『マクナイーマ』マリオ・ヂ・アンドラーヂ(1928)

 

 

 


24/5/25〜7/6

 

 

5/25(土)

第一章 マクナイーマ

 誰も足を踏み入れたことのないジャングルの奥で、わたしたちブラジル人の英雄、マクナイーマは生まれました。まっ黒くろの、夜への恐れの子どもです。ウラリコエーラ川の囁きに耳をすますような静けさがとても大きくなったとき、インディオのタパニューマ族の女はみにくい赤ちゃんを産みました。この子を、彼らはマクナイーマと名づけたのです。
 小さな頃からびっくりするようなことをしていました。生まれてから六年間は口をきかずに過ごしたのです。誰かが話をさせようとすると、こう叫びました。
「あぁ! めんどくさ!……」 p.5

やばいこれ最高なやつだ。全文章おもしろい。
エロスと暴力と怠惰をむさぼる神話的な子供。ガルガンチュア
ラブレー、アレナス、チュツオーラなどの、ふざけきった荒々しい前衛文学の系譜。それでいて三人称で民話や昔話のような語りかけの文体。ヨーロッパの前衛とラテンアメリカの土着が邂逅した、いちばん好みの小説。琉球文学っぽさもあるのは伸ばす音(ー)が単語に多いからだろう。
兄の妻を寝取る童子。特定の草に触れたときだけ一時的に青年の身体になる?

 

ふたりはじゃれあいました。三回じゃれあったあと、いちゃつきながら森の外へと走っていきました。突つきあったあとには、くすぐりあったり、砂地に埋めあったり、藁に点した火を付けあったりと、それはもうたくさんいちゃつきました。マクナイーマはコパイーバの木の太枝をつかんでピラニェイラの木のうしろに隠れました。ソファラーが走って近づいてくると、コパイーバの棒で彼女のあたまを殴りました。傷ができて、娘は笑いながらマクナイーマの足もとに倒れました。彼の片足を引っぱりました。マクナイーマは巨大な木の幹にしがみつきながら、うれしそうにうめきました。すると娘は彼の足の親指を喰いちぎって吞み込んでしまいました。マクナイーマは涙が出るほど楽しくなって、足から出る血で彼女の体にいれずみをいれました。 p.10

アレナスのような、女性との血と暴力にまみれたわけわからんセックス、いちゃつき描写すばらしい。「じゃれあう」という。

 

第二章 大きくなってから
第三章 森の女神さま、シー

あたりには水気をたっぷり含んだウンブーの実さえ見つからず、太陽の女神ヴェイは、生い茂った木々の葉をほどくようにして、歩きつづける四人の背中を休みなくむち打っています。 p.25

太陽などの自然物を当たり前に擬人化するアニミズム的・多神教的な世界観 

 

「あぁ! きみはすごくいいにおいがするねぇ」
 気持ちよさそうにそう言って、さらに鼻の穴をふくらませるのでした。するとものすごい目眩いがして、眠気がぽたぽたまつ毛から滴り落ちてくるほどでした。 p.27

「眠気」という抽象物(意識・感情)をごく自然に物質に喩える。擬人法ならぬ擬物法?

 

「どうしたの、英雄さん!」
「どうしたって、何が!」
「続きはないの?」
「何の続きさ!」
「だって、わたしたちはじゃれあってる最中なのに、あなたが途中でやめちゃうんじゃない!」
「あぁ! めんどくさ!……」 p.29

 


第四章 お月さまになった蛇女

 わたしの体が、身を捧げるべき男の力を求めて血の涙を流したとき、わたしのうちのボタン椰子の木でスイナーラ鳥が啼いて、カペイがやってきてわたしを選んだ。川べりのイペーの木は黄色く輝いていて、花びらはみんな散って、お父さんの手下の戦士である若者、チサテーの綴り泣く肩の上に落ちた。サカサイア蟻の大群みたいな悲しみが集落(ターバ)を襲って、静けさまでむさぼり食ってしまった。
 夜の守り神のおじいさんがもういちど闇を穴から取り出したとき、チサテーは小さな花を身にまとって、わたしが自由な最後の夜にハンモックにやってきたの。わたしはチサテーに嚙みついた。
 噛みついた手首からは血が噴き出したけど、彼は気にしないで愛がかきたてる怒りの叫びを上げてわたしの口に花を詰め込んだから、もう噛みつくことはできなくなった。チサテーはハンモックに飛び込んできて、ナイピはチサテーに身を捧げた。 pp.36-37

