『冷静と情熱のあいだ Blu』辻仁成(1999)

 

 

これの続き

 

 

2024/5/23~25(3日間)

 

5/23(木)
1章
『Rosso』が曇り空に湿ったミラノを舞台としていたのに対して、こちらは光と風のまち、フィレンツェにいる順正を描く。

油彩画の修復士(レスタウラトーレ)になるのを目指して修行中。修復という仕事に興味を持ったのは、あおいとの破局時のデートで行った美術館の企画展示を見たから。要するに、失われた命や時を復活させる修復(レスタウロ)という仕事に、あおいとの関係で傷付いた自分の修復を仮託している。また、フィレンツェ発祥のリナシメント(ルネサンス)=再生という歴史をも自分の運命(再会)に重ねている。ものすごく自己陶酔的、ロマン主義的な、きもちわるい人物像。こりゃお似合いのカップルだこと!
年下の(当時のあおいと同年齢の)彼女、芽実(めみ)との互いに縛らない関係の只中で、現状にそこそこ満足しつつ、あおいとの過去を反芻して抑圧しようとしている。対照的な要素を適度に配置しつつ、今んとこだいたい『Rosso』と同じかんじ。この後の(じりじりだらだらと日々が続く)展開まで同じだとしたら、マジで読む意味ないぞ。その可能性が高い。あーいやだ

終章で再会するフィレンツェのドゥオモに5年前から順正は通っていたんだな。屋上には決して登らずに、下から見上げるだけで。お膳立てがきもすぎる~~
成城大学なのね

今更だけど、男女二元論(ジェンダーバイナリー規範)および、ヘテロ恋愛至上主義が全開でキツイ。男女作家ふたりがそれぞれの性別の主人公の恋愛小説を交互に連載する形式とか、「Rosso/Blu」というジェンダーバイアス現状追認でしかない何のひねりもないタイトルとか、内容以外の形式の面からして厳しい。内容がものすごく凡庸な「運命の(ヘテロ)純愛」譚なのは言うまでもない。

 

2章
わろた。芽実はイタリア人の父と日本人の母を持つダブル。主人公の今の恋人枠として、アメリカ人のマーヴと対になる存在。あまりに図式的すぎて笑うしかない。
西行山家集』を研究した順正
工房で作業する順正は、アクセサリー工房のアルベルトを連想する。
仕事の師匠ジョバンナ(妙齢女性?)に頼まれてヌードモデルをする。
順正の母は彼を産んですぐに自死した。愛の欠落ゆえに母のような女性を求めるマザコン男。エロゲの男主人公によくある設定。

 

3章
ラファエロ『大公の聖母子』 やっぱり聖母とあおいを重ねてる
かっこつけて書いてることがことごとく浅く薄っぺらいです。
お〜 仕事場の同僚の男ふたりの情事を目撃する。こうした同性愛要素は、この作品の異性愛主義を強く撹乱するか? 順正が感じる嫌悪感を、単純にホモフォビアととっていいのか……

何かがぼくを不愉快にさせたのだ。 p.59

しかもイタリア青年のアンジェロから告白される。モテモテだ〜
ところで、あおいと順正の大学生編を過去編としてまとめて取り上げる見込みはほぼ無くなった。2冊それぞれで小出しにしていくのみ。順正視点だと余計にしょうもなくたわいない若者カップルの痛く凡庸な熱愛って感じだ。

 

5/24(金)
4章
順正が修復中の絵が切り裂かれる事件
イタリア人の父に会うという芽実とミラノへ

 

5章
例の広場であおいとニアミス 秒速5センチメートルというか、古のトレンディドラマを大真面目にやっている
芽実は父親と再会するが、言葉が通じない ここの切なさ、愕然としたいたたまれない雰囲気はちょっとよかったかな。

 

6章
順正の祖父が突然フィレンツェを訪ねてくる。元気で若々しいおじさん
そして切り裂き事件の意外な真犯人が…… サスペンスというか事件要素があるぶんだけRossoよりは起伏があるか……それともやっていることの陳腐さが余計に目立つか

 

 

