『冬期限定ボンボンショコラ事件』米澤穂信(2024)

 

発売直後に買ってなんとなく読む気がしなくて1年積んでいたのを、読んだ。

 

小市民シリーズの過去作の感想は以下の通り(巴里マカロンは未読)

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※ネタバレ注意!!!



2025/1/4(土)~1/9(木):計4日間

 

 

 


1/4(土)

第1章

第2章

いくら小鳩くんのことが好きではないからといって、さすがに轢き逃げされて大学受験できなくなるのは可哀想……
犯人への厳罰を求めるのは意外 小鳩くんも意外と「ふつう」の人? むしろ異端なのか
3年前の類似の轢き逃げ事件と比較して重ね合わせながら進んでいく。自死したらしい元同級生の男子の謎がどう絡んでくるのか

 

 

1/7(火) p.88〜147

第3章

今回もしかして小鳩くん安楽椅子探偵をやるのか? 安楽椅子探偵ならぬ病床探偵だけど。先行例けっこうありそうだな。(牢屋探偵とかもいるのだろう)

というか、3年前の事件について現在時制から回想しているのだから、スリーピングマーダーの亜種ではないか? 殺人は起きてないけれど。

 

小鳩くんと小佐内さんはこうして出会ったのね。中学3年の6月に知り合ったんだ。なんとなく、もう少し前、1, 2年生の時から仲良かったのかと。

てか小鳩くんの探偵ぶりたいエゴイズムがかなりヤバいな。それが一人称の地の文の語りのうちに滲み出ている。そういう描写がうまい。

他の凡庸な奴らは事件のことなんて1日で忘れてしまったけれど、俺たちふたりだけは執着して追い続けたことで邂逅を果たした──ってか? 相変わらず自分達の非凡さの演出に抜かりがなくてイラつくわ〜〜

~閑話突入~

小市民シリーズを読み始めた頃は、中学生男女が恋愛ではないと必死で否定しながら特別な関係を結ぶことに(異性愛主義の立場から)自分はイラついているのかと思っていたけれど、ジェンダーセクシャリティ問わず、自分たちだけは世間とは違うとして閉塞的な二者関係に耽溺することが一般に嫌いなのだと思う(そうでありたいと思う)。排他的な二者関係というか。

例えばもし小佐内さんが小鳩くんとは別の人物とも、まったく同じように良き小市民を目指すための互恵関係を結んでいたとしたら──小鳩くんがどう思うだろうか、ということ以上に、この小市民シリーズのファンはどう思うだろうか。おそらくショックを受けるのではないだろうか。好ましくないと感じるのではないか。多くは、ふたりの特別さに魅力を覚えていると思うから。

そんな幻想を徹底的に内側から打ち砕いたのが『夏期』であり、そして実際にいま言ったような「第三者」を双方に配置したのが『秋期』である。だからわたしは『夏期』のラストが大好きだし、結局ふたりの特別さを再確認して強調したに過ぎなかった『秋期』は大嫌いである。

ヘテロだろうが百合だろうがBLだろうがアロマンティックだろうがノンバイナリーだろうが、「ふたり」の特別さに酔いしれるような物語がわたしは苦手なのだと思う。運命のふたり、とか、かけがえのないふたり、というようなものを素直に受け入れられない。むしろ、かけがえのある関係に魅力を見出す傾向にある。

だから、わたしは、ヒマワリがみすずに懐く理由を「いちばん初めに出会ったのがわたしだったからだよ。それ以外に理由なんてない」と言い切る『みすずの国』が大好きだし、『WHITE ALBUM2』ではかずさルートより雪菜ルートのほうが大好きである。三角関係や寝取られモノが好みなのは、「ふたり」に閉じてほしくないからだ。

 

閑話休題

3年前は小佐内さんが被害に遭って、今回は小鳩くんが被害に遭った。名探偵は事件の部外者なのにノコノコ現れてズケズケと口を出すイメージがあるが、この物語のひき逃げ事件ではいずれも、メインキャラが被害者の張本人になっている。

まぁ、小鳩くんはともかく、小佐内さんは名探偵ではなく、自分に損害を与えた者を地の果てまで追いかけて喰らう復讐者だから、張本人なのは今回に限ったことではないけど。そう考えると小佐内さんは毎回、事件に巻き込まれて被害に遭っているのか。不幸体質/巻き込まれ体質? そういう点でワトスン役として定番の造形とは言えるか。

