『土台穴』アンドレイ・プラトーノフ

 

 

アンドレイ・プラトーノフ『土台穴』(1930年執筆)

 

2024/1/9〜19(計10日間)

 

 

1/9(火)  p.3~23

自然の擬人化が多め? 抑制的だがやや独特な文体。生きることの哀しみ、憂鬱さ。『あまりにも騒がしい孤独』を少し思い出す。

陽が西にとっぷりと傾くまで、ヴォーシェフは黙々と町を歩きまわった。それはまるで世界が広く知られる時を待ち望んでいるかのようだった。しかし彼には、この地上のことがあいかわらずぼんやりしていて、何もないのに、何かがはじまるのを何も妨げない静かな場所が体の闇にあるのを感じていた。 本人不在のままで暮らす者のように、ヴォーシェフは人々のそばを散策し、 嘆き悲しむ頭が力を増していくのを感じつつ、ますます自分の窮屈な悲しみへ引き籠っていった。 p.15

こういう文章が頻繁にある。「世界」「体の闇」よく出てくる

主人公ヴォ―シェフはASD傾向っぽい。というか三人称の語りそのものが。「世界」とか、やけに抽象的に風景事物を捉えている。

もう「土台穴」出てきた。主人公たちの労働現場か

>空き地に技師が一人立っていた。年老いてはいなかったが、その白髪には自然の年輪が刻まれていた。彼は世界全体を死体のように想像していた。彼は世界を、自分がすでに建物に変えた部分によって判断していた。世界はいたるところ自然の惰性という意識にのみ閉じられた彼の注意深い空想的な知恵に屈していた。物質はつねに正確さと忍耐力に屈していた。よって、物質は死んでおり、虚ろなのだ。しかし、人間は生きていて、もろもろの倍しい物質のなかにあって価値があった。だから技師はいま、職人たちの組合(アルテリ)に丁重に微笑みかけていた。 技師の両頬が、十分な栄養のせいではなく、心臓の余分の鼓動からピンク色に染まっているのにヴォーシェフは気づいて、この男の心臓がいきいきと脈うっていることが気にいった。 pp.20-21

「土の下にはなぜか傲慢さがあったんだが、ここは粘土が出はじめた。 じきに石灰石が出るぞ!……わけないことさ。起こるべきことが起こったんだ。鉄なんぞで土を掘るなよ。 そんなことしたら、バカ女みたいに土が寝ちまう。やれやれ!」 p.22
どゆこと?

 

粘土の素っ気なさと、アルテリの擁する人手が足りないという意識から、チークリンは古い土壌を急いでつき崩していき、おのれの体の全生命を、死んだ地面に打ちつけることに向けていった。彼の心臓はいつも通りに脈うち、がまん強い背中は汗で憔悴し、皮膚の下には余分の脂肪がまったくなかった。彼の古びた血管と内臓は皮膚の表面に身を寄せあい、計算や意識はないながら彼は的確に周りのものを感じていた。かつては彼も若い頃、娘たちに愛されていた。おのれを惜しまず、すべての人々に捧げられた力強い体、どこへでもゆったり歩いていく体に対する貪欲さからだった。その頃、いろんな女たちがチークリンを必要とし、彼の誠実なぬくもりに保護と安息を求めた。しかし彼は、自分にも何かが感じられるようにあまりに多くの女たちを保護しようとしたため、嫉妬した女たちや仲間たちから見放された。そして、チークリンは寂しくなると、夜ごとバザールの広場に出向いていっては屋台を倒したり、どこかへ持ち去ったりし、それがためにやがて牢獄で苦しむはめとなり、桜の咲く夏の夜に彼はそこから歌を歌うのだった。 pp.22-23

「かつては彼も若い頃……」からの、ヌルっと簡潔にサブキャラの個人史を描写する手つきがうまい。そして最後の一文で飛躍する。

いつのまにか人名がたくさん出てきててもう分からなくなった。

 

1/10(水) p.24〜37

上部構造とは、精神活動、文化みたいなものか

すでに黄昏が迫り、遠くで紺青の夜が立ち上がり、眠りと涼しい息吹を約束していた。まるで悲しみのように、大地の上に死んだ高みが漂っていた。 p.29

「大地の上に死んだ高みが漂っていた」??

