『別荘』ホセ・ドノソ

 

 

「わからない、わからないわ。その話には分厚いベールを掛けておきましょう」(p.60) 

 

 

現代企画室から、ラテアメ邦訳界のシバニャンこと寺尾隆吉氏による翻訳で出ているホセ・ドノソ『別荘』を読んだ。550ページ、鈍器と呼べる小説を最後まで読み切れたのは今年は本書が1冊目かもしれない。(それほどに最近は長篇が読めない……すぐ飽きて別の小説に浮気してしまう)

 

ドノソは昨年『三つのブルジョワ物語』を読みはじめ、文章が読みづらく冒頭20ページほどで挫折したきりなので、ちゃんと読んだのはこの『別荘』が初めてだった。こちらは驚くほど読みやすい文章で、550ページを2週間で読み切れた。これは普段10ページ読むのに1時間かかる自分としては破格のスピードである。

 

本書の裏帯文に「理屈抜きに面白い傑作」とあるように、とにかく娯楽作品としてめちゃくちゃ面白かった。こんなにストーリーが躍動的かつ大量のキャラが立っている文学はあまり読んだことがなかったので新鮮で楽しかった。

 

 

そう、本書を読み始めてわたしが抱いた感想は「大量の美少女キャラが出てくる萌えアニメじゃん!!!」だった。

 

というのも、本作は総勢35名もの子供たち──ブルジョワ貴族ベントゥーラ一族の"いとこたち"──が別荘に子供だけで置き去りにされる話なのだ。なんというチャーミングな設定。

子供は女子17人・男子18人で、5歳から17歳までよりどりみどりである。

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この登場人物表は、『百年の孤独』の家系図とは異なり、原書にもとから付いている公式の表である。

 

やけにキャラの立った大量の美少女がひっきりなしに画面に入れ代わり立ち代わり登場する、ソシャゲのアニメ化作品。それがわたしの本作への第一印象であった。

 

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イメージ画像

 

備え付けの登場人物表に書き込んでいってもいいのだが、わたしは人物相関図を書きながら読んだ。『百年の孤独』では家系図を書いたが、こちらは100年でなくたった2日間の話なのに50人をゆうに超えるキャラが出てくるため、非常に煩雑な図になった。

 

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多くの萌えキャラのなかでもわたしの最推しは、図書室に引きこもっている少女アラベラだ。

彼女は、あることを企んでいる主人公ウェンセスラオ(9歳, ♂)が彼女を頼りにして図書室を訪ねる場面で初登場する。

男物の服を着て髪を短く切ったウェンセスラオを見ても、アラベラは黙ったまま驚きの表情すら見せなかった。それでも、頭を後ろへやることで、小さな鼻の上を滑り落ちていた眼鏡の焦点を合わせながら、四倍に強化された視力で彼の姿を見つめた。アラベラが相手であれば、大げさな反応をされるのではないかという心配は無用だった。ほとんど図書室から出ることもないまま十三歳になっていた彼女にとって、もはや目新しいことなどまったく何もなかった。 (p.24)

「頭を後ろへやることで、小さな鼻の上を滑り落ちていた眼鏡の焦点を合わせながら」の部分を初めて読んだとき、「そんな萌えキャラみたいなヤツいる!?!?」とマジで声が出た。

 

アラベラの脳内イメージはパチュリーアグネスタキオンベアトリスだった。

 

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他にも作中で「美人」と明確に言及されているキャラが何人もおり、お姉さん属性キャラ、病弱系キャラ、愛憎うずまく巨大感情姉妹百合などオタクの好きなやつがてんこ盛りの小説である。

もちろん男子キャラも非常に多彩で面白い。"小悪魔"の異名を持つ主人公の美少年ウェンセスラオなんて、母親から溺愛されるあまり日頃から長髪にフリルのスカート・レースの下着などで女装をさせられている超クセの強いキャラクターだ。(彼は開始4ページで性器を開陳し、その4ページ後に従姉たちからスパンキングされる)

 