小佐内さんを典型に括ることには躊躇わざるを得ないが、個人的には彼女も特別というより凡庸に堕としたい心根がないといえば嘘になる。
古典部シリーズの千反田さんはどうだっけ。「私、気になります!」だから好奇心旺盛な部外者ポジションか。

 

 

第4章

ぼくたちは、互いに近親憎悪をかき立てるほど似てはいない。けれど、同好の士という感覚を持つぐらいには……いや、どちらかというと、同病相憐れむぐらいには、似ているところがある。 pp.121-122

「同病相憐れむ」!! きっしょい表現!! きっしょい分析!! きっしょい関係!! あ〜やんなっちゃうわ、ほんと。

 

p.122 「互恵関係」の言い出しっぺはやはりお前か、小鳩…… それに微笑んで了承する小佐内さんも相当に気持ち悪い。厨二病の痛いふたりを見ているよう。中3だけど。


p.133 轢かれかけて水溜りに落ちて服を濡らした直後に9キロ歩くとか、小佐内さんヤバすぎる…… 狂ってる?それ、褒め言葉ね。

 

中学生だからできないことがあるのはたしかだとして、高校生には高校生だから、大学生には大学生だから、大人には大人だからできないことがあるに決まっている。 p.139

これはちょっと名言か。これぞ青春小説というような。

 

病床の小鳩くんが3年前のことを思い出しながらペンでノートに書きつける、という体裁で回想パートが位置付けられているが、その(小説内の)文章と、小鳩くんがノートに書いている文章は実際には異なるだろう。メモ書きのようなものが自然か。もし仮にテキストが一致していたら小鳩くん変すぎる。名探偵じゃなくて小説家になれるよ! 
実際には異なるとしても、その差異に意識を当てさせないように、こういう建て付けを採用しているのだろうか。それとも、この差異があとあとより効いてくるのか。

 

3年前と違い今回はコンビニの監視カメラに轢き逃げ車は映り込んでいなかった。他に道はないはずなのに。変則的な密室消失ミステリってこと?

 

 

1/8(水)

第5章

やっぱり9キロの長大な密室か
もちろん厳密な意味での密室ではなく、あらかじめ犯人が計画的に逃走方法まで練った上で轢き逃げを起こしたのであれば、色んなトリックがあるのだろう。ただし、暗黙の了解として、これは故意に引き起こされた轢き逃げではないはずだ、という前提がある。また、コンビニの監視カメラ云々も犯人が認識しているとは考えにくい。つまり、ただ必死に犯人が逃げていただけで、密室消失トリックを仕掛けるつもりはなく、結果的に不可解に思える状況が成立した蓋然性が高い。小鳩くんたちもまずはそう考えているだろう。

謎を作る意図がなく、たまたま謎ができた「事件」は、まるで『春期』のおいしいココアの作り方のようで、わりかし好み。これぞ日常の謎って感じ。非日常的な交通事故が絡んでるけど。

~閑話突入~

以上のような謎のあり方は、ウミガメのスープ(=シチュエーションパズル)っぽいとも感じる。小説として読むのではなく、自由に質問していって解きたいなぁ。

そういう感慨を得るということは、自分はミステリが苦手というけれど、謎解き自体は好きで、しかしながらキャラが登場して謎を解いて……という物語の形式になっているのが嫌いなのかもしれない。

自分以外の奴が謎を解いてしまうから悔しいのだろうか。このシリーズに限れば、メインキャラふたりが嫌いだという明確な理由があるが……。要するに「名探偵キャラ」が嫌いなのかも。自分が名探偵になりたいのか? ウケる〜

 

ミステリでも、小説内で謎が解き明かされる前に自分で推理して解こうとする愉しみがあるじゃん、と反論されそうだが、どうしても物語に都合のいい形や順番でしか手掛かりが提示されないし、自分の推理が当たったかどうかの判定は、結局作中での解決を待たねばならない。名探偵の推理まで読み進めなければならない。それが、あちらに主導権を握られているということだから、気に食わないのかもしれない。つくづくプライドの高い偏屈なやっちゃなぁ……

 

