『夜のみだらな鳥』ホセ・ドノソ(1970)

 
 投稿し忘れていたシリーズ
 
 
読んだ期間:2021/6/6~2023/1/16
 

読書メモ

※行頭の数字は基本的にページ番号の意です
 

1章

冒頭から文章が難しいよぉ〜 『別荘』とは桁違いだよぉ〜人物固有名がすでに飽和してるよぉ

 

 
誰かの死・葬式から始まるのは『コレラの時代の愛』を連想する(ありふれた手法ではある)
 
14
三人称かと思ってたらいきなり「おれ」の一人称になってびびった。こいつがあの悪名高いムディートか
 
語りがすでにかなり怪しいなぁ。会話が括弧にくくられず、複数名の発話がそのまま地の文にうわ言・独白のように溶け込んでいる。リアリズムの徹底から読者に不親切な感じはギャディス『JR』を思い出す。

 
そういや『別荘』の終盤の作者語りで、「道徳的な写実主義で人気を博したから今度は不道徳な洗練された虚構的文体をやっているのだ」的なことを言ってたが、やっぱり夜みだが写実的文体ってことか。
 
別荘のいとこたち → 修道院の孤児たち
ドノソ子供好きだな〜
 
21
「お尻をモクモクさせながら」???
水切りって何? 腰掛けてる(21)し、食器用の水切りラックみたいなものではない?
 
23「建物の外に吊るされ、蝋燭の灯りで照らされた檻のなかに閉じ込められながら」なるほど。でっかい檻なのか
ババルーってどんな音楽だろう
 
22
いきなりなかなか不道徳で印象的なシーン。いいねえ
「正面の窓で髪をとかしていた女は、音楽のボリュームをあげ、手すりに肘を突いて見物する。」ここすき。通りの雰囲気、この見せ物の日常性などが伝わってくる。
イリスに求婚する《ヒガンテ》がボール紙の変な帽子を被っているのは顔を隠すため?(ヒガンテという名称もそのため?)
 
28
大量の空き部屋←わかる
大量の中庭←???
空き部屋ひとつにつき中庭があるってこの修道院どういう間取りだよ
 
静かに忍び寄って、しだいに勢いを増し、初めはほんの少々かげらせるだけだが、やがてすべての光を、すべての、すべての光を、そう、すべての、すべての光を奪ってしまうものの訪れを待ちつづける。 p.28
これが噂の反復か。シーン単位とかもっと大きなスケールでくり返すと思ってたけど、単語・文節単位でひとつの文のなかで反復するのか〜
アンソニー・ドーノソ『すべての、すべての見えない、すべての光、そう、すべての見えない光』
 
29
ムディートがシスター・ベニータへ向けて「あなた」と語っている。三人称と一人称と二人称のハイブリッド
それは『めくるめく世界』のようなわかり易い並列ではなく、ひとつの語りのなかでこれらが溶け合っている。

 

 
すでに語りが極まってるなぁ。迫力がすごい
現在時制での描写(1,2,3人称)と、現在時制での発話(複数人)と、過去自制の発話(複数人)がすべて地の文に入れ込まれているために、どこで切り替わったのか、誰が誰と話しているのか等を推測しながら読まなければならない。
『JR』を思い出すが、あっちは戯曲のように台詞中心のブラックコメディで、こっちは地の文中心の悪夢的な幻想譚なのでぜんぜん違う……のに最後の出力だけやけに似た感覚を覚えるのが面白い。いや面白いとか余裕ぶっこいてられねぇわ
 
 
ブリヒダが夫人の墓の空間を確保しておくとか、死んだらまた別の老婆が部屋に入居するとか、生死にまたがって人間同士の差異・境界が意味をなさなくなって非個性的な均質化された人間(あるいは死人)となる、みたいなモチーフが強調されている。
一人ひとりの人間なんてどうせ代替可能な肉の塊に過ぎない、という感覚
大量の子供などの群像を好んで描くのも、個々の人間より、集団の動態にあらわれる無個性や代替可能性を表現したかったからではないか
 