チサテーに噛みつくくだり切なくて泣ける。文章のめくるめくような幻惑性と美しさよ。
そして「ナイピ」が語ってるのに最後には「ナイピはチサテーに身を捧げた」と三人称になるのでびっくりした。

 

 

5/26(日) p.38~
今のところ全文章外さない。おもしろくない文がない
各章でヒロイン的な女性キャラが登場しては使い捨てられていく…… 末っ子マクナイーマとふたりの兄との三兄弟の密林冒険譚

「どうしたの?」
「扉を開けて入れてください!」
 それで、ワニさん開けたでしょうか? とんでもない! あたまは入ることができませんでした。マクナイーマは、あたまが彼のしもべになって来たのであって、悪さをするために来たのではないことを知りません。あたまはずっと待っていましたが、絶対に開けてもらえないとわかると、こんどは何になろうかと考えはじめました。水になったら飲まれてしまう、蚊になったら焼かれてしまう、列車になったら脱線してしまう、川になったら地図に描かれてしまう……。そして「お月さまになろう」と決め、こう叫びました。
「扉を開けて、ちょっとほしいものがあるから!」
 マクナイーマは明かり取りからのぞき見て、開けようとしないジゲーを止めました。
「動き回ってるぞ(エスタ・ソウタ)!」
 ジゲーはふたたび扉を閉めました。このせいで、わたしたちが頼まれたことをやらないという意味の「動き回ってるぞ(エスタ・ソウタ)!」という表現が存在するのです。 pp.40-41

「ワニさん開けたでしょうか?」はマジで意味不明。列挙が巧いなぁと思う。水、蚊ときて列車そして「川になったら地図に描かれてしまう」まで繋げるのがすごい。蛇女の「あたま」がお月さまになるくだりなど、かなり幻想的。
最後の慣用表現の由来をでっち上げるくだりもふざけてて良い。語り手がどういう立場なのか分からないからこそ自由奔放に好き放題している。

 

ブラジル文学史的には、マシャード・ジ・アシスの影響を受けてるんだろうか? 時代区分ではアンドラーヂは1, 2世代ほど後進の作家だけど。ブラジルで近代主義モデルニスモ)を始めた作家という位置付けらしいが、マシャードの先駆性・前衛性はすでにだいぶ近代主義っぽいと思う。

 


第5章 巨人のピアイマン

次の日、マクナイーマは朝早くから丸木舟に飛び乗って、良識をアラパター島に置いていくためにネグロ川の滝のところまでやってきました。サウーヴァ蟻に食われてしまわないように、十メートルもあるハシラサボテンのてっぺんにそれを置きました。 p.45

あっ、「良識」ってまじでそんなに置けるものなんだ…… これも擬物法

お星さまになったシーを指差しすぎたせいでイボまみれになった指をちゅぱちゅぱしゃぶりながら考えに考えていました。 p.46

こういう文をさらっと入れてくるんだからなぁ

 ところが、岩穴のなかのその窪みは、スメーという聖人がブラジルのインディオたちにイエスさまの福音を説いて回っていた頃の大きな足跡で、水には魔法がかかっていたのです。英雄が水から上がると、肌は白く、髪は金色に、瞳は青くなっていました。水が彼の黒い色を洗い落としたのです。彼がまっ黒くろのタパニューマ族の息子だということはもう誰にもわからなそうでした。
 ジゲーはその奇蹟に気づくやいなやスメーの大きな足跡のなかに飛び込みました。でも水はすでに英雄の黒い色ですっかり汚くなっていたので、ジゲーがどんなに狂ったように体のあちこちに水をかけてみても、新しい銅(あかがね)のような色になっただけでした。マクナイーマは憐れんでなぐさめました。
「ねえ、ジゲー兄さん、兄さんは白くはならなかったけど、黒は薄くなったし、鼻づまりしてても鼻がないよりはまし、って言うしさ」
(中略)
 ひとりは金髪、ひとりは赤い肌、もうひとりは黒い肌、岩穴に差す陽の光を浴びて裸ですらりと立った三人兄弟の姿は、それはそれは美しいものでした。 p.47

いきなり超センシティブなヤバい内容になって草  これどういうつもりでやってるんだ……?

