『スワロウテイル人工少女販売処』(1)籘真千歳

 

 

スワロウテイル人工少女販売処

スワロウテイル人工少女販売処

 

akosmismus.hatenadiary.com

 

SF研の机に平積みされていたときから気になってはいたが、読もうと決心するきっかけは、みかんさんのおすすめのSF小説リスト↑に載っていたからだ。表紙やタイトルからはラノベ臭がすごいが、あの人がそんなに好きな本なら……ってことで読んでみたいと思った。

 

 

 

第1部

第1章(p.70)まで読んだ。

 

・SF設定と描写

なかなかSF世界観が凝ってる。

〈種のアポトーシス〉感染拡大防止のための人工島の男女隔離(クソデカ歯車、ハーフミラーによる"第2の太陽"!)、蝶型微細機械群体(マイクロマシン・セル)による人工妖精の伴侶としての運用などなど。(SFって東京を海に沈めるの好きだな……伝統でもあるのか?地方出身者としては、それに首都民の自虐を装った驕りを透かし見てしまう。まぁ作者は沖縄出身だけど)

根本的には感染症ジェンダーについてのSF作品だと現時点では認識している。たとえ物語では前景にあっても人工妖精はその副産物。

 

私はSFがそんなに好きじゃないので、設定が凝っていたところでそれほど何とも思わないが、しかし本作はSF設定が凝っているのに留まらず、それらがちゃんと小説的・物語的な魅力へと繋がっている点は評価している。

 

特に冒頭の、疑似無重力ラブホでの死体鑑査シーンの五感的な鮮やかさは大変に素晴らしい。
高層階で半透明な床というクリーンで無機質なイメージと、普段嗅ぎ慣れていないが故に強烈な精液と死体の悪臭というダーティで生物的なイメージの混交が鮮やかで印象に残る。
また、壁をびっしりと覆っている大量の蛹という不気味な存在(火元ではNaが反応して爆発物になり得るという危険性も付与される)が、遅れて到着したヒロインの"オカルト"たる〈口寄せ〉によってダイナミックに飛び集まり人の形を成していくというアクロバティックなイメージの転換(変態)の衝撃、そして神経網と片腕だけを形成してヒロインの喉元に血管を浮き立てて襲い掛かる暴力的な姿の鮮烈さ……一連の流れはほとんど完璧と言ってよい。

 

羽ばたく禿鷲のように五等級が大きく袖を広げると、室内の蛹が一斉に羽化した。朱、碧、蒼、黄金。人目に見苦しくないように様々に彩られた蝶たちが一斉に乱舞し、全員の視界を埋め尽くした。 p.19

今気づいたけど「一斉に」を反復しているのはわざとなのだろうか。

 

神経だけの人型は、脊髄に直結した四枚の羽以外には、右腕の肘から先だけが骨を、筋肉を、肌を得て、自らの重みに負けたようにぽとりと床に落下した。 p.20

「斬られた相手は重みに耐えかね必ず地に這いつくばり侘びるかのように頭を差し出す……故に『侘助』」!?

 

再び手が這いずり、神経軸索に引っ張られた脳がひっくり返ったが、その場の誰も、当の手自身も気にとめた様子はなかった。 p.21

ここで誰も気にもとめていないってのが、状況の緊迫感を伝えていて凄い良い

 

五等級の喉にまでたどり着いた手が、ネックウォーマーの上から首を掴み、締め上げる。顔のない憎悪が、血管と関節が浮き上がる手の甲から伝わってくる。もし今、彼女に目が、口があったなら、いったいどんな表情をしているのか、泣いているのか、怒っているのか、その両方か。 p.23

ここの迫力も凄い。川端『片腕』とかもそうだけど、こういうフィクションにおける手だけのキャラにフェティシズムを感じるかもしれない。ペルニダとか……(あらゆる物事をBLEACHに繋げる男)

 

 

ジェンダー観について

ジェンダーマイノリティの観点はほとんどなく、その線での批判は免れないだろう。
"性の自然回帰派" を過激派と呼ぶ資格がないほどに、異性愛中心主義が作品設定に根を張っている。

「SFなんだからいいじゃん!」という反論は無意味で、そも現実の日本から地続きのそう遠くない将来の世界を舞台にしている以上、ジェンダーマイノリティは依然として人工島住民のなかにも存在するはずだし、何よりジェンダーSFをやる上でそこの解像度が低いのはフィクションとしても勿体ない。

〈種のアポトーシス〉は男女間の性交でしか感染しないから、人工島住民はジェンダーマジョリティしかいないはずだ、という指摘も当たらない。ジェンダーアイデンティティは遺伝のみで決まるはずがない。

 

彼らは人工島でどのように生きているのだろうと考えずにはいられない。同性愛者は人工妖精など差し置いて行為をしているのだろうか?(というか同性間の性行為では絶対に〈種のアポトーシス〉感染リスクはないのか?その辺の設定の詰めが甘い気がするし、少しでもあるとしたら、同性愛は固く取り締まられてそう。取り締まられてすらいないということは、本作では一切同性愛者の存在が抹消されているということになる)

 

トランスジェンダーXジェンダー、ノンバイナリー、クィア、クエスチョニング系の人たちは、そもそも身体的性によって男性区画か女性区画のいずれかに一生閉じ込められるという点で尊厳が剥奪されまくっているだろう。

世界観の根幹に古典的な性別二元論があるために、これらの人々の存在はさらに強く抹消されている。(始めから考えられてすらいない)

 

アセクシャルノンセクシュアルの人は……上の人たちに比べると、人権侵害の程度はそれほどでもないかな。性別二元論に基づく異性愛中心主義は蔓延っているけど、恋愛至上主義はそこまで強くは無さそう。独身者も多いらしいし。あくまで(異性の)伴侶を持ちたい人には人工妖精があてがわれるけど、全員が人工妖精を持たなければいけない義務とか風潮は無さそうなので。

いずれにしろ、「男女が隔離されたらどうなるか」という発想に基づくジェンダーSFを素朴にやろうとした弊害として、(作中世界に存在するはずの)ジェンダーマイノリティへの配慮が抜け落ちていると言えるだろう。