まだ読み終えていないが、2001年の映画版をPrime Videoでみた
けっこう原作と違ってるな フィレンツェのドゥオモで初めて再会するんじゃなくて、その数年前にミラノで会ってマーヴとあおいの住む家まで行っている。映画はやや順正寄りの視点。
チェロ奏者はなんだったんだ。ふたりの再会よりも、彼にふたりが再会したときのほうが盛り上がっててわろた

『Blu』を最後までまだ読んでないんだけど、原作でもラストはああいう感じってこと? 『Rosso』だけだと分かんなくて、『Blu』のラストが真エンディング的な。
あおい役を香港のケリー・チャンが担うというのはなかなかに衝撃……違和感が最後まで拭えなかった。日本語が片言のあおいは想像してなかった。父が日本人と言ってたけど、原作では逆に母が日本人だったよね? そもそもイタリアの血が入ってない設定なのか? あと、あおいとダニエラが英語で喋ってるのも変だった。
フィレンツェの工房でのホモセクシュアル要素はオミットされていた。ジョバンナはこのあと原作でも死んじゃうのだろうか。
聴いたことある劇伴が多くてなつかしかった。エンヤのこの曲、小さい頃に聴いたな~~~

てか、全体的に平成初期感がすごくて懐かしみがヤバかった。演出は過剰というかコテコテで、音楽デカすぎて笑っちゃうところがままあった。
フィレンツェとミラノが東京-横浜間くらい近いように描かれていたけど…… 200km離れてるってことは、東京-名古屋くらいか。
あおいが劇中で読んでいた本 ギンズブルグ『ある家族の会話』、山崎豊子『二つの祖国』
葉加瀬太郎冷静と情熱のあいだ」ってこの作品と関係あるのか無いのかよう分からんかったけど、映画ではなく原作小説へのイメージソングだったのか……。

 


7~10章を飛ばして11章から最後(13章)まで読む。
読み終えた。
まじで最後のユーロスターENDは映画とほぼ同じで草 再会できたかどうかは分からんけど、そんなに原作改変してるわけでもなかった。

あとは・・・・・・言うことねぇ~~~~~ しょうもない、としか。あいだまる4章ぶんをはしょっている身で申し訳ないが、展開としてはこっち(Blu)のほうがややあって面白かったが、文章はまだあっち(Rosso)のほうが上手かった気がする。この辻仁成って作家、いちおう芥川賞獲ってるんだよな……? さっすが~~

連載されていた通りに、章ごとに交互に読んだらもう少し楽しめたのだろうか。でも、それだと互いにまだ相思相愛で引きずりまくっていること丸分かりの状態で再会までのジリジリとした歩みを見せられることになってそれはそれでキツそう。
結論:共作なんてすな! プロならひとりで書け! 高校の文芸部じゃあるまいし……
辻仁成のあとがきで「この実験的な小説手法にはかなりの可能性があるような気がする」とか書いてあって目を疑った。この程度のリテラシー、考えならこんな作品にもなるかぁ。

RossoとBlu(と映画)、どちらもおんなじくらいつまらなくて嫌いでした! 貴重な人生の時間をこの作品に割けたことを心から誇りに思います。

 


5/25(土)
7~10章
読んだ。東京編をまるまる飛ばしていたんだな、昨日のじぶんは。
芽実の造形がほんと酷い。ミソジニーがえぐい。
あと、映画でも思ったけど、けっきょく金の亡者であるザ・悪人な父親を設定することで、順正とあおいの破局の原因まで父に帰するのはどうなんだ?と呆れる。こういう形骸的な薄っぺらい嫌な奴を登場させるところも"純愛"エロゲって感じ。『サクラノ詩』……。

 

ぼくは祖父が見ていた窓の外へ視線を向けた。そこには武蔵野の緑に包まれた景色が広がっていた。フィレンツェの歴史に封じ込められた記憶の街を心の筆は勝手になぞりはじめていた。 p.165

祖父の入院する病院から見える武蔵野の森  国木田独歩『武蔵野』の引用? 別れた女性を武蔵野の自然に投影する男性

 

病院特有の臭いは最初の印象ほど嫌ではなかった。エタノールの薬臭い海に、精神が病んだ自分が、どっぷりと浸かっているイメージが頭の中に浮かんだ。 p.168

バスタブに浸かるあおいと連関する表現?