ブラジル人のエスニシティ、「白人」や混血のルーツをヨーロッパ由来ではなくてインディオ起源であると土着的に擬装しているってこと? にしても「黒」が「汚」れや「鼻づまり」であると描いてるのはヤバいし、あと聖人スメーというキリスト教要素も気になる。
アンドラーヂ自身のエスニシティについて、訳者あとがきを読んでも書いていなかった。

 

映画化されてるんだ…………観なきゃ

 

 

マクナイーマはすっかりうんざりしてしまいました。英雄である自分が働かなければならないなんて……。マクナイーマはがっかりしてつぶやきました。
「あぁ! めんどくさ!……」 pp.48-49

最高の文章

サンパウロに到着して近代文明の「キカイ」を初めて目にするマクナイーマ

機械は神さまじゃなくて、あなたが大好きな女らしさも持ってないのよ。それは人間によって作られたものなの。電気とか火とか水とか風とか煙とか、自然の力を人間が使って動くものなのよ。でも、ワニさんそんなこと信じたでしょうか? もちろん英雄だって信じられません! ベッドの上で立ち上がってばかにするしぐさをします、とう! 左の前腕を、右の腕を曲げた内側で打って、三人の女の子たちに向けて右手首を力強く揺さぶって出ていきました。人びとが語り伝えるところによれば、「パコーヴァ」と呼ばれる侮蔑のしぐさを彼が考え出したのはそのときのことだったそうです。 p.52

「ワニさん」がまた出てきた。そういう言い回しっぽいな。

 

「この戦いでマンヂオッカの子どもたちはキカイには勝てないし、キカイも勝てない。引き分けなんだ」
 まだ演説をぶつのには慣れていなかったのでそれ以上は何も言いませんでしたが、胸はわけがわからなくなるくらいドキドキと高鳴っていました! キカイは人間には支配されない神さまにちがいない、というのも人間たちがそこから作り出したのは、理に適った女神イアーラではなくて「世界の現実」とやらだけだったから、と思いついたのです。彼の思考は、そのごちゃごちゃとした考えのなかからとっても明るい閃きを引き出したのです。キカイは人間で、人間はキカイなんだ、と。 p.53

よく分からないけど "真実" っぽい(?)

 

巨人ピアイマンにあっさり殺される英雄マクナイーマ  そしてぬるっと蘇生する

マアナペは、ヴェンセスラウ・ピエトロ・ピエトラにはキアンティのボトルを渡し、森の精のセイウシーにはアカラーの木の煙草をひと切れ渡すと、ふたりはこの世界の存在を忘れ去ってしまいました。 p.59

単純に酒やタバコに夢中にさせて気を逸らしたってことか。

イギリス人たちの家にある、銃や銃弾やウイスキーの木。なんだそれ  サンパウロでは現実(近代)社会っぽいものが営まれていたが、機械や商品をこうして自然物(木)と融合させるファンタジー要素もあるんだ

 

6/1(土)
第6章 おフランス娘と巨人
おフランス娘に変装してふたたび巨人ピアイマンに挑むマクナイーマ

ムカデはカンピーナスに落ちました。イモ虫はそこらへんに落ちました。ボールは運動場に落ちました。マアナペはコーヒー虫を生み出し、ジゲーは綿花を食べるピンクイモ虫を生み出し、マクナイーマはサッカーを生み出し、こうしてブラジルの三大害虫が生まれたのです。 p.64

わろた

 

6/2(日) p.66~

それから彼はハンモックの、おフランス娘のとっても!近いところに腰かけて、大したことじゃない、いくら払ってもその石は売りも貸しもしないけれど、あげてもいいんだよ、と囁きかけました。 p.68

そんな「もってけ!セーラーふく」みたいな感嘆符の位置……

 

