『悪い娘の悪戯』(3)マリオ・バルガス=リョサ

p.220 4章おわり。
フクダ怖すぎワロタ。自分の女が旧友とまぐわっているのを肴に自慰をする…そういうとこやぞ日本人!(主語がデカイ)
そして友人退場ノルマも達成。哀しいなぁ……RPGのように、「僕」のもとに思い出の品が増えていく(”だいじなもの"は仕様上捨てられないんだ)。

第5章 声をなくした男の子
p.273まで
あの花11話かよ!!!強制的問答無用で感動させにくるこの感じ!露骨なのはわかってるんだけど、リョサ先生は世界一小説が上手いので、「こんなのずるいぞ!ちくしょう!」といいながら涙を流すしかないのだった。
ほんとうにうまい。計算しつくされている。
章の初めの方で「今度もどうせニーニャ・マラと再会しては逃げられ呆然として、また次の章へ!ってするんでしょ」とメタ言及を敷いておき、彼女を虐げてきた側から虐げられた側へと徹底的に転落させる。「可哀想な子」にする。(40代だけど)
「ざまあwww 自業自得じゃん」では済まされないほどに徹底的に貶めるので、見事な筋に踊らされた我々は「僕」と一緒に「なんて可哀想なんだ。もう彼女を誰にも傷つけさせないぞ」と思ってしまうのだ。

 

本章の「友人枠」これがまたあざとい。あざといぞバルガス=リョサ〜〜〜〜!!!
これまでの友人枠に輪をかけて「めちゃくちゃいい人たち」の夫婦に加えて、本章の鍵を握るのは"声をなくした男の子"イラル。
「女子供」とは言うけれど、ニーニャ・マラへの同情を誘うために「トラウマで喋れなくなった子供」という無垢かつ庇護対象の権化みたいな人物までも添えてくる。「あざとい」と思われるのは承知の上なので、イラルを養子として育てる夫妻に「彼のことはあくまで普通の子供として接してやって。被害者や障害者として扱われることは彼の成長にとって良くない」と、これまた我々に向けているかのような台詞を吐かせる。この台詞があるからこそ余計にイラルの純真無垢さ、庇護対象属性が爆上がりし、そんな彼がニーニャ・マラだけには声を上げて話すというドラマによって彼女とイラルは半ば作劇上で一体化する。
彼が両親に初めて話すサプライズというあの花11話みたいな超絶感動シーケンスをやってから、イラルたちが帰った後、夜中に彼女がいじらしく「怖いからベッドで一緒に寝て。ただ抱きしめていて」と頼んでくるのはまさにイラル=ニーニャ・マラの図式を成立させようという方針が前面に出ている。まんまと読者は涙も枯れぬうちに、あれほど残酷だった彼女に対してすっかり印象を覆せざるを得ない。参りました。
こちらの感情を完全にコントロールされているが、感情を完全にコントロールされるのがこんなにも心地よいなんて……とまで思わされている。真のエンタメ小説ってここまでの境地に達してるのかよ。