『いいたいことがあります!』魚住直子

 

偕成社, 2018年

 

 

半年くらい前に『考えたことなかった』を読んだが、その前作にあたる本作をようやく読めた。前巻の記憶がだいぶ薄れているためかもしれないが、こっちのほうが面白かったかな~~。

 

女性に家事労働を押し付ける差別的なジェンダー規範がメインテーマかと思っていたが、「親(母)の抑圧に対する子ども(娘)の反発」が主題だった。

主人公の陽菜子は小6で、中学受験(のための塾通い)が大きく取り上げられる。いちおう自分も中受経験者ではあるが、塾に通わなかったのもあって、ほぼ他人事として「中学受験を親の意向で強制させられて塾にいやいや行かされる子どもたちはなんて可哀そうなんだ……やはり中受は害悪……」という安直な想いを抱いてしまった。(こんな素人の片手間の感想ではなく、真面目に、中学受験の問題点に関しては専門家によって研究・議論されるべきだと思う)

母親への反発を見事に綴った手帳の持ち主・スージーの正体に関しては、予想通りなのはどうでもよくて、母親の抑圧に対する反感に同意してくれた心強い逃避先までもが「母親(の子ども時代)」というのは、ある意味ではとても絶望的な袋小路であると思う。とはいえ、スージーと陽菜子がふたりで得手勝手舞踊をするくだりなんかはとても好きでした。得手勝手舞踊がもともと好きなので、それにこうして軽やかに名前を与えてくれたことが嬉しい!

自分には優しかった快活なお祖母ちゃんが、実は小さい頃のお母さん(=娘)に対しては厳しく抑圧的だった……というような単純な二面性による人物造形は正直呆れた。しかし、陽菜子を遊びに誘ってくれる学校の友だちが、実は地元の中学へ進学する知り合いを増やすための「塾辞めさせキャンペーン」で動いていた……という展開は、単純な二面性であるとは簡単に割り切れないもので、良かった。

 

本作への最大の不満点は、「父親」の存在が希薄であったこと。学業優秀で大企業に入ってバリバリ働いていた「お母さん」が、妊娠出産育児と夫の転勤のためにキャリアを諦めて専業主婦になり、娘に抑圧的な言動を取るようになった……という一連の流れで、もっとも責任があるのはまず、「育児=母親の仕事」という規範を滅ぼせておらず、キャリアを続けながら出産育児をするための制度が不十分な社会そのものである。そして次に責任があるのが夫=父親だろう。母親当人の責任はあくまでその次の筈なのに、母親の自己反省のみに終始してしまうきらいがあったのは非常に残念だった。

母親への文句を愚痴って相談するために陽菜子が初めて父親に電話をするシーンがあるが、そのとき父は会社の飲み会/カラオケの最中で酔っぱらっていて、全然まともに取り合ってくれなかったトホホ……という描写で「夫=父親=男性の至らなさ」をコメディ的に描くに留まってしまったのは明確な瑕疵だろう。むろん、本作のメインは母娘関係であり、社会構造とか父親/男性にまで話を広げるのは難しく、「有害な男性性」は次巻の主題であるからある程度は仕方ないのかもしれないが、もう少し求めたい。(次作『考えたことなかった』でも、父親はたしかほとんど登場せず、糾弾されるのはお祖父ちゃんであった。)

 

批判が多くなってしまったが、この作品をわたしが楽しめたのは、思想/テーマ面というよりは、ストーリーである。とくに終盤、模試をサボって、神奈川・三浦半島の海辺の町にある、亡くなったお祖母ちゃんの家(お母さんの実家)へと忍び込むところなんかは、ファンタジックではない冒険モノとしてのスリルがあって良い。そもそも、母親の口調を騙って塾に電話をして塾をサボって友だちと遊んだり、塾用に母が作ってくれたお弁当を自分の部屋で食べて味を感じられなかったり、サボりがバレて怒られたりと、親・大人によって敷設された〈日常〉から一歩〈非日常〉へと自分の意志で踏み出していくさまが生き生きと描かれているのが本書のいちばんの読みどころだと思う。(「サボり」に価値を置き過ぎていると自分でも思う。) 小学時代から、「塾をサボって好きなことをして過ごしてバレて怒られる」という経験ができる点で(のみ)、やっぱり中学受験にも価値があるのかもしれない・・・。(いや、そんなもん中高に上がってからでええんやで。小学生は何も気にせんと遊び回ればええんよ……)

 

 

 

続編