31
埃とか綿毛と聞くと身構えてしまう別荘後遺症
 
これは先週、メルセデス・バーソンが死んだときに、がらくたの山のなかに放りこんだやつだが、実は、彼女もそれを、別にあてもないのに、ただなんとなく、ほかの死人の遺品のなかから拾いあげたのだ。そのほかの死人だって、別の人間から、別の老婆から、別の死人からそれを……。 p.34
「生命のバトン」ならぬ「死のバトン」だなあ
 
35
地の文中の発話者の切り替わりが「……」で表されているっぽいことに今更気付いた。それでも非常に読みにくく、本当に正しいか怪しいところもある・・・
 
36
やっと出られた!(1章から)
 
 

2章

過ぎていくとは思えない分秒が、時間がそれでも過ぎていくにつれて、人声は燠火(おきび)のように徐々に消える。p. 37
 
フエンテスの円環的な時間、カルペンティエールの逆行する時間に対して、本作の時間間隔はそもそも止まっているように思える。止まっているというか、たとえ動いていたとしても、止まっているのと同じくらいに均質で無意味な時間=生
 
2章は短いし、大半がおとぎ話なので読みやすかった。
ブリヒダが生きてるので1章より前の話だよな
イリス妊娠してたの? 1章で踊ってたのは出産後なのか?
 
 
6/11(Fri.)

3章

2,3章は1章に比べてかなり読みやすい。短いし
 
 
(日付不明)

4章

地下室と七人の老婆
イリスの妊娠が発覚し、その子供を地下室で育てようと準備を進める老婆たち(+ムディート)について
イリスの生理が来ていないことを怪しんだ世話人リータは、老婆仲間のブリヒダやマリア・ベニテスに相談し、妊娠していると発覚する。しかしイリスは処女だったので、老婆たちは「奇跡の子」であると思い込み、いずれ自分たちを救済してくれるであろうこの子を自分たちの手で育てようと決める。(ブリヒダには他人をインブンチェにしてみたい願望があった)
はじめは3人だけの秘密にしようとしていたが、結局アマリアやローサ・ペレス, ドーラを含めた6人にまで仲間が増える。(後に2章で見たように《ムディート》が加わる)
 
ムディートは、イリスの子をいずれドン・ヘロニモの子供にして修道院を継がせることで、自分が末永く院に身を潜めていられることを目論んでいる。
 
ムディートは、修道院の奥にある自分だけの中庭に6人の老婆たちを案内し、奥のドアから秘密の地下室へ導く。
子供をこっそり育てる絶好の場所が見つかった老婆たちは歓喜し、赤ん坊のための道具や部屋の準備を意気揚々と進める。
いちばん熱心だったブリヒダが死に(1章へ繋がる)、代わりにダミアナが補充される。
お腹が大きくなってきたイリスを地下室のベッドに寝かせるが、イリス本人には自分が妊娠していると教えず、お母さんごっこであると偽る。
老婆たちは決して、イリスを妊娠させた父親の存在を認めようとはしない。
女性(老婆)だけで奇跡の子を育てることで、その恩恵に与ろうとしている。
 
 
 
 

5章

やはり、「人権? なにそれおいしいの?」とでも言わんばかりに人の尊厳や個性を無化するような思想が根底にある。
それが、誰が喋っているのか、誰に向けて喋っているのか判然としない文体にも現れている。
『JR』はちゃんと個人の区別がある上で、わざと誰が喋っているのかわからなくしたり、人物の捉え間違いをしているが、こっちはよりラディカルに、そもそも個人間に明確な区別がなく、人物の輪郭を融解させている
 
 
76
イリス・マテルーナよ、お前はつまらない人間だ。そこを除いたものは余分な殻でしかないほどお前の中心的なものだが、その豊穣な子宮を取り巻いた原始的な生命の片割れにすぎないのだ、お前は。
どこぞの議員もここまで言えば一周回って炎上しなかったかも?
 