 

その代わりに、男性には女性の姿をした、女性には男性の姿をした人造人間である人工妖精(フィギュア)が区民にあてがわれている。人工妖精は容姿、人格、性格、技術、趣向など広範なマーケティングによって人間の多様な嗜好に応えるバリエーションが用意される。 p.31

ジェンダーマイノリティは「人間の多様な嗜好」には含まれていないようだ。「男性には女性の姿をした、女性には男性の姿をした」という言い回しの抑圧性・加害性にあまりにも無自覚であることがよくわかる。

 

なお、今後ジェンダーマイノリティに関する描写が来る可能性は大いに有り得るので、手のひらを返す準備はできている。

 

 


・人工妖精について

"第三の性"ではなくないか?男性用の人工妖精は、あくまで生身の女性の代替物であって、女性的でも男性的でもない、正真正銘 "第三の性" と呼べるような外見・人格を有しているとは今のところ思えない。やはり男女二元論が根底にあり、それを"第三の性"などという言い方でなにかジェンダー的に進歩しているかのように錯覚・隠蔽する向きがあるように思えてモヤモヤする。

実は、そうした隠蔽的な意図さえも作中思想として織り込み済みで、ここから人工妖精によってジェンダー脱構築する展開になったら大絶賛するけど。

 

 

人工妖精にとっての微細機械(ナノマシン)は人間にとっての細胞みたいなもので、そうしたミクロなレベルで人間の構造を模しているという設定から、ヒューマノイドにしても実質的にほとんど人間と変わらないと見なしていいだろう。(だからこそ"妖精人権擁護派"が存在する。この辺りの整合性は取れている)

にしても、人間と全く同じ構造でありながら、肉体的に成長せず、子供を造る能力もない、というのは首をかしげる

それって全然違う構造では?人間と全く同じ構造を保ちながら成長能力も生殖能力も持たないのってすごく矛盾している気がする。そのへんの設定の怪しさは「微細機械だから」で片付けられる(それ以上のリアリティは求めてはいけない)のだろうけど、少し不満が残る。微細機械についてのより詳細な説明が今後されることに期待。

 

 


・文章について

文体は……三人称で、そこそこお堅めにやろうという姿勢は見える、文学っぽさを意識した典型的なラノベ・エロゲ文体の範疇ではあると思う。三人称の語り手は、作品世界のSF設定や人物設定を適宜都合よく読者に説明しており、語りの恣意性などへの目配せが見られる兆しはない。(まぁそれはこうしたエンタメ系作品では仕方ないが)

しかし読んでいくと、細かい言い回しやSF設定に関する用語のチョイスなど、なかなか巧いなぁと感心させられた。

赤色機関(Anti-Cyan)とかゼッタイ語感だけで選んだだろって感じほんと好き。一度見たら忘れない完璧なネーミングだと思う。

精神原型(S.I.M.)とかは遊び心あって良い。多様なバリエーションのはずがなぜ4タイプしかないのかは謎だけど。

火気質(ヘリオドール)とか水気質(アクアマリン)とか、毎日が楽しくて仕方なかったあの頃を思い出すネーミングセンスで好き。

 

 

・その他


人工知性の「倫理三原則」に加えて人工妖精に課される「情緒二原則」という設定はなかなか面白い。
この第4原則が今後のストーリーの鍵を握ることは明らかなので楽しみ。


男女が隔離されてる状況下で子孫はどう残すのか(人工妖精に生殖機能はない)気になっていたが、男性は〈受精センター〉なる施設の人工子宮で生殖するらしい。女性側は普通に妊娠するのか、それとも人工子宮を用いるのだろうか。


スワロウテイル」と名の付く作品のヒロイン、100%アゲハ説(岩井俊二……)

 

 

 

 

スワロウテイル人工少女販売処

スワロウテイル人工少女販売処

 
スワロウテイル

スワロウテイル

  • 発売日: 2014/06/20
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 

 

『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』桜庭一樹

 

 

 

 

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早速、soudaiさんの長篇ベスト100に入っていて未読だった桜庭一樹砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を手にとった。その前から、ちょくちょくいろんな読書オタクの皆さまから本書の評判は聞いていたのでいつか読みたいと思っていた。神戸三宮の古本屋に感謝

 

 

 

ー読み始めー

 

 

これはラノベ……ではないのか。児童文学でもないし……ライト文芸?こういう系ぜんぜん読んだことなくてよく分からん。
小中学生向けの小説よな。

 

ミステリーなんていつぶりだ……?下手するとはやみねかおるやホームズを読んでいた小学時代以来だぞ
(あ、ホームズシリーズを長篇ベスト100に入れるの忘れてた)

 


実弾ー砂糖菓子の弾丸
は、よくある二項対立(右翼ー左翼, 田舎ー都会, 労働ー芸術etc.)のキャッチーな言い換え、亜種とみなしてそれほど間違いではないだろう。
この問題系それ自体はありふれているが、本作のポイントはそれに「砂糖菓子の弾丸」なんてファンシーでポップなラベリングをしたこと。それから、この問題系にぶち当たる主人公が幼い(女子)中学生であることだ。
そもそもまだ中学生なのに「わたしは実弾しか撃ちたくない」と意識せざるをえないなぎさの状況はかなり悲惨で、それを物語の開始時点では悲惨とも思っていない〈わたし〉が語ることに意味がある。

 

兄は現代の貴族なのだと思う。
働かず、生活のことを追わず、ただただ興味のあるものだけを読んで、考えて、話して、暮らす。現に兄は中学に行かなくなって高校も受験しなくて、家から一歩も出なくなって三年が経ったいま、昔よりずっときれいで、夢みたいな容姿をしている。あたしも母も、かつての兄とは別の存在──美しい生き物を当局に秘密で飼っているような感じがする。 p.30

なぎさの兄、友彦はデデデデのおんたんのお兄ちゃんを連想した。
高スペックでイケメンだったのに突然引きこもって社会不適合者になるキャラクターの系譜
どちらも妹を持つ。

 

 

