『肉体の悪魔』ラディゲ

光文社古典新訳文庫で読んだ。



小学校で女子にラブレターを出しただけでその両親に通報され校長に説教をくらうって厳しすぎない?この時代のフランスはそうだったの?それともこの学校がとりわけ厳格だったか、はたまたフィクションか……

 

p.22
わけのわからない狂った状況を淡々と描写する
近所の議員のおじさん家の手伝いの娘が狂って屋根の上から下りようとせず、子供や群衆がそれを見物しに集まって騒いでいる……どういう状況?
いい…これはいいぞ、うまく説明できないけど
起きている内容も好きだが、言い回しがなにより好み。現代小説にはあまりないような、いい意味で古典らしい文体。(トーマス・マン見てるか〜?)
 

 

初めての彼女マルトとド王道のロマンス。甘美であると同時に愛し合う二人の断絶、ディスコミュニケーションが切ない。
しかしこの作品は「僕」の一人称であるから、二人が互いにすれ違う描写を「僕」が俯瞰して綴る構図になっている。
ただ、これで「僕」はマルトより優位であるとか彼女を理解できているかといえばそんなことはなく、「僕」の語りまでも疑うことだってできよう。相手のことを理解しているふりをしているだけかもしれないのだ。

 

というか、これは過去回想形式になっているため、必然的に客観視してしまう。このあたりの構造については掘り下げる必要がありそうだ。



主人公は自分のことをずっと「若い」ものだと信じていて、マルトが老いることを想像することはあっても、自分がそうなることは全く考えていない。この素朴で歪んだ価値観こそが、2人の破局(まだしてないけど)の最大の原因なのではないか。
マルトの妊娠を知らされて戸惑ったのも、結局のところ自分は「若いままに」彼女と愛し合っているのだという無意識の前提に綻びが生じたからではないか。

 

このあたりの主人公の価値観があらから、どうしても作者本人の年齢や経歴と結びつけて考えたくなるのだろう。



こいつ、あれだけマルトのことは束縛しておきながら自分は親友の愛人を寝取ったり(かわいそうなルネ!)、あろうことかマルトの親友のスウェーデン少女スヴェアを誘惑したりとやりたい放題である。いちいち言い訳がましい。

 

恋人に裏切られたときは手紙に自殺すると書いて脅すしきたりってどんなしきたりだよ。

 

2人の恋物語の展開だけを追っていれば実にしょうもないストーリーだが、恋愛や人生に対する主人公の苦悩の思索の跡がこの小説を魅力的にしている。

 

愚かな人間しか出てこない。それは名作のひとつの特徴か条件かもしれない。狂った人間しか出てこない嵐が丘然り。

 

これだけ精神的に苦悩しているのに、金銭面での苦悩が一切ない。さすが上流階級。

 

読了
最後は唐突といえば唐突だが、散々振りめいたものはあったので雑ではない。
フランス恋愛心理分析小説に連なる作品であるというあとがき解説。筋書きはしょうもないが心理分析描写がすごいとのこと。かなり納得できる。
しょうもなさと痛切さが同居しているというか、それらがひとつのものの両面であるかのように感じられた。

 

遺作の方が評価が高いらしく読んでみたいが、エロティシズムを描いているのはこちらであるようなので、こっちを読めて良かった。



以下ふせん貼ったところ引用

 

体の触れあいを愛のくれるお釣りくらいにしか思わない人もいるが、むしろそれは、情熱だけが使いこなせる愛のもっとも貴重な貨幣なのだ。
p64



「あなたが現れる前は、わたしは幸せだったわ。(中略)すぐにわたしのことなんか忘れるでしょう。何よりもあなたの人生を不幸にしたくないの。わたしが泣いているのは、あなたより年をとりすぎているからよ!」
この愛の言葉は子供っぽいせいで、いっそう気高かった。そして、今後僕がどんな情熱を知ることになっても、年をとりすぎているからと涙を流す十九歳の女性を見ることほどすばらしい感動を味わうことは二度とないにちがいなかった。
pp.67-68

 

その夜、マルトは僕を家まで送ってくれた。(中略)
両親の待つ自宅に着くと、僕はマルトをひとりで帰らせたくなくなり、彼女の家まで送っていった。こんな子供っぽいことがいつまでも続きそうだった。今度はマルトが僕を送りたがったからだ。道の半分のところに来たらたがいに別れるという条件で僕はそれを受けいれた。
pp.68-69

 

ジャックと結婚しなければ、ほかに比較する男がいないから、彼女はもっと高望みをして、結局僕との関係を後悔することになっただろう。僕はジャックが憎いわけじゃない。すべてはこの男のおかげだ、という厳然たる事実が憎いのだ。
p.83

 

(前略)「あなたに捨てられたら、わたしは死ぬしかないわ。あなたが一緒にいてくれたとしても、それはあなたの気が弱いから。あなたが自分の幸福を犠牲にしているのを見て、やっぱりわたしは苦しむのよ」
僕は怒ったが、そんなことはないと確信しているようには見えない自分を恨めしく思った。しかしマルトは、僕が本気で否定していると信じたい一心だったので、僕のまるで説得力のない弁明を非の打ちどころのない理屈だと見なした。
p.84

 

平静に死を直視できるのは、ひとりで死と向かいあったときだけだ。二人で死ぬことはもはや死ではない。疑り深い人だってそう思うだろう。悲しいのは、命に別れを告げることではない。命に意味をあたえてくれるものと別れることだ。愛こそが命なら、一緒に生きることと一緒に死ぬことのあいだに、どんな違いがあるというのだろう?
p.88



父は冷静さをとり戻し、僕に嘘をついたとうち明け、僕を安心させたつもりになった。そんなことをするのは人間じゃない、と父はいった。そうかもしれない。だが、人間と人間じゃないものの境はどこにある?
p.176

 

「ジャックと幸福になるより、あなたと不幸になるほうがいい」
こうして口に出すのも恥ずかしい、なんの意味もない言葉だが、愛する者の口から出れば酔わされてしまう。僕はマルトの言葉の意味が分かったような気にさえなった。だが、正確にはどういう意味なのだろう?愛してもいない人間と一緒にいて幸福になれるのか?
p.181

 

「僕を捨てるって、もっと何度もいってくれ」
そういいながら、僕は息を切らせ、マルトの体を折れるほど抱きしめた。マルトは僕を喜ばせるため、自分でもさっぱり意味が分からないこの言葉を何度も繰り返した。それは奴隷にも見られない従順さ、ただ霊媒だけが示すことのできる従順さだった。
p.185

 


肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)
ラディゲ
光文社
2013-12-20