからだ。
こうした描写は、現代のケア労働に関する議論にも十分に繋げられるし、あるいは在宅勤務中に仕事部屋に子供が入ってくる──というようなシチュエーションも連想させて非常に興味深い。その意味でも、刊行から25年が経ったいま読まれるべきアクチュアルな小説だと思う。
本作のなかでも、『ネイヴィッドソン記録』へのジェンダー批評的な分析・解釈がいっぱい語られているのが引用されていた。これらはいわばパロディであり、それなりに面白いが、雑だな~薄っぺらいな~~とも思った。精神分析やその他いろいろ、全方位の学者や批評家・コメンテーターを茶化して諷刺していた。
・映像と文章
「外側より内側の長さのほうが長い家」「無限に続く廊下」というアイデアはキャッチーで魅力的だが、本作が単なる怪奇ホラー小説の枠に収まらず、現在まで多大な影響を与えているのは、その間メディア性/メタフィクション性ゆえだろう。
本作の大半を占めるのは、ピュリッツァー賞をも受賞したフォトジャーナリスト、ウィル・ネイヴィッドソンが撮って編集した『ネイヴィッドソン記録』という映像作品(についてザンパノが資料収集してまとめた文書『ネイヴィッドソン記録』)だ。
つまり、「起こっていること」を小説のベタレベルでそのまま描くのではなく、まず、それを無数のカメラで「撮ったもの」という映像の階層を持ち込む。そしてさらに、いちど映像メディアで作品化しているものを、無数の学者やインタビュイーが論じたり語ったりした「文書を編纂したもの」というテキスト(文字)の階層で包んだものが、本書の本文として提示されている。
この時点でかなり特異な構造になっている。本作はいわば「映画評論の体裁をとった小説」として読めるからだ。登場人物が~~をした、という形ではなくて、「映像のなかで登場人物が~~をした、ということが○○によって~~という風に論じられている」というややこしい構造だ。
じっさい、ザンパノの『ネイヴィッドソン記録』の文体は、映像内の出来事をそのまま語るよりも、それをひとつの「映像作品」としてみて、ネイヴィッドソンの卓越したカメラ技術によってどのように撮られており、それがどのような効果を生んでいるか、という批評的な目線での語りに寄っている。
ゆえに本書は「映画小説」のひとつのアイデアとしてなかなか面白い。
映像メディアと文章メディアの関係を主題としている、と読めるからだ。(本作が映画化できない/させていないのは、おそらくそれが理由だろう。いくら映像が大事な作品だからといっても、映像そのものではなく、映像についての文字での語りが必須の文学作品だからだ)
ちなみに、こうした階層構造を根底で支えているのは、不可思議な家の設定ではなくて、ネイヴィッドソンが家に引っ越してきてから各部屋に設置して常時起動し続けている「ハイ8」というビデオカメラだと思う。
現代でいえば、定点カメラとか、あるいはGo Proのような持ち運べるアクションカメラの用途を兼ねているものだと認識している。このハイ8によって『ネイヴィッドソン記録』の大半の映像が撮られているため、90年代当時の先端の技術が大活躍している、という意味でもポストモダン文学を地で行っている。
・こんな人にオススメ
モキュメンタリーホラー、都市伝説やリミナルスペースなどの現代サブカルチャーに興味がある人は、読んで損はないと思います。
いわゆる「考察」系作品好きも楽しめると思います。
現代アメリカのポストモダン文学好きも、もちろん読むべきです(そういう人はもうとっくに読んでるのでしょうけれど)
わたしは久しぶりに現代アメリカ長編を読んで疲れたので、しばらくこういうのはもう、いいかな・・・・
最後に、わたしが本書でいちばん笑ったところを挙げます。
作中ではいろんな実在する著名人(作家や哲学者、映画監督など)が登場して、「それっぽい」発言をさせられているのですが、スティーブン・キングやデリダ、ポール・オースター、キューブリック、スティーブ・ウォズニアックなどと並んで、ダグラス・ホフスタッターが出てきたのに爆笑しました。・・・いや確かに本書に登場するのにめっちゃ相応しいけど!!
