『最高の任務』乗代雄介

『群像』2019年12月号にて。

『生き方の問題』以来、この作家を読むのは2作目。芥川賞候補になったと聞いて読んだ。
親しかった叔母(ゆき江ちゃん)を3年前に亡くした景子は、大学の卒業式のあと、列席した家族に電車で群馬へ連れられる。どうやら「小学5年生以来の」あることをするためらしいが、景子は何のことだかピンときていない。
過去の日記や叔母との思い出を車窓から見える風景に漂わせながら大間々の寺に着いた彼女は、5年生の時に両親がこの寺で貰っていた「ねじ木」を返すために来たことを知る。しかも弟が取り出した2本目のねじ木は、叔母と2人で閑居山へ行った時に景子が拾ってすぐに捨てたはずのものだった。景子は叔母に期待と親愛の目をずっと向けられていたことに気付き涙を流す。
という体験をしばらく経った後の景子が書き綴る形式の小説。

 

乗代は<書くこと>に極めて自覚的・批評的な眼差しを向ける作家だ。
『生き方の問題』は、書簡体小説として<書かれている今>と<書いている今>、そして<読んでいる今>がテクストから三位一体となって湧き上がる小説だった。
本作ではそれがさらに重層化し、回想の回想の回想の回想……といったややこしい入れ子構造になっている。

 

のだが、本作は微妙だと思った。
ひとつは、以上のような「書くこと」へのテーマ性がしばしば前に出て、説明的過ぎる点。
それから、本作は軽いミステリ・謎解き要素と、叔母や家族との絆といった感動的要素が盛り込まれて、比較的キレイにまとまっているが、それが逆に作品をこじんまりとさせている点。(これは私の「綺麗にまとまりすぎている小説は好きじゃない」という好みの話かもしれない)
あと、「書かれた」文章であるという設定は分かるにしても、文体がちょっと変。倒置法や頭でっかちで違和感のある文が多々見られた。それが意味や魅力を持っていればいいが、そうは思えなかった。

以下引用など

"それを察して黙った弟は、確かに休日の退屈な昼下がりになんとなくお腹が減って、私は食べるけどあんたはと水を向けてもいらないとか気のない返事をすることが多かったりして、そういえば冷凍炒飯すら食べているのを見たことがなかった。"
少し読みにくい文の例。
"母はレースハンカチで画面を執拗に拭いている。そこにまだ私が写っているのかは西に傾き始めた陽光の反射でわからなかったけれど、きっとそうだと思う娘の傲慢は、こんなのどかなところではどうしようもない。"
 
ここが本作でいちばん好きな箇所。こんなのどかなところではどうしようもない。

"自分を書くことで自分に書かれる、自分が誰かもわからない者だけが、筆のすべりに露出した何かに目をとめ、自分を突き動かしている切実なものに気づくのだ。そこで私は間髪入れず、「あんた、誰?」と問いかけなければならない。"
 
「ここ大事なとこですよ〜」感がハンパない。こういうのって物語を通して暗に伝えるのが小説ではないの?「あんた、誰?」の伏線回収的な使い方は結構良いと思うけど。


「テクスト」 という言葉が好きで自らも小説を書くような人がこういった作品を絶賛するかもしれない。
芥川賞は……どうなんだろう。ただ、個人的には改善の余地というか、より面白くなる可能性を大いに秘めた小説だと思った。 


最高の任務
乗代 雄介
2020-01-11