『幽霊たち』ポール・オースター



130ページの中編だが一週間以上かかって読み終えた。
少なくとも今の自分にとっては面白くない。そこそこだった『ガラスの街』よりも更に面白くない。
こうした、いかにもなポストモダン小説、ミステリの構造をあざ笑うかのような作品はむしろ好きなはずだのだけれど。
海外文学を読み始めた1,2年目とかに読んでいればもっと衝撃を受け、楽しめたような気がする。
しかしどうだろう、寓話的な物語は好きじゃないので、いつ読んでもそんなに変わらないのかもしれない。
寓話的……ホーソーンウェイクフィールド』に言及する点なんて、お手本のような"いかにも"じゃないか。
ウェイクフィールド』は大好きだが、この短編をそれらしく登場させる小説には苦手意識を覚える。
『ガラスの街』ではたしか『ドン・キホーテ』について言及していて、そこのパートは面白かった覚えがあるが、
これだって私が『ドン・キホーテ』を未読だから面白がれただけなのかもしれない。
(いや、ドン・キホーテが出てくるのはピンチョン『競売ナンバー49の叫び』だったか?どちらもアメリカの代表的なポストモダン作家のポストミステリ中編ということで、読んだ時期が近いのもあって内容がごちゃごちゃになっている。まぁドン・キホーテなんて、聖書やアリスと並んでもっとも引用される文学作品のひとつだろうが……)

 

こうした小説は好みでないと内容について語ることが本当に何もない。有名な冒頭「まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて……」にカッコいいなぁと思うくらいだ。
「追う者/追われる者がいつの間にか転倒し、境界が揺らいで鏡合わせの構図になる」というよくあるパターンでも、タブッキの『インド夜想曲』のほうが遥かに好みだった。あれは最終章で満を持してやっている上に、描写が本書のように思弁的・自己言及的にならずに淡々と平然としているのがいい。
あと同パターンですぐ思いつくのはカルヴィーノの短編「追跡」(『柔らかい月』収録)か。
そういえば訳者あとがきで「エレガントな前衛」の先輩としてカルヴィーノが挙げられていた。まぁたしかにエレガントだ。

 

読んだオースターの小説は今のところ『ムーン・パレス』『ガラスの街』『幽霊たち』の3作。
あと『幻影の書』を冒頭50ページくらいで放置している。
『ムーン・パレス』がオールタイムベスト過ぎて、ニューヨーク3部作などはイマイチ載れない。
オースター、もちろん素晴らしい作家なのだろうけど、よくも悪くも作風が固まりがち(ミルハウザーほどではないが)なので、どれか1作でも自分にぶっ刺さるものに出会えたら、もうそれでオースターは「あがり」でいいんじゃないか?
つまり、大学2年の夜、人気の絶えたキャンパスの一角で『ムーン・パレス』を興奮しきって読み終えたあの瞬間に、僕にとってのオースターは役目を果たしていたのだ。

 
というのは保守的過ぎるか。てかなんだ"役目"って。あほらしい。



いいかね、ブルー、君は私にとって全世界だった。そして私は君を、私の死に仕立て上げた。君だけが、唯一変わらないものなんだ。すべてを裏返してしまうただ一つのものなんだ。 p.129
ここだけ切り取ったら「クソデカ感情」とかいう概念を弄んでいるオタクたちが食いつきそう。

・会話文もすべて平叙文と同じように書かれ、鉤括弧が一切登場しない点について深堀りすべきだろうか。

 


 



ガラスの街 (新潮文庫)
ポール オースター
新潮社
2013-08-28