無限パターンに関するそれっぽいうっっっすいことを言わされていて笑うとともに「やっぱこの人ってこういうところでいじられるポジションなんだ~~」と納得しました。
感想メモ
25/10/12(日)
読み始めた。
文体は典型的な現代アメリカ小説のそれ。ボルヘスとかより遥かに読み易い。
入れ子的なメタフィクション構成は王道のポストモダン文学。
ただ皮肉なのは、この本の中心にあるドキュメンタリーがフィクションだって事実に変わりはない点だ。ザンパノは最初から、何が本当で何が本当じゃないかってことが、ここでは関係ないのを知ってたんだ。結果は同じなんだから。 p.xxi
①48歳のカメラマン男性ウィル・ネイヴィッドソンが撮ったホームビデオ=『ネイヴィッドソン記録』
②それを謎の老人男ザンパノが(でっち上げて?)書物の形式にまとめ上げた『ネイヴィッドソン記録』
③それを、ザンパノの死後に彼の家から見つけ出して編纂したのがジョニー・トルーアントという男
という、少なくとも三重の入れ子構造になっている設定。
ジョニー・トルーアントの注釈の脱線自分語りがおもしれ〜 パンチング・バッグと極楽鳥の話とか。
4章まで。
4日間出掛けているあいだに、謎のスペースが寝室の隣に出現している。そのせいか、家の内側から測った長さが、外側から測った長さよりも1/4インチ長いという不可思議なことに。
さらに、どんどんと謎スペースが拡大している?
家の不条理文学といえば、コルタサル「占拠された屋敷」だなぁ
外から見ると何もないが、内側からはその先に空間が伸びているトマソン的な扉といえば、『雪子の国』のだいだい屋敷だ。
今のところ、『ネイヴィッドソン記録』本文のネイヴィッドソンらのゴシックホラーっぽい本筋も、長い注釈の中で展開されるジョニー・トルーアントの語る筋も、なかなか興味深い。
トルーアントの語りの文章がなかなかいい。
5章から
ジョニーの注釈芸での饒舌な語りが本気出してきた。かなりトリップしていて意味が掴めない。
ネイヴィッドソン記録の"エコー"を導くためだけに長々とエコーの神話的/科学的な解説を前置きする構成。
タトゥー見習いジョニー・トルーアントが惚れている6歳年上のストリッパーの呼称「サンパー」って、日本語名だと「とんすけ」なんだ。
『バンビ』に出てくる兎
ネイヴィッドソンが深夜にこっそり、あの廊下を探検して道に迷い、真っ暗で巨大な空間に行き当たったのと響き合う(エコーする)ように、ザンパノの原注で写真家の名前が数ページに渡って延々と列挙される。注釈そのものが果てのない空間のようだ。
本/小説という形式にいかに迷路性を持ち込むか、という試み。
5章の長い注釈と6章
編者注でもつっこまれているように、ジョニーの語りはかなり錯綜している。アメリカ文学のお作法
犬や猫は、ネイヴィッドソンの家の廊下に入ることができない(入っても外に抜けてしまう)のか。人間だけの精神的なものに関わってるということか
7章〜
登山家の男ホロウェイとその助手ふたりが家に到着、何度も探検を試みる。
ネイヴィッドソンは、妻カレンがホロウェイに浮気をしていることを不安に感じて嫉妬しながら、廊下の調査でもホロウェイに実権を握られたことを悔しがる。
有り得ない家という非現実ホラー要素そのものではなく、明らかにそれを〈家〉の問題として抽象化して、夫婦関係の破綻や男同士の権力闘争などを描こうとしている。雑なジェンダー批評のようなものも引用で繰り広げられていて笑える。
しかしながら、不倫したり風水に頼ったりする妻と、未知への探検・科学的調査の指揮をとりたい夫という図式はステロタイプをなぞっているのも確かだ。
夫婦や家庭の不和・綻びが主題という点まで非常にオーソドックスな(現代)アメリカ文学だといえる。
彼にとってあの家は、世間からの認知を約束するものと映っているのだ。 p.109
ホロウェイもウィル・ネイヴィッドソンも、この家を自分が世間で評価されるための道具として認識しているのが滑稽ながら生々しい。
ホロウェイのほうはこうした家庭内の緊張やそれにともなうストレスで探検の準備を邪魔されるのが許せなかった。 p.109
ウィルの息子チャドが学校でいじめられているらしくて父らが心配するのを、ホロウェイが探検の邪魔だと疎ましく思うさまはなかなか興味深い。ふつう登山など探検する場所は、こうした育児・ケアの場である〈家〉からかけ離れた、対照的な空間である。
しかし、いまはその家そのものが不可思議かつ無限の広さを持った得体の知れない空間となっているがゆえに、両極が繋がって重なり合っており、こうした不和が生じることになる。
夫の出航(出征)を港=家で見送って待つ妻、のような構図をうまくいじって異化しているといえる。
本文と原注を章末までまず読んでから、クソ長いトルーアントの注釈語りを読むことにする。
トルーアント25歳なんかい!!