 
80
イリス・マテルーナよ、お前は動く肉の塊にすぎない。
 
82
いずれにせよ、お前は小さく切りきざまれ、他人の肉体にひとつひとつ移植される。他人に分け与えられて、お前の存在は消えるのだ。
 
83
もはや抵抗を続けることはできず、言いなりになるほかない。服従するのをやめ、自分の意志と欲望を持とうとすれば、耐えがたい苦痛を味わうことになるからだ。
 
84
彼らを眺めるおれの目の苦痛こそ、彼らの浪費する幸福の供給源だったのだ。
→ 苦痛や恥辱や劣等感などの負の感情が転じて人や世界を動かすエネルギーとなるという思想。ザ・ネガティヴ文学
 
《ヒガンテ》が通りを歩いていても誰も見向きもしないのに、《ヒガンテ》がおれでなくたって、誰も気づきゃしないだろう。 p.89
そもそも誰も他人に興味がない。ゆえに代替可能
 
規則正しい間をおいて戸口が連なる、一枚の壁のような長い家並み。91
人だけでなく、家々の個性も剥奪してのっぺりとした「一枚の壁」とみなす。
 
93 急ブレーキした車のライトに照らされた2人(イリスとヒガンテ=ムディート)の描写がエモ美しい。スチュアート・ダイベックみたい
 
アスーラ博士とドン・ヘロニモ、どちらもムディートの目を狙っている(と彼は思っている)けど、もしかして同一人物??
エンペラトリスやペータ・ポンセをも恐れているけど、このへんの因縁はまだ不明
 
ムディートは恐れている人間が多すぎる。けれど、誰に対してもビクビクしているからこそ、その負の態度が転じて、主従・攻守の逆転のように強い立場になって行動を起こす可能性もある。(イリスとの関係)
まさに本作の思想を体現するかのような人物造形。ヨッ、主人公の器!
 
 

6章

イリスを妊娠させたのは、《ヒガンテ》のお面を被ったムディートだった。
妊娠が発覚すればもうお面を借りる必要はないが、ロムアルドはムディートからの代金を当てにしていたため泣きつく。
そこでムディートは、ロムアルドがヒガンテのお面を被らずにイリスを誘惑できたら、月賦の時計の残額分の金を払うと約束する。しかしロムアルドの素顔を見たイリスは「チョンチョンだわ!」と罵り、嫌がる。(※チリに伝わる魔物・人面妖精のこと) こうして、イリスを孕ませたのは確実に自分であると安心するムディート
後部座席から一部始終をみていたムディートは、お面をつけてヒガンテに扮してイリスを助け出す。
 
ヒガンテのお面さえ被ればヤれるというイリスの評判は市全体へ広まり、多くの人々が押しかけた。
ついにはムディートの思惑通りドン・ヘロニモもやってきて、うまく勃たなくて焦っている時にムディートが彼の前に顔を見せる。その衝撃でなんとか行為を終えられたヘロニモは、イリスを妊娠させたのは自分であると思いこむだろう。
これこそがムディートの計画だった。イリスのお腹にいる自分の子を、ヘロニモが自分の子であると認知することで、その子がアスコイティア家の嫡男として修道院の所有者となり、取り壊しを中止させ、ムディートは安心して修道院に留まることができる。
 
 
ムディートの家族(姉と両親の4人家族)、俗っぽい姓のペニャローサ家について
小学教師の父親は、息子に立派な紳士、ひとかどの人間になってほしいと願っていた。その期待は、生まれながらに紳士である貴族たちへの羨望と劣等感に基づくものだった。
ある日、紳士らしい服を買ってもらうために父に連れられた市の中心部で、ムディートはヘロニモとすれ違い、彼の手袋が腕に触れたのを感じる。それ以来、ムディートはヘロニモへの強い渇望を抱くようになった。当時ヘロニモはヨーロッパから帰国した直後で、結婚する直前だった。
 
 
103
ウンベルトの父の「彼自身の空想によって疎外され」る感覚わかるなぁ。
絶対に自分では到達できない、あまりに自分とかけ離れた存在に抱く羨望・嫉妬と、それがゆえの安心感
敗北の美学というかマゾヒズムというか・・・
 
105
ウンベルト→ヘロニモの巨大感情
父が「ヘロニモ・デ・アスコイティア」とゆっくり発音するところあまりにドラマチックで笑っちゃった。
 
 

