『四つ子ぐらし (1)~(8)』ひのひまり(2018~)

 

以前の記事↑で読みたいと言っていた、今の小学生に大人気のシリーズ『四つ子ぐらし』を8巻まで読みました。

 

 

児童文学に MV がある時代……!

 

ボイスドラマがある時代……!

 

 

あらすじ
私、宮美(みやび)三風(みふ)。
両親も親戚もいなくって、ひとりぼっちの小学校6年生……だと、12年間ずっと思っていたのに!
なんとある日、四つ子だったことがわかったの!!!!
顔も声もまったく同じ女の子、 一花ちゃん、二鳥ちゃん、四月ちゃん。
それぞれ別の場所で孤独に育った私たちは、これから四人、一つ屋根の下で暮らすことになった。
だけど、四つ子だけの生活は、大混乱!
その上、育ってきた環境の違いが思わぬすれ違いを生んで…?
みんな同じで、みんな違う! キュートな姉妹生活、始まります!

公式サイト より

あらすじの時点で、この跳ねるような一人称の文体がたまりませんね

2018年に刊行が始まり、2025年7月末時点で21巻まで出ている人気シリーズです。とりあえず8巻まで読んだので、各巻の感想を載せます。

 

 

 

※ネタバレ注意

 

1巻 「ひみつの姉妹生活、スタート!」

児童文学特有の、倫理観が激ヤバな大人や制度を背景として、それぞれ別々に育てられた四つ子が出会い、子どもだけで共同生活をはじめる話。

これまで家族を持てなかった子どもの「家族」や「姉妹」への憧れや執着が、この一巻では描かれる。

平たくいえば直球の姉妹百合モノ。本巻の時点では一花と二鳥のペア、三風と四月のペアが推されていた。

同い年なんだから姉とか妹とかにそんなにこだわらなくてもいいのに……とも思うけれど、それも、これまで与えられていなかった家族関係を取り戻そうと切実にやっているのだろう。

女児向けならではの、あまりにも理想化された美少年キャラとのヘテロ恋愛の萌芽要素は、ヘテロ成人男性からすると爆笑してしまった。キュンキュンもするけど。。

あまりにもヤバすぎるお母さん(?)の正体は、実の母も双子か四つ子かで、その姉妹(つまり主人公たちの叔母)ではないかと予想。

孤児の中学生たちを集めて子どもだけで共同生活させるのが国のプロジェクトとして進行してる設定じたいが大人からすれば仰天してしまうが、本来の読者たる子ども視点に立てば、子どもたちだけでの暮らしなんてワクワクするだろう。それを脅かす大人(家族)が現れるところからも、子どもvs大人、という児童文学の黄金の二項対立に則っているのがわかる。

 

2巻 「三つ子探偵、一花ちゃんを追う!」

四つ子設定を生かした姉の尾行プロットが面白かった。途中から三手に分かれてそれぞれが一花と顔を間違えられて色々ある。

本巻の主題は一花の「ほんとうのわたし」を問うことだと考えると、その過程で四つ子であること(交換可能性)を利用しまくっているのはある意味皮肉でおもしろい。
最後の一花の本音の吐露には号泣した。

 

またその前の、大切な人の入院でナイーブになり、これから自分たちだけで生きていけるだろうかと一花が悩むくだりは、あまりに切実で胸が痛んだ。これが「自立」を求めるネオリベラリズム社会の末路か……と。

だけど、病院からの帰り道……一人になったら、急にこわくなったの。
そりゃ、社会はきびしい、自立はむずかしいって私、わかってるつもりだった。
けど、あの千草ちゃんでもダメなのか、そんなに過酷なのかって、体じゅうがぞくぞくして。
夜になって、家に帰った私には……。
何があったか説明する心の余裕なんて、もう残されてはいなかった。

私……今でも不安なの。
私たち、子どもたちだけで自立できるのかしら。
いつかお金がなくなって、うえて病気になったりしないかしら。
それは、さけられるの?
さけるためには、どうすればいいの?
いくら考えても、わからない。
もう、だれも、千草ちゃんみたいに、なってほしくないのよ……。p.140

未来が不安──。
その気持ち、私も本当によくわかる。
私、施設にいたころ「高校を卒業したら自立しなくちゃいけない」って言われてた。
たよれる人なんてだれもいないのに、一人で生きていかなくちゃならないなんて。
考えただけで、永遠に止まない雨の中に、一人取りのこされたような気持ちになってた。
私……一人で生きて……ひとりぼっちで、死んでいくのかな? p.141