ミステリに限らず、ふつうの文学やSFでもそうなんだけど、わたしは物語作品に対して読者たる自分を優位に置きたがる節があるのかも。だから、こちらを作中に引き摺り込まんとするタイプのメタフィクション(第四の壁系とか)に反発しがちだし、物理とか自分の少し詳しい分野の知識をいっぱい入れている類のSFにはもっともアレルギー反応を起こす。こちらが勝手に、作品からマウントを取られていると感じて、嫌でも心理的にマウントを取り返してしまうから。ほんとは読書中にそんなことしたくないのに。だからミステリやSFはストレスフルなことが多く、苦手意識があるのではないか。

 

ウミガメのスープが大好きなのは、謎解きコンテンツの中でも、飛び抜けてこちらの自由度が高いジャンルだからなのかもしれない。

リアル脱出ゲームとかはやったことないけど、どうなんだろうな。あれはわりと作り手の意図や敷いた物語のレールに沿って進めていく印象が強いので、ウミガメよりは楽しめなさそう。

「作者の掌の上」感が嫌い、だとまとめられるだろうか。ミステリにしても、第四の壁メタフィクションにしても、SFにしても同じ。

ウミガメは、いろんな登山経路からひとつの頂上=正答に辿り着く自由度があるし、解いた上で感想戦としてその問題そのものを批評することもできる(している)。それは、ミステリの批評と似て非なるものだと思う。端的にいえば「物語」の有無。ミステリでは、真相への手がかりやヒントを提示する仕方・順番にも美学があり、それらも込みで出来を評価するのが作法のはずだ。


自分は「物語」と「謎解き」のそれぞれにこだわりがあって好きだけれど、両者が合わさってしまうと、苦手になる。自分のなかでは物語と謎解きの相性が悪い、といえるのかな。「物語」の形式で差し出される謎解きが苦手がち。ウミガメでも、ほぼ短編ミステリのような、バックストーリーがしっかり用意されたタイプの物語チックな問題もあるが、それでも、そのバックストーリーを掘り下げていく主導権はプレイヤー=質問者にあるから楽しめるんだと思う。

逆にいえば、ミステリ好きは、単に謎解きが好きというよりも、「謎解きをしている人」が好きなのではないか。人間がある謎に対してどう立ち振る舞い、どう向き合っていくかを追求しているのが「ミステリ」という文学の一ジャンルであり、文学である限り、本懐は「謎」そのものではなく、あくまで謎をとりまく「人間」を描くことに主眼があるのではないか。(ミステリ評論で「人間という謎」みたいなフレーズが頻出であろうことも容易に予想がつく)

わたしは文学は好きだけれど、「謎」が出てきたら、人間(登場人物)そっちのけで自分がそれに対峙したいと思ってしまうので、ミステリを読んでいてももどかしさが募るだけ。

 

といっても、別にじぶんはそんなに謎解きジャンキーである自覚はない。小鳩くんのように、特段に推理力があるわけでもない。

ウミガメが好きなのは、謎を解きたいからというよりも、質問をいくらでも自由にできるからだと思う。質問することは大好きな自負がある。高校や大学の授業でも先生に質問しまくってたし。

質問し放題だし、質問のテクニックが問われるパズルであることもウミガメの好きな点だ。「良い質問」をいっぱいしたい。問題を解くために質問をしているのではなく、質問をするために問題を解いているというほうが正しい。

翻せば、質問が自由にできないからミステリが苦手なんだと思う。ミステリに限らないけど、本や物語を読んでいるとき、わたしは色んなことを考える。たくさんの疑問が湧く。これってこういうことなんだろうか、じゃああれはどうなんだろうか……などと。批判的読解(クリティカルリーディング)というやつが人一倍得意な自負がある。だから、それらを質問の形で発散させてくれずに、ただ物語のなかでキャラが謎を解くのを指を咥えて眺めているしかないミステリが嫌いなんだと思う。批判的読解のし甲斐がない、といえるかもしれない。いくら批判的に読んで疑問を見つけて思い浮べても、それをその場で思うように発散させてくれないし、最後まで十分な応答が得られないことも多い。圧倒的に不均衡なんだよな。アンフェアというか。

したがって、わたしは「読者への挑戦」みたいな、こちら側にすべてのヒントを提示し終えて解決してみろと突き付けてくるタイプのミステリも好きではないし、むしろ(思いきりマウントを取られているので)大嫌いだと言ってもいいくらいだ。推理力があるわけではないので、多くの場合、解けないし。