また、もちろん子供だけでなく、その両親たちも重要なキャラクターだ。ベントゥーラ一族の大人たちは、我々が「貴族」と聞いて思い浮かべるステレオタイプな負の側面を誇張したような戯画的な性格をしている。高慢で他人を見下していて、自分たちの既得権益の保持を第一に考え、都合の悪いことや変化には「分厚いベール」を覆いかぶせて見ないふりをする癖が染み付いている、保守主義の権化のような人物像だ。

 

このように、本作に登場する人間は、大人も子供も戯画化された「キャラクター」として設計されている。リアルな人物像ではなく、わざと虚構的・記号的に作られているのだ。

 

本作の大枠としては、醜いベントゥーラ一族の大人たちの保守主義と、それに反抗する子供たちや、『別荘』のあるマルランダ地方の抑圧されている原住民たちの革新主義の対立という、あまりにもシンプルな構図がある。

 

 

しかしながら、ラテンアメリカ文学史に残る大傑作と言われている作品がそんな単純な内容であるはずがない。

まずは「大人/子供」とか「貴族/原住民」といった粗野な図式によって理解されるが、読んでいくうちに、より複雑で有機的な構造をもっていることが分かってくるのである。

というのも簡単な話で、ベントゥーラの子供たちが35人、大人たちが13人いるなかで、彼らがそれぞれ一枚岩であるはずがないからだ。どいつもこいつも秘密の陰謀を抱えており、それぞれの利害関係のなかで同盟を結んだり裏切ったりする。

そうした、荒野に佇む1つの別荘で繰り広げられる陰謀と裏切りにまみれた群像劇が本作の読みどころである。

 

序盤わたしは「萌えアニメじゃん!」という感想をもったが、中盤になりストーリーが大きく動き出してくると、今度は「進撃の巨人じゃん!!!」と叫んだ。

 

槍の鉄柵に囲まれた閉鎖的な別荘の敷地と、その外の、食人種が蔓延ると噂されるグラミネアの危険な荒野。こうした「塀の内側/外側」という空間設計が途中で根底から覆る衝撃の展開、塀の内側の子供たちがそれぞれに秘密を抱えながら画策し、協力と裏切りを繰り返して進んでいく先の読めないストーリー・・・

 

完全に『進撃の巨人』ですありがとうございました

 

諫山創の次作、『別荘』コミカライズらしいですよ

 

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『別荘』アニメ化時のメインビジュアル(中央は女装したウェンセスラオ)

(もっと言えばリヴァイ→フベナル、エレン→マウロ、ミカサ→メラニア かな)

(もちろん、大量の子供たちが1つの閉鎖施設で共同生活する設定から『約束のネバーランド』を引き合いに出してもいいだろう)

 

 

このように、本作は、あの悪魔的な奇書『夜のみだらな鳥』の作者が書いたとは思えないほどに読みやすく、熱い展開が盛りだくさんの少年マンガのような文学作品だ。そりゃあ「理屈抜きに面白い傑作」なんて出版社が宣伝するのもうなずける。だって実質『進撃の巨人』なんだから。

 

 

 

・・・つまり、

 

萌えアニメ×少年マンガ

(『Lapis Re : LiGHTs.』×『進撃の巨人』)

 

 

これが、一読したわたしの端的な『別荘』観である。

つまり、ひじょーーーにオタク向きの作品といえる。

あと、わかる人だけわかってもらえればいいが、前半/後半の断層のしかけに「『凪のあすから』じゃん!」と叫んだ。

 

 

・・・しかし、それは読んだわたしがオタクだからそう感じただけのことではないのか?
わたしの文学鑑賞時に連想できる作品ストックがオタクコンテンツしかないだけのことではないか?

