『巨匠とマルガリータ』ミハイル・ブルガーコフ(1966)
投稿し忘れていたシリーズ
1940年まで執筆して死没、1966年出版
水野忠夫 訳
上巻:2022/2/14~7/26(計8日)
下巻:2023/3/16~3/25(計8日)
第一部(上巻)
2022/2/14
昨年(2021年)に生協書店で買って積んでいたのを、発表会が終わった節目感を演出したくて読み始めた(?)
ここ4年間くらい「はやく読まなきゃ……いい加減読みたい……」といちばん思い続けていた作品といっても過言ではない。
2/15
1章おわり。2章途中
2/16
3章までおわり(〜p.93)
40歳くらいの文芸誌編集長ベルリオーズと、〈宿なし〉というペンネームの若い詩人イワンのふたりが公園のベンチに座っていると、自称「黒魔術の専門家」でロシアに招かれてやってきたという謎の外国人の男に話しかけられる。そこで無神論や人間の自由などの哲学的な議論から、外国人の素性の詮索、そしてベルリオーズの悲劇的な運命の予言に移る。(ここまで第1章)
その外国人が話し出す、イエスの磔刑のパロディのようなユダヤ駐在ローマ総督ポンティウス・ピラトゥスについての挿話がまるまる第2章を成す。
第3章では再び謎の外国人(おそらく「悪魔」)との会話に戻り、この男を狂人だと確信して通報しようと逃げ出したベルリオーズは、外国人の予言通りに…… 田山花袋『少女病』を思い出した。
第1章の時点で、物語はまだほとんど始まっていないが、文体・文章がなんだかヘンテコで謎の風格がある。
文体は民話?のような三人称の語りだが、語り手の立ち位置・対象との距離感がよくわからない上に、ところどころ変な言い回しがあって静かに異様な雰囲気を醸し出している。ベルンハルトとかピンチョンとかギャディスのような、一読してわかるキャッチーなヤバさではないんだけど、じわじわと伝わってくるヘンテコさ。ヴィアン『うたかたの日々』とかに少し近い? それは文体というより少しファンタジックな世界観のほうか。
あとデボラ・フォーゲル『アカシアは花咲く』を思い出す文もときどきある。例えば
このとき、ベルリオーズだけにかかわる奇妙な現象が新たに起こった。突然、しゃっくりがとまり、心臓がどきりとひと打ちしたかと思うと、一瞬停止し、ほどなくして鼓動が戻ってはきたものの、なにか鈍い針が心臓に突き刺さったみたいになったのだ。
(中略)
するとこのとき、焼けつくように熱い空気が目の前で凝縮し、その空気のなかから奇妙きわまりない恰好をした透明な男が浮かびあがった。 p.11
「するとこのとき……」や「ちょうどそのとき……」で始まって、街で起こった自然現象や出来事を記述する文はだいたいアカシアは花咲くだと思っちゃう。
そして、アステカ人はどのようにして握粉でウィチロポチトリの像を作ったかをベルリオーズが詩人に語りだしたちょうどそのとき、並木道に最初の人影が現れた。
>その後、率直に言えば、すでに手遅れとなったころに、この人物の特徴を記した報告書がさまざまな関係機関から提出された。それらを照合してみると、まったく驚かざるをえない。たとえば第一の報告書によると、この男は背が低く、金歯で、右足を引きずっていた。第二の報告書には、背のひどく高い男で義歯はプラチナ、左足を引きずっていたとある。第三の報告書は、これといった特徴なしと簡潔に伝えているだけであった。このような報告書は、どれもこれも役に立たないと認めるほかない。 p.16
こういう真顔でふざけている感じの語り。「関係機関」からの「報告書」に基づいて書かれていると真面目に受け取ることはできない。
突如として挿入される聖書のパロディの第2章は、リョサ『継母礼讃』の絵画パロディの章を連想した。
ンティウス・ピラトゥスって『新約聖書』で実際に言及されている人物なのね。じゃあパロディというよりは、あながち聖書に沿っていたのだろうか? 聖書未読なのでわからん
ベルリオーズが詩人に証明したかったのは、イエスが悪人であったか善人であったかではなくて、肝心なことは、そもそもイエスなどという人物はこの世にまったく存在せず、イエスにまつわるありとあらゆる話はただの作り話、ごくありふれた神話にすぎないということであった。 p.13
これが第2章のイエスの挿話につながる。今のところ、本作のテーマらしきものに最も肉迫しているのはこの文かなぁ
雅かに、この重要な情報は旅行者に強烈な印象を与えたものらしく、こわごわと建物を眺めまわし、まるで窓のひとつひとつに無神論者が一人ずつ潜んでいるのではないかと恐れているみたいだった。 p.21
