『悪い娘の悪戯』(4)マリオ・バルガス=リョサ



テンポが良い。つまり場面や時制を省略する技術が高いことが、この面白さ、エンタメ性、ページターナー具合の主たる要因ではないか。1シーンでも10ページ以上も長々続けることはおそらくほとんど無く、どんなに重要なシーンも下手したら1ページ未満で片付ける。しかし「描写が薄い」と思うことは全く無いのがスゴいところだ。
この省略法って小説にしか出来ないことだと思う。映画でもよく年月を飛ばしながら流麗な劇伴にのせて刻々と日々を描くパートはよくあるが、それとも違う気がする。。。

 

あと主人公はニーニャ・マラの美貌に惚れているけどそれが衰えたらどうなるのか問題については、「今の君は醜いから早く健康的で前のように美しくなってくれ」と率直に言うのだという解答が示された。正直に「醜い」というのはかえって彼女にとっても気が楽になるように思えるが、老いによる衰えではないので根本問題は解決されてないとも考えられるか。

 

7/18
p.314まで。5章終わり。
これは……章の終わり方までこれまでとは一線を画しており、いよいよ物語を結ぶために準備をし始めた、といったところだろうか。これからどうなるんだろう!というワクワク感はずっと変わらず増し続けている。
友人枠が退場するのも相変わらずだが、今回は現世からの退場でないのがとてもありがたい。あの夫婦やイラルが死んじゃったらショックだよ……

 

第6章 防波堤造りの名人、アルキメデス
p.361で6章終わり。いやコレ最後の章じゃなかったんかい!(先が気になりすぎて目次も一切目を通していない)
こわい。マジで怖い。幸福すぎてこわい。不穏すぎる。
終盤であまりに出来すぎた肉親との偶然の出会いは『ムーン・パレス』っぽいけどこっちは「知らなければよかった。全て忘れよう」だからな。

 

第7章 ラバピエスのマルチェラ
p.412で終わり。どうなるかと思ったけど最後の最後の締め方までとことん通俗的だった。
この2人の関係性、歪んだ愛の物語はもはや "エンタメ版『死の棘』" と呼んでも差し支えないのではなかろうか。

 

正直に言って最後の2章はやや失速した感が否めない。それは物語を着地させるための必要な失速/減速だったとしても、それまで抜群の面白さでグイグイ引っ張って来られたこちらとしては残念な気持ちがある。

ただ、『不滅』でクンデラ(というキャラクター)が語ったように、小説は結末のためにあるのではないから、これまで読んできた海外文学のなかでも稀に見る面白さ、物語自体の魅力を存分に感じさせ楽しませてくれた本作は素晴らしい。

もちろん本作を「文学的でない」「物語が軽くて薄すぎる」などと言って評価しない文学好きはいるだろう。(藁人形)
ほんの少しは文学を読んできたので、その気持ちもわかる。というか、ここ最近自分もどんどんそういう大衆的なものを受け入れない傾向になってきていると感じる。そんな自分でも、本書を「圧倒的に面白い」と思えたことが自らにとっての福音に感じる。
重厚で難解な文学ももちろん価値はあるし、面白すぎてただひたすらに続きが気になる「エンタメ小説」にも価値がある。いや価値があるかはしらんが、ただ、他の誰でもないこの私が「読んでよかった」「楽しかった」と心から思っている。それが全てってことでいいんじゃないですかね?……え、ダレも弁解しろなんて言ってない?へへっ、すいやせん……当方の癖だもんで……
(さらに弁解しておくと、本書にはペルーや他の国々の長年に渡る社会史・政治史がふんだんに盛り込まれているため、そんなに軽薄なエンタメオンリーか?というツッコミもあるだろう。が、それらの要素を盛り込んでもなお、ますます圧倒的なリーダビリティを誇っているのが凄すぎるところであり、それ故に、尊敬の念を込めて、本書は純度100%のエンタメ小説と呼びたい)



400ページを4日間で(しかも別の小説も読みながら)読みきったのは自分としては驚異的な記録だ。
リョサがこれでよかった。もっと文学性の高い初期長編たちを読むモチベーションがついた。(今すぐにってわけじゃないけどね)

死の棘 (新潮文庫)
敏雄, 島尾
新潮社
1981-01-27