家の壁から響くSOSと、ネイヴィッドソン記録のカット割りそのもののSOS的な編集の重ね合わせ。さらに、それを語るザンパノの文章もが謎のモールス信号によって切り分けられ、SOSを作り出している。そのメタメディア性への強いこだわり。
9章
トルーアントのエッチな女性遍歴は続く。タチアナに見抜きさせてもらった体験は妄想なのか本当なのか
ホロウェイ達はいちおう長い螺旋階段の底についたのか。そして「迷宮」に入って迷い込んでしまったと。ミノタウロスの伝説に関する解釈の注釈。
本文で迷路が取り上げられるのに伴って、いよいよ紙面そのものがタイポグラフィの本領を発揮して迷路じみてくる。どの順序で読んでいけばいいのか全く分からない。迷う。読書中に迷宮入りするというなかなかない体験をさせてもらえる。
列挙で異様なタイポグラフィページの文字数をかせいでるのか〜
「家」にない家具や設備を並べていく、ページの真ん中の四角い枠。裏側はまるで文字が透けたように鏡対照に印刷されている。
延々と数十ページに渡って列挙される、ネイヴィッドソンの家とは "似ていない" 世界中の建築のなかに、日本のものも含まれている。つくばセンタービル、広島市現代美術館、帝国ホテルなど。
返す刀で建築家を列挙しながらページが巻き戻るのか…… 本を逆さまにした
食糧場所を荒らした謎のうなり声の主を狩ろうとホロウェイが狂って、助手ふたりに置いてかれてしまった。なるほど〜そうなるのか……
「何だか気味が悪いぜ」長い登りの途中でワックスがつぶやく。「何かについて考えるのをやめると、そいつが消えてくみたいなんだ。ポケットのジッパーのことを忘れると、それがなくなる。ここには当然だってものが一つもない」 p.151
ひょえ〜…… 怪奇探検小説だ
うわー…… 錯乱したホロウェイが、なぜかワックスらに合流してライフル誤射してしまう。その後は積極的にふたりを狙って追い続ける…… 怖ぇ〜 ジェドは健気だしワックスは可哀想だし……。味方が敵になる展開がいっちゃん絶望的で怖いからな
『ネイヴィッドソン記録』が本物のドキュメンタリー映像なのか、デジタル加工の産物なのか。これはAI生成技術が躍進する現代ではますますホットなトピックか
p.179 クストリッツァ『アンダーグラウンド』の前にカンヌ受賞していたという、実在の殺人を撮った猟奇映画は架空のものらしくてよかった〜
10章
現実の世界と違い、家の中でのネイヴィッドソンの行程は、比喩的のみならず文字どおりに短縮されたのだ。 p.200
10章に入り、ページあたりの文字数が極端に減った。スイスイ読める。
作中でホロウェイらを助けに廊下へ入ったネイヴィッドソンが、わずか5分で階段の底に到達してしまったことと、明らかに対応している。
伸び縮みする家=本。
p.211〜
ジェドが頭を銃弾で撃ち抜かれるところで、スローモーション的に、もっともページあたりの文字数が少なくなる。次々とドアが閉まっていくのと、読者がページをめくる動作が重ね合わされてもいるか。
これ、よく縦書きで翻訳したなぁと思う。というか原書はどうなってるんだ。横書きだと、縦書きほどタイポグラフィによる一方向の運動性を持たせにくい気がするが。(左ページ下から右ページ上へとジグザグに戻る軌跡になってしまうので)
彼の生命が自分の言葉の行間に滑り落ちていってちまったのが悔やまれる。 p.280注釈
ウィルとトムの双子をヤコブとエサウに喩える論考を紹介した後、いきなり「トムの物語」が始まった。真っ暗な地下空洞のなかにひとり何日も取り残されて通信中継拠点となっているトムが、ひとりで滑稽話をカメラにしているさま。
p.298〜