わたしは、作り手が用意したヒントだけでなく、自分が訊きたいことをすべていくらでも訊きたいんだ。質問させてくれ。作者の掌の上でもがくのは嫌なんだよ。主導権は自分が持っておきたい。
(AIを使えば、読者がいつでも質問し放題なミステリ小説っぽいプロダクト作れそうだし、もうありそう。)

 

 

閑話休題
病室パートで看護師や医師、清掃員など何名かの人物が出てくるけど、これらの人々が事件の犯人だったり、真相と関わっていたりしたら拍子抜けてしまうからやめてくれよ。それじゃあ安楽椅子探偵どころか、安楽椅子に座っていたからこそ事件の懐に辿り着けた単にラッキーな奴、になってしまうから。

p.169 (アンダーパスだ!)とテンション上がる小鳩くんかわいい

p.171 小佐内さんは自分が「小さい」から舐められがちだということに深いコンプレックスを抱いているんだろうか。

p.176 ペットボトルの中身をシェアするための紙コップを持参していることを小鳩くんに「用意周到だね」と言われて小佐内さんは本当に照れているのか? その微笑みは別の感情ではないのか?

 

日坂くんに同行者がいた可能性に気付き、物語の焦点は密室トリックから人間関係へと移行する。やっぱりミステリは人間の謎を扱いがちなんだなあ。(別に、落胆したわけじゃないけど)

 

なぜぼくは推論によってしか事実に辿り着けなかったのか、そこに大きな謎がある。 p.189

ここはメタミステリっぽくていいね。「推論」の中身ではなくて、それを俯瞰して反省的に評価する。小鳩くんの落ち度=ウィークポイントとは、周りの人間にあまりに興味がなかったこと、クラスメイトをほとんど何も知らなかったことである、という風に話が転がっていく運びも自然だ。

身近な人が巻き込まれた事件を単に自分の推理力を発揮する絶好の機会だと、形式的なパズルだと認識している時点で小鳩くんはダメなのだということになるんだろう。「人間」に興味がない時点で名探偵として(=ミステリの中心人物として)失格だ、と。これは先述のミステリ論とも合致している。

でも、こういう形で「名探偵」キャラを糾弾するミステリってありふれているだろうから、あんまし新鮮味はない・・・。青春ミステリとしても、全能感のなかにいる若者の鼻を挫いて苦い思いをさせるのなんて、他でもない米澤穂信自身が何度も描いてきたことだろう。またそれか、とこの時点で思ってしまうということは、ここから後半戦でさらに先へと飛んでくれることを期待せざるを得ない。

 

謎解きとしては、たぶん日坂くんは彼女と一緒に歩いていたんだろうな、それで藤寺くんは日坂くんのバド部の後輩で、なにか話が拗れているんだろうな、という予想は前からついていたので、あっそんなことでいいんだと若干拍子抜けではある(後出し孔明)。"藤寺くんは日坂くんの部活の後輩である" と小鳩くんが気付いていないことにわたしは気付いていなかった。てっきり当然そういうものだと思い込んでいた。
ただし、三角関係要素がある可能性が浮上してきたことにはちょっと心躍っている。そいつらで典型的な中学生のヘテロ恋愛のあれこれを描くことで、相対的に小鳩小佐内ペアの異質さを演出するのだとしたら、巧いけどムカつく。

 


第6章
第7章
3年前の事件のとき、小佐内さんは川の上流側に歩いてたんだな。以前ちゃんと書いてあったのに、いつの間にか他の人と同じく下流側へ歩いていたんだと思い込んでいた。

 

第8章
エレベーターの箱のこと「カーゴ」って言うんだ。物知りな中学生だねぇ〜

小鳩くんようやく病床探偵から車椅子探偵になれるのか?