 

 

重い石なんてもういらない!……。けだるそうに腕を伸ばしてつぶやきました。
「あぁ! めんどくさ!……」
 考えに考えて、決めました。自分が大好きな、汚い言葉のコレクションをするのです。
 さっそく始めました。瞬く間に、あらゆる現代の言語から、さらにはちょこっとかじっていた古典のギリシア語やラテン語から、何千もの汚い言葉を集めました。なかでもイタリア語のコレクションは完璧でした。一日のあらゆる時刻の、一年のあらゆる日の、人生のあらゆる場面、人間のあらゆる感情についての言葉を集めたのです。ありとあらゆる汚言! でもコレクションのなかでもっともすばらしかったのはインドのある文句で、それはとてもここでは言うことのできないようなものだったのですよ。 p.74

めっちゃラブレーっぽい。(汚い)言葉へのこだわり。列挙をよくするのも考えてみればラブレーだな。あるいはちょっとインテリになったチュツオーラというべきか。

 

第七章 マクンバ
悪魔降霊の呪術的儀式マクンバで、マクナイーマは巨人(の自我)に仕返しを果たす 迫力と疾走感がすごい

シアータおばさんは、苦しみや絶望や飢えのなかで百年を過ごしてきた黒人の老婆で、白い髪がばらばらと光のように小さなあたまを包んでいました。大地に向かってぶら下がっている長い骨としか見えない風貌で、もう誰も彼女の目を見つけることはできませんでした。 pp.76-77

「大地に向かってぶら下がっている長い骨」ってどんな比喩やねん好き

 

第八章 太陽の女神、ヴェイ
この章特に好きかもしれない 太陽の女神がその三人の光の娘を英雄マクナイーマと結婚させようとするも、彼は他の女とじゃれ合うのを我慢できない。展開はいつものやつだが、その合間合間の幸福にまどろんだりする静かな場面の描写がとても美しい

待っている時間をつぶすために口笛を吹いて合図を送ると、三人の娘たちは英雄の体じゅうを優しくなでたりコチョコチョしたりしました。
 マクナイーマはくすぐったくて身をくねらせ、とっても気持ちよさそうにしながらゲへへとだらしなく笑いました。娘たちが手を止めるとすぐにむずがって、身をよじってもっとやってよとねだります。ヴェイは英雄のはしたなさに気づいて怒りました。体から火を取り出して人びとを暖めてあげる気なんてちっともなくなってしまいました。すると女の子(クニャタン)たちはお母さんの体をつかんで縛りあげ、マクナイーマが気むずかし屋さんのヴェイのおなかをコチョコチョやると、おしりから火が出るわ出るわで、みんなは暖まることができました。
 暖かさはイカダ舟にまで届き、水の上に広がり、空気の澄んだ表面をきらきらと金色に塗りました。マクナイーマイカダ舟に寝転がって、すばらしい気怠さに浸りながらひなたぼっこをしました。そして静けさがすべてをゆったりとさせて……。
「あぁ、めんどくさ……」
 英雄はため息を吐きました。海の囁きだけが聞こえていました。幸せな気怠さがマクナイーマの体を上ってきて、とっても良い気持ちでした……。 p.93

なにしてんねんこの英雄、の第2段落目から、一転して静謐になる3段落目への緩急がえぐい。すばらしい

「うちのお婿さん、あなたはわたしの娘のうちの誰かと結婚しなければなりません。嫁入りの貢ぎものとしてヨーロッパとフランスとバイーアをあなたに上げましょう。でもあなたは誠実に夫になって、そこらへんの女(クニャン)たちと遊び回ったりするのは止めなければなりませんよ」 p.96

なんでその3つなんだ、全然スケールが違う(フランスはヨーロッパに含まれるし) ブラジルのバイーア州は最初にヨーロッパ人が上陸して植民地化した始まりの地域だったよな。ジョルジェ・アマードのふるさと

 

 