もはや子どもを抑圧したり敵対したりする「大人」すらほとんどいなくなり、13歳の子どもが、まるで20歳の大人のように自らの将来を不安視して苦悩する、そのさまが児童文学でアクチュアリティをもって描かれる社会……

子どもが大人に隠れて自分たちだけで「自立」したいと願うのは良いし、児童文学はそうした子どもの願いを形にするツールのひとつであるべきだ。

でも、まだ義務教育も終わっていない年齢の子どもに「自立"しなきゃいけない"」と悩ませて人生の行く末を不安がるさまを、児童文学でこのようにあたかも一般的な子供の苦悩のように描くことが自然なものだとされるのは違うだろ……と思う。

この作品が悪いのではなく、ここ二十年ほどで本当に社会の底が抜けているんだなぁと感じてしまい、たいへんつらく、これからを生きる子どもたちに申し訳ない。

なんでアラサーの自分らが抱くような切実な悩みを12歳が抱いてしまっているんだよ……

 

つまり、従来の児童文学ならば(クソデカ主語)、いくら子どもが「自立」することを願ってそれを実現するさまを描いていても、あくまで大人は子どもを庇護する責任を放棄しておらず、だからこそ子どもから鬱陶しがられて反発される役回りに徹していた。そうすべきだ。子どもが大人の庇護を抑圧と見做して反抗するのはあるべき姿だろう。

でも、本作では親も親に代わる児童養護施設も「国」も大人は皆、はなから自分たちの庇護責任を放り出して、子どもに「自立」を押し付けているので、子どもは「自立しなきゃこのさき生きていけない」と悩むことになっている。

そうしたシチュエーションを前提にしているので、いくら四つ子姉妹の尊い姉妹百合の日常が繰り広げられて「私たち子どもだけで生活するのって、大変だけど、楽しい!」と前向きに幸福に描かれていても、それをそのまま良いものとして受け取ることに躊躇いが生じてしまう。

 

大人が子どもに全力で向き合って、ちゃんと嫌われることの大切さ。

関わりを絶って嫌われることすらせずに、子ども自身に将来の不安を抱かせてしまう大人や社会はクソだ。

子どもたちよどうか、ちゃんと自立できるだろうかとか、社会でやっていけるだろうかとか、そういうことで悩まないでほしい。親や教師や周りの大人たちほんとうぜぇ〜とか、そういうことで悩んでいてほしい(というのも嫌な押し付けだが……)。

子どもにとって「自立」は、憧れや夢であっても重くのしかかる"現実"ではあってほしくない。

その意味では、終盤に再登場する自称母親は、明確な「悪役」であるだけまだマシかもしれない。いや、アイツもクソだが…… 

 

児童文学における「大人」の表象について考えたい。
例えば宗田理ぼくらの七日間戦争』(1985)では、大人は主人公たる子どもたちにとって明確に(戯画的な)悪役であり、子どもの活躍の前に情けなく滑稽に敗北していくことに徹している。

むろん、児童に体罰したり性暴力をふるったり誘拐したりとヤバいことをしまくっているわけだが、ちゃんと子どもに反発されてコテンパンにされるような「悪者」として子どもとの関わりを最後まで保っていて、今考えるとある意味で格好いい大人たちだなぁとも思えてくる。少なくとも、子どもに「自立」を押し付けて庇護責任を放棄する大人、物語中に悪役としてすらほとんど登場しない大人よりはマシ。

子どもの頃は、「ぼくらシリーズ」に出てくるような大人なんかには絶対なりたくない、ダサい、と思っていたような気がするけれど、いざ大人になってみると、こういう「負け役」を子どもに対して全うできる大人こそが格好いいあるべき大人像なんだな、と思える。

 

大人にもなってみるものだなぁ。子どもの頃に読んでいた小説を、新たな目で読み直して発見をしていけるのだから。

 

 

3巻 「学校生活はウワサだらけ!」

ふつうにおはなしが面白かった。
新キャラがふたり登場。三風の異性愛プロットを加速させる三角関係ライバル要員と、四月のパートナー要員。
しづなおはさすがに尊すぎる。

このメイン7人で今後やっていくのか、さらに増やすのか……

 

四つ子姉妹に次々と異性のパートナーができていく……
(児童文学のヘテロ描写は大性癖なので悶えながら読んでいる)

今、そのことを正直に話したら……
姉妹は、湊くんのことをうたがって、悪く思うようになるかもしれない。
私の好きな人たちが、私の好きな人をきらいになっちゃうなんて。
そんなのって、悲しいよ。
あっ。あ……、『好きな人』って、『友達として』ね!
私、一人で勝手にほおを熱くして、首をふった。 p.80

