『車輪の下』(1)ヘルマン・ヘッセ

 

 

 

義務教育で読んだ「少年の日の思い出」を除けば、初ヘッセ。
「お前好きそうなのに読んでないの意外」と複数名に言われながらもここまで通ってこなかった。

荒野のおおかみ』とか『ガラス玉演戯』とかを本当は読みたいのだけれど、そうした後期の名作をじゅうぶんに味わうには初期の有名作をかじっておいたほうがいいのではと考えて、自宅の本棚にあったこちらを手に取った。

 

 


1章と2章を読んだ。神学校へ入学するために故郷の町を発つところまで。

 

 

ザ・文学って感じの作品。文章は端正で美しく、プロットがわかりやすい。情景描写まで、それが主人公のどのような心情を反映したものか、あるいは物語の上でどんな意図をもって差し込まれているのかが露骨にわかってしまう。初心者向けの文学というか、これが古典的名作として多くの人に読まれているのは非常に納得がいく。

 

情景描写の露骨さにはじめ苦笑していたのだが、次第に慣れてきたのか、とはいえやっぱり美しくて良いなぁと思うようにもなった。特に「静けさ」の表現が好みだ。

まったく静かだった。橋を渡る車の音もほとんど聞こえなかった。水車のがたがた鳴る音もここではごくかすかに聞こえるだけだった。白くあわ立つせきの穏やかなたえ間ないざわめきだけが、平和に涼しく眠たげに響いて来た。それから、いかだのくいに水があたってぐるぐるまわる低い音がした。 p.51

また、夏の暑さを以下のように表すのにも感嘆した。

見上げると、ムックベルクの上に、手のひらほどのまぶしい小さい雲が二つ三つ浮かんでいた。暑くなった。青空の中ほどに二つ三つじっと白く浮かんで、長いあいだ見ていられないほど光をいっぱいに吸いこんでいる静かな小さい雲くらい、晴れた真夏の日の暑さをよく現しているものはない。そういう雲がなかったら、どのくらい暑いかを気づかぬことが多いだろう。青空でも、ぎらぎら光る川面でもなく、丸くかたまった真っ白い真昼の雲を見ると、たちまち太陽のやきつくのを感じ、日かげを求め、汗にぬれた額の上に手をかざすのである。 p.50

入道雲とかでもなく「小さい雲」に夏の暑さを最も感じるというのが、ピンとくるようなこないような微妙なラインで印象に残る。

 

それから、三人称の語り手がかなり雄弁であり、それが何らかの実験的意図を持っているのではなく、あくまで自然な小説の作法として行われている感じに、昔の小説だな〜と思う。(ここでいう「昔」とは、ジョイスプルーストモダニズム以前の小説?)

冒頭で主人公ハンスの父親の凡庸さについて2ページほどかけて描写したあとに「彼のことはこのくらいにしよう。この平板な生活とみずから意識しない悲劇とを叙述することは、深刻な皮肉屋だけのよくすることだろう。さて、この男には一粒種の男の子があった。その話をしようというのである。」(p.6)という語りによって主人公の紹介へと移っていくところなんかは特にそうした古風な趣を感じた。

 

基本的には "お行儀の良い" 作品だが、ときたま、シニカルなユーモアを交えた文章があって、そこはかなり好みだ。ひょっとするとユーモラスな意図はなく、大真面目に書いているのかもしれないが、わたしはオモシロ描写として受け取った。


例えば、神学校の入学試験中に故郷のみんなが思い思いに(合否に賭けたりなどして)ハンスのことを気にかけている、という描写のあとの一文。

心から思いやりのこもった願いと深い同情は大きい距離をたやすく越えて遠くまで達するものであるから、ハンスにも、故郷でみんなが自分のことを考えているということが感じられた。 p.28

 

あるいは、誇張した言い回しの面白さもある。

「通りますとも。通りますとも」と、校長はうれしそうに叫んだ。「あのくらい利口な子はちょっといませんよ。よく見てごらんなさい。まったく精神そのものになったように見えますよ」
最後の一週間のあいだに、精神そのもののようになる傾向は目立って強かった。かわいらしい、きゃしゃな顔に、おちつかないくぼんだ目が、濁った光を放っていた。 p.12

「まったく精神そのものになった」というオモシロフレーズが登場人物の口から発せられ、すぐ後の地の文でそれを茶化したり否定したりせずにむしろ肯定してしまう、という一連の流れに笑ってしまった。うまい

 

また、以下のシーン/セリフは単純に痛快で良かった。

「おめでとう。さあ、なんとかいわないかい?」
少年は、意外さと、うれしさにまったくこわばっていた。
「おや、何にも言わないのかい?」
「そうだとわかっていたら」という言葉が思わず彼の口をついて出た。「完全に一番になれたのに」 p.42

主人公ハンスは、プロット上「そういうキャラ」として作られている感が強く、作中でも周囲の大人たちに翻弄されるために彼自身の内面の個性や息づかいが感じにくいのだが、このような奔放で傲慢な言動をしてくれると親しみがぐっと湧く。

 

 

ストーリーについての感想は今のところ「中学受験を思い出すなあ」くらいで特になにか言うべきところはない。あらすじが色んなところでネタバレされているし……

息子へと期待しているくせに、親が受験中に会場で待っていたり、迎えに行ったりしてあげないんだ・・・とは思ったけど、そのほうがハンスも1人で町をぶらつきながら帰れるから良いんだろうな。