バスに乗ってきた道を帰りはゆっくり歩いた。三人とも黙り込んでいた。時折、ダンプが揺れながらあたしたちを追い越していった。道に落ちた、藁を混ぜた牛糞がダンプにつぶされて、アスファルトの上に薄くのびていく。夏の日射しが眩しかった。 p.66

海と山の合間にあるうらぶれた田舎町の夏の雰囲気がとても良い。エモい。

 

しばらくすると視界がぱっと開けた。樹木の密集が薄まって、古ぼけた木のベンチが一つだけかたむいて置かれている場所に出た。遥か下の町並みと、遠く遠くまで広がるくすんだ日本海。(中略)
小さな小さな世界だった。まるで古い箱庭。
あたしは胸が締めつけられるような、不思議な気持ちになった。都会からやってきたきれいでおしゃれでミュール履いてる芸能人の娘の海野藻屑に、この風景を見られたことがなんだか恥ずかしくて、やたら腹が立った。 p.85

 

あたしは親にも兄にも友達にも口にしなかったけれどじつは自分の境遇にたいそう不満を持っていたので、どうやらいつのまにかその不満というか不幸があたし自身の個性というか自己イメージになってしまっていたようだった。自分は不幸だ、かわいそうだ、と思うことがあたしを支えていて、それが将来の見通しまで全部に関わっていた。 p.109

こういう自己分析シーンは一般に好みなんだけど、これに関しては、このような正確な自己分析をこのタイミングでこの子にさせてしまっている状況がなんだかやるせない。

 


田舎の閉塞感、思春期、暴力性、悲劇……これらにデジャヴを感じると思ったらあれだ、映画『リリィ・シュシュのすべて』だ。
こういうの好みなんだよなぁ……

 

 

あたしたちは十三歳で、あたしたちは未成年で、あたしたちは義務教育を受けてる中学生。あたしたちにはまだ、自分で運命を切り開く力はなかった。親の庇護の元で育たなければならないし、子供は親を選べないのだ。あたしはこの親の元でみんなより一足も二足も早く大人になったふりをして家事をして兄の保護者になって心の中でだけもうダメだよ、と弱音を吐いてる。藻屑も行けるものならばどこかに行くのかもしれない。大人になって自由になったら。だけど十三歳ではどこにも行けない。 p.136


子供向けの小説と言ったが、そういうことではなかった。
社会的に弱い立場である「子供」がテーマの小説であり、中学生の主人公で一人称で語ることに必然性がある。
そういう正しい意味での青春小説ではあるのかもしれないが、読者層は決して子供に限られてはいない。

 

 

読み終えた。傑作だった。


完成度の高い悲劇であるという解説も説得的。作中外の読者しか知らない〈運命〉に作中人物が翻弄され、それによって我々の予想を越えた凄みが立ち上がってくる。その通りだった。
終盤の展開がかなりスピーディで、あっという間に終わってしまった。彼女の死と、その後のなぎさや兄の姿をわれわれ読者が噛みしめる暇なく幕切れて、この取り残されたような読後感まで含めて秀逸な構成だと感じた。


うら若き少女が残酷に殺されることのセンセーショナルさを安直に利用したポルノではなく、その悲劇性を文学的な悲劇にまで高めることに成功している。
花名島を藻屑が殴るシーンとかも非常に鮮烈だった。ここに関しても、やはりポルノに陥ることを注意深く避けているというか、そうした下品さはまったく無い。
これらを可能にしているのは、おそらくなぎさの語りによるところが大きいと思う。


なぎさは中2でありながら〈実弾〉を撃つことに固執せざるを得ないほど悲惨な境遇に身を置いており、そうした子供らしからぬ子供が、藻屑というフィクショナルな現実と相対し、その世界観や自意識を確実に改革していく様が一人称で表現される。本作で起こる暴力も悲劇も、こうしたなぎさの語りに基づいて読者の前に提示され、われわれは、悲劇を読むと同時に、吐きながら目を覆いながらそれらと向き合う1人の少女の生の叫びを読む。その過程でセンセーショナルなポルノの安直さは剥ぎ取られ、われわれの元に辿り着くときには、そうでしかありえなかった厳然たる事実としての物語だけが残される。なぎさが引き返して下山せずに目に焼き付けたように、わたしもこの物語を目に焼き付けなければならない。

 

 

 

リリイ・シュシュのすべて

リリイ・シュシュのすべて

  • 発売日: 2014/06/20
  • メディア: Prime Video
 

 

 

『ヴァインランド』(1)トマス・ピンチョン

 

『V.』でピンチョンデビューしてから、『競売ナンバー49の叫び』, 『重力の虹』, 『スローラーナー』と出版順に読んできてるので、とうぜん次は本書。

しかし来月にはいよいよ『ブリーディング・エッジ』が出版されるらしいし、それまでに読み終えられる気がしねぇぜ

 

 

ヴァインランド (トマス・ピンチョン全小説)
 

 いま、↑こっちの版のヴァインランドがネットで手に入りにくくなってて、書店をいくつか梯子してようやく見つけた。ありがとう紀伊國屋書店 梅田本店。梅田ジュンク堂にも無い本が意外と置いてあったりする。

 

今年の年明けに数ページ読みかけて止まっていたが、このたび本書を一緒によむオンライン読書会(まるで自分のためのイベント!)が開催されるということで、久しぶりに引っ張り出してきた。『コレラの時代の愛』?……うん、まぁちょっと枕元で休んでてね。

 

 

 

 

主人公ゾイド・ホイーラー。14歳の娘プレーリーのパパ。わざとヤバい振る舞いをして精神障害者用受給を貰ってるっぽい。
ゾイドってあのロボの怪獣が出てくるかと思ってたら名前なのね。でもゴジラ出るんでしょ?

 

ゾイドが取り出したのは、婦人用オーダーメイドのチェーンソー。「立木を倒すパワーを貴女のバッグに」とCMがうたうもので、ガイドバーにも握りにも蔽いにも本物の真珠貝が張ってある。 pp.13-14

いきなりチェンソーマン出てきて草
どこまでが本気でどこからが冗談かわからないこの感じ、ああ今じぶんはピンチョンを読んでるんだなぁとテンションが上がる。

 

1984年夏。音楽もファッションも労働環境も、アメリカ社会全体がお行儀よく新たな時代に向かいつつあるらしい。
時代の流れについていけないあぶれ者の中年男性がいろいろやらかす話なのかな。
スター・ウォーズ ジェダイの帰還』〔1983〕 ジョージ・ルーカス監督。観たいな。

p.16 砂糖菓子のトラック!?

