『継母礼讃』マリオ・バルガス=リョサ

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 「ママのことさ、パパ、ほかのだれもテーマになんかならないよ」と、フォンチートは手を拍った。「タイトルのようなものもつけたよ。『継母礼讃』て言うんだ。どう?」
「なかなかいいね、とてもいい題だね」彼はほとんど考えもしないで、とってつけたように笑って言った。「ちょっとエロチックな短編小説に聞えるね」 (p.166)

 

ペルーの世界的作家マリオ・バルガス=リョサが1988年に発表した短めの長篇小説『継母礼讃』("Elogio de la madrastra")を読んだ。

 

本作はエロ本である。ジャンルは「人妻寝取られママショタ」もの。ペルーのリマに住む夫リゴベルトの再婚相手である40歳の人妻ルクレシアが、義理の息子アルフォンソに激しい情愛を向けられ、次第に堕落していく……というタイトル通りのおはなしで、はじめの入りなんかは「これノクターンノベルズで読んだことある!」と錯覚したほどベタベタな官能小説だ。

 

とはいえ、ノーベル賞作家リョサのことだ、単なる官能小説に収まらない要素も当然含んでいる。本書は1~14章とエピローグの計15章にわかれ、それぞれ視点人物や人称が異なる。そのうち、2, 5, 7, 9, 12, 14章では、上記の親子3人の現代の話ではなく、実在する「絵画」の人物に彼らを当てはめた一種のパロディ的寓話が語られるのだ。『IPPONグランプリ』の「写真で一言」のようなイメージで、ブッシェ『沐浴の後のディアナ』やベチェルリオ『ビーナスとキューピッドと音楽』などを巧みに"解釈"して、ルクレシアたちの心情や関係を別の角度から示唆・描写してゆく。

 

こうした絵画パロディは、あくまで現在自制のメインストーリーとは独立して走っているという認識で読み進めていたが、遂に第11章で本筋に絵画が絡んでくる。

 

「ママ、ママの知らないことを教えてあげるよ」アルフォンソは瞳に小さな光をかがやかせて叫んだ。「広間の絵の中にママがいるよ」 (p.134)

 

この広間の絵とは、シシュロの抽象画『メンディエータ10への道』である。これまでは女神や妃などの裸婦が描かれた人物画を取り上げてきたが、現実と交錯する転換点に抽象画を持ってくる、というのがとても効いている。アルフォンソの愛の導きのままに禁断の契を交わし、その背徳からより一層夫との毎夜の行為を愉しんでいるルクレシアは、もはやビーナスでもディアナでもなく、紫と薄紫で彩られた禍々しい抽象物でしかない。

 

息子にこう告げられて、その真意を理解したルクレシアがその晩夫リゴベルトに語り聞かせる「愛の迷宮」が次の第12章で、散文詩のような強迫的な独白には読んでいるこちらまで持っていかれるようなパワーがある。(原文は改行も少なかったが、敢えて詩的形式で訳したらしい)

 

エピローグ前の第14章ではアンジェリコ『受胎告知』の吹き替えが行われるが、これはマリアにルクレシアが明示的に重ねられているのでもなく、一見独立した挿話のように読める。ラストでこうした直接関係ない章を置く構成は、クンデラ『笑いと忘却の書』に近いと感じた。もちろん、ルクレシアが堕落する以前の清く幼い頃のエピソードであり、《居るのかいないのかわからないほどおとなしい》マリアの堕落と成長を暗示しているとも取れるだろう。

 

 

また、絵画パロディと並んで本書の特徴と呼べるのが、夫リゴベルトの「ナイトルーティン」を丹念に描写する章の数々だ。3, 6, 10章はそれぞれ、耳の手入れ、排便と足の手入れ(+歯磨き)、鼻の手入れを仰々しく語る。まるでニコルソン・ベイカー『中二階』を思わせる、偏執性が馬鹿馬鹿しさと偉大さの両方につながるような文章だった。

 

体毛は良いものだ。だが、あるべきところにあってはじめて、性の力強い装身具となる。頭や恥丘のそれは歓待されるし、また、なくてはならない。脇の下は──完全に確かめ調べ終わるまで(こういう探求心はヨーロッパ風の強迫観念かも知れない)部分的に譲歩してもいい。だが、腕や足には絶対あってはならない、胸なんて言語道断だ! (p.37)

このように、彼の熱い性癖語りも頻繁に挟まれる。脇毛がアリかナシか判断を留保しているのを「ヨーロッパ風の探求心」と形容するのに吹き出してしまった。

 

こうして、言わば「寝どられ役」のリゴベルトも非常にキャラが立っているが、やはり最も鮮烈な輝きを放っているのは「寝どり役」の息子アルフォンソである。義母を愛するあまり性的な接触をすることがなぜ悪いのか分かっておらず、その無垢性が突き抜けて大人に牙を剥くというキャラクター造形はありふれてはいるが凄みと恐ろしさを感じる。最後には継母だけでなく女中のフスチニアーナにまで魔の手を伸ばしているところを見ると、その裏には奸計と狡猾が渦巻いているように思ってしまうが、「実はすべて計算通りだった」よりも「本当に純真な子供らしさからの行為である」ほうがより恐ろしくて好みなので、後者であろうと解釈している。

 

 

ページあたりの字数が少なく200ページも無いため5時間ほどで読みきった。普通のひとなら2時間もあれば読了するであろう。

エロい話が大好きなのでエッチな小説が読みたくて手にとったが、正直大満足とはならなかった。リョサの文章は流石に上手く、スラスラと読み終えたが、そのぶん物足りなさも感じる。リョサでなくても書けそうな作品ではないかと思ってしまった。

 

『悪い娘の悪戯』に続いて本書がリョサ2冊目となった。これらは愛・官能を正面から描いた軽めの作品群として位置づけられているらしいが、リョサの作品のなかではマイナーなところから攻めている自覚はある。『都会と犬ども』『緑の家』『ラ・カテドラルでの対話』の初期長篇、そして『世界終末戦争』あたりにいい加減挑みたいのだが……怖気づいてまた「軽め」の作品を手にとってしまう気もしている。

 

本書には続編『ドン・リゴベルトの手帖』がある。注文はしたが、すぐに読むかはわからない。

 

継母礼讃 (中公文庫)

継母礼讃 (中公文庫)

 

 文庫ではなく単行本で読んだ。引用ページ番号も単行本による。

 

ドン・リゴベルトの手帖 (中公文庫)
 

 

眼球譚(初稿) (河出文庫)

眼球譚(初稿) (河出文庫)

 

エロ本文学といえばバタイユ。 無垢な子供が性に目覚める点では『眼球譚』も同じだが、『継母礼讃』のアルフォンソは最後まで無垢なままシラを切っていてたちが悪い。

 

笑いと忘却の書 (集英社文庫)

笑いと忘却の書 (集英社文庫)

 

 

中二階 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
 

 

 

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