イカダに立ち上がると祖国の上に両腕をぶらぶらさせ、もったいぶって宣言しました。
「健康(サウーヂ)はわずか、サウーヴァ蟻はたくさん、それがブラジルの害悪だ!」
 それからさっさとイカダを飛び出し、連隊長だった聖アントニオの肖像画の前で敬礼をすると、そこらへんの女の子たちを引っかけに行きました。すぐに出会ったのは仲よしこよしの同胞の国で魚売りだった女で、まだプウン!と生臭い匂いを漂わせていました。マクナイーマは彼女にウィンクをして、ふたりはじゃれあうためにイカダに行ってじゃれあいました。それはもう思い存分じゃれあいました。いまやふたりはおたがいに微笑みあっています。 p.97

「いまやふたりはおたがいに微笑みあっています」じゃあないんだよ。このあとこのフレーズを擦るのも笑った

 

6/3(月) 〜p.110

第九章 アマゾンの女たちへの手紙
書簡体 一人称
自らを皇帝とするマクナイーマが、「臣下」のアマゾンの女たちへと書いた手紙の章
お守りムイラキタンを失くした旨と、サンパウロの街の女たち(娼婦)とイチャつくためにお金が欲しい旨を偉そうに綴っている諧謔の色が濃い

 

6/5(水) p.110〜
マクナイーマの手紙の文体はかなり冗漫で修飾にまみれていて分かりにくい。
都市サンパウロの素晴らしさを語るが、短所を述べているようにも読める風刺的な文

 

6/6(木) p.119〜143

第十章 ピアウイー・ポードリ
ケツ穴を意味する「プイート」を偶然にもお嬢さん方の間に流行させるマクナイーマ。ブラジル人や街や宇宙の由来だけでなく、ブラジルで使われている言語の創世神話もまた偽史として物語ろうとしている。
南十字星と呼ばれる星が、父神ピアウイー・ポードリであることをサンパウロの人々に語るマクナイーマ

 

第十一章 セイウシーばあさん

 

6/11(火)
p.144〜172

第十二章
十三章

 

6/14(金)
p.172〜194
十四章 お守りムイラキタン
ピューマが自動車になった由来のおとぎ話を語るマクナイーマ
巨人ピアイマンをスパゲティの大鍋に突き落としてあっさり倒すことに成功


7/5(金)
p.195~

第十五章 オイベーの臓物
巨人を倒したマクナイーマは都市サンパウロをあとにして故郷への帰路につく。ここから最終パートか
東南海岸部のサンパウロから北上してゴイアス州の山を越えて、アラグアイア川を下る。

相変わらず亡き妻シーを恋しがるマクナイーマ。でも他の女と寝まくっているので一途なのか何なのか。自分を棚上げして、空の星々のなかに浮かんでいるシーを「いじわる女」と呼ぶ。「いじわる男」と「いじわる女」の相互不倫純愛関係って最高かも
「おそろしい大ミミズのオイベー」突然の来訪客を丁寧にもてなしてくれてワロタ 自分の食べようと思っていた臓物をマクナイーマに食べられてしまっても

小さな鐘をつかみ、シーツに身を包んで、おばけの振りをしてお客さんを驚かしに行きました。もちろん、ふざけてですけどね。 p.204

なの可愛い。

 

これかな?

 

オイベーに追いかけられてブラジルじゅうを逃げ惑うマクナイーマ  逃走パートがとても多く、その最中にブラジル各地に山や沼などの自然物を創造してゆく仕組みになっている。

オイベーから逃げながら、ゴレンシの木がまじないで変化したお姫さまとイチャつくマクナイーマ

マト・グロッソ州のサント・アントニオの近くでバナナの木を見つけたときには、ふたりはおなかがペコペコで死にそうでした。マクナイーマはお姫さまに言いました。
「登って、緑のがおいしいから食べなよ。黄色いのはぼくに投げて」
 彼女はそうしました。英雄は満腹になって、お姫さまがおなかを痛くして踊るように身をよじるのを見てよろこびました。 p.209

鬼畜すぎるだろ

そういや兄ふたりを置いてマクナイーマはブラジルじゅうを駆け回っていたのか

 


第十六章 ウラリコエーラ川
マラリアにかかったマクナイーマはとうとう故郷に着くが、すっかり荒廃していて涙

置いていった「良識」の話がリフレインされた! けど、これはマクナイーマの良識は無くなってて、代わりにスペイン系アメリカ人の良識を頭に入れたってことでいいの?