高校の前の掲示板にポスターを貼っていたら偶然通りかかった生徒に声かけられて手掛かりを得られるとか、出来過ぎだろう。現実ならそんなのまず見向きもされなくないか? まだ、そのチラシを校門前で配るほうが良い策な気がする。

 


1/9(木)

第9章
特にあれから手がかりは得られなかったようだ。

大人こわい けどまぁ止めるのは当然よな

あ、病室での食事時に必ずコップ一杯の水を貰っているのは、小佐内さんから貰った花にこっそり水やりするためなのか? それと小鳩くんのノートは小佐内さんも読んでるのね。

あと今更ながら見舞いにこまめに来ているであろう両親の描写がほぼないのは、小説として不必要だからか、語り手小鳩くんの精神の表現なのか、より深い意味があるのか。配膳する看護師や清掃員の描写は逐一あるというのに。
3年前の回想パートでも、夜間や休日にしょっちゅう外出しているのに、両親の描写は薄い。

 


第10章

え〜 ふたりが解けなかった謎をモブがあっさり解いてしまう展開か? 

p.346 あーそっか。容疑者はアルバイトってことは、あの(レジ担当してた)コンビニの従業員ってことか。監視カメラの映像を差し替えられる人間。だから麻生野さんはすぐに解けて必死で帰ったんだ。

思えば確かに、片側通行止めしてたはずなのにカメラ映像ではひっきりなしに車が通っていた時点でおかしいか。別日の映像と差し替えられている。逆になぜ自分も小鳩くんたちも気付かなかったんだってくらい単純な矛盾だったな。

 

お願いを無視して勝手に嗅ぎ回っていたことで日坂くんにビンタされたことは、妥当としか言いようがない。中学時代の苦い記憶だとこれまで何度も語っていたから、どんな出来事だろうと思っていたが、まとめれば「被害者の気持ちそっちのけで探偵気取りをしていて怒られた」という、めちゃくちゃシンプルなことだった。

そう思っていたのが3年前当時のことなのか、それとも今でもまだ反省していないのか。流石に成長してるよな?

てか、こうして今度は自分が似たような事件の被害者となって、ようやくあの時の日坂くんの(勝手に嗅ぎ回られたくない)心境が理解できたよ、的な話なのか? そんなアホみたいなものだとは信じたくない。

看護師や清掃員ら身の回りの人たちを気遣って感謝を伝える描写をやけに挟んでいたのは、小鳩くんの「人間的成長」を示すためだったのか? それは割とありそうでクラクラしてくる。

 

しかも、これはおそらくこの後で言及されるのだろうが、単に被害者を傷つけてしまったことを「苦い思い出」だと認識しているのではなくて、結局自分は何も事件を解決できなかったことも含めて悔いているようなのが、何も反省していなくて、タチが悪い。そういうとこやぞ案件。

監視カメラの件が解けないから同行者の調査に逃げたとか、そんなことどうでもいいんだよ。仮に小鳩くんが事件を見事に解決していたとしてもなお、非難されている点はまったく変わらないのに、それに──未だに気付いていない?

探偵は、うまく解決できなければ責められるのではなくて、探偵行為を勝手にやっている時点で責められて然るべきだ。「探偵」そのものを終わらせようとしているのか、この作品は。まぁ、あくまで職業探偵ではなく、子どもの探偵気取りを諫めているだけなので、「青春ミステリ」に幕を下ろそうとしているといったほうが適切かな。

というか、小鳩くん視点では、自分では反省したと思っているけどまったく要点がずれていて反省できていない。つまり、「青春ミステリ」を畳もうとするも、全然うまく畳めないこと──そうした醜態そのものが「青春」であること──を描いているわけか。

関係者が幸せになることが第一で、そのためなら敢えて事件を解き明かさないことも厭わない夢水清志郎の名探偵っぷり( "大人" っぷり)に思いを馳せずにはいられない。

 

・部外者が勝手に嗅ぎ回るという当時の小鳩くんポジションを、今回は小佐内さんが担当している(まったく部外者ではないが)ので、小鳩くんは小佐内さんに憤っているのだろうか。もうやめてくれ、と。そういう形でふたりの関係の変化を描いてシリーズを締めくくるつもりか?

・小鳩くんが同行者の謎に気を取られた(本人曰く「逃げた」)ことを悔いているのは、浮気などのゴシップ的な人間関係に「真相」を見いだしがちなミステリのホワイダニットへの批判めいたメタ言及にも読める。

・ラウンジであった男性はけっきょく誰だったんだ。これも、わたしが気付けてないだけで、すでに手がかりは出揃っているのだろう。

 

p.348 この前にもいろいろとやらかしていたのに全く懲りてなかったのか…… しかも、このあとでも「わずかなためらいをおぼえるようになった」程度て!! 爆笑ツッコミどころとして書いてるとしか思えない。

あと、「麻生野さんへの優位を失うことで、小佐内さんが物理的な危機に晒された」ってどういうこと? ボコボコにされるリスクがあったとでもいうのか。もともと小佐内さんは彼女の弱みを握っていたらしいけど、推理力で劣ったからって「優位」が覆るものだろうか。小佐内さんの主観的な精神の問題?