ウ"ッ""!!(急な動悸)

たしかに私、心の調子が、昨日からちょっと変だ。
『好き』とか『元カレ元カノ』とかいう単語に反応して、胸がギュン、ってなったり。
ふいに湊くんにあいさつされて、飛びあがったり。
ういなちゃんに変なこと聞かれて、さけんじゃったり。
もしかして。
私って、もしかして、湊くんのこと──。
……ううん、そんなのないよ。 p.110

素直に胸ギュンです

──「港みたいな活気あふれる明るい人になってほしい、って思いをこめて「湊」」
杏ちゃんの言葉を思いだす。
湊くんは、名前にこめられた願いどおり、活気あふれる明るい人に育ったんだなぁ。
「私も、湊くんのそういうところは、す──」
「好き?」
「す、ご、い、って思ったの~っ」 p.111

湊くんは私のこと、ただの友達としか思ってないだろうし。
もしかしたら、私と仲よくしてくれてるのだって、私が四つ子の一人で、めずらしくて、目立ってて、面白いからってだけの理由かもしれないし。
もしそうなら、私が湊くんを好きになったって意味ないし。
……そうだよ、意味がないんだ。
想いがとどかないのなら──失恋するかもしれないなら──傷つくってわかってるなら。
恋なんて、したくない。
──「感情の種類が変わっただけよ。大きさは変わらないの」
なんて、私、一花ちゃんみたいに、あんなにおだやかな表情で言えそうにないもの。
いやだからべつに私は湊くんのこと好きってわけじゃないんだけどっ。
「はぁ~………………」
……あ~もうヤダ。
自分が何を考えてるのかわからなくなってきたよ~…………。 p.112

「好きってわけじゃないんだけどっ」の末尾の「っ」、これが児童文学の好きなところ。
「わからなくなってきたよ~…………」の「~…………」も、児童小説を読む醍醐味だと思う。

児童小説の恋愛描写からしか得られない栄養素がある。

 

主人公の三風は今のところヘテロで少女漫画チックな美少年との異性恋愛関係に突き進んでいるが、姉の一花はかつて歳上の同性に「恋」をしていたと語る
小学生の同性愛(「恋」)をここまできちんと描いてくれて感涙したので、長いですが引用します。

「『なんだ』とはなんなんよ。一花の初恋は?」
「えぇ、私?」
「うちが言うたんやから、一花も言わなあかんで」
二鳥ちゃんにつめよられ、一花ちゃんは、
「うーん……」
としばらくうなって。
それから、ポツンとこう言った。
「千草ちゃん、かしら」
「「「えっ?」」」
千草さん?
一花ちゃんの初恋の人が?
千草さんは、一花ちゃんが里親さんの家にいたときに出会った、六歳年上のお姉さん。
心がすさんで不良になっていた一花ちゃんは、千草さんのおかげで、立ちなおることができたんだって。
だけど、
「え……やっぱり……え……? ていうか千草さんって、女の人やろ?」
とまどった口調で、二鳥ちゃんがたずねる。
それって、初恋なの?
疑問な私たちに、一花ちゃんは大まじめに答えた。
「もちろん、千草ちゃんは女の子よ。だけど、あれはたぶん恋だったんだと思うの。だって私、小さいころから、ずっと男の子みたいなショートカットだったのに、千草ちゃんのロングヘアにあこがれて、髪をのばすようになったんだもの」
「「「おぉお……!」」」
「髪がちょっとずつのびて、ちょっとずつ千草ちゃんに近づいていくんだな……って思ったら、鏡の前でこう、胸がキュッ、ってなったのよね……」
「「「うわぁ……!」」」
一花ちゃんの話があまりにも胸キュンだったので、私たち三人の妹はもだえた。
恋って、こういうキラキラした、甘酸っぱい気持ちのことをいうのかな?
だとしたら、すっごくステキ!
「ねぇ、今でも千草さんのことが好き?」
私が聞くと、一花ちゃんはうなずいた。
「もちろん大好きよ。でも恋ではなくなったわね」
「どうして?」
「私が小学六年生になったばかりのころ、千草ちゃんに彼氏ができちゃったからよ」
「「「えっ」」」
それってつまり……失恋?
自分の好きな人が、自分以外の人を、特別に好きになっちゃうなんて……。
キラキラでふくらんでいた私の胸は、あっという間にしぼんでしまった。
二鳥ちゃんも四月ちゃんも、なんともいえない顔で口をつぐんでる。
でも、一花ちゃんの表情はおだやかだ。
「私の恋は結局実らなかったけど……千草ちゃんが大切な人だってことは変わらないわ。感情の種類が変わっただけよ。大きさは変わらないの」 p.85~87