みんながそれぞれ狩り・漁に出る中、悪賢いマクナイーマはサボりまくる。どころか兄の邪魔までする
とうとうジゲー兄さんを殺して幽霊にしてしまったマクナイーマ。反復・再起的構造をもったおとぎ話調の語り。
幽霊になったジゲーは牛の死骸の周りで踊る。カオスすぎてわけわからんけど好き
これでジゲー兄さんは退場なのか?

 

第十七章 大熊座
マラカナン・オウム一羽以外ひとりぼっちになったマクナイーマは、自分のこれまでの栄光の人生譚のほか、宵の明星パパセイア=タイーナ・カンとカラジャー族の娘ふたりの三角関係?おとぎ話をオウムに語り聞かせる。

とうとう独りになったマクナイーマは太陽の女神ヴェイに仕返しされて池に突き落とされ、身体や持ち物をピラニアに食べられてしまう。
散々な目に遭い、世を儚んだ英雄は、空の星になることを決意する……

これだけいろいろやってきて、最後は孤独に出家=昇天エンド。なかなかビターな終わり方。
カーニバルに象徴されるブラジルの熱狂的な国民性、躁の人生観の根底には、このような地上世界の虚しさを見つめる諦観と無常観があるのかもしれない。

 


終章
この物語の語り手の正体を明かす。あの最後に英雄の人生を聞いたマラカナン・オウムと仲良くなり、間接的にマクナイーマを知った男が、こうして滅んだ一族の言葉と出来事をわれわれに語り伝えている…… なるほど。わりとベタな設定ではある。

 


おわり!!!
すぐ読めるかと思ったけど意外とダラダラ日数がかかってしまった。内容は超スピードで夢のようなアホらしい出来事が起こりまくる物語だが、そのカオスがずっと変わらずに200ページ以上も続くので、正直途中は結構飽きがきてしまった。これも『やし酒飲み』と同じ。おふざけ冒険譚の欠点ではある。100ページくらいの分量で収まっていたら楽しく駆け抜けられたかも。
とはいえ、超絶好みな、最高の小説であったことは間違いない。こういう作品がこの世にあってくれてありがとう。翻訳してくれてありがとう。という気持ち。
密林の故郷から飛び出して都市サンパウロへ行き、巨人を倒して再び故郷に戻る…という構成はかなりオーソドックスな貴種流離譚。英雄譚。


7/6(土)
訳者あとがき 読んだ

フーコーフロベールの『聖アントワーヌの誘惑』について書いた「幻想の図書館」の美しい喩えを借りれば、マリオ・ヂ・アンドラーヂの幻想は、理性が眠りに就く夜のあいだに飛び立つそれとは異なり、図書館に並ぶ数々の書棚で翼を広げて待っているもの、書物とランプのあいだに宿るものである。 p.255

なるほど~~ 単なる「夢」ではなく知性と知識に基づいている。まさに「ちょっとインテリになったチュツオーラ」という印象はそれほど間違っていなかったらしい。

 

ラブレーの末裔たるラテンアメリカの数々の作家たちのなかで、ガルシア=マルケスが飛び抜けた才能を世界に示した末っ子だったとすれば、マリオ・ヂ・アンドラーヂは人知れず大きな仕事を成し遂げていた長兄だった、とでも言えるだろうか。ただし、『百年の孤独』の世界が、ヨーロッパの(コロンブス的な)まなざしで新世界を見ることで築かれているのに対して、『マクナイーマ』の世界は逆に、インディオの〈原始〉のまなざしでブラジルの〈近代〉を見ることで築かれている。 p.257

百年の孤独』と比肩させたがる、いつもの翻訳ラテンアメリカ小説しぐさ。指摘はその通りだと思うけど。

 

同じ旅行記を元ネタにしている、いわばきょうだい分に当たる作品がカルペンティエルの『失われた足跡』だというのが面白い。いーかげん読まなきゃ……

 

 

 

 

松籟社の〈創造するラテンアメリカ〉シリーズを読んだのはこれで2冊目だけど、今のところわたしのなかのホームラン率100%です。