 

いま、ぼくは確信している。ぼくは三年前、日坂くんに何をしたのか。
同時に二人と交際していることをあばいた……のでは、ない。
かつてのぼくはそう思っていた。けれど、違う。きっと、そうじゃなかったんだ。でも、じゃあ、ぼくは何をしたんだろう? p.349

この小説の最大の謎はこれか。3年前じぶんがしでかしたことの本質とは。それに3年越しに向き合って解き明かす。「自分」という謎。やはり最後は人間そのものの謎へ行き着くのか。「自分」という、もっとも卑近ながら、もっとも謎めいた存在。その歴史について。

 


にしても筆者はマジでどういうつもりなんだ。ものすごくしょうもない/嫌な奴を描くのが本当に巧いと思うけれど、だからこそ、わたしはこの小説(シリーズ)を楽しめていない。作者の思い通りにイラつかせられていると感じる。「正当」な受け取り方をしたらつまらなくなる小説ってなんなんだよ。

このシリーズのファンはどういう気持ちで楽しんでいるのか知りたい。小鳩くんたちをしょうもないとは思っていないのか、そうだよね〜若者ってこういう感じにしょうもないよね〜わかる〜沁みる〜的なかんじなのか、しょうもない小鳩くんに可愛げを感じているのか。。

 


第11章
なるほど、そういうことか! コップの水は睡眠薬で、だから小鳩くんは必ず寝てしまって小佐内さんと会えなかったのか〜 病人が夜に速やかに寝入ることになんの疑問も持っていなかった。それが謎であるということにすら気付いていなかった。

 

終章までひっぱっての感動的な再会だけれど、結局そうやって、このふたりの関係をエモく特別に演出するために他の全てがあるのね、と冷めるなぁ このふたりのやり取り、仕掛け合いに終始してしまうのか。

 

p.356 盗聴してたのかヤバすぎww

p.358 あーもしかして3年前と犯人同じで、自分を牢屋に入れた小鳩くんへの復讐だったのか。あのラウンジの男はそいつの仲間?

一気に凶悪な、物騒な様相を呈してきた。相変わらず治安が悪すぎる。どこが日常の謎やねん
水に睡眠薬が入れられていたらしいが、マジで病院関係者が犯人の類なのか……?? あの看護師さんが日坂くんの同行者の可能性あるよな。3年前に高校生ってことは。

事故が起きた堤防道路の見取り図が重要だと見せかけて、病院の見取り図のほうが大事だったってことか

そうだったのか〜!という納得感と驚きと、そして怖ぇ〜〜!!という恐怖感がある。『さよなら妖精』の頃から、人の悪意を描いてきたんだろうから一貫してはいるが。。

 

サスペンスアクションパート始まって草
でもこのシリーズ毎巻終盤はこんな感じだったな。

 

なるほどね〜 学生の二股浮気痴話とか、そういうことではなかったが、不和家庭のきょうだいの話だったのか。それはそれでまたベタな…… 大晦日の夜の屋上とか、愁嘆場みたいなのまで用意されてるし。

3年前はともかく、今回の事件は加害者もまたある種の可哀想な「子ども」であったのだなぁ。若者の人生の苦味を描く青春ミステリとはこういうことか。

 

そういえばノートを犯人に読まれる可能性は考慮していなかったのだろうか? 隠したりとかしてないよな。読まれてたら……いや、読まれているとしてもそんなに状況は変わらないのか。看護師を疑っていること自体はまったく書かれていないわけだし。(3年前の回想だけをしている)

 


終章
終わった~!

え、こいつら大学生になってもつるむの? 最悪だ~解散解散 ファンの人良かったね。

後日談とかも特になく、最後はあっさり目。1年の終わり= "春夏秋冬" の終わり、と掛けているわけね。しばらく経ってから気付いた。

夏期限定トロピカルパフェがさらっと過去の出来事として懐かしく(のみ)思い返されて流されていって哀しいよわたしは。

 

 

 

 

感想まとめ
「好きになれない恥ずべき自分をそれでも受け入れていくしかない……」などと、なんだか穏当に、良い話風に独白してまとめていたけれど、騙されないからな俺は!!

