↑の続き
第1部第2章(p.90)まで読んだ。
自治区の大半の人間と人工妖精は、世界一の福祉に守られ、時間を持て余している。(中略)
憂いのない都市。安寧と平穏と平等と充実の詰まった二十八万区民だけの玉手箱。 p.71
お手本のようなユートピア。そういえば前章に「世界一の福祉」とやらのおかげで人種差別などのあらゆる差別は無くなった、みたいな描写があり、流石に楽天的過ぎるというか雑過ぎて有害なのではと思った。魔法のアイテムで一足飛びに差別が解消される描写は、差別の根深さを何も捉えておらず、それどころか実際にジェンダーマイノリティ的な差別意識を内包し隠蔽しているためにきわめて危険であるとさえ言える。
こうした「間違った」描写が、ユートピア=ディストピアの批判的検討の伏線である可能性もなくはないが……
それにしても、こうしたユートピア下では子供を持って子育てをする人の割合はどれくらいなんだろう。
時間を持て余しているから暇つぶしも兼ねて子育てする人が多いのか、それとも生活に満足して子供を欲しいとも思わない人が多いのか(精神的な去勢)
あと、子育ては女性型の人工妖精にある程度任せるのか、人間男性がちゃんとやるのか。女性区画側だとどうなるのかも気になる。というか、そもそも人工妖精は生殖能力が無いのだから、人工妖精と結婚して家庭を持つことと、受精センターで自分の子供を持つことは特に関係なく独立しているのか?人工妖精のパートナーがいないと子供は持てないのか?
独身だけど子供を持つ人っていないのだろうか。
こうした子育て周りの詳細が気になる。
『ご首尾はいかがです?』
「どうせご存知なんでしょう?」
『左様かもしれませんね?』
全能抗体(マクロファージ)は絶対に断定をしない。揚羽が確認しても決して肯定も否定もしないし、肝心な部分は言うつもりだったこと以外たずねても言わない。 p.72
新キャラ全能抗体、キャラ立ち過ぎてて草
数学ガールのノナちゃんを連想した。。o O
コールセンター的なアレかと思ったら揚羽からは唯一の友人とみなされていて「おっ百合か!?」と腰を上げそうになった。
ステイステイ……
人と人工妖精は、心身の仕組みが同じでも結局は人間から生まれるか、人間から造られるかで区別される。 p.79
「心身の仕組みが同じ」と断定しておきながら、区別意識も常識化していることに違和感を覚えるが、まぁこの島の住人にとってはそうなんだろう。
きっと儀式だ。これも、それも、あれも、全部。電気を溜めて空回りする歯車、人を思って人を殺めてしまう人工妖精、人工妖精と人間が相憎むことを恐れて殺して回る故障品の自分。
意味がないというならそれまでの、何もしない人々の、空回りする歯車と儀式。 p.81
ああ、男女を分担するクソデカ歯車を「空回り」というモチーフでも利用してくるのか。なるほど〜上手い
歯車というモチーフから喚起されるイメージは、「回転」「噛み合う/噛み合わない」「空回る」「社会の歯車=実存が無い」など。これらをユートピアという舞台のもとで上手〜く展開しているなぁ
一年で一生を終える花が、種を残し、次の年にまた咲いたとして、その二つが同じ花だと言えるかどうか、そんなことを全能抗体は言いたかったのだろうか。(中略)
「愛でる」のが、「愛する」ことであるなら、愛するモノが死んだ後に、よく似た別のモノを愛することは、「不貞」にあたるのだろうか。それとも、人間は横に並べて愛していいモノと、ただひとつだけを愛すべきモノとの間に何かしらの一線を引いているのか? p.82
すげぇ露骨にテーマを提示してくれている。
主人公が妻に先立たれたのといい、微細機械によるアイデンティティ概念の揺らぎといい、実に上手く様々なモチーフを絡めているなぁと感心する。
それが悲しいと人は言う。彼女たちの夢が、希望が、人生が人間たちに利用され、尊厳を踏みにじられているのだと人は言う。そして幼いままの彼女たちは、君たちは不幸だと教えようとする人間たちに言葉を返せるほど大人には、いつまでもなれない。 p.84