 

・・・・・・

 

いや、そうではない。というのも、本作は「現実に対して虚構を打ち立てて逃避する」というきわめてオタク的な命題が根底のテーマであるからだ。

 

それは何よりも、子供たちが別荘で行う「伯爵夫人は五時に出発した」に象徴されている。この即興のごっこ遊びは、子供らがベントゥーラ一族の大人としての資質──都合の悪いことは忘れて自らの見たいように世界を見る──を育むための教育的慣習のような側面があり、別荘の安定した現実世界が脅かされたときに、この劇に逃避することで子供たちのパニックを抑えて統制するために用いられてもいた。後戻り出来ないほど状況が変化してしまったなかで、「伯爵夫人は五時に出発した」の役に完全に入り込んで現実に戻らない選択をする子供もいた。

 

大人側も、ごっこ遊びは卒業して見下すようになったとはいえ、先ほど述べた「分厚いベールをかける」慣習によって本質的に同等な行為を常日頃繰り返している。たとえ自分の娘が亡くなっても「分厚いベールをかける」ことでその事実を忘却することができるのだ。

 

君たちに何か質問されるたびに大人たちは、驚きを隠してその場で適当な答えをでっち上げなくてはならなかったからね。それが単なる作り話だと認める勇気は誰にもなかった。楽園が現実のものとして定着してしまうと、この一家の人間にとって「現実」ほど重い言葉はないから、知らぬうちに彼らは、何の根拠もなく勝手に自分たちが作り上げた仮想世界にのめり込み、ありもしない鏡の向こうへ突き抜けて、そこから出られなくなったんだ。 (p.141)

 

 

それだけではない。

本作では要所要所で「作者」が顔を出して、作品の構成や今後の展開についてアレコレ語っていくメタ要素も特徴の1つとなっている。

 

もしこの話が創作でなく事実ならば、この場面を目撃した者が事件後に残した証言に基づいて、この最初の驚愕が引き起こしたあまりに不吉な重苦しさに耐えかねた子供たちや原住民たちが泣き出したばかりか、無知な者か若者か、密かにアドリアノ・ゴマラを崇拝していた者か、マルランダで起こっていた衝突の意味がよくわかっていなかった者か、ともかく、使用人の中にもこの悲嘆に声を合わせた者がいた、と書いてもいいところだ。 (p.330)

 

このように、本作はあくまで「創作」であることが定期的に作者によって強調される。そんな無粋なことをされると萎えると思われるかもしれないが、虚構だからこそ真に迫った体験ができる、現実よりも強度の高い虚構を構築してそこに逃避する、という本作の人物たちの思想がそのまま反映されているのだ。きわめてオタク的ではないか。

そもそも夏の三ヶ月の間だけバカンスを過ごす豪華絢爛な「別荘」という設定自体が非常に虚構的で、『アッシャー家の崩壊』などの正統ゴシック文学の流れを汲んでいる。

 

更には、終盤ではどこかのクンデラのように、作者である「私」が、登場人物であるベントゥーラ一族の大人と街で会ってバーで語り合い、書き上げた『別荘』の原稿を本人に読んでもらい感想を聞くシーンまである。

クンデラ『不滅』が92年、本書は78年なのでこちらのほうが早い。(筒井康隆朝のガスパール』も91-92年)

 

「なあ、もう行かないと、いいか……」
立ち上がろうとする彼に、どうだったか感想を訊く。彼は答える。
「さっぱりわからなかった……」
私はバツの悪い思いで笑う。別に珍しいことが書いてあるわけではないし、頭をひねって考える必要のあるほど凝った理念や構造に貫かれているわけでもない、文学的見地から言っても難しい作品ではないから、純粋に物語として受け入れてくれればそれでいいんだ、こう私は反論する。 (p.440)

 

他にも、別荘のダンスホールの壁面に描かれている騙し絵("トロンプ・ルイユ")が重要なモチーフとなっており、騙し絵のなかの「あちら側」の世界で暮らす人物たちと、それを騙し絵として認識する「こちら側」の人間たちの対比や交歓が幻想的に描かれている。

 

このように、実に様々なレベルで虚実のあわいを提示して幻惑させてくる。

 

ただ注意しておきたいのは、決してこうしたトリッキーなメタ形式が本質ではなく、何よりもまずベントゥーラ一族の子供たちによるストーリーが単純にめちゃくちゃ面白いということだ。あまりにメタフィクション性を強調するのは本作の受容にとって実りある行為ではない。

 

 

 

 

 

