『三四郎』夏目漱石(1908)

 

 

2025/4/7〜5/5(15日間)

 

4/7(月)夜
4/8(火)
三人称で、主人公・三四郎に焦点化している。
この頃は走っている電車の窓からゴミを捨てるのが当たり前だったのか
23歳で大学に入るのが一般的だった? 院生じゃないよね

「あなたは余っ程度胸のない方ですね」と云って、にやりと笑った。三四郎はプラット、フォームの上へ弾き出された様な心持がした。 p.14

うおお なんだその刺すような台詞は。「悪女」概念?
ベーコン論文集の23ページというのは三四郎の年齢と掛けている?


4/14(月) p.22〜
1905年の日露戦争に勝って日本中が列強として浮かれている時代か。
はじめて東京に来て、「現実の世界」に圧倒される三四郎

あれは現実世界の稲妻である。 p.27

三四郎はこの時赤くなった。汽車で乗り合わした女の事を思い出したからである。──現実世界はどうも自分に必要らしい。けれども現実世界は危なくて近寄れない気がする。 p.32

 

三四郎池だ

 

4/15(火) p.34〜

三四郎は茫然(ぼんやり)していた。やがて、小さな声で「矛盾だ」と云った。大学の空気とあの女が矛盾なのだか、あの色彩とあの眼付が矛盾なのだか、あの女を見て、汽車の女を思い出したのが矛盾なのだか、それとも未来に対する自分の方針が二途に矛盾しているのか、又は非常に嬉しいものに対して恐を抱く所が矛盾しているのか、──この田舎出の青年には、凡て解らなかった。ただ何だか矛盾であった。 pp.34-35

田舎出の大学新入生ってかんじ 青春だ
池で出会った団扇を持っていた女がヒロインなのか。彼女に再会したくて日々、池に寄って帰っている三四郎

それからうちへ帰る間、大学の池の縁で逢った女の、顔の色ばかり考えていた。──その色は薄く餅を焦がした様な狐色であった。そうして肌理(きめ)が非常に細かであった。三四郎は、女の色は、どうしてもあれでなくっては駄目だと断定した。 p.40

……「大学の講義はつまらんなあ」と云った。三四郎は好加減な返事をした。実はつまるかつまらないか、三四郎には些(ちっ)とも判断ができないのである。 p.45

周りにとにかく流される三四郎 かわいい(?)

 

母に言文一致の手紙をかいた。 p.45

言文一致!


4/16(水) p.56〜
大学の先輩・野々宮という男の入院中の妹が、池で会った彼女なのではないかと三四郎は夢想する。

三四郎の方は却って驚いた。野々宮君の妹と、妹の病気と、大学の病院を一所に纏めて、それに池の周囲で逢った女を加えて、それを一どきに掻き回して、驚いている。 p.59


4/17(木) p.62〜
女の轢死! 近代日本文学に頻出のイメージ
自殺ってことだよなぁ そして、そういうものを安全圏から傍観する「批評家」というイメージ。
若い男性から見た、他者としての女性がひとつのテーマなんだろうが…… あちこちにミソジニーを感じてしまう。
病人、野々宮よし子と池の女は同一人物ではなかった。立て続けにふたりの「ヒロイン」と邂逅した際の印象描写がものすごい。川端康成もびっくり

 

4/18(金)

積読の山を漁っていたら、古本の角川文庫版がでてきた! やっぱり持ってると思ってたんだよな〜買わなきゃよかった〜〜!

表紙はこちら↑


文字組みのかんじからなんとなく、角川文庫で続きを読むことにする。
第4章、新潮文庫のp.76、角川文庫のp.72から

「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」 p.78(以下 角川文庫のページ数)


4/19(土) p.80〜

三四郎は勉強家というよりむしろ低徊家なので、わりあい書物を読まない。その代りある掬(きく)すべき情景にあうと、何べんもこれを頭の中で新たにして喜んでいる。そのほうが命に奥行があるような気がする。 p.87

広田先生は浮世離れした哲学者のイデア

 

第三の世界はさんとして春のごとくうごいている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つシャンパンの杯がある。そうしてすべての上の冠として美しい女性(にょしょう)がある。……この世界は三四郎にとって最も深厚な世界である。……自分がこの世界のどこかへはいらなければ、その世界のどこかに欠陥ができるような気がする。自分はこの世界のどこかの主人公であるべき資格を有しているらしい。 p.90