でもその胸は、それだけで一つの物語だった。巨大だなんて表現じゃとても足りない。DDDカップ、その食塩水の袋には一つの海が丸ごと入ってるみたいだ。左は紅海、右は死海。一たび嵐があれば沿岸の街をごっそりさらってくだろうし、内陸の村だって保証の限りじゃない。 p.299下 注
笑った
犬が死にます 可哀想に
トムやるやん!
あーあぁ…… ほんとに伸び縮みしまくるんだな。もはや物理的な実体/実態があるビックリハウスだ。
今のところおれの唯一の推進力となってるのは、『ネイヴィッドソン記録』を仕上げたいって、いささか場違いな情熱だ。あの家の謎が解ければ、おれの問題も解決すると思ってるのかもしれない。だがもしそうだとすると、そうじゃなくても不思議はないけど、答えがわかったときには問いそのものが消滅してることになる。 p.331下 注
もはやしばらく前から、トルーアントの注釈パートが本編の進行を遅らせる最大の障壁と化している。はやく本編読み進めたいが…… 戻ってきてあとで読み返す気もしないだろうから、いま片付けるしかない。
フォークナー、ケルアック、ブコウスキー?などの、フランクな語り口の男が管を巻く系譜(適当)
何千何万の猫の前足がそれを予見して、その反射が空の蒼穹に第二の影を映して……〈暴虐〉はその秘密の積み荷とともに失われ……しぃぃぃぃぃぃぃ……誰が知ってるはずがある、その第二船倉の空気溜まりのことを? p.333下注
……ああ、いや、何の話だっけ? ホラーだけどホラーじゃなく、むしろ悲哀の話? p.334下注
結局なんの話だったんだ…… ジョニーの妄想? 実際の過去じゃあないよね?
13章
ボルヘスの引用!
p.347〜 ネイヴィ帰還した〜! まぁ後のインタビューとかやってるから生きてはいると分かってたけど。
それまでずっと、おれは自分の喧嘩っ早い性格を勇敢さだと勘違いして、たとえ自分が十三歳で相手が海兵隊上がりの怪物でも、頭から突っ込んでくのが気高いことだと思い違いしてた。怒りもまた恐怖を隠す一つの形だってことに気がついてなかったんだ。本当の勇気ってのは恐怖を受け入れて、相手を恐怖し、本当に恐怖して、それをもっとずっと勇敢な選択に振り向けることだった。 p.363注上
『BLEACH』の東仙の持論の元ネタだ
このレイモンドがジョニーの父親で、そこから逃げ出してティーンエイジャーが単身アラスカへ行ったのね。寄宿学校
ある瞬間、急にすべてがありえないほど遠く混乱して感じられ、おれの自意識は非現実化し、非人格化し、見当識喪失がはなはだしくて、おれは信じ込む──つまり、ザンパノの作品と強く結びついてるってこの恐ろしい感覚は、一つのありえないことを暗示してるんじゃないかって。何をかと言えば、それがおれを作ったってことをだ。おれからそれへじゃなく、それからおれへ。 p.364注上
まぁこれだけ病んで錯乱してればこういう発想になるよね。メタ的にも妥当
ホロウェイの持っていたカメラの内容に関する、識者のいろんな考察(ホロウェイは鬱傾向にあり自殺願望があった説)について。焦げつきによる欠落が多く非常に読みにくい。
一見、いろいろとやりたい放題だけど、作品における「真実」の設定自体はある程度カッチリ決まっている感じはまさしく『響きと怒り』を思い出す。20世紀アメリカ文学の正統後継作。
p.370〜
ホロウェイ・テープのラスト、第十三部で彼が自死したあと、その亡骸を怪物的な闇?が呑み込んだように見えることについて。
ザンパノは監禁されてるけど、どこにだか聞いたらきっとびっくりするだろう。おれの中にだ。 p.378注下
トルーアントがザンパノに囚われているのか、その逆なのか。
《脱出》
遂に家そのものが大きく動いて中の住人を脅かす。めちゃくちゃだ。アッシャー家の崩壊。
ネイヴィッドソンが超人的。SASUKEのクリフハンガーみたいなことしてない?