というわけで、『別荘』はソシャゲアニメ的な大量の美少女(や美男子)の記号的なキャラ造形が魅力的で、少年マンガのように陣営が流動的に変化する熱いストーリーと、とにかく面白い作品である。敷地を脱出して馬車で荒野へ駆け出すシーンなんて『進撃の巨人』中盤のようなワクワク感に大興奮しながら読んでいた。

 

ドノソといえば《グロテスク・リアリズム》なんて言葉があてられることもあるが、本作にそういう雰囲気はほとんど無い。序盤に一箇所だけかなり趣味の悪い事件が回想として語られるが、それ以外は狂気的というよりも疾走感や開放感、保守的すぎる大人たちの諧謔性など単純に面白い要素で満ち溢れている。

 

 

こんなにエンタメ的に面白いオタクコンテンツのような小説をドノソが書いているなんて思いもしなかった。

次はいよいよ本丸『夜みだ』に挑戦しようと思います……生きて帰ってこれるかな……

 

 

 

owlman.hateblo.jp

『別荘』が中ドノソ、『夜みだ』が大ドノソらしい。こわい

 

 

dain.cocolog-nifty.com

今まで小説のリアリティは、「小説世界がどれだけ現実らしいか」こそがスケーラーだった。しかし、小説が現実らしさをかなぐり捨て、「フィクションを読む現実」を突付けてくることで、今度は物語が現実を侵食しはじめる。

やっぱりdainさんの感想記事はすばらしい

 

 

tomkins.exblog.jp

 

 

blog.goo.ne.jp

全27記事にも及ぶ大変な労作感想。本作がいかにゴシック小説として完璧であるか、という点を軸にして語っていく。愛がすごいが、たしかにここまで書かせるほどの小説だというのも今ならうなずける。

 

 

note.com

そういえば『百年の孤独』の感想でも「本作を楽しむコツは限界オタクになること。マルケスはオタクに優しい」と書いていた。オタクはラテンアメリカ文学を読め

 

 

 

<以下途中までの読中メモ> ※ネタバレ注意

 

 

てっきり別荘を目的地に大人と子供でピクニックへ出かける話かと思ったら、避暑のため別荘で生活しているのがデフォルトで、別荘を出発地として大人が子供を置いてピクニックへ出かける話だった。30人を越える子供たちを別荘に置き去りで、召使いも皆ピクニックの従者につかせるなんてことある?非リアリズムではないが非現実的な塩梅の設定で良い。

waterplants.web.fc2.com繁茂する植物

 

開始4ページで性器が開陳された。
9歳の悪童ウェンセスラオが主人公か。図らずも『継母礼讃』に引き続き幼い子供の無垢なグロテスクさを描いた作品だ。こっちはアルフォンソと異なり邪悪な自覚があるっぽいけど。

母親から女装させられ人形扱いされることに嫌気が差している。かわいそう

 


p.24 図書館の主アナベルが萌えキャラすぎる。リゼロのベラトリクスか、アグネスタキオンみたいな感じ

 

今のところマジで大量の美少女が出てくる萌えアニメを観ている気分

男子キャラもいるけど、過激な百合厨じゃないからそんなに気にならない……というか異性愛規範を内面化しているのでむしろアド。(というか主人公の男子からして女装(させられ)属性持ち(の悪童)なので強い)

作者(を名乗る人物)が所々で顔を出して「これは私が発案した物語です」と口を挟むのはクンデラっぽい

え、図書館の本は背表紙だけで形骸的なものなの!?
じゃあ確かにアラベラはどうやって知識を…


31
大人というか、貴族・ブルジョワ階級の醜さしょうもなさを露骨に風刺してるな……

42
いちおう子供たちだけで置き去りにすることを問題にはしてたのね。17歳のフベナルがお目付役として残るので十分ということになったが。


2章

52
寓話的過ぎる要素で溢れたこの小説が、作中の語り手によってフィクションに過ぎないと強調されているという点に、どんな連関を見出せるか。
寓話性と虚構性

70
いくらなんでもアイーダとミニョン姉妹かわいそう過ぎる
こういう突き抜けたホラ話っぽいプチ挿話はいかにも南米というかマルケスっぽい

72
アイーダ-ミニョンの愛憎渦巻く姉妹関係いいな。
2人とも不細工で親からも誰からも愛されず、美しい弟への嫉妬が募り、妹は姉を虐めるが、姉の豊かな髪だけは「世界で一番美しい髪だと言って褒めていた」……いい……
ミニョンの暴力(殺人未遂)やウェンセスラオへの虐めは許されることではないが、根底には「外見のせいで誰からも愛されず貶められる2人は可哀想」というアドがあるために魅力へと昇華されるのが強い(めちゃくちゃ非倫理的な消費の仕方)