 

プルシェフスキー技師はすでに二五歳の時から自分の意識が圧迫され、生命のさらなる理解に終止符が打たれているのを感じた。暗い壁が、感じとろうとする彼の知恵の前に執拗に立ちはだかっているかのようだった。それ以来、彼はその壁のそばで悶々とし、つまるところ、世界と人々が一つに結合した物質のもっとも中心の、真のなりたちを体得した、として心を落ち着かせた。欠くべからざる全ての科学は意識の壁の前でいまも足踏みしているが、壁の向こう側には、ことさらめざさなくてもよい退屈な場所があるだけなのだ。しかしそれでも、だれか、その壁をよじ登り、出ていったものがいたか、ということには興味があった。 p.32

この後、プルシェフスキー技師が自殺を決心した


1/11(木) p.38〜71

ふたりの男がそれぞれ工場主の娘とすれ違ったエピソードを引きずっている。
ヴァーシェフが主人公というより、土台穴の工事関係者たちの群像劇か。
男しかほぼ出てこない、めっちゃホモソーシャルっぽい空間。

引退して年金生活に入ることができるのか→コズローフ。怪我や病気などの事情がないと駄目?

 

ジャーチェフは台車ですでにすぐそばまで来ていた。やがて台車を後ろに引くと、勢いをつけて突進をはじめ、コズローフの腹めがけ全速力でもの言わぬ頭を突っ込ませた。コズローフは恐怖のあまりひっくり返り、最大限の社会的利益という願いをしばし失った。チークリンはかがみこむと、台車もろともジャーチェフを持ちあげ、勢いよく空中に放り出した。ジャーチェフは運動のバランスをとると、飛行線から辛うじて言い分を伝えることができた。「なぜだ、ニキータ! おれはやつに、第一等の年金をもらってほしかったんだ!」そして彼は落下の力を借り、体と地面の間で台車をばらばらに砕いた。 p.66

いきなりバトルアクションパート始まって草

「片輪者」ジャーチェフいいな。足は不自由だけど台車を使えるというキャラ立ち
こんだけガッツリ社会主義体制批判みたいなことしてるのに弾圧されないのは、周りのこいつらも結局は体制に抑圧される労働者階級だからなのか→いやジャーチェフは資本主義・ブルジョワ階級ガチアンチで社会主義にはむしろ賛成か。


1/12(金) p.72〜93

チークリンは、自分が大人になり、うかうか感情を浪費し、遠い土地を歩き回り、いろんな仕事をしてきたことが、悲しくもあり、神秘的でもあった。 p.73

😢😢😢

 

中庭を通りすぎるなり、チークリンは急にもとの場所に引き返し、死んだ女に通じるドアの前に砕けたレンガや、古い石の塊や、他の重いものを積み上げた。プルシェフスキーは手助けをせず、後からチークリンに尋ねた。
「なぜ、そんなことをしているんです?」
「なぜかって?」チークリンは驚いて尋ねた。「死人だって人間だからさ」
「でも彼女には何も必要じゃない」
「彼女にはね、でも、おれには必要なのさ。人間の何かが節約されるといいんだ。死んだ人間の悲しみや骨を見ると、なぜ自分がいきなければならないかってことを、おれはものすごく感じるのさ!」 p.88

チークリンが故郷のタイル工場跡地へ行って、例の女性の今際の際に立ち会った。ほんとか?
老婆かと思ったら32歳だった。
その娘の少女を土台穴の工事現場バラックへ連れてきて、みんなで歓迎した! なんかいきなりものすごくキャッチーで読み易く分かりやすくやって草

「君はどこのだれかな?」とサフローノフが尋ねた。「君のお母さんやお父さんは何の仕事をしていたの?」
「あたしはだれでもないわ」と少女は答えた。
「どうしてだれでもないんだね? ソビエト政権のもとで生まれたことで、女性であることのなんらかの原則が君の役に立ったろう?」
「でも、あたしは生まれてきたくなんてなかったの。あたし怖かったもの、生んだお母さんがブルジョワだったら、って」 p.89


社会主義用語がなんとなく分かってきた。前衛(社会主義体制下で模範的)⇆後進(社会主義的に宜しくない) ってことね。ブルジョワは資本家で敵。「意識」も用語っぽい


1/13(土) p.94〜121

 土木作業員たちは少女のそばに近づき、少しかがんで尋ねた。
「どうしたい?」
「さあてと」と少女は注意を向けずに言った。「あたし、ここにいてつまんなくなっちゃった。だって、あなたたち、あたしのこと好きじゃないんだもの。夜になって眠り込んだら、あなたたちのことを殺してやるわ」
 職人たちはたがいを誇らしげに見交わすと、この幼い生命の知恵とすばらしさが湧き出てくる温かい場所を感じとるために少女を抱き、胸もとでもみくちゃにしてしまいたいと思った。 p.102


時系列がとんでコズローフとサフローノフが出張先?で一緒に死んでいた! ちょうど物語の折り返しあたり。 過労死じゃなくて他殺なのか。コズローフ年金生活に入ったんじゃなかったのか……あとサフローノフはわりと偉い人じゃなかったか

 