ここすき
ピラトゥスは苦悶にみちた視線を上げて捕囚を見、太陽がすでに競馬場の上空のかなり高くに昇り、陽光が柱廊にまで射しこみ、すり減った捕囚の履物のそばまで忍び寄り、ヨシュアが陽ざしを避けようとしているのに気づいた。 p.48
すべての章で、太陽が執拗に描写される。くどさを感じなくもないが、こういう文での使い方がすごく上手いと思う
「聞こえるでしょう、総督?」と大祭司は小声でくり返した。「まさか」と言いかけて、両腕を高く挙げたので、黒い頭巾が頭からずり落ちた。「これがすべて、あのつまらぬ強盗バラバの仕業とでも言うのでしょうか?」
総督は冷たい汗のにじんだ額を手の甲で拭い、地面にちらりと目をやり、それから目を細くして空を仰いだが、灼熱した球体はほぼ頭の真上まで昇り、カヤファの影がライオン像の尻尾のそばですっかり小さくなっているのを見ると、低い声で、興味なげに言った。
「正午が近い。おしゃべりに夢中になってしまったが、こうしてはいられない」 p.75
「灼熱した球体」のように、「太陽」と言わず迂遠な言い回しを好む。
《破減だ!》とか、つぎには《こいつとともに破滅だ》とかいった短くて脈絡のない異常な思考がピラトゥスの心をよぎった。それらの思考にまじって、必ずや不死でなければならぬというまったくばかげた思考が浮かび、その不死の思考がなぜか耐えがたい憂愁を惹き起こすのだった。 p.57
この2文目も『アカシアは花咲く』みがある。主語が人間以外で、「突然なにかが発生する」系の記述
4章(〜p.108)
さっきまで話していた知人が事故死してイワンまで狂ってしまった。とりあえず、浮気女の家の台所から盗んできた蝋燭と聖像画は重要アイテムっぽい。イワンの服や持ち物一式を持ち去った浮浪者もそれは置いていってくれたし。
二足歩行の黒猫も出てきた。表紙のネコ?
荒涼として陰気な感じのする横町で、詩人はあたりを見まわしながら逃げ出した相手を探してみたが、どこにもいなかった。そのとき、イワンは自分自身に言い聞かせた。
きっとあいつはモスクワ河にいるはずだ!前進!」
おそらく、ほかならぬモスクワ河に教授がいると思ったのはなぜなのか、とイワンにたずねるべきであったろう。悲しいことに、たずねようにも誰もいなかった。いまわしい横町には、人っ子一人いなかったからである。 p.105
この辺の語り手の距離感
このヘンテコで意味不明で、シュルレアリスムまではいかない世界観、チェスタトン『木曜日だった男』にも似てるかもしれない。
7/21(木) 久しぶりに再開。『夕暮れに夜明けの歌を』でロシア語文学へのモチベが再燃したので。
p.134〜p.220(6章〜10章途中)
ル・クレジオに比べてめっちゃ読みやすい〜〜スラスラ進む〜〜文庫本というのもあるが。
やっと物語の方向性が見えてきた。群像劇なんだな。
今のところ、「モスクワの街に悪魔が現れてさあ大変!なドタバタ悲喜劇」って感じ。やはりロシア文学に特有なのか語り手の読み手に対する距離感が新鮮で、おとぎ話・昔話のような印象はある。
7/22 金
pp.220-304(10章途中〜13章途中)
悪魔一行がサーカスの壇上で観客を手玉に取って陥れる12章はコルタサルやミルハウザーの短編(ナイフ投げ師)を思い出した。
第13章が「主人公の登場」で、250ページを過ぎてようやく《巨匠(マースチェル)》が出てきて面白くなってきた。マースチェルとイワンの掛け合いがおもろい。そもそもイワンが11章で「分裂」して詩人としての自分に自信喪失/アイデンティティ崩壊してて面白い。
イワンが精神病院の医師に「自分が入院させられるまでの経緯」を伝えようと執筆を始めるが何も書けなくなるくだりとか、巨匠と恋人マルガリータの回想でポンティウス・ピラトゥスが主人公の小説を書いて出版して批判されるとか、露骨にメタフィクションっぽくなってきてもいる。「悪魔」の語りをまるごとうつした第2章「ポンティウス・ピラトゥス」はやはり本作のなかでも異様に浮いている。マルガリータはあの悪魔一行の女なのかな。
7/25 月
p.305〜353(13章途中〜15章)
夢のくだりは結構キツい…… もともと奇想天外な話のなかで「夢」というメタ設定が開示されているパートがくるとハードルが上がるということか? 『ブラス・クーバスの死後の回想』のカバに乗って人類史の根源まで遡って自然の女神と対話する章はすごかったが。
7/26 火
p.354〜p.442(16章〜17章)
上巻おわり!!!