 

──要するに、国から母を呼び寄せて、美しい細君を迎えて、そうして身を学問にゆだねるにこしたことはない。 p.91

結論わろた

 

ただこうすると広い第三の世界を眇(びょう)たる一個の細君で代表させることになる。美しい女性はたくさんある。美しい女性を翻訳するといろいろになる。……いやしくも人格上の言葉に翻訳のできるかぎりは、その翻訳から生ずる感化の範囲を広くして、自己の個性を全からしむるために、なるべく多くの美しい女性に接触しなければならない。細君一人を知って甘んずるのは、進んで自己の発達を不完全にするようなものである。 p.91

三つの世界 いろんな美しい女と会うべきだ、というギャルゲかラノベの男主人公の源流のような思想すげえな。

上から桜の葉が時々落ちてくる。その一つが籃の蓋の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれていった。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。
「あなたは……」
風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた。 p.95

こういう情景の描写がうまい
池の女、里見美穪子(みねこ)との三度の邂逅。一緒に掃除して仲を深めるイベント

フラ・ベーン『オルノーコ』について


4/21(月) p.115〜
美穪子とよし子、どっちがどっちかこんがらがる

腹の中では、今になって、茶をやるという女を非常におもしろいと思っていた。三四郎に度はずれの女をおもしろがるつもりは少しもないのだが、突然お茶をあげますといわれた時には、一種の愉快を感ぜぬわけにゆかなかったのである。その感じは、どうしても異性に近づいて得られる感じではなかった
茶の間で話し声がする。下女はいたに違いない。やがて襖を開いて、茶器を持って、よし子があらわれた。その顔を正面から見た時に、三四郎はまた、女性中のもっとも女性的な顔であると思った。 p.121

きもい~

>ただ腹の中で、これしきの女の言う事を、明瞭に批評しえないのは、男児としてふがいないことだと、いたく赤面した。 p.122

インテリ男の女性蔑視のオンパレード

>また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。 p.127

これは確かに。


4/22(火) p.128〜

「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」
美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴う一種の屈辱をかすかに感じた。 p.137

 

「私そんなに生意気に見えますか」
その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出てきた。晴れたのが恨めしい気がする。 p.138

「女」と不躾に言い過ぎていると感じるけど、当時のこの語の印象は現代とは異なるのだろう。
stray sheep(迷える子)について
美穪子からの絵はがきと、与次郎の投稿論文

新しい我々のいわゆる文学は、人生そのものの大反射だ。 p.143

与次郎と広田先生がどんどん胡散臭くなっていく
学生運動

「あの女はおちついていて、乱暴だ」と広田が言った。
「ええ乱暴です。イブセンの女のようなところがある」
p.149

イブセン([イプセン])の女ってそんなに特徴的なのか

「イブセンの人物に似ているのは里見のお嬢さんばかりじゃない。今の一般の女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」 p.151

イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる p.151

 

「この空を見ると、そういう考えになる。──君、女にほれたことがあるか」
三四郎は即答ができなかった。 p.155


4/24(木) p.170〜
ふたりのヒロインが同居し始めた。
人間関係がとても狭い話だ
美穪子に近づく野々宮兄に嫉妬して警戒する三四郎

4/28(月) p.178〜
偽善(他本位、利他主義)から露悪(自己本位、利己主義)へと移り変わる近代日本。巡る世

「おっかさんのいうことはなるべく聞いてあげるがよい。近ごろの青年は我々時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。我々の書生をしているころには、する事なす事一として他(ひと)を離れたことはなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものがことごとく偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々(ぜんぜん)自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発展しすぎてしまった。昔の偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある。──君、露悪家という言葉を聞いたことがありますか」 pp.179-180

ところがこの爛漫が度を越すと、露悪家同志がお互いに不便を感じてくる。その不便がだんだん高じて極端に達した時利他主義がまた復活する。それがまた形式に流れて腐敗するとまた利己主義に帰参する。つまり際限はない。我々はそういうふうにして暮らしてゆくものと思えばさしつかえない、そうしてゆくうちに進歩する。 p.180

ここまでの理屈は三四郎にもわかっている。けれども三四郎にとって、目下痛切な問題は、だいたいにわたっての理屈ではない。実際に交渉のある、ある格段な相手が、正直か正直でないかを知りたいのである。 p.182

恋する若者の切実な悩み


5/1(木) p.186〜

5/4(日) p.194〜
男主人公がヒロインにお金を借りる展開だ!

