『縛られた男』(2)「夜の天使」イルゼ・アイヒンガー

 

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こちらの記事を投稿してから数ヶ月放置していたが、アイヒンガーの気分にふとなったので1編「夜の天使」を読んだ。

 

 

 


・夜の天使

文章がヤバすぎる。アイヒンガーやっと本気出してきたか……って感じ

 

冒頭の段落がめっちゃヤバいのでまるごと引用しちゃう。要約すれば「十二月の明るい日って少ないけどたまにあるよね」というだけのことをこんな風に書き表せるなんて………… 文学ってすげぇな〜〜〜と素朴に思ってしまう

 十二月の明るい日々。それは自分自身の輝きを覗きこんでしまったためにますます明るく、その青白さにいらだちながらも、長い夜に養われるという約束のゆえに短さを受け入れる。やさしい心で自らを耐え抜くには十分に強く、十分強いがゆえに十分に弱く、穏やかだ。こういう日々は漆黒のうちから輝きだす。そうでなくてはならない。しかもそう多くはない。もし多かったら、めずらしい事がいやというほど起きるだろうし、たくさんの教会の塔の時計だって、あっさりと神御自身の目に姿を変えることだろう。だからそんな日はめずらしい。めずらしいことがめずらしいままでいるために。そして戦争から戻った人々の、吹き飛ばされて無いはずの手足がたびたび痛んだり、ずいぶん前に凍傷でなくしたはずの手に余計なものを持ちすぎたように感じるなどということがそうそう起こらないためにも。だからあの夜のこと、癒やしてくれる夜のこともあまり知られてはいない。でも、ときにはそんな日もある。南へ飛び立つのを忘れた鳥たちのような、そんな日がときにはある。それは町の上に明るい翼を広げる。空気は暖かさにゆらいで、私たちの息が白く凍てつかないうちに、もう一度それを見えなくしてくれる。そして息が凍るようになればたちまち死んでしまう。長い夕映えや赤い雲はいらないし、目に見えて血を流すわけでもない。ただ屋根から落ちていく。とたんにあたりはうす暗くなる。もし十二月に、こんな迷い鳥のような明るい日々がなかったら、かげで笑われるのもかまわずに天使を信じつづけ、他の人が犬の吠える声しか聞かない夜明けに天使の羽ばたきを聞きつける人など、おそらく一人もいなくなるだろう。 pp.93-94

これが最初の段落で、この次の段落から本格的にストーリーに入るのかっこよすぎだろ。こんな導入部を書けたら気持ちいいだろうなあ〜〜〜

 

かなりわかりにくいが、デボラ・フォーゲルほど意味不明ではなく、丹念に文字を追っていけばいちおう言わんとしていることは理解できるギリギリの散文詩的な文章。

 

「あなたたち天使を見たことがあるんですって?」このころから私は学校でからかわれるようになった。そんなことを信じるような歳じゃないとか、ちっちゃい太った天使なんてもう肩から払い落としておかなきゃだめよ、とみんなは言う。でも私は笑っただけだった。「あなたたちは寝坊なのね。」それからは私も天使たちに夢中になった。「天使なんていない」と言う人は眠りすぎだ。全世界は眠っているものの陣営で、その上を天使が飛び回っている。 pp.95-96

最後の2文が良すぎる。ここを最初読んだ時、思わず本を伏せてうずくまり、長い溜息を吐いてしまった。

 

宗教信仰的な主題を十全に理解するのは難しいけれど、姉妹関係を扱った物語としては身近に感じられてとても好き

姉の軍勢は目に見えないまま打ち負かされ、私の軍勢は目に見えるように打ち負かされた。そして私の軍勢が氷のような空虚さと敵意に満ちた地の意気盛んな様子を前に、恐怖に突き落とされて意味もなく逃走しようとしている間に、彼女の軍勢は深い森の中で傷ついて横たわっていた。その軍勢は世の初めから傷ついていたのだ。身を守るためのわずかな試みもなすことなく死を待つばかりの血まみれの軍勢、打ち負かされた天使の軍勢だった。でも逃げた足取りの捜査と忘れ去られた森の間では、何も知らない羊飼いたちが羊の群れを放ちはじめていた。 pp.101-102

 

月の光がこうこうと部屋の中に射している。とても明るいので閉っているドアが開いた窓に見え、壁は裏がえってクローゼットやベッドはそっと場所を入れかえているように思える。 p.103

明るさをこんな風に表現できるなんてまったく思いもしなかった。

比喩表現がすごいのだけれど、語り手「私」の想像力の産物として小説中に顕現しているので、単なる比喩(レトリック)として以上に存在感があって圧倒されてしまう。

 

掛け布団は床に落ちていて、姉はそれを押さえてもいない。彼女は私が毎朝冷たい床や天使に抵抗したようには抵抗しない。彼女は私を押しのけもしない。彼女は眠ることのない人が起こされたみたいにあまりにも静かで、ここにいない人だけがそうであるくらいに穏やかだった。 p.106

そしてこのあとのラスト1文で置いていかれた。どういうこと!? かなり時系列が飛んでいるのか? 上の部分で確かに姉は部屋に寝ていたんだよね? ……わからない。最後の最後にぶっこんできやがった。

 

ただ、本作を読んでやっぱり思うのは、アイヒンガーはストーリーテリングに秀でているというよりは、文章表現に卓越している作家であるということだ。話に期待してはいけない。そもそも話と呼べるほどの何かが存在し、それを理解できるとも期待してはいけない。つまりは、コルタサルなどと同じように、自分が大好きなタイプの作家だということだ。

 

 

・つづき


 

 

 

 

 

ちなみにアイヒンガー唯一の長編『より大きな希望』も取り寄せて読み始めました。まず巻末にある長めの解説を読んだらところどころ泣けた。読みにくそうだけど明らかに傑作っぽい