それが恋だと、本人の口からしっかり言ってくれることの、なんと尊く素晴らしいことか。

失恋して「恋ではなくなった」ことまで語り、ややもすれば「子供の同性のお姉さんへの憧れなんて、所詮本物の恋じゃなくて一過性のものでしょ」というようなありふれた同性愛差別に傾くことを懸念してしまう……が、しかしここはむしろ、「失恋」して「恋ではなくなった」と宣言することで、確かにあのときのわたしの感情は「恋」だったのだと、事後的に認めてあげているのだと、自分で名前を付けて肯定している場面だとわたしは読みたい。

だって、一花のおだやかな表情には、自分の人生を肯定して歩んでいく確かな強さが表れているから。

 

「私、小さいころから、ずっと男の子みたいなショートカットだったのに、千草ちゃんのロングヘアにあこがれて、髪をのばすようになったんだもの」「髪がちょっとずつのびて、ちょっとずつ千草ちゃんに近づいていくんだな……って思ったら、鏡の前でこう、胸がキュッ、ってなったのよね……」←さすがにノーベル児童文学賞

 

もう一度言っておく。
児童小説の恋愛描写からしか得られない栄養素がある。

 

 

4巻 「再会の遊園地」

「だから絶対忘れへん。お母ちゃんやお父ちゃんとすごした日々のことも、もらった愛情のことも、それがどんなふうに終わってしまったのかも。忘れへんけど、前は向く。ゆるさないけど、ゆるす。うちにはそれができる」 p.191

二鳥ちゃんの「ゆるし」に関する描写がちょっとすごすぎて号泣した。
児童小説とは思えないとんでもないことをやってのけている。

いろんなことがあるけれど、この先も人生は続いていくんだな。
そんな、悲しいような、気合いを入れるような、ふしぎな気分。
私はぐっと顔を上げて、前を見た。 p.197-198

 

 

 

5巻 上「初恋の人の正体」

双子(四つ子)トリックオチを酷使してて笑う。

あと、ここぞという場面でめくると挿絵+フキダシの漫画的な見開きが来る演出は、最近の児童小説やラノベなどで一般的なんだろうかとびっくりした。

麗さんの正体は1巻での予想通り。
死を知ったあとの悪夢がなかなかに怖くて、怖かったです。

 

 

5巻 下 「お母さんとペンダントのひみつ」

四ツ橋家のお屋敷の間取りが細かく説明され始めたときは、これから殺人事件が起きて館モノの本格ミステリが始まるのかと思った。

というのは冗談としても、いやはや、なかなかに重い話ですねぇほんとうに……

麗さんの事情が明らかになった上で、三風たちにしてきた所業を許せるのか、という点は当然に気になってしまうけれど、それよりも個人的には、麗の父(=三風たちの祖父)であるところの元社長があまりにも形骸的なイヤ〜な〈父〉、父権制の暴力性を象徴するかのような人物として(娘・麗の口から)語られていたことに引っかかる。

そういう諸悪の根源のような〈父〉を設定してしまうと、このシリーズの物語全体のトーンがなにかリアリティを欠いた薄いものになってしまいやしないか、という心配がある。
あと単純に、大企業の社長とかそういう社会的にデカいスケールに拡大していくのが、あんまり好みではない、というのがある。

とはいえ、四ツ橋の豪邸で一夜お泊まりしてみての違和感・疎外感から、自分たち子どもだけで生活している〈四つ子ぐらし〉の意義を見出して、さらにはそれを、自分たちのまだ見ぬ母の生の確信へと繋いでいく手つきには感動してしまった。

要するに、良家で甘やかされて育った麗は、今でもある意味で親=生家から自立できていない「子ども」であり、そんな麗を自立させるための姉・雅の出奔であり、その娘たちの「四つ子ぐらし」がある……という関係。
そうかぁ、本質的には、自立計画の対象は麗さんだったってことかぁ。

 

今回の下巻は、ほぼ四ツ橋家に行って帰るだけの、極めて動きの少ないプロットになっており、そのどっしりとした佇まいからも、ちゃんと親子や家族、きょうだいの物語をやるんだという覚悟と風格を感じた。

母・雅が生きているとして、なぜ出産直後に娘4人をバラバラに施設に預けたのか、そしてなぜ誰とも連絡をとっていないのか、の2点はしっかりと(ヘイトを生まないように)回収しなければならない。難しそう。