 

「オマエの窓破りには、いまじゃ戦略的な価値もついてるんだ。いまさら新しい手に走ったりしてみろ、州の役所はコンピュータのオマエの情報を打ち直さなくちゃならなくなるな。これは心証を悪くする。この男は反抗的だ、ってことになって、小切手が届くのがだんだん遅れることになるぞ。(後略)」 p.16

精神障害者用受給目当てにする窓破りという社会への犯行でさえも、マスコミやお役所といった社会のシステムに内包され管理される絶望をユーモラスに描く。お行儀よく「クレイジー」な反抗をしないと反抗的だとみなされるという倒錯。

 

「しょうがねえなあ。まあいつか、ショーのほうがオレ自身よりビッグになる日がくるだとうと覚悟はしてた」 p.17

同上

 

ゾイドの相棒ヴァン・ミータ。元ベーシストのバンドメンバー
あ、北カリフォルニアなんだ。
お〜、この〈キューカンバー・ラウンジ〉(通称キューリ)が今回のダメ人間たちの溜まり場か。『V.』のヤンデルレンみたいな。

 

むかしゾイドがTVで見た日本がテーマの番組では、東京とかの狭い団地に人間たちがひしめき合いつつ、それでもみんな礼儀正しく暮らしていた。民族の長い歴史が育んだ知恵というのか、窮屈そうな空間で仲よく暮らす術が見られた。だから、いつも求道を口にしているヴァン・ミータが、キューカンバー・ラウンジの小屋に移り住んだと聞いて、ゾイドも期待したのだった──その暮らしに、日本的な静寂が伴うことを。しかしそれは大ハズレ、人口過密を処理するのにこの "コミューン" が選んだ方法は、エネルギーの抑止でなくて解放、つまりデシベル値のきわめて高い、容赦なき罵り合いで、これがまもなくセレモニーと呼べるだけの荘厳さを帯びるに至る。争いごとの見えざる背景を記事にした「毎日口論」とかいう名の家庭内新聞まで発行された。罵倒は森を越えてフリーウェイに鳴り響き、ゴーゴーと走る18輪トラックの運転手の耳にも届いた。あるものはそれをラジオ電波の混信と思い、あるものは成仏できぬ霊の叫びと思ったという。 p.18


文章の加速とともにホラ吹きのギアが上がる感じが最高。
さっきからちょくちょく日本に言及してくるな。80年代って高度経済成長期だっけ?(無知)※いや、wikiによると73年で終わって安定成長期だったらしい。
毎日口論は草。上手いこと訳したな〜原文知りたい。
あとラジオの混信ネタ好きだな〜V.や重力では海軍無線とか海を渡る混信だったような気が。

 

やっぱりピンチョンの文体の根っこってハードボイルド探偵小説の文体なんだよなぁ。ハードボイルド探偵小説読んだことないけど
三人称の語り手が饒舌に好き放題あることないこと弁舌を振るうのが好きだなぁ

 

トレードマークが "「傷つけられた正義」の顔" って凄いなヴァン・ミータ
p.19

 

ESPって何?→「Extra Sensory Perceptionの省略形」wiki 超感覚的知覚 ふーん…
DEA捜査官って何?→麻薬取締局(Drug Enforcement Administration) ふーん…

DEA捜査官ヘクタ・スニーガ。ゾイドの宿敵ってところか。訛りがすごい
〈キューリ〉の支配人ラルフ・ウェイヴォーン・ジュニア。シスコのドンである父親からの仕送りでやっているおぼっちゃん

シスコって何?調べたらカルフォルニアのコンピュータ機器会社がヒットしたけど、設立が1984年12月……ギリギリまだじゃん!

 

ゾイドは息を整えマントラを唱えた。ヴァン・ミータが去年、それまで凝ってたヨガ熱が冷めてきたころ、ほんとは100ドルするんだが特別に20ドルにしとくからとゾイドに無理矢理売りつけた呪文だが、ゾイド自身まだ、それを使う機会はなかった。 p.21

マントラって売り買いするものなの…?

 

窓に相対して突き破る前後の描写、映画の冒頭のつかみ感があって良いなぁ
「砂糖菓子のトラックも待っている」はそういうことだったのね

 

新たなトラブルが確実に予感された。ゾイドはこれまで自分を情報源にしようとするヘクタの執拗な攻撃に耐えてきた。テクニカルな意味では「童貞」を保ってきた。 p.22

スロースロップは幼少期に既にテクニカルな意味で童貞喪失してることになる。
p.23 文章うめぇ〜

 

p.23で第1章終わり。章番号も章題もない
ピンチョンwikiによると全15章。

 

 

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続き

 

 

ヴァインランド (トマス・ピンチョン全小説)
 

 

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重力の虹』を読んだ証拠としていちいち自慢気に貼ってるやつ

 

 

時期別・ベスト長編小説best100!