75
バルビナは色々とクソ女だけど何だかんだで夫には甘えたがりというかちゃんと愛してるのがかわいいな

インディオ?の原住民の描写は、サエール『孤児』よりも断然凄みがある。本作はわざと誇張してそのように演出してて、孤児は逆に淡々と描いているという狙いの違いがある

88
はい


3章

98
「伯爵夫人は5時に出発した」って何かと思ったら、いとこ達のごっこ遊び(アクション)の一種なのね。
大人の保守観を子供なりに引き受けるための儀式みたいなやつか

113
いちばん気に入ったの柵の槍に自分の好きな女の子の名前を付けるとかマウロなかなかやばくて草

121
ラテアメ文学あるある:何かにつけてオーラ出がち

そういや、起源のわからない槍の柵に囲まれて危険な外の世界から守られている内側で暮らす子供達…って場面設定まんま進撃の巨人やん
約ネバとかもそうか

132
これまで僕らが必死にやってきたことは何だったんだ!と世界観が大きく揺らぐ点も進撃っぽい

別荘に残された子供の人数と同じ33本の槍が、これまでは「地面か引き抜いて外れた槍」だったのが、今や「他とは違ってちゃんと埋まっていた槍」へと鮮やかにも反転した。とても面白い展開

子供達だけの生活といえば孤島モノ、『蠅の王』や『笑いと忘却の書』の5章に少し似てるかも

クレメンテ6歳とは思えないほど大人びた言動で良い
エドウィン・マルハウス』とか、歳の割に聡明過ぎる子供に弱い(科学の天才のような頭の良さじゃなくて、大人びている、世間をよく知っているかのような物言いをするのがタイプ)

138
アツい展開

141
作り話だと認める勇気……
これは作り話だとハナっから主張してくる本作の語り手はベントゥーラの大人たちとは真逆なのか

4章

152
男性器を見て文字通り目が潰れるの草

160
オレガリオ、セレステ、メラニア、マウロの4者関係めっちゃ複雑やな

174
あ、マジで騙し絵から出てきてたのか
直球の非現実要素は意外にも初?

5章

198, 201
カシルダ×コロンバはこれもう濃厚な姉妹百合判定出してもよろしいのではないでしょうか
※本書での濃厚な関係はだいたい嫉妬したり憎み合ったり蹴落としたり殺したりしてる。どいつもこいつも性格悪くて最高

公式で美少女/美人だと言われてるキャラがすでに4, 5人いる気が。
不細工/醜いと書かれてるキャラも複数名いる。
なにしろ33人も子供がいるので属性に困らない。
アイドルマスターシンデレラガールズか?

209
カシルダは金の亡者と言っても、金(きん)という物質自体に執着してるんだな
音だけで蝶番の番号を割り出すの草
それ話盛ってるやろ!って誇張法マルケス然りラテアメらしくて好き


6章

地味な顔を表現するのにこの文章が書けるのすげえな

240
進撃の巨人の中盤みたいな面白さ、ワクワク感がある

7章

247
槍のメラニアほんと草

第一部おわり!
いや〜アツい展開。これで半分か。ここからどうなるんだろう……楽しみだ〜

第二部
8章

本作での「人食い人種」もパラノイア的な存在だが、ピンチョンは権力や統治に反抗し解体する萌芽としてのパラノイアなのに対して、「本作の人食い人種」はむしろ大人たちの現実・秩序を維持するために敷いているパラノイアであるため真逆といえる


最後にフベナルとその両親のフクザツな三角関係がフィーチャーされて良かった

空気中に漂う微細粒子によって窒息するってちょっと『砂の女』を思い出す