トムーーー!!!! ハリウッド映画並のアクションシーンとドラマティックな最期だ。
じっさい、映像(映画)と文章(小説)の関係についての作品ではある。嗚呼アメリカン・ポストモダン文学!
14章
カレンがニューヨークでしていた、若い男性俳優ファウラーとの不倫疑惑について。
自分で満足してるものが、そもそもの最初からなければよかったと急に思っちまうんだ。それでめちゃくちゃになる。あの女もそうだった。めちゃくちゃになって、でもやっぱり亭主がいないとだめなんだ。まあこの手の話はいつもそうだけど、気がついたときにはもう亭主はいなくなってるのさ。 p.396
ファウラー談
急に思っちゃうのわかる〜
p.395注の、トルーアントの母の形見(鹿型のロケット)の話、ベタに泣けるなぁ
マザコン文学でもあるのか?
15章
トムの死後、カレンは子ども2人を連れてニューヨークに逃避したが、夫ウィル・ネイヴィッドソンはレストンと共にあの家に残って実験を続けている。のか〜…… ほんま男どもは……ってこと? 『サマーウォーズ』的な
でも大量の映像をカレンが編集してるのね。それは嫌じゃないんだ。技能もあるんだ。
カレンがその編集した映像をいろんな人に見せて感想を訊いた「部分的聞き書き」が始まった。
ダグラス・ホフスタッター出てきて草wwww 現実に存在する著名人を平気で登場さすな。ふざけまくっている
『ゲーデル・エッシャー・バッハ』を雑に引いた、それっぽい「言いそうなこと」を創作している。
哲学や精神分析やジェンダー批評とかのパロディも多いけど、表層的で薄いな〜 ちょっと面白いには面白いけど。
インタビュー集形式の小説ということで、『野生の探偵たち』とは読み比べたい。ボラーニョも半分アメリカ文学みたいなもんだし
p.404 番人(キーパー)=家政婦(ハウスキーパー)という掛け言葉
スティーヴン・キングやスティーヴ・ウォズニアックまで登場。2000年はもうAppleがかなり覇権を握りかけていた頃だっけか
デリダやキューブリック、ハロルド・ブルームまで。キューブリックに勝手に絶賛させている。
もしわたしでなかったら、あなたに映画の才能はないと言っていたかもしれない。これはすべて実際にあったことだと思う。 p.414
カレンが次に制作した6分間の映像。ウィルがこれまで撮ってきた写真を散りばめた、愛する夫に、彼への己の感情に迫ろうとする16ミリ映画。
そして個人史が爆発する。 p.419
ここからのくだりは、ザンパノの三人称の筆致だがかなりエモーショナルだ。
ネイヴィッドソンは風景を撮らない。人間が何よりも重要だったからだ。 p.419
だが画面はそれを追ってはいない。露光が強すぎて、三人は爆発する光の中へと溶けていく。 p.420
この短篇を作るのに必要な勤勉さと忍耐と訓練と時間のかかる調査──百回を軽く越える編集作業をしているのだ──によって、カレンははじめてネイヴィッドソンを、彼女の個人的な恐怖の投影物以外のものとして見ることができた。 p.420
p.421 うおお〜 時々ネイヴィッドソンが口にしていた「デリアル」という人名の謎もここで回収してきた! しかも実在のピュリッツァー賞写真(ケヴィン・カーターのハゲワシの写真)をフィクションで乗っ取る形で。
なんかこれで終わっていいんじゃない?というくらいにはいきなり前向きで感動的な感じになった。ここから続くの怖いな〜