 

 

kageboushi99m2.hatenablog.com

私がもっとも愛読しているブログである「タイドプールにとり残されて」に、私がもっとも切望していた記事が投稿された。

海外文学好きとして(私に)知られるsoudaiさんの長篇ベスト100だ。はてなスターを連打してから即ブックマークし、書店や図書館でことある毎に見返している。

 

ラインナップを見て思うのは、圧倒的なピンチョン率。twitterのヘッダーが映画版「インヒアレント・ヴァイス」であることからピンチョン好きだろうなとは思っていたが、まさかここまでとは。6冊ランクインで作家別ぶっちぎりの1位だ。

他にも現代アメリカ文学好きであることが伺える。3アーヴィング, 2フランゼン, 2サフラン・フォア, 2パワーズ, 2ティム・オブライエンなど。村上春樹/阿部和重/高橋源一郎/舞城王太郎好きなのが納得の並び。

あとボフミル・フラバルが2冊上位にランクインしてるのが意外だった。しかも代表作『あまりにも騒がしい孤独』『わたしは英国王に給仕した』を外してるのが通。

個人的には、ラテンアメリカ文学が『夜明け前のセレスティーノ』と『百年の孤独』の2冊しかないのに驚いたのだけれど、よく考えたら自分がラテアメ好きなだけで、普通の?ガイブン勢としてはスタンダードな比率なのかもしれない。

 

この100冊のうち、自分が現段階で読んだことのある作品は何冊か数えてみたところ、

 

夜明け前のセレスティーノ
アメリカの鱒釣り
空の中
好き好き大好き超愛してる
存在の耐えられない軽さ
ディスコ探偵水曜日
海辺のカフカ
さようなら、ギャングたち
きことわ
月と六ペンス
オン・ザ・ロード
百年の孤独
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
カラフル
ムーン・パレス
夜のピクニック
嵐が丘
V.
こころ
重力の虹

 

の20冊だった。

読みかけ・途中で挫折している本は
白の闇, ハローサマー・グッドバイ, エブリシング・イズ・イルミネイテッド, ガラテイア2.2
辺り。

 

上位の作品を中心に読んでいきたい。いつか100冊コンプリートを目指して!

 

で、せっかくなので私も似たような取り組みをやってみることにした。

とは言っても、本家のように「一切吟味せず」では100冊も思いつかなかったので、ガッツリ過去の読書ログを見ながら選んだ。

 

また、小学生時代・中高生時代・大学以降(国内/海外)の4つに分けて、合計で100作の長編小説を選んだ。

各時代においては、だいたい好きな順(例:小学生編1位は『ダレン・シャン』)だが、

時代をまたいでは順位をつけられない。

小説を読むきっかけになった本と、小説をまぁまぁ読むようになってから出会った大好きな本のどちらが好きか、比べようがないからだ。

(そこを無理にでも比べるのがオールタイムベストの醍醐味だ!と言われたらその通りなのだが……全体の1位は『ダレン・シャン』か『数学ガール』か『ゼツメツ少年』辺りのどれか)

 

長編かそうでないかの判定はガバガバ。メルヴィルバートルビー』は大好きなので上位に入れていたが、ぐぐったら「メルヴィルの短編小説」と出てきたので泣く泣く削った。似た事例が山ほどある。あと『ムッシュー・テスト』は作品集であって長編でないんだけどなぜか入っている(入れたいので)

 

なぜか戯曲の『シラノ・ド・ベルジュラック』も入っている。

それなら『ゴドーを待ちながら』『ハムレット』あたりも入れたかった(ガバガバ)



それではどうぞ

 

<小学生時代>10作

ダレン・シャン(シリーズ) ダレン・シャン

パスワード電子探偵団(シリーズ) 松原秀

都会のトム&ソーヤ(シリーズ) はやみねかおる

デモナータ(シリーズ) ダレン・シャン

ウォーリアーズ(シリーズ) エリン・ハンター

名探偵夢水清志郎(シリーズ) はやみねかおる

怪盗クイーン(シリーズ) はやみねかおる

ガフールの勇者たち(シリーズ) キャサリン・ラスキー

大どろぼうホッツェンプロッツ(シリーズ) オトフリート・プロイスラー

なん者ひなた丸(シリーズ) 斎藤洋



<中高生時代>(17作)

