『ブラジル文学傑作短篇集』アニーバル・マシャード ほか

 

 

2023/6/9金~6/14水
5日間


なんやかんやで〈ブラジル現代文学コレクション〉を買うのも読むのも初めて。。 まずは入門によさそうなこのアンソロジーから。

 

 

6/9
さいきん(大)長編ばっかし読んでるな~~だから途中で息切れ起こしたり放置したりするんだよな~~と思ったので、積んでいる短篇集のなかから、いちばん最近買ってモチベが高いこれを読むことにした。

 

 

アニーバル・マシャード 

・「タチという名の少女」Tati, a garota(1960s前半)

針子の服飾業で日銭を稼ぐシングルマザー(マヌエラ)と6歳の娘(タチ)の貧困生活を、主にタチの子供の視点から描いた物語。といっても、子供の未成熟で脈絡のない無垢な世界認識を、タチの一人称ではなく三人称の地の文として表現している。タチだけではなくマヌエラ側にも視点はシームレス/無秩序に切り替わり、母娘が渾然一体となった絶望的状況(子供はそれを認識できない)を提示する。イノセントな視点の意識の流れっぽい小説ということで、『響きと怒り』第1部ほどではないけど、その系統ではある。

設定はかなり典型的で、王道な内容を確かな鋭い筆力で描き切っている、といった印象。タチの無垢な描写はふつうに心を揺さぶってくるが、ぜったい最終的には子供の純粋な世界が崩壊するオチなんだろうな~~と思いながら読んでいたので、そうはならなかったのは意外だった。たしかに弟の死産や家賃未払いでの相次ぐ引っ越しなどの悲惨な出来事はふたりにふりかかるが、タチにとってはそれらは一瞬情緒のバランスを崩す程度の影響しかもたらさず、案外したたかに受け入れて(あるいは真相を理解せずに)元気に生きている。子供は強いということか。そして、借家から追い出され姉のもとへ身を寄せるための引っ越しの列車内で、マヌエルは娘の変わらぬ無邪気な姿に啓示的に感動し、娘への愛に目覚め、なんか良い感じに終わる。表面的にはハッピーだけど実際的にはこの先はもっと袋小路の不幸しか待っていないよね、と書かずに暗示するオチだと読んだ。同じくシングルマザーとその娘の少女を描いた映画『フロリダ・プロジェクト』のオチなんかも想起させられるが、本作にはそれほど心を動かされなかった。あっ、こっちかぁ……と。マヌエルが今さらタチの愛しさに覚醒するのも唐突で意味わかんないし、正直、その愛情は永続的なものだと思えない。仮に持続したとしても、ふたりを取り巻く環境はさらに悪くなる一方だろうから、やっぱりビターなエンドだ。そういう、フェミニズム的・社会派の正統的短篇だったなぁ以上の感慨はあまりない。
巻末解説では「微かな希望が見える」終わり方と評されているが、マジかよ……

 

原書の初出年を知りたいんだけど、本のどこにも書いてなくない!? そんなことある!?!? ついでにwikipediaポルトガル語)の作者ページをざっと見たかぎりでも書いてなさそう。
てかプロサッカー選手でもあったってマジ?? ブラジルすぎるだろ。

 

Contos que valem a pena: 92 – Tati, a garota – A. Machado

なんかネットの個人ブログに原文全文が落ちてる。

 

 

・「サンバガールの死」

これまた典型的な…… 今度は若い(黒人)男の、恋人?への性愛からくる暴力性と「男らしさ」の呪縛、愚かさ……みたいなのがテーマで、前作と合わせてジェンダー保守的な社会風土を浮きあがらせようという編者の意図が見える。

三人称の語りが主人公の男の内面に入り込んで実質的に一人称となるが、中盤で場面は変換し、自分の娘が殺されたに違いないと信じて発狂する多くの母親たちを描く。母娘の関係を扱う点は前作とも共通性があるが、このパートの狂騒感はやや良かった。

巻末解説では、娘が結婚前に性交渉をするのを何としても食い止めなければならない母親…みたいに書かれていたが、これはカトリックの教義なのか? もっと奔放なイメージがあった。

 


6/10土


ジョズエ・モンテロ

・「明かりの消えた人生」

またなんとも慎ましいというか抑制的な短篇だ。若い頃婚約者の男に裏切られ信仰の道に入り、独身のまま40歳になったメルセデスの教会的救いと、それでも感じる孤独感とのあいだで揺れ動く日々の1ページを描く。

