『エバ・ルーナのお話』(1)イサベル・アジェンデ

 

これまでに読んだアジェンデは、岩波文庫『20世紀ラテンアメリカ傑作選』に入っていた「ワリマイ」のみ。

『精霊たちの家』に挑む前に、こちらの短篇集に手を出してしまった。『エバ・ルーナ』は未読だが問題ないらしいので。

 

プロローグと、最初の4つの短篇を読んだ。 

 

 

 

・プロローグ
冒頭からめっちゃシェヘラザードを押し出してくるやん・・・
いや文章うまいというか迫力あって好みだけど。

 


・二つの言葉
自分で自分に名前をつけた、言葉を売って暮らす少女暁のベリーサ


いきなりめっちゃ「言葉」を大事にします感出してくるやん・・・
言葉を大事にしている自分に酔ってそう(ひどい) Twitterによくいる感じのひと

 

文章がわかり易い。誰が何をした、というお話し口調なので。(タイトル通りのシェヘラザード設定)

これわりと原文も読みやすそうだな。スペイン語の勉強に使えそう

 

彼の顔は木の陰になっていた上に、それまで危ない橋を渡ってきた人間特有の陰もあって、彼女にはよく見えなかった。 p.15

こういう「そうはならんやろ……なるか?……なるかも……」と思わせられる描写すき
マルケスやドノソのような誇張法マジックリアリズムとは別物)

 

もしあの演説が輝くように美しくて腰の強い言葉で書かれていなかったら、たちまち使い古されてぼろぼろになっていただろう。 pp.18-19

「腰の強い言葉」!!! 日本文学では絶対にお目にかかれない表現だ

 

彼が広場の真ん中にしつらえられた壇上で演説をぶっているあいだ、エル・ムラートと部下のものたちはキャンディーを配ったり、金のスプレーで彼の名前を紙に書いたりしていた。けれどもそうした商人まがいのやり方は必要なかった。人々は、演説でうたわれている公約がじつにはっきりしており、論旨も詩のように明晰だったのでそちらに心を奪われていたのだ。彼がぶち上げる歴史の犯したあやまちを正そうという言葉に動かされて、彼らは生まれてはじめて笑みを浮かべた。 p.19

色々と面白すぎてズルいだろこれ
「論旨も詩のように明晰」:詩ってほんらい明晰さの象徴とされるものなんだなぁ
「生まれてはじめて笑みを浮かべた」:誇張!!!

 

彼らが立ち去った後には、夜空を美しく彩る彗星の記憶のように、希望の余韻が何日も空気中に漂っていた。 p.19

ラテアメあるある:なにかの香りや余韻や雰囲気などが実際に空気中に何日にもわたって漂いがち。『百年の孤独』でも何回も見た表現

 

けっこうジェンダー的なステレオタイプを意識的に押し出してる

「この魔女があなたの耳もとに囁きかけた言葉を返し、もとの男らしい人間に戻ってください、大佐」
言葉を操るのは神秘的な力を持つ(周縁化された)女性である、みたいな価値観
プロローグでも女性=言葉、男性=写真みたいなナイーブなこと言ってたな。
「男はAV、女性は官能小説」みたいな言い分

 

ベリーサの言葉というよりむしろ肉体に大佐もエル・ムラートも誘惑されて腑抜けにされたんじゃね?とすら思える

 


・悪い娘
の悪戯!!!(それはリョサ

十一歳のエレーナ・メヒーアス

 

「ひょろひょろに痩せていた上に血色が悪く(中略)身体は細く、妙に骨ばっていて、肘や膝の骨が今にも飛び出しそうな感じがした。」とか「本当は熱っぽい夢を心に秘めた情熱的な女の子だったのだが」とか「幼い頃は引っ込み思案のおとなしい子で」とか(全てp.22)、やけに重複する表現を連続して使ってない?金井美恵子か?

 

言葉vs歌

 

内気少女のわかいい初恋のお話かと思ったらガチストーカーというか犯罪者やんけ

 

中年になると、子供服の店に足を向け、綿のパンティーを買ってそれを愛撫して楽しむようになった。 p.34

エレーナのせいでベルナルがレベル高い方のロリコンになってて草

 

「男は別名保存、女は上書き保存」みたいな、また陳腐な男女論みたいなところにオチた。

 

 

・クラリーサ

クラリーサは町にまだ電灯がともっていない時代に生まれたが、長生きしたおかげでテレビの画面を通して最初の宇宙飛行士が月面をふわふわ遊泳するところを見ることができた。しかし、ローマ法王が来訪したときに、ゲイの男たちが尼僧に扮して法王を出迎えたのを見たが、そのショックがもとであの世へ旅立つことになった。 p.36

こんな書き出しある? 一撃必殺狙ってきてるやん
どの短篇も冒頭の導入(主人公の紹介)で読者(聞き手)を物語世界に引きつけようとキャッチーで魅力的に書いているのがわかる。「お話」のひとつの鉄則か。

「飲みすぎからくる不快感や兵役に取られる苦しみ、ひとりぼっちの寂しさに耐える力を与えてくれる」奇跡ってめちゃくちゃありがたいやん。

 

その後私が勤めを代えた関係でクラリーサと会えなくなったが、二十年後に再会してからは今も彼女と親しくしている。その間にはいろいろな障害があった。彼女の死もそのひとつだったが、さすがにあのときは彼女と意志の疎通をはかるのがむずかしくなった。 pp.37-38

あ、死後も頑張れば普通に交流できる系なのね。ペドロ・パラモ

 

夫がずっと引きこもっているのにどうやって身籠るんだ……

あ、普通に不倫してたのね。そこはリアルに行くのか・・・

 

マジックリアリズムを俗っぽく使っている、という見方もできると思う。
エンタメ的な面白さに奉仕している

 

指摘してもしょうがないけど、「知恵遅れの子供たちの世話をするために、二人の子供が生まれてきた」という神様の運命の釣り合わせを称揚する価値観は現代リベラル思想からするとかなりキツい(禍々しい)

個人の生の道具化、ハンナ・アーレントの「全体主義に反抗するために子供を生もう」みたいな思想とは全然違うがアウトプットは似たようなもの

ただ、そのわりに知恵遅れの子供2人がサクッと死んでいるのは、こうした単純な図式化による批判をかわす要素かもしれない。

 


ヒキガエルの口
これまた男性を惑わす魅力的な女性のお話

「遊び」楽しそう。目隠しされて下半身裸の状態の男たちがやる「鬼ごっこ」ってイメージすると面白いな

 

今の所どの話も女性主人公だけど、あんまりフェミニズム的にはよろしくない、保守的・伝統的な価値観に基づいているものばかり。もちろん話としては面白いんだけどね