ゼツメツ少年 重松清

数学ガール(シリーズ) 結城浩

数学ガールの秘密ノート(シリーズ) 結城浩

疾走 重松清

キケン! 有川浩

三匹のおっさん 有川浩

バカとテストと召喚獣 井上堅二

くちびるに歌を 中田永一

ポニーテール 重松清

一人っ子同盟 重松清

偉大なるしゅららぼん 万城目学

プリンセス・トヨトミ 万城目学

舟を編む 三浦しをん

県庁おもてなし課 有川浩

下町ロケット 池井戸潤

三日間の幸福 三秋縋

海辺のカフカ 村上春樹



<大学以降(国内)>19作

〔少女庭国〕 矢部嵩

セカイ系 名倉編

大きな鳥にさらわれないよう 川上弘美

夏物語 川上未映子

夜のピクニック 恩田陸

六番目の小夜子 恩田陸

イリヤの空、UFOの夏 秋山瑞人

百年泥 石井遊佳

優雅で感傷的な日本野球 高橋源一郎

さようなら、ギャングたち 高橋源一郎

ペンギン・ハイウェイ 森見登美彦

第七官界彷徨 尾崎翠

乙女の港 中里恒子/川端康成

最愛の子ども 松浦理英子

アサッテの人 諏訪哲史

箱男 安部公房

文学部唯野教授 筒井康隆

西の魔女が死んだ 梨木香歩

旅する練習 乗代雄介



<大学以降(海外)>54作

悪童日記(3部作) アゴタ・クリストフ

不滅 ミラン・クンデラ

ムーン・パレス ポール・オースター

夜明け前のセレスティーノ レイナルド・アレナス

悪い娘の悪戯 マリオ・バルガス・リョサ

シラノ・ド・ベルジュラック ロスタン

ムッシュー・テスト ポール・ヴァレリー

わたしを離さないで カズオ・イシグロ

わたしの物語 セサル・アイラ

もしもし ニコルソン・ベイカー

やし酒飲み エイモス・チュツオーラ

黄色い雨 フリオ・リャマサーレス

JR ウィリアム・ギャディス

リンカーンとさまよえる霊魂たち ジョージ・ソーンダーズ

最初の悪い男 ミランダ・ジュライ

クローディアの秘密 E.L.カニグズバーグ

めくるめく世界 レイナルド・アレナス

昨日 アゴタ・クリストフ

エドウィン・マルハウス スティーブン・ミルハウザー

うたかたの日々 ボリス・ヴィアン

襲撃 レイナルド・アレナス

飛ぶ教室 エーリヒ・ケストナー

はるかな星 ロベルト・ボラーニョ

百年の孤独 ガルシア=マルケス

V. トマス・ピンチョン

オン・ザ・ロード ジャック・ケルアック

肉体の悪魔 レーモン・ラディゲ

インド夜想曲 アントニオ・タブッキ

灯台へ ヴァージニア・ウルフ

ゴドーを待ちながら サミュエル・ベケット

トニオ・クレーゲル トーマス・マン

さらば、シェヘラザード ドナルド・ウェストレイク

固定観念 ポール・ヴァレリー

重力の虹 トマス・ピンチョン

ある島の可能性 ミシェル・ウェルベック

ピンポン パク・ミンギュ

モレルの発明 カサーレス

西瓜糖の日々 リチャード・ブローティガン

不在の騎士 イタロ・カルヴィーノ

月と六ペンス サマセット・モーム

青い麦 コレット

悲しみよ、こんにちは フランソワーズ・サガン

嵐が丘 エミリー・ブロンテ

競売ナンバー49の叫び トマス・ピンチョン

素粒子 ミシェル・ウェルベック

存在の耐えられない軽さ ミラン・クンデラ

フラニーとゾーイー サリンジャー

異邦人 アルベール・カミュ

ペドロ・パラモ フアン・ルルフォ

あまりにも騒がしい孤独 ボフミル・フラバル

予告された殺人の記録 ガルシア=マルケス

空の青み ジョルジュ・バタイユ

アメリカの鱒釣り リチャード・ブローティガン

夜間飛行 サン・テグジュペリ



 

小中学校時代のラインナップはガバガバで、忘れている作品がたくさんあると思われる。

 

なお、noteのほうで「作家ベスト100」も行ったので、興味のある方はどうぞ

note.com

 

 

「黄金の少年、エメラルドの少女」イーユン・リー

 

黄金の少年、エメラルドの少女 (河出文庫)

黄金の少年、エメラルドの少女 (河出文庫)

 

 本書の最後を飾っている表題作「黄金の少年、エメラルドの少女」を読んだ。

20ページ強の短編

 

彼は母親だけの手で育てられた。同じように、彼女は父親だけの手で育てられた。二人にデートをさせた彼の母親は、このことを彼に話したのだろうか、と彼女は考えた。 p.269


冒頭から文章が強い。

 

「彼」と「彼女」の間を視点の重心がスムーズに行ったり来たりする三人称の語りが凄い。
さっきまで彼女について語っていたと思ったらいつの間にか彼を主語にとっていて、その変遷がシステマチックになり過ぎず、物語のなかで自然な形で行われている。
これら人称代名詞で呼ばれるジェンダーの対称性と非対称性、可換性や倒錯性が露骨ではなく浮き上がってくる。

 

その相手が五十代か六十代のこともあった。初めてこういう候補者を口を酸っぱくして勧められたとき、父親との結婚を求められているような妙な感じがした。後になって初めて、自分がもう若い女ではないことに気づいた。 p.272

中年女性を書かせたら右に出る者はいない作家ことイーユン・リー

 

女と子供が見えなくなると、思余(シーユー)は十二歳で自転車通学を始めたら、父親が毎朝校門まで走ってついてきた話をした。走る父親に同伴される生徒は他にいなかったので恥ずかしかったが、やめてとは言えなかった。
「実に愛情深いお父さんだね」寒楓(ハンフォン)は言った。
思余はうなずいた。カウンターの向こうの扉が開いて、また閉まり、揺らめくろうそくの灯りが一瞬消えそうになった。登校中、父親がうるさいほどあえいで人目を引かないように、下り坂でブレーキをぎゅっと握らなくてはならなかった。 p.285

 

昔ながらの近所の人々や親しい人々の目には、恩知らずの冷たい娘と映っただろう。でも、自分だけが知る無茶なスピードで人生を走り抜けているときに、父親の目の届くところにいることなどできはしない。すべては説明がつかず、初めから求める権利もない愛のせいだ。 p.286


こんなん泣くわ。
題から異性間カップルの話かと思ったら、親子関係や師-教え子の関係の話だった。
「人生」とか「愛」とか、大それたことを真正面から扱う。卓越したストーリーテリングによる、一流の文学だ。

 

もしも人々が彼女の秘密を知ったら、年配の女性をずっと愛してきたのは、母親の姿を求めているからだとすぐに決めつけるだろう。しかし思余は、母親がいたとしても何ら変わりはなかったと考えていた。 p.286


シーユーと、ハンフォンの母親の風変わりな師弟?関係は、見方によってはこれも特殊な百合といえるかもしれない。年齢が離れた女同士の独特の関係。


読了
これもまた、孤独な者たちが寄り集まった歪な家族モノであった。
最後の文はなんだか変に前向きというかヒューマニスティックだと感じたが、訳者あとがきの解説によれば、本作はウィリアム・トレヴァーの短編「三人」を下敷きにしており、

物語を似た雰囲気にしたんですが、終わりのほうまで書いたら「三人」という物語の陰鬱さや宿命観に打ちのめされてしまって、最後の一行を書くときは、同じ語り口にしながらも多少優しさを加えたのを覚えています。 p.298

とリー本人がインタビューで語ったらしい。聞く限り「三人」のプロットの男女を反転させたのが本作っぽいので、トレヴァーと読み比べたい。しかし未訳らしい。

 

ハンフォンの幼少期に母親と旧知の仲だという女性が訪ねてきた意味深な挿話があったが、その人がハンフォンの真の母親で、戴教授と血は繋がっておらず孤児(養子)だったということ?ほのめかすに留まっているが、養子設定が大好きだし……

 

「優しさ」ほどではないが、たった20ページでこれだけ「誰かの元に生まれること」「誰かと共に生きること」の残酷さと切なさと温かみを描いたのは傑作という他ないだろう。

 

本書はあと5つの未読短編が残っているが、読むかは分からない。

イーユン・リーの第一短編集『千年の祈り』も気になるが、「優しさ」を越える作品は無さそうなのでどうしようかな。長篇も気になる。

 

イーユン・リーを読んで感じたのは、言語越境作家・移民文学が好みなのではないかということ。

大好きなミラン・クンデラアゴタ・クリストフなどの亡命作家もそうだし。

自分が海外翻訳文学を好むのは、国内小説では感じられない"遠い"世界観に惹かれるのが大きく、移民文学や言語越境文学(の日本語訳)は、より言語・世界越境の段階を重ねている分、もっと好きになり易いのかも。