15章に続いて16章も登場人物のひとりの見た夢の挿話。必然性も魅力もわからない。
乗り切れずに上巻が終わってしまった。つまらないわけではないが、期待していたほどではない。好みじゃないだけか。
たしかに奇想天外な話ではあるのだけど、うーん……自分が好みな「ぶっとんでる」系の小説とはやや趣が異なる。おとぎ話に近い。ロシア文学特有の、読者に語りかけるような語り手の節回し・立ち位置からくる基底の雰囲気も好みから外れてるのかなぁ。エロフェーエフはすげぇ好みだけど。
あと章ごとにメインの人物が変わる群像劇形式なのも合わない原因か。誰が誰だかさっぱり覚えられない。巨匠が主人公らしいけどあれ以降また全然出てこない。
17章で悪魔ご一行がまたまたモスクワ市民を(一段メタに立って)陥れる様子に『ファニーゲーム』っぽさを感じた。椅子を出現させて座らせて後脚を折って尻餅をつかせ、ワインでズボンをびしょ濡れにするくだりとか……。
第二部(下巻)
2023/3/16木 〜p.66
魔女宅
ナターシャうおおおお ここの疾走感だいすき
3/17金 p.66~118
マルガリータが主役のパートが続く。マジでカオスになってきた。『リンカーンとさまよえる霊魂たち』を思い出す冥界の騒乱描写
3/18土 p.118-116
悪魔の仲間内ではおっちょこちょいで不憫枠の猫、ベゲモート
3/20月 p.136-179
ちょうど150ページでついにマルガリータが巨匠と再会する構成が美しい
「原稿は燃えないものなのです」来た。ヴォランドの台詞だったんかい。その数ページ後に「書類がなくなれば、人間も存在しなくなります」と対照的なことをコロヴィエフに言わせていて憎らしいね。
疫病神のアーンヌイチすき 「惰性で叫び続けた」w
面白くなってきた!と思ったらここでようやくマルガリータの物語は一段落して、次章からは巨匠の作中作「ポンティウス・ピラトゥス」の続き……
3/22水 p.180-206
3/23木 p.207-272
作中作パートおわり
第27章「五〇号室の最後」おわり
ベゲモートvs武装集団 バトル描写が面白い
意外とベゲモートに有効ダメージ与えられるんだと思ったら幻惑だったらしい。敵組織のよくバトルに駆り出される不憫枠幹部ポジションということで、ベゲモートは『呪術廻戦』でいうと火山頭だと思う。
名前出てこなくてごめんよ漏瑚……
だいたいあと100ページ。ラストスパートだ!!
3/24金 〜p.327
チェスタトン『木曜日の男』っぽいんだ、この既視感
3/25土
おわり!!!
エピローグの最後のほう、けっこうかっこよくて好き
決してつまらなくはないんですが、オールタイムベストに挙げる人がとても多い、世界文学史上トップクラスの大傑作だと、ハードルがめちゃくちゃ上がり過ぎていたこともあってか、その期待以上には楽しめなかった……というのが正直なところ。いや、フツーに面白い小説だとは思いますが。
途中で1年もあいだを開けながらダラダラ読んだわたしが悪い、といえばその通りで何も言い返せません。申し訳ございませんでした!!!
上巻読了時に読書メーターに書いていた感想文を載せておきます。
絶賛しか聞いたことがなく期待して読み始めたのだが、いつ面白くなるのかと思っているうちに噂の「わたしに続け、読者よ」まで来てしまった。つまらなくはないが、いまいち乗り切れない。確かに奇想天外なんだけど、自分が大好きなラテアメ作家(アレナス, アシス, アイラ…)達のような「ぶっとんでる」のとはなんか違う。どちらかといえばおとぎ話みたいに受け取ってしまう。ロシア文学特有の語り手のスタンスが影響しているのか、主人公の巨匠の出番が少なすぎる群像劇(誰が誰だが覚えてられない)なのが悪いのか。とりあえず語り手に続く。
ドタバタはしているがカオスでもオフザケでもない、と言おうか……。いくらしっちゃかめっちゃかなコトが起こっていても、すべてが「悪魔の魔法の仕業」だとか「精神分裂症患者の奇行」だとか「悪夢」だとかいう風に、一歩引いたところでの説明付けがされているので全然振り回されず、むしろ筋はきわめて単純だとすら思う(悪魔によるパニックホラー悲喜劇)。スラスラ読める部分もそのスピードが読む快楽に繋がってこない。もっと意味不明でパンチの効いたやつを期待していた。
今のところの私的ベスト・ロシア文学はこれ↑です。