「きれいになったな」。そこでチークリンは言った。「二人を殺したのはいったいどこのどいつだ?」
 「チークリン同志、われわれには分からんのです。われわれが生きてるのも、たまたまなんですから」
「たまたまだと!」とチークリンはそう言うなり、意識的に生きはじめるようにと、百姓の顔を一発なぐった。
 百姓は倒れかかったが、チークリンに自分がどこかの富裕民とみられるのを恐れて大きくのけぞらず、前よりもさらに彼の近くに立った。見るも無残な片輪者にしてもらい、その苦しみを助けに、貧農としての生活権を得たいと願っていたのだ。チークリンは、目の前にそうした人間を見て、機械的にその腹部をなぐりつけると、百姓はひっくりかえり、黄色い目を閉じた。
 おとなしく脇に立っていたエリセイがやがてチークリンに、百姓は死んだと告げた。 p.121

え、なんかチークリンが黄色い眼の百姓を殴って死んじゃった! ここにきて人死にが多発している。


1/15(月) p.122〜148
コルホーズ=集団農場

 プルシェフスキー同志はこう書いていた。
「ぼくは辛いので、だれか女の人を好きになり、結婚するんじゃないかと思います。というのも自分が社会的な意義をもっていないからです。土台穴は完成し、春には石を敷くことになります。ナースチャは活字体が書けることがわかりました。君にその紙を同封します」 p.133

 

1/16(火) p.148〜168

 チークリンはナースチャを抱いて鍛冶場に入ってきた。エリセイがひとり外に残った。鍛冶屋はふいごを振り回しながら炉のなかに空気を送り、熊がまるで人間のように鉄敷のうえの灼熱した帯状の鉄を槌で叩いていた。
 「早くしろ、ミーシュ、何てったっておれとおまえは突撃班なんだ!」と鍛冶屋は言った。
 しかし熊は、それでなくても仕事に熱が入りすぎ、利益をあげるのに夢中だったので、金属の火花で焦げたウールの臭いが漂っているのすら感じてはいなかった。
 「これで一丁上がり、と!」鍛冶屋はきっぱり言った。
 熊は叩くのをやめ、もち場を離れると、喉の渇きをうるおすために半ヴェドローほどの水をぐいと飲み干した。それから、プロレタリアートらしい疲れきった顔をぬぐうと、手に唾を吐き、ふたたび仕事にとりかかった。 p.166

槌工の熊ミハイル!?!?
幼女と熊……

 

1/17(水) p.169〜191

富農たちを筏で川流しにして、コルホーズは勝利のパーティーに酔いしれ踊り明かす。
歩けないのにジャーチェフの機動力がヤバい。こいつなんやねん
ヴァーシェフは貧農たちが使っていた品々を拾い集めてきて、ナースチャに渡す。

 喜びいさむ民衆の群れを長いこと眺めながら、チークリンは胸のなかに善の安らぎを感じていた。ポーチの上から彼は遠い清らかな月を、消えた光の悲しみを、全世界の穏やかな眠りを見つめていた。その世界は、あまりの困難と苦しみが支度に費やされたので、この先、生きていく恐怖を知らずにすむよう、それはすべての人々に忘れ去られた。
「ナースチャ、そんなに長く体を冷やしちゃだめだ。こっちに来なさい」とチークリンは呼んだ。
「ちっとも凍えてなんかないわ。だってみんな息がはずんでるもの」。やさしい声で怒鳴っているジャーチェフの手を逃れながら、ナースチャは答えた。
「手をこするんだ。でないと凍えちまう。空気はでっかくて、きみはちっこいんだから」
「もう手はこすったわ。だまって見てらっしゃいよ!」

 

1/18(木) p.192〜215

「あんたはおばかさんよ」と言って、ナースチャは小作人の遺品をかき回しながら説明した。「なぜってあんたは見ているだけだもの。仕事をしなきゃだめなの。そうでしょう。ヴォ―シェフおじさん?」
 ヴォ―シェフはその時すでに空になった袋を被ったまま横になり、体全体をある望ましからざる生命の彼方へむりやり引っ張っていく無意味な心臓の鼓動に耳を傾けていた。「分かりません」とヴォ―シェフはナースチャに答えた。「どんなに一生懸命働いたって、最後まで働ききって、すべてのことが分かったときには、もう、へとへとになって死んでしまうんですからね。ナースチャ、大きくならなくなっていいんです。どうせ悲しい思いをするだけなんですから!」 p.193

名言

 