それから、麗にしろ雅にしろ、「母」だけが取り沙汰されていて、「父」の責任の話がほとんど出てこない点はずっと気になっているが、今回三風がひとりで父のことにも想いを馳せ始めていたのと、雅・麗の父のヤバさが言及されたのとで、ようやくそちらも描かれ始めたか、と安心はした。李央くんの「乳母」である雪村さんの存在には注目したい。

てか李央・トウキの双子兄弟関係も良さげですね。アイドルトウキの魅力について語り合う李央と二鳥のシーンよかった。

ラストの引きもいいですね。
そうそう、李央くんかトウキくんのどちらかが三風に好意を寄せてくれたら恋愛図式がまた一段と面白くなるよなぁ~と思っていたところだったので、2人ともがとは! それでこそ主人公や!!

 

 

6巻 「夏のキャンプは恋の予感」

子供の三角関係の葛藤を丁寧に描いてくれて、おじさんはずっと興奮してしまいます……(変質者)

いろいろとシリアスに引っ張って、けっきょく無難なところに落ち着いたと思いきや、そもそも「恋」とは、「好き」とは……という点を、メインの姉妹愛(家族愛)と結び付けて問い直す展開にはうなった。

排他性と恋愛の関係は難しいよなぁ。排他性は恋愛感情(関係)の必要条件なのか、十分条件なのか、いずれでもないのか。

杏ちゃん、三風ら主人公に都合の良い性格の造形をされているなぁと思ってしまうが、もう少し真剣に彼女のことを見つめていけば、固有の魅力として立ち上がっていく気はする。

 

 

7巻 「嵐の日は大さわぎ!」

ほとんど家から出ずに、逆に次々と来客(子ども)が尋ねてきて、みんなで嵐の1日を乗り切るアットホームな巻。

クラスの爽やか男子(本命)に、それからいとこのアイドルと御曹司に……と、三風さん爆モテ状態。少女マンガって感じでよい。
二鳥んと李央くんの初々しい関係もひじょーに推せる。

遂に三風が本命の湊くんへ姉妹の来歴の秘密を打ち明けることができた。
トウキや李央たちへの三風の感情はきょうだい愛のようなものであり、恋心とは異なるっぽい。

何度も背中を押されるのがアイドルソングの歌詞というところに作者のアイドル好きが伺える。

それから、四つ子姉妹百合(シスターフッド)だけでなく、李央とトウキの双子兄弟BL関係もかなりアツいことが発覚した。

 

 

8巻 「新学期は事件がいっぱい!」

三風が絵を描くのを無価値だと思ってしまったエピソードを話したあとに、聴いていたみんながそれぞれに励ますくだりが優しい世界すぎて泣いてしまった。

趣味にしても部活にしても「将来役に立たないことを今やる価値があるのか」という悩みは、子どもに限らず、生産性主義とネオリベラリズムが吹き荒れる現代社会では普遍的な問題だろう。そんな問いを、親がおらず子どもたちだけで自立をしなければならない厳しい設定の上で扱うこと自体が、かなりクリティカルかつクリティックだと思う。

「助けて」と声を上げられない人にいかに気付いてあげられるか。自暴自棄になったとき、いかに自分が心から好きなものを楽しんで立ち直ることができるか。本作で扱われているテーマは、どれも身に沁みる。四月さんと直幸くんの関係のスローペースな進展が今回も微笑ましすぎてニヤケが止まらなかった。

 

 

まとめ

ま~じでオススメです。大人にも。

四姉妹はみんな個性的でかわいいし、姉妹の絆に毎回涙腺がやられています。かなり過酷で悲惨なバックグラウンドを設定していますが、そこに真剣に向き合って取り組んでいる気概も見えて信頼できますし、子どもの恋愛描写には見悶えています。

児童文学が好きな/好きだったひと、子どもが好きなひと、(姉妹)百合が好きなひと、イマの子どもが何読んでるか興味があるひと、み~んなにオススメします!

1話の試し読みはこちら↑

 

 

マンガ版も出ているようなので、小説より漫画派の方はそちらでも!

 

その漫画のボイスコミック化?も少ししているようです。声優陣が豪華!

わたしも続きを読んでいきたいです!

 

 

同じ角川つばさ文庫の『ふたごチャレンジ!』もオススメです。

LGBTQ+に関心があるひとも、ないひとも、ぜひ。

こういう小説に幼いときから触れられる今の子どもが羨ましいです。

 

 

 

・これまでの児童文学の感想リスト