前作「サンバガールの死」で、ブラジルの婚約-結婚制度が異質に見えてよく分からなかったが、この短篇ではそのテーマをより中心に据えており、次第にブラジル社会の文化・風習が見えてくる構成になっている。アンソロジー編者の腕が光る。「傑作短篇」集というより、傑作「短篇集」かもしれない。

交際5年、婚約6年で婚約破棄された27歳の女性が終盤に出てくるけど、どういうことだ!? 交際中は同じ町に住んで頻繁に会ったりしているけど、婚約中は別の街でいわゆる遠距離恋愛みたいなことをしてるってこと? 現代日本ではふつう婚約するヘテロカップルはすでに同棲していることが多いと思う(知らんけど)が、20世紀中盤のブラジル社会ではここらへんの慣習がどうなってるんだ。けっきょくますますわからん。恋愛結婚ではないってことかと一瞬思ったけど、5年は普通に交際してるっぽいしな……。

 

6/12月

・「あるクリスマス・イヴに」

お、おう……としか言いようがないほっこりオチ?の短編。30年前に別れた夫を想い続けて、アパートの部屋をすべてそのままに保存して生活をしていたって普通にめちゃくちゃこわいし不健康だろう。それがなぜか良い感じ?に演出されるものだから受容に困る。解説でも「当時の価値観を保存している点で意義深い」みたいに書いてあった。

 

 


リジア・ファグンジス・テーリス

・「蟻」

タイトルずばりの怪奇幻想ゴシックホラー短篇。コルタサル「占拠された屋敷」に似ている。じわじわ侵食されて追い出される(逃げ出す)オチとか、ふたりの近親相姦?的な関係とか。従妹らしい。
蟻のほかに「小人」というモチーフも不穏・恐怖の象徴として用いられている。

 

6/13火

・「肩に手が……」

タイトルまんまの怪奇幻想ホラー短篇。ところどころ切り取って愛でたくなる一文はあった。

不穏な「庭」の悪夢から醒めるがまたいつの間にか迷い込む→今度は眠りにつくことで脱出だ→残念でした

構成のお行儀の良さもさることながら、錯綜した意識に浮かんでは消える細かい諸々の要素も最後にお行儀よくリフレインしてから幕を下ろす。

妻や息子や召使いと暮らしてはいるが不遜で孤独な中年男性の精神の危機を象徴的に表した……みたいに安易な読みが出来てしまうのが残念。その点では前作のほうがもっと唐突で心許なくてよかった。

 

 


オリージェネス・レッサ

・「エスペランサ・フットボールクラブ」

小中学の国語か道徳の授業で使いやすそうな短編。

 

・「慰問」

こちらも人の本質的な善性・聖性みたいなものに焦点が当てられているが、ラストで単語のアクセントの好みから繋がるのは予想外だった。

 

 

ハケウ・ジ・ケイロス

・「白い丘の家」

荒野に佇むいわくつきの一軒家の住人の親子3代にわたる簡潔な年代記。名前がヴォルテール由来というところから解説では周囲の人々の愚かな差別意識に着目して読んでいるが、あまり乘れない。

 


6/14水

・「タンジェリン・ガール」

これはいいですね。毎日家の上空を飛ぶアメリカ海軍の飛行船とその乗組員の水兵に淡い憧れを抱く少女の失恋。

上を見上げる / 地面に物を落とす という上下の非対称性と、明らかになる水兵(たち)の可換性、という残酷な真実の共鳴がきれいでいい。飛行船(ブリンプ)すら毎日同じものではなかっただろうと少女は勢い込んで確信しているが、ここの真相はぼかされている。

 


マルケス・ヘベーロ

・「嘘の顛末」

これもどこかで聞いたことがあるような普遍的なおはなし。

 

・「扉を開けてくれたステラ」

ずっと「私」も女性だと思ってた。百合じゃなかった。

 

 

 

 

 

・まとめ

現代ブラジル文学をざっと知(った気にな)れるという意味では書名の通りの役割を果たしてはいるが、単純な好みでいったら全体的に面白くなかった。。

相対的に好きだったのは「タチという名の少女」「タンジェリン・ガール」「扉を開けてくれたステラ」の3編かな。