 下女はまた、「しばらく、どうか……」と挨拶して出て行った。三四郎は静かな部屋の中に席を占めた。正面に壁を切り抜いた小さい暖炉がある。その上が横に長い鏡になっていて前に蠟燭立が二本ある。三四郎は左右の蠟燭立のまん中に自分の顔を写して見て、またすわった。
 すると奥の方でバイオリンの音がした。それがどこからか、風が持って来て捨てて行ったように、すぐ消えてしまった。三四郎は惜しい気がする。厚く張った椅子の背によりかかって、もう少しやればいいと思って耳を澄ましていたが、音はそれぎりでやんだ。約一分もたつうちに、三四郎はバイオリンの事を忘れた。向こうにある鏡と蠟燭立をながめている。妙に西洋のにおいがする。それからカソリックの連想がある。なぜカソリックだか三四郎にもわからない。その時バイオリンがまた鳴った。今度は高い音と低い音が二、三度急に続いて響いた。それでばったり消えてしまった。三四郎はまったく西洋の音楽を知らない。しかし今の音は、けっして、まとまったものの一部分をひいたとは受け取れない。ただ鳴らしただけである。その無作法にただ鳴らしたところが三四郎の情緒によく合った。不意に天から二、三粒落ちて来た、でたらめの君のようである。
 三四郎がなかば感覚を失った目を鏡の中に移すと、鏡の中に美禰子がいつのまにか立っている。下女がたてたと思った戸があいている。戸のうしろにかけてある幕を片手で押し分けた美禰子の胸から上が明らかに写っている。美禰子は鏡の中で三四郎を見た。三四郎は鏡の中の美禰子を見た。美禰子はにこりと笑った。
 「いらっしゃい」 p.202

エグい  舞台設定と情景描写と場面演出

 

「わかったでしょう」
美穪子の意味は、大波のくずれるごとく一度に三四郎の胸を浸した。
「野々宮さんを愚弄したのですか」 p.216

 

「どうも物理学者は自然派じゃだめのようですね」
物理学者と自然派の二字は少なからず満場の興味を刺激した。 p.223

文化系インテリの集まりでただ1人の理系の参加者がやっている研究がいじられるのキツい

「すると、物理学者は浪漫的自然派ですね。文学のほうでいうと、イブセンのようなものじゃないか」と筋向こうの博士が比較を持ち出した。 p.224

イブセンがやけに出てくる

 

三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりにも暖かすぎる。 p.247

 

原口という画家の男に描かれる美穪子。それを見つめる三四郎

静かなものに封じ込められた美禰子はまったく動かない。団扇をかざして立った姿そのままがすでに絵である。三四郎から見ると、原口さんは、美禰子を写しているのではない。不可思議に奥行きのある絵から、精出して、その奥行きだけを落として、普通の絵に美禰子を描き直しているのである。にもかかわらず第二の美禰子は、この静かさのうちに、次第と第一に近づいてくる。三四郎には、この二人の美禰子の間に、時計の音に触れない、静かな長い時間が含まれているように思われた。その時間が画家の意識にさえ上らないほどおとなしくたつにしたがって、第二の美禰子がようやく追いついてくる。もう少しで双方がぴたりと出合って一つに収まるというところで、時の流れが急に向きを換えて永久の中に注いでしまう。 pp.250-251

すごい文章だ

 

女が偉くなると、こういう独身ものがたくさんできてくる。だから社会の原則は、独身ものが、できえない程度内において、女が偉くならなくっちゃだめだね p.253

最悪だ

 

三四郎は懐に三十円入れている。この三十円が二人の間にある、説明しにくいものを代表している。──と三四郎は信じた。返そうと思って、返さなかったのもこれがためである。思いきって、今返そうとするのもこれがためである。返すと用がなくなって、遠ざかるか、用がなくなっても、いっそう近づいて来るか、──普通の人から見ると、三四郎は少し迷信家の調子を帯びている。 p.254

借金という強固な縁 即物的かスピリチュアルか

 

──自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。──三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。けれどもその影響が自分にとって、利益か不利益かは未決の問題である。 pp.259-260

 

三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。たいていの応対は一句か二句で済ましている。しかもはなはだ簡単なものにすぎない。それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がった。 pp.260-261

 

p.264 第10章まで
うおおお 勇気を出して三四郎が実質告白したのに美穪子はさらっとかわして、彼氏らしき人に連れられていった…… かわいそう。失恋サイコー!


