『ブラス・クーバスの死後の回想』マシャード・ジ・アシス(1880)

 

 

2021/6/10~~2022/6/17

 

 

1章まで(p.16)

やばい、これめっちゃ好み

そもそも死後の回想という時点で人を喰っているが、「読者へ」の序文や巻頭の言辞からして好みだし、文章がいちいち面白い。全文に線引きたいレベル

死人による人を喰ったような語りといえばアイラ『わたしの物語』だが、こっちは冒頭いやタイトルから死人であることを公開している。

人を喰ったような作品が好きというか、自分を喰ってほしい、小説に喰われたいんだよな。

ちっぽけな自分さえも口に入れられない、それどころか自分が簡単に咀嚼できてしまうような作品は読む価値がない。お願いだからわたしを喰いつくしてくれ。

 

全160章ってめちゃくちゃ細かく章分けされてるのな。読みやすくて良い。アレナス『めくるめく世界』みを少し感じる

チュツオーラ『やし酒のみ』の系列でもあるが、あれより更にこっちのほうが好みだなぁ
あと、わたしは『トリストラム・シャンディ』を早く読んだほうがいいと思い知らされる


6/11
6章
死の床に立っていた美しい愛人の名はヴィルジリア
20年前に大恋愛をしていたが現在は冷めていた。(『コレ愛』とは真逆)
彼女の一人息子ニョニョ

《生きるのよ、それ以外の苦は、要らないわ》 p.41


19章まで読んでいったん返却

 

 

2022年

ふたたび最初から読み始める

 

22/6/9(木)
通勤時に読み始めた。

文章がずっとやばい。常にふざけているんだけど普通にめっちゃうまい。「精神錯乱」の章も、前回さいしょに読んだ時はちょっとダレたけど、今読むとすげぇ良いわ。とくに「自然」の化身?の巨大女の言葉がいい。

じぶんの好みの極地って気がする。もうこれが世界文学の頂点でいいんじゃないすかね??

 


6/17(金) 00:27

おわり!!!!! ほぼ一週間で読んだことになる。

まさかの反出生終わりで草 そこまで僕にすり寄ってこなくていいのに……

最初のほうでさんざん喋っていたブラス・クーバス軟膏について結局全然話さないのも草

 

話をまとめると(なんとナンセンス!)、中心はヴィルジリアとの不倫があって、他にも数名の印象的なヒロインとの出会いがあった。また、老いや挫折や知人の死が色濃い小説でもあった。最初に母親が亡くなったときにブラスが鬱になるところとか特に好きかも。

 

同級生の哲学者キンカス・ボルバが後半ではかなり存在感あった。あと彼の思想ウマニタス。あんま分かってないけど、ようは人間万事塞翁が馬というか、現状肯定のかなり保守的で危なっかしい思想だと理解している。もしこれを本気で主張する小説だったら引くけど、もちろんこの小説では「死後の回想」という語り手の設定によって何もかもがバカバカしさを帯びている。ウマニタスだけじゃなくて、ブラス自身もかなりどうしようもない人物で、酷い差別描写やら何やらがたくさんあったのだけれど、やっぱり全編を通じてふざけているので、そこの相対化はできているというか、安心する距離感を持って読んでいられた。

 

じぶんは結局、こういう「人を喰ったような」小説が好みなんだなぁと思った。喰われたい。

 

ところどころ、ソローキンの短編「」みたいに「・・・・・・・・」だけで構成される章もあるけど、なにがすごいって、そういう章が全然浮いていないことだ。むしろまだちゃんとしてるというか異様さは控えめなほうで、文章のなかでひたすらに読者をたぶらかし続けるのが好き過ぎる。

 

既読のなかではセサル・アイラ『わたしの物語』がかなり近い。あれも、最初に「これはわたしがいかにして修道女になったのか、それまでの話です」と始まって、結局修道女のしゅの字も出ないままに殺されて終わる。死者の語り。(しかも女性ですら無いっぽい)

文学史的には、スターン『トリストラム・シャンディ』(1767)の流れを汲む作品なのだろう。この滑稽風刺文学史をさらにさかのぼったところにある、エラスムス『痴愚神礼賛』(1511)はまさに本書の149章で引用言及されている。

てか、『キンカス・ボルバ』ってアシスの三大長編のひとつなんでしょ? それは気になるわ。でもまず『ドン・カズムッホ』を積んでるのでそっちからだな。てか邦訳なさそうだし。

 

 

 

 

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