『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』桜庭一樹

 

 

 

 

kageboushi99m2.hatenablog.com

 


早速、soudaiさんの長篇ベスト100に入っていて未読だった桜庭一樹砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を手にとった。その前から、ちょくちょくいろんな読書オタクの皆さまから本書の評判は聞いていたのでいつか読みたいと思っていた。神戸三宮の古本屋に感謝

 

 

 

ー読み始めー

 

 

これはラノベ……ではないのか。児童文学でもないし……ライト文芸?こういう系ぜんぜん読んだことなくてよく分からん。
小中学生向けの小説よな。

 

ミステリーなんていつぶりだ……?下手するとはやみねかおるやホームズを読んでいた小学時代以来だぞ
(あ、ホームズシリーズを長篇ベスト100に入れるの忘れてた)

 


実弾ー砂糖菓子の弾丸
は、よくある二項対立(右翼ー左翼, 田舎ー都会, 労働ー芸術etc.)のキャッチーな言い換え、亜種とみなしてそれほど間違いではないだろう。
この問題系それ自体はありふれているが、本作のポイントはそれに「砂糖菓子の弾丸」なんてファンシーでポップなラベリングをしたこと。それから、この問題系にぶち当たる主人公が幼い(女子)中学生であることだ。
そもそもまだ中学生なのに「わたしは実弾しか撃ちたくない」と意識せざるをえないなぎさの状況はかなり悲惨で、それを物語の開始時点では悲惨とも思っていない〈わたし〉が語ることに意味がある。

 

兄は現代の貴族なのだと思う。
働かず、生活のことを追わず、ただただ興味のあるものだけを読んで、考えて、話して、暮らす。現に兄は中学に行かなくなって高校も受験しなくて、家から一歩も出なくなって三年が経ったいま、昔よりずっときれいで、夢みたいな容姿をしている。あたしも母も、かつての兄とは別の存在──美しい生き物を当局に秘密で飼っているような感じがする。 p.30

なぎさの兄、友彦はデデデデのおんたんのお兄ちゃんを連想した。
高スペックでイケメンだったのに突然引きこもって社会不適合者になるキャラクターの系譜
どちらも妹を持つ。

 

 

バスに乗ってきた道を帰りはゆっくり歩いた。三人とも黙り込んでいた。時折、ダンプが揺れながらあたしたちを追い越していった。道に落ちた、藁を混ぜた牛糞がダンプにつぶされて、アスファルトの上に薄くのびていく。夏の日射しが眩しかった。 p.66

海と山の合間にあるうらぶれた田舎町の夏の雰囲気がとても良い。エモい。

 

しばらくすると視界がぱっと開けた。樹木の密集が薄まって、古ぼけた木のベンチが一つだけかたむいて置かれている場所に出た。遥か下の町並みと、遠く遠くまで広がるくすんだ日本海。(中略)
小さな小さな世界だった。まるで古い箱庭。
あたしは胸が締めつけられるような、不思議な気持ちになった。都会からやってきたきれいでおしゃれでミュール履いてる芸能人の娘の海野藻屑に、この風景を見られたことがなんだか恥ずかしくて、やたら腹が立った。 p.85

 

あたしは親にも兄にも友達にも口にしなかったけれどじつは自分の境遇にたいそう不満を持っていたので、どうやらいつのまにかその不満というか不幸があたし自身の個性というか自己イメージになってしまっていたようだった。自分は不幸だ、かわいそうだ、と思うことがあたしを支えていて、それが将来の見通しまで全部に関わっていた。 p.109

こういう自己分析シーンは一般に好みなんだけど、これに関しては、このような正確な自己分析をこのタイミングでこの子にさせてしまっている状況がなんだかやるせない。

 


田舎の閉塞感、思春期、暴力性、悲劇……これらにデジャヴを感じると思ったらあれだ、映画『リリィ・シュシュのすべて』だ。
こういうの好みなんだよなぁ……

 

 

あたしたちは十三歳で、あたしたちは未成年で、あたしたちは義務教育を受けてる中学生。あたしたちにはまだ、自分で運命を切り開く力はなかった。親の庇護の元で育たなければならないし、子供は親を選べないのだ。あたしはこの親の元でみんなより一足も二足も早く大人になったふりをして家事をして兄の保護者になって心の中でだけもうダメだよ、と弱音を吐いてる。藻屑も行けるものならばどこかに行くのかもしれない。大人になって自由になったら。だけど十三歳ではどこにも行けない。 p.136


子供向けの小説と言ったが、そういうことではなかった。
社会的に弱い立場である「子供」がテーマの小説であり、中学生の主人公で一人称で語ることに必然性がある。
そういう正しい意味での青春小説ではあるのかもしれないが、読者層は決して子供に限られてはいない。

 

 

読み終えた。傑作だった。


完成度の高い悲劇であるという解説も説得的。作中外の読者しか知らない〈運命〉に作中人物が翻弄され、それによって我々の予想を越えた凄みが立ち上がってくる。その通りだった。
終盤の展開がかなりスピーディで、あっという間に終わってしまった。彼女の死と、その後のなぎさや兄の姿をわれわれ読者が噛みしめる暇なく幕切れて、この取り残されたような読後感まで含めて秀逸な構成だと感じた。


うら若き少女が残酷に殺されることのセンセーショナルさを安直に利用したポルノではなく、その悲劇性を文学的な悲劇にまで高めることに成功している。
花名島を藻屑が殴るシーンとかも非常に鮮烈だった。ここに関しても、やはりポルノに陥ることを注意深く避けているというか、そうした下品さはまったく無い。
これらを可能にしているのは、おそらくなぎさの語りによるところが大きいと思う。


なぎさは中2でありながら〈実弾〉を撃つことに固執せざるを得ないほど悲惨な境遇に身を置いており、そうした子供らしからぬ子供が、藻屑というフィクショナルな現実と相対し、その世界観や自意識を確実に改革していく様が一人称で表現される。本作で起こる暴力も悲劇も、こうしたなぎさの語りに基づいて読者の前に提示され、われわれは、悲劇を読むと同時に、吐きながら目を覆いながらそれらと向き合う1人の少女の生の叫びを読む。その過程でセンセーショナルなポルノの安直さは剥ぎ取られ、われわれの元に辿り着くときには、そうでしかありえなかった厳然たる事実としての物語だけが残される。なぎさが引き返して下山せずに目に焼き付けたように、わたしもこの物語を目に焼き付けなければならない。

 

 

 

リリイ・シュシュのすべて

リリイ・シュシュのすべて

  • 発売日: 2014/06/20
  • メディア: Prime Video