小鳩くんが過去にしでかしたことを本人(日坂くん)に謝ることができたのも、小鳩くんが見事に事件の真犯人を突き止めて解決したからだ。つまり、探偵行為をしたことにまつわる後悔と自己嫌悪の清算として、またまた探偵行為をして大団円になっている。それじゃあ何も根本的には変わってないし、清算も反省も出来ていないじゃねぇか。そりゃあミステリなんだから仕方ないのかもしれないけど、とんだマッチポンプというか、虫の良い話だと思う。

 

マジで身近な病院関係者が犯人でびびったね。しかも、肝心の、あの日、日坂くんと一緒にいた同行者が現在は病院勤務していて、自分が轢いた人間を看護することになったのは「偶然」って……呆れてものも言えない。良く出来た話だ! 小説サイコー! ミステリさいこ~!
もともとつけ狙っていたとかでもなく、マジで偶然に堤防道路を運転してるときに憎らしい懐かしい顔が歩道に見えたので瞬間的に殺そうと思って突っ込んだ、というのも……現実味がない。そんな性能の良い殺意のギアを積んでる人間いるか?

 

病床探偵としてほぼ寝たきりの状態で見事に事件を解決した小鳩くんだけど、冷静に考えたら、そもそもこれが安楽椅子探偵モノですよとはひと言も言われていないわけで、わたしが勝手に僅かばかりの知ってるミステリ用語をえっちら担いできて託していただけだった。よって……冤罪!

 

3年前の監視カメラの件だけど、片側通行止めになってるのに車がひっきりなしに通っているのがおかしいんじゃなくて、救急車やパトカーが映ってないのがおかしい、ということだった。言われてみればたしかに? なんとなく、救急車やパトカーは別ルートから来てると思い込んでいた。

片側通行止めしてたのはどっち方向の道なんだろう。下流方向だったら、(監視カメラで)上流方向に車が走ってるのはおかしくないのか。でも、下流方向だったとしても、車が通ってたらおかしいと気付いてもよさそうだけどなぁ。どのくらい通行止めしてたんだっけ。

あと、わざわざ監視カメラの映像を差し替えるくらい用心深い犯人が、救急車やパトカーが映っていないことの違和感に気付かない(or自分で気付いてはいても、警察などは気付かない可能性に賭けて差し替えを強行する)のはかなり不自然だと思う。

 

病室の水のなかの睡眠薬に関しては、犯人が言い訳をしたように、睡眠薬を入れていたことが明らかになったあとでも、まぁ医療看護目的でそういうことも(患者に知らせずとも)あるか、と、正直それほど不審には思わなかった。ので、やや置いてけぼりにされた。もちろん、それ以外の不審な点(名前を知らない=名札をしていない、ナースステーションの前を通らせない、顔を日焼けしている、病室外に滞在させたくなさそう、車椅子に乗るとき一瞬身の危険があった等)との合わせ技での推理→確信だったのだろうけれど。。

変な形で顔に日焼けしているのは通勤手段を車から徒歩or自転車に最近変えたせいだ!とかも、えぇ……この推理どうなん?と白けていた。

ロの字型の回廊になっているのにトイレやエレベーターに最短経路で行っていない点は、いちおう自分の頭の中で "[ " の形に車椅子を押されて廊下を進んでいたイメージはしていたので、はえ~~とは思った。でもナースステーションが病室を出てすぐ右側にあることや、ロの右側の辺の廊下の存在はあまり意識していなかった(あると思っていなかった)ので、「解けてもよかったのに悔しい!」というほどではない。

 

 

扱っている事件(3年前と現在のほぼ同じ場所で起きた似たような轢き逃げ事件)そのものは、そこそこ面白かった。川の堤防というものすごく空間的に開けた場所で、全長9キロにも及ぶ長大な擬似 "密室" という建て付けもかなり魅力的で好み。

はじめは複数名から秘匿されていた〈同行者〉の存在が明らかになり、謎が密室トリックのハウダニットから、被害者側の人間関係のホワイダニット(なぜ隠すのか)へと遷移するところも、小鳩くんは逃避だとして悔いてはいたけれど、ミステリの一読者としては、飽きさせない面白い構成だった。