 「同志! 文化革命のために私たちのところにきたのはあなたですよね?」
 プルシェフスキーは目から両手を下ろした。彼のかたわらを少女たちや少年たちが読書室の農家に歩いていくところだった。一人の娘が彼の前に立っていた。フェルトの靴をはき、信頼に満ちた頭にみすぼらしいプラトークを載せていた。その目は驚きに満ちた愛で技師のプルシェフスキーを見ていた。というのも、この人間に隠されている知識の力が彼女には分からなかったからだ。だから、もし彼が、全世界を知り、そこに参加するすべを教えてくれさえすれば、彼女は白髪まじりの見知らぬ彼を、献身的に、永遠に愛することに同意しただろう。彼の子を生むことに、毎日でも自分を苦しめることに同意しただろう。彼女にとっては、若さなど、自分の幸せなど無であった。かたわらを疾走していく熱い動きを彼女は感じ、空をはばたく普遍的な命の風に心が高ぶっていたが、その喜びを言葉にすることはできず、いま、彼女は、それらの言葉を、すべての世界を頭のなかで感じ、世界が輝く助けとなる能力を教えてほしいと頼んだのだった。少女にはまだ、その識者が、自分と一緒に出かけてくれるかどうか分からず、活動家とこれからもまた勉強する覚悟でぼんやりと彼を眺めていた。
 あなたとこれから出かけます」とプルシェフスキーは言った。
 娘は思いきり喜びの声をあげたかったが、プルシェフスキーが腹を立てないようにそうせずにいた。
 「行きましょう」とプルシェフスキーがきっぱりとした声で言った。
 道に迷うなど不可能だったが、少女は技師に道を示しながら、前へ歩き出した。彼女は感謝の思いを示したがったが、後から歩いてくる人のためのプレゼントは何も持ち合わせていなかったのだ。 pp.203-204

プルシェフスキーがなんか少女に出会ってトゥルーエンドみたいな感じでひとり勝手に物語を終えやがった。なにこれ?


ナースチャに酷いことを言う活動家にキレたチークリンがまた殴る。こいつも死んだ? ほんと、しれっとすごい暴力が起こる……筏での富農放逐もそうだけど、こういうのがまさに社会主義体制下の残虐さってことか。

 

1/19(金) p.216〜230

活動家にとどめを刺してからヴォ―シェフが、人が変わったように覚醒してコルホーズ員を仕切り出した。

 ヴォ―シェフは組織本部のドアを空間に向けて開け放った。するとこの仕切られた広がりへ生きていきたいという願いが分かった。そこでは、たんに冷たい空気のみならず、大地のすべてのぼんやりした存在を克服するというまことの喜びから心臓が鼓動できるのだ。 p.218

 

「チークリン、どうしてあたしはいつも知恵を感じていて、絶対にそれを忘れないのかしら?」とナースチャは驚いたように言った。
「わからないな。きっと君が何ひとつよいことに出会わなかったからだろうね」
「でもなぜ、町では夜も人が働いていて、眠らないの?」
「それはきみのことを心配しているからさ」
「でもあたし、体中が変よ……チークリン、ママの骨をもっと近くに寄せて。あたし、それを抱いて眠るの。あたしもう、さびしくてたまらないの!」 p.222

 

ヴォ―シェフは、開いたまま何も言わぬ口と、その無関心な、疲れはてた体を見ながら、ナースチャに軽く触れた。ヴォ―シェフは立ったまま、静かになった子どもをけげんな思いで見おろしていた。彼にはもはや分からなかった。何よりもまず子どもの感情に、確固たる印象のなかに共産主義がないのなら、はたしていま、それはこの世界のどこにあるのか。もしも、真理が喜びとなり、運動となるような幼くて正しい人間がいないのなら、なぜいま、生の意味が、全世界の起源の真理が自分に必要なのだろうか? p.227

 

おわり!!

ひとりのいたいけな子どもさえ死なせてしまうような革命などいらない。そんな社会主義など破滅するだけだ。最後の展開だけ追えばそういう、非常に分かりやすい話になる。けれどこの小説の価値はそういう表層にはないんだろう……うーむ、むずかしい……

 

訳者解説。20世紀ロシア文学の最高傑作に数えられる。本場のロシア人にも難解なようで安心した。僕だけじゃなかったんだ……

ソビエト時代の歴史とか、社会主義について知識が無さすぎるのと、そういう次元に留まらない読解力を要求する何重もの難解さがあり、しかし少女や熊などやけにキャッチーな要素もある、不思議な小説だった。あまりにも茫漠としていて、とにかく寒々しく静かなのに恐ろしくて、寓話的だけど理念的でもあり。

 

解説も難しくて草
二分化を強制してくる全体主義体制を両義性によって討つ。まあ文学批評でありがちな論か。
え、でも集団農業には断固反対だけど、必ずしも反-社会主義体制、反ユートピアではないんだ……完全にそうとしか読めなかったが。
少女ナースチャがいくらスターリニズムを強烈に内面化した苛烈な発言をしてもなお、自分は少女であるというだけで「無垢」な存在だと認識してしまっていたので反省しなければならない。。

 

積んでる『チェヴェングール』を読むモチベは正直かなり下がったな……だってむずいしノれないんだもん…… 『土台穴』だけが飛び抜けて難解らしいけど……