p.422〜
16章〜
もうテレビ番組やナショナルジオグラフィック雑誌に連絡して取材してもらおう、我々の手には余る、と諦めたレストンと乾杯した直後、ネイヴィッドソンはひとりであの家へ戻って行方不明になる。
なぜからが戻ったのか、3つの仮説(基準)が解説される。
神は家なんだ。ぼくたちの家が神の住む家だとか、神の持ち物だとか言ってるわけじゃない。家自体が神そのものなんだ。 p.445
妻カレンに宛てた手紙より。
p.449〜
ネイヴィッドソンの大冒険 依然として、ページのタイポグラフィと家のなかの空間がリンクしている。すいすい読み進められる。
『紙葉の家』という本をネイヴィッドソンが持参してきて、虚空のなかで読み始めた。メタフィクション。『百年の孤独』?
マッチで火を灯して、本のページを燃やして灯にしながら読み進める。スリリングな展開
21章
p.555〜
トルーアントの語りが本文に来た。あれでザンパノの『ネイヴィッドソン記録』は終わったってことか。
悪友ルードが薬で狂って交通事故死したらしい。
完全にトルーアントも錯乱している。信頼できない語り手
その日記は半年前に遡り、ネイヴィッドソンの家があるヴァージニア州一帯を見に行き、母がいた施設や前に住んでいた家の跡地を訪れる。マザコン文学。めちゃくちゃノスタルジックで感傷的。
「10月30日」……今日じゃん!
p.580 アリゾナ州フラッグスタッフのバーで演奏していたバンドから、『紙葉の家』を渡される。トルーアント自身が関わっているものを。
……どゆこと? いつのまにか出版社に持ち込んでたってこと?
また母親との描写。エモーショナル!
チアノーゼで亡くなった赤ん坊と、4日間ずっと寄り添って歌い続けた母親の話。てっきりジョニー・トルーアントのことかと思ったが、どゆこと? 母の愛に関する挿話を塗り重ねている?
22、23章
カレンがあの廊下に初めて踏み込んで、ネイヴィッドソンを救い出した!
うおおお アメリカ家族の崩壊と再生!!
最後はハロウィーンか〜 ちょうど明日だ
10/31(金) p.612〜
付録
ペリカン詩は流し読みで飛ばした
ジョニー・トルーアントの母から届く手紙の数々。息子への愛がものすごい。むせかえりそうなほど。
精神を患っており、かつて息子の首を絞めて殺しかけたことで、夫に精神療養施設へと入れられた。
単語の一文字目を繋いで読む暗号。よう翻訳したなぁ 新しい院長先生に疎まれて、みんなに夜な夜なレイプされていることを訴える救援の暗号だったが、本人が錯乱して妄想していただけだったらしい。院長も変わっていない。
59歳で自死。かなしい
ジョニーは1971年ごろの生まれのようだ。彼の人生が間接的になんとなく把握はできた。
11/1(土) p.741〜
残りの付録も読み終えた!
それ以外の細かい点でも、たとえば別バージョンとして、単色刷りで索引や付属書のない版や、逆に赤や紫まで使った "フルカラー・バージョン" もあり得るという設定になっていますが、実際にはもちろんそんな本は出ていません。 訳者あとがき
えっ そうなの!? 最初のほうのページに書いてた、4バージョンあるというやつ…… 騙された~~
長ぇ廊下が出てくる繫がり……(こちらはミステリなのでちゃんと理屈付けされる)