5/5(月) p.264〜p.311
広田先生を教授にする「運動」は失敗に終わり、与次郎は広田に謝る。広田は泰然自若としている。
「偉大なる暗闇」を投稿したのがなぜか三四郎だというデマが流れる。
美禰子は結婚し、原口の描いた美禰子の絵「森の女」が飾られる。

 

読み終えた。

うーむ…… 青春の無内容さをうまく描いている、といえば聞こえはいいが、さすがにあまりにも筋が希薄で、ぜんぜん面白さが分からなかった。田舎から上京した、ピュアで意気地のない男子大学生の生活や精神世界は瑞々しく見事に表現されていた。

ただ、「田舎/東京」とか「前近代/近代」とかいった主題のなかに、「(男性にとっての)女性」という、きわめて性差別的なテーマも大きなウェイトを占めていて、それがとにかく癪に障った。

下品にいえば「男主人公のWヒロインもの」であるが、特に三四郎が惚れている美禰子は、終盤で別の男のもとへ嫁入りして、三四郎はだらーっと薄っすら失恋する。(当人としては、「失恋した」という事実を必死になかったことにしようとしているようにも思える。)三角関係や失恋といった要素は好みであるが、本作はそのいずれとしても琴線に触れなかった。

最初、Wヒロインみたいな建て付けで登場した美禰子とよし子だが、後半よし子の存在感がかなり薄まってしまったのと、そもそもあんまり2人の差異がわからず区別がつきにくかったのが残念。しかしこれは意図的なものかもしれない。(「女」というひとまとまりとして相対するインテリ男たち。)

(結婚が決まった)美禰子との最後の別れの折りにようやく三四郎は借金を返す。美禰子はそれを受け取る。金の切れ目が縁の切れ目とはよくいったものだ。しかしわたしは今のところ「ヒロインとのあいだに金の貸し借りがある」ことで興奮する性癖を持ち合わせてはいない(『海がきこえる』はその他の要因で大好き)ので……。

 

角川文庫の山本健吉の解題と、新潮文庫柄谷行人の解説よんだ。
柄谷の論は、『日本近代文学の起源』第1章に語られていた通り、『三四郎』以降の、より「近代小説」めいたものよりも、『三四郎』までの、イギリス18世紀文学に影響を受けた、より自由な「低廻趣味」な「写生文」を高く評価するもの。ただ、聞いてると、じぶんは『それから』以降の「筋の推移で人の興味を牽く」本格的な近代小説のほうが楽しめる気がする……
また、漱石は美禰子を「無意識の偽善者」と評しているらしくて唖然。要するに「ファム・ファタール」みたいなもん?

その巧言令色が、努めてするのではなく、殆ど無意識に天性の発露のままで男を擒(とりこ)にする所……

勝手に女に「矛盾」を見る男の傲慢さ、浅ましさ。

『それから』以降の作品では、この「無意識の偽善」について、男女を逆にして追究しているらしい。つまり、自分に惚れている女に優しくしつつもすげなく振る男主人公、ってこと? だとしたらますます嫌らしいが。(あと、p.180辺りの、露悪と偽善の論における「偽善」とは直ちに結びつかない気がする。なにもわからない)

というか、解説を読むと、美禰子は三四郎に「無意識」下では惚れていた、という解釈を前提としているが、そうなのか。最後まで読むと、単に三四郎がウブすぎて勘違いしてただけのようにも思える。←なにも読めてないかもしれない。

「迷羊(ストレイ・シープ)」という美禰子の呟きがカギになるところとか、あまりにもあまりにも過ぎるだろ、と思ってしまう。妖艶でミステリアスな「(エロゲ)ヒロイン」の造形を地で行っている……