まんま『彼女の「正しい」名前とは何か』じゃん!と思ってしまった。併読している本に影響を受けやすい
西洋フェミニズムによる「第三世界」の女性たちへの抑圧。「あなた達は可哀想だから私たちが解放してあげるね」と言いながら植民地主義的に彼女らを支配し、その支配・搾取構造じたいを隠蔽しようとする。
自分たちに安易な同情を寄せてくる火当事者に対して声を挙げられない人工妖精の少女は、女性割礼を受けた女性であり、ホロコースト被害者であり、クッツェー『敵あるいはフォー』の舌を抜かれたフライデイである。
"性の自然回帰派" の描写はちょっと過剰にネガティブさを演出し過ぎているきらいもある。明らかな悪役ではなく、もっと常識人のほうが問題の根深さを表現できるように思えるのだが。でもまぁ、話の都合上仕方ないのだろう。
水気質は公共のプラットフォームを臨時決起集会場に変えた青年の傍らへ歩み寄って、取り囲む人々の邪魔にならないようにひっそりと咲いた。
青年の恋人か、伴侶なのだろうか。
モノレールのドアが閉じ、人間たちの熱狂と揚羽の世界を分け隔て、ゆっくりとずらしていく。 p.88
この辺の描写にやられた
「ひっそりと咲いた」という表現のハッとするほどの静けさ・慎ましさとその奥にある衝動。ドアによって分断され、引き離されていく2つの世界の隔絶感と、モノレール車内の何とも言えない静けさ。
男女が分断されているという設定から、「分断」「隔離」というモチーフを見事に応用している。
さらに、ここでは静的な分断ではなく、モノレールという移動機関を用いた動的なイメージを生成しており、それをすぐ後で鮮やかに昇華している。
やがて、隣の車両から覗き見る同級生の少年たちの顔を見つけ、顔を輝かせる。しかし、少年たちが悪戯を大人に見とがめられたように首を引っ込めると、女子児童は突然顔をくしゃりと歪め、揚羽の手を離して反対側の後方車両へ走っていってしまった。
どこへ逃げるというのだろう。時速六十キロで走るモノレールの中では、彼女が全力で駆けても前へ前へと引きずられるのに。 p.89
シーンの空間的なデザインがあまりにも完璧……
人間は優しい。
人間はいつも、自分たちがいつか、人造人間や言葉を話す動物や、あるいは言葉を話すことも出来ない生き物ともつかないモノたちを迫害し、尊厳を奪い取り、虐げてしまうことになるのではないかと恐れてきた。でも、そうはならなかった。
人間は人間が思っているよりずっと優しかった。愛おしいぐらい繊細で、泣きたくなるほど純粋で、抱きしめたくなるくらい儚い。
だから、殺したくなるぐらい冷たい。 pp.89-90
直球のリベラル思想へのアンチテーゼだなぁ。人造人間を取り上げることでこうした角度の応答ができるのか。
この島にはヴィーガンとかいないのだろうか。というか人工妖精って人間と同じように食事するんだっけ
ここで提示された人工妖精側の思想は検討に値するが、しかし、彼女らが「人間の手でそう思うように造られている」という事実をどう扱うべきかが難しい。
例えば、第三世界で女性割礼や父権制を素朴に擁護する女性に対して、先進国の人々が「あなた達は環境・文化によってそう思うように育てられてきた。でも真の人権主義的な立場からは、あなた達は間違っている」と言って介入しようとすることと似た問題があり、そして、まったく異なる問題であるとする向きもまた存在するだろう。(第三世界の女性は人造人間ではない)
これはむしろ、『トイ・ストーリー』のオモチャたちの実存的な問題に近い。
自分はある道具的な目的のために造られた存在であることを認めることで真に実存的な存在への道が開ける?
その存在の根本に他者の意図が根付いている存在における当事者性の問題、と呼ぶべきか。これは高度に哲学的だ……
人工妖精にとって、自身を造った技術者は非当事者なのか?部分的な当事者なのか?
1-2章は20ページと短かったけど、思想的にも物語的にもよく纏まってて完成度が高かった。