ジュンパ・ラヒリ(インド系アメリカ人)やダイ・シージエ(中国系フランス人)、ジュノ・ディアス(ドミニカ系アメリカ人)辺りを読んで検証してみたい。

あ、ナボコフも言語越境作家か。

 

 

【続き】

 

hiddenstairs.hatenablog.com

 

 

【この短篇集のほかの作品の記事】

 

hiddenstairs.hatenablog.com

 

hiddenstairs.hatenablog.com

 

 

黄金の少年、エメラルドの少女 (河出文庫)

黄金の少年、エメラルドの少女 (河出文庫)

 

 

千年の祈り (新潮クレスト・ブックス)

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独りでいるより優しくて

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  • 作者:イーユン リー
  • 発売日: 2015/07/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)

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「雲南省スー族におけるVR技術の使用例」柴田勝家

 

 

 
サークルの課題図書なので読んだ。20ページほどの短編
(上記Kindleではなく初出のSFマガジンで読んだ)
柴田勝家さんの著作を読むのは初
 
特段にこき下ろす点もないが、ほとんど加点する箇所もない、無味乾燥の習作といった感じだった。
劣化ボルヘスか劣化円城塔か。
要は「マトリックス」や水槽脳や、作中で言及されるメアリーの部屋やオリバー・サックス「色のない島へ」の問題設定の焼き直しであり、それらの先行例から特に進歩した興味深い内容は無かった。VR Chat利用者の実態を調べていったほうがよほどセンスオブワンダーを感じられそう。
「現実を相対化する」という、フィクションや思想史において何度も何度も扱われ掘り下げられてきたテーマに対して、本作が提示できた革新性は皆無といってよい。
 
詰まるところ、本作の新規性は「中国の山岳地帯に暮らす少数民族」と「VRヘッドセット」という遠そうな二者をくっつけたら面白いのではないか、という素朴な発想オンリーであり、確かにその発想はまぁまぁ面白いが、タイトルを読んで感じる表層的な興味深さと、実際に読んでの興味深さがほとんど変わらない。最初のワンアイデア以上の代物ではなかった。
 
語りや文体も、論文調を標榜する割には全然アカデミックではなく、そこらへんの学生がブログに書いてそうなレベルの文章だった。論文形式を採るんならもっとガチで難渋に難解に堅牢に書いてもよかったのでは。
 
唯一面白かったのは、死者を埋葬する際に数十年装着し続けたヘッドセットを取り外すときの描写である。
ヘッドセットに絡んだ髪や同化する皮膚、垢などを慎重に除去する描写には、ヘッドセットとともに有った人の生の質感がわずかに表現されていた。
この辺りをもっと丁寧に掘り下げてほしかった。
 
ワンアイデアとしてはそこそこ面白いので、これをワンアイデアの短編で終わらせず、部外者による報告調の論文形式でもなく、スー族の集落である程度の時間を過ごした者を主人公とした物語として読んでみたい。
もちろん、スー族自身による語りではなくアメリカの研究者による報告調にした必然性(スー族が生きるVRの世界が読者には判然としない点に現実の相対化というテーマが導かれる)はわかっているが、それが大して面白くなかったので別の方向性で読みたい。
 
論文と小説(物語)の差異みたいなものについては、今度のSFマガジン異常論文特集号とかを読むとより理解が進むかもしれない。
 
あと、本作では柴田勝家さんの真の筆力が発揮されていないであろうことは感じられるので、機会があれば長篇にあたりたい。(行けたら行く構文)
 

 

SFマガジン 2016年 12 月号 [雑誌]

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2010年代SF傑作選2 (ハヤカワ文庫JA)

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ヒト夜の永い夢 (ハヤカワ文庫JA)

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「回転する動物の静止点」千葉集

 

 

proxia.hateblo.jp

 

千葉集さんのブログ「名馬であれば馬のうち」は前から読者登録して読んでいたのだが、先日投稿されたこちら↑の記事が特にめちゃ良くて、そういえばこの人SF短編の賞とってるらしいなー読んでみよっかな〜〜 という明瞭な動線で、その短編が入っているKindleのアンソロジー『あたらしいサハリンの静止点』を購入した。

 

 

 

 

本書に収録される千葉集作品は、SF短編賞をとった「回転する動物の静止点」と、書き下ろしの「電話鳥(i, PhoneX)」の2つである。

 

「回転する物体の静止点」を読んだ。

 

《高野》の革命。それは「身の丈以上の動物も回せる」と示したことにある。シロクマを回せるのであれば、クジラだってなんだって回せる。十分な角運動量さえ与えれば、この銀河だって回るかもしれない。回りつづけることで死人さえ甦るようになるかもしれない。あの日の〈アリ地獄〉で回っていたのは純白の可能性だった。

ベイブレード文学だ。

 回すコマ(動物)がどんどんデカくなって、「回転」という概念を軸にして一気にシロクマ→クジラ→銀河と発想が飛躍するのが、いかにもSFって感じ。抽象化して概念を取り出しさえすれば、あとはそれに想像力を振りかけるだけで物語ができる。

草野原々さんが生放送で「SFの定義はデカい物事を扱うこと」と言っていたが、なるほどSFの本質は"過剰"なのかもしれない。コルタサルの「南部高速道路」とかもそういう観点ではド王道のSF的発想だよなぁ。

 

ハムスターは七投目の終わりに死んだ。
《シモン・マグス》は死体を回収せずに去り、代わりに《回転する物体の静止点》が校庭の隅に埋めて弔った。

止まった動物はどうやって〈アリ地獄〉から回収してるんだ?

 

「良い質問ですね、サナハラさん。もちろんふたりは親友ですよ。あそこに描かれた動物は動物そのものではなく、擬人化された存在です。昔からフィクションではそうやって、窮乏した動物に人間の精神を託すことで、逆説的に人間の特質を強調してきた」

やっぱりウマ娘じゃねーか!