調査パートでは、後輩の藤寺くんを休日にファミレスに呼び出して、背中越しの小佐内さんとケータイで連絡をとる三者会談シーンや、そのあと中高の制服屋さんに行く場面なんかは、何故かはわからないが結構ワクワクして楽しめていた。

 

ただ、終盤で一気に真相が明らかになってからは、えーまじかよと驚きはしたものの、好きではなかった。密室の謎もまじでしょうもないものだし(それがいくら作中でいとも単純なしょうもないトリックとして造形されていたとしてもつまらないものはつまらない)、現在時制の犯人の正体や動機のあれこれに関しての落胆は上述の通り。

3年前の事件の(2次)被害者が、今回の事件の(1次)加害者となる、それも、小鳩くん自身がトラウマになるほど悔いている過去の「報い」として──つまり、小鳩くんにとって3年前の自分は(2次)加害者であり、現在は(1次)被害者である──というかたちでの時を越えた事件の繫がり、絡み合い、反転の図式はまぁ良く出来ているのかもしれないけれど、現場がまったく同じだったことはマジで偶然でしかなく、2つの事件のリンクに強引さがあることは否めない。

 

日坂くんの(両親が一時的に不和で離婚した)家族の話が犯人の動機のバックストーリーとして語られるが、いっぽうの主人公側、小鳩くんと小佐内さんの家族・両親の存在が不気味なほどにオミットされている話でもあるので、どういう対比なのかと結構うすら寒い。

てか、自分を担当している看護師に命を狙われている(殺されかけた)と気付いたらまずはなんとしてでも親に助けを求めるのでは。それか他の病院関係者に。

ラウンジで会談した日坂くんの親父は、息子が退院したことすら知らない親だったけれども、小鳩くんのご両親は、作中でほぼ語られすらしない親だぞ。果たしてどちらのほうが "不自然" なのやら。

 

 

あ、そういえば、文章が読み易く上手いのは良かったです。なぜなら、文章が読み易いのは良いことだからです。
ラノベかってくらい……いや、ラノベよりもスラスラ読めたかもしれない。

 

アニメを観て以降(といっても途中までしか観れてないけど)、さすがにどうしても小説を読んでいる時の小鳩くんや小佐内さんの脳内ビジュアルイメージがアニメのキャラデザで固定されてしまって、以前はどういう風貌を念頭に置いて読んでいたのかあまり思い出せなくなってしまってかなしい。小市民アニメのキャラデザ、好きくない。小鳩くんが美青年すぎるし小佐内さんが美少女すぎるから。

 


春は自転車、夏・秋・冬は車が、事件のメインアイテムになっていたのだなぁ。(教習所の車もカウントすれば春も車でコンプリート)

アニメのほうを観ていて、自転車や車を扱うのは、舞台となる街の交通が主題だからではないか、と思ったっけなぁ。今回ももろに堤防「道路」の話だ。病院内の廊下(=道路)も重要だし。

途中で降りようにも降りられない曲がりくねった長い長い一本道、という舞台設定が、そのまま人生のメタファーとかにも駆り出されるのかとヒヤヒヤしながら読んでいたが、明確にはそんなことはなかった。だから、あとはこれを読んだわれわれが駆り出し放題というわけだ。しめしめ。


島健吾はマジで僅かしか出てこなかった。裏で重要な働きをしていたっぽいのが健吾らしいけれど、本シリーズ中では(相対的に)健吾が好きな身としては、もっと出てきてほしかったかも? いやべつにそうでもないか。

 

小鳩くんと小佐内さんのことは、もう思い出したくもないです。

 

 

 

 

 


解説(松浦正人)

病床探偵じゃなくて「寝台探偵」(ベッド・ディテクティブ)っていうんだ。
入院生活という非日常的な日常のなかから盲点をできるだけ排除して「謎」を見出すさまを描いているのがすばらしいと。なるほど。
瞬間的に人間をおそう殺意に関してのミステリ史上での含蓄。たしかに「そんな人間がいるわけない」と一笑に付すのは人間存在を舐めているか。とはいえ、謎の成立のために人間の精神の可能性が手段として探求され拡張されていくさまは、やっぱりわたしはあまり好ましく思えない。解説者はこれぞミステリだと言わんばかりにまとめているが、それがミステリなのだとしたら、のとふぉみです。
あと「解説子」って一人称を初めて見た……んだけど、検索してもヒットしない。こわっ この人の造語?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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