ブログでもそうだったが、千葉さんは「フィクションにおける動物」というオブセッションを抱えているんだなぁ。作家としてキャラ立ちしててとても良いと思う。

 

「完璧に閉じているべきなんだ。キツネはキツネで、イヌはイヌで……擬人化だとかは、だめだ。いやだ」

 

わたしたちは腰掛けたベッドのはしから立ちあがることができない。

一人称複数「わたしたち」だ。『最愛の子ども』やミルハウザー形式で、動物回しをするクラスメイトという共同体そのものが個人を特定せずに語る……かと思いきや、読んでくうちにそうでもないっぽいと気付く。

これ、本当は普通の一人称単数「わたし」であるところを、なぜか機械的に「わたしたち」にすり替えている感じだな。明らかにベッドに腰掛けているの1人では。

→むしろクリストフ『悪童日記』に近かったと後にわかった。

 

あれ、欲しいな、とゆびの持ち主であるひいちゃんはいった。かつて舞踏における跳躍と回転は教会から禁止されたがゆえに神に近づく手段として広まるようになった、と彼女は語り、だったら跳んで回るあいつはまるで回転する世界の静止点じゃない?

発話の括弧をわざと閉じないこの感じ、いかにも狙ってるな〜〜〜

 

母の時代のコマは、ひとつずつ、わたしたちになっていくものだったらしい。わたしたちのコマは、ひとつずつ、わたしたちでなくなっていく。

 

オオサンショウウオもだいぶ大型のコマだったが、《時間割の天使》が繰り出した全長二メートル三十センチのミズオオトカゲには敵わなかった。この大食らいのトカゲは、彼の両親が離婚にいたった原因でもある。母親の水槽から盗み出したトカゲを回すのが、昏い怒りを発散する彼なりの方法だった。

2文目からホラ吹きのギアが加速して突き抜ける感じすき。これっきりのプチエピソードでいかにふざけ倒すかが勝負みたいなとこある。

 

 

出席番号十番《豹の歯の》はもうわたしたちではない。だが、シロクマ革命後のわたしたちの路線を決定づけたのは、間違いなく彼女だ。
彼女は移動遊園地で産まれた。移動遊園地は三匹の豹を所有していて、《豹の歯の》はそのうちの一頭である首まわりに斑のかかった黒豹のメスと、メリーゴーラウンドのもぎり係との子だという。誰がいったか。彼女自身だ。

メリーゴーラウンドのもぎり係って何???

 

 

記述が一日目のおわりまでたどりつくと、彼は日記を書く行為そのものを日記内に取りこむべきで悩み、結局悩んだ過程を含めて挿入することを決める。

突然円城塔じみてきた。

 

説得や懇願や譴怒といった両親の駆け引きはみな《ミスター・アルトロバラヌス》の耳から指先へと排出され、文字となって日記に喰われた。そのうち糞尿も椅子に座ったまま垂れながしだす。ズボンのすそからしたたる色と匂いもまた観察の対象として追加される。

いいね。『めくるめく世界』の鎖鉄球牢みがある。

 

 

本作のモチーフは大雑把に言えば「回転」と「内外(自他)の境界」という2つだと思う。
言うまでもなく前者は〈動物回し〉という愉快で奇怪なゲームに関わる。
後者は「わたしたち」という一人称複数の語りや、〈動物回し〉の敗者が「出席番号〇〇番《〜〜》はもうわたしたちではない」という執拗に反復されるキーフレーズに関わっている。

人間の心は複数の円環(サイクル)からできている、と彼女は主張する。個別の機能を割り当てられた円環を回すことで、人間は人間として動作する。

両者はこの「円環」という謎概念で1つに収束しているのだが、こんな無理やり収束させなくても、2本の柱で良かったのでは。

 

彼の目はフラミンゴを捉えていたが、フラミンゴは視線を返さない。動物園の動物とヒトとの関係で孤独なのはいつもヒトのほうだ。

なるほど? 

 

「滑るのは好きだった」《回転する世界の静止点》はいう。「ただひたすらに純粋な回転が欲しかった。だがヒトは動くものに意味を見出す。おれが見出してしまうんだ。跳ぶたびに、回るたびに。渦巻けば銀河だし、回転は地球の自転、螺旋運動は生命の律動だ。そういう類のくだらないメタファー、詩、俗な図像学。そういうクソをごてごてとおれにぬりたくりやがる。それで褒めたつもりになってやがる。不快だったよ。おれはただ回りたかっただけなのに。回転そのものでありたかったのに。あいつらがおれを人間にする。…」

さっき「SFの本質は"過剰"」とか何とか書いたが、こうしたSF的な意味付け/発想を露骨に否定する主張がここにきて作品内でされた。手のひらの上か?
もう少し露骨度を抑えてほしかった点以外は、こういうアンチテーゼとっても好み。

 


最初、〈動物回し〉なんてフザケたゲームを大真面目にやっていて、こういう奇想SFが好きだなぁ〜いいぞもっとやれ!と呑気に思っていた。しかし最終的には、姉弟/クラスメイトの喪失に対する遺された者の鎮魂と再生というかなりシリアスなテーマが、ミステリーチックに種明かしされてビビった。たしかにこういう小説、賞とりそうだな〜という感じの小説だった。

こういう、最近の上手いSFの書き手ってどうしてもエモに走ってしまう気がする。他に……伴名練とか? 別にそれが悪いというわけではないが、地に足が着いた優等生って感じの読後感で少し残念ではある。


まぁしかし、流石に面白いには面白かった。
文体とかほとんどブログと変わらない。ブログ記事がほぼSFの短編だもんアレ。
これからもフィクションと動物を愛でるその姿勢のまま突き進んでほしい。

 

 

proxia.hateblo.jp

 

 

傑作短編「南部高速道路」は大トリ

 

悪童日記

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めくるめく世界 (文学の冒険シリーズ)

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なめらかな世界と、その敵

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ベイブレードバースト B-33 ベイスタジアム スタンダードタイプ ブラック
 

 〈アリ地獄〉

 

ベイブレード BB-35 ブースター フレイムサジタリオ C145S

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  • 発売日: 2009/04/25
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僕の青春の一コマ