7章

この章ではムディートはヒガンデの頭(お面)に憑依(?)している?視点が乗り移っている?
町の若い男子ティートが《ヒガンテ》の面をロムアルドから借りてイリスとセックスしようとするが、黄色い犬がフォードの中まで入ってきて、結局かわされた。
 
ティートの兄ガブリエルが営む書店に来たロムアルドに、弟が損した分の金を返せとガブリエルは迫る
ロムアルドはそれを突っぱねようとするが、近くにいた青年四人組に絡まれる
ヒガンテの仮面は四人組に太鼓のように叩かれ、それに合わせて四人組とティートは踊る
ぼろぼろになっていく仮面を嘆いて、店内にいるイリスが泣き叫ぶ。しかし四人組にそそのかされて誘惑ダンスをもする。
殴られたロムアルドはムディートのことをバラそうとするが、彼はムディートの正体を知らない。
四人組にヒガンテの仮面は破壊される
残った鼻はペニス(のよう)になってしまった。それすらも折られてしまう
ロムアルドは逃げ出す。金を奪い返すことができなかったティートを、ガブリエルが慰める。
店のカウンターの奥でヒガンテの服を見つけるが、気に留めない。
 
パン助=パンパン=娼婦、あばずれ女などの差別用語
こんな言葉はじめて知った
 
「おれの頭」って何!?と最初困惑した。ムディートは色んなものに呪術的に憑依していくのか、あのお面が特別な品物なのか。仮面の視点で、自分からは何も出来ずその場を実況するだけというのはある意味で隠しカメラ(『JR』)っぽさもある。
物体視点で語る小説ほかにもあった気がするけどパッと出てこねえ
 
やっぱりドノソはある程度たくさん人がいる場の狂乱的な雰囲気のシーンを書くのが上手い。ロムアルドとイリスが去って、仲間たちも掃除を手伝わずに雨の中次々帰っていく、その熱狂が消沈した雰囲気への以降も良かった。掃除を手伝うアニセートえらい。
学園モノ書いてほしい
 
 

8章

修道院の地下室で、[七人の老婆]は雨に濡れて疲労困憊のイリスをベットに横たえる。(おそらく7章の書店シーンの直後)
イリスの父親は妻を殺して死刑判決が下ったという新聞記事から、今頃はもう死んでいる(父親いたの?→5章)と老婆たちは話す。イリスは父の死を悲しんでいる?
ブリヒダの穴埋めとして入った老婆の一人ダミアナは下っ端として酷使されていたが、突如幼児退行して呻く。
イリスはダミアナを本物の幼児として扱い授乳する。
イリスと残りの老婆たちはダミアナを寝かせる。イリスはダミアナを抱いて子守唄を歌う。
「みんなは、ダミアナという名前さえ忘れてしまった。ただ、イリスの赤ちゃん、と呼んでいる。」 p.129
 
「イリスはダミアナの股を開く。むき出しの性器の醜悪さもおれに嫌悪を感じさせない。むしろその逆だ。たいそう慎み深くて純潔なおれたちが大事に守ってきた肉体の一部を《ムディート》の目にさらして、それを恥ずかしいとも思わない。七人の老婆の仲間入りをしたために、おれの性が消えたことを、その事実は意味しているのだろうか。おれのからだは徐々に小さくなっていく。おれは、おれの性器を隠しておくこともできるのだ、声を隠してきたように。」 p.130
ダミアナは縮んでしまい、しだいに簡単なことばしか話せなくなった。イリスも以前とはまったくちがう、「ダミアナの母親」になってしまった。(p.133まで)
ムディートは、ブリヒダの遺品から見つけたスイスの山小屋のオルゴールに、出産後のイリス(とダミアナ)を閉じ込めようと画策している。
 
そんなある日ムディートが地下室に降りていこうとすると、赤ん坊のはずのダミアナがイリスにこっそり社会情勢や時事について新聞の話題を喋りまくっていた。
幼児退行は老婆達を騙すための”フリ”だったのだ。ダミアナはイリスを修道院から救い出し、子供の真の父親(と思っている)《ヒガンテ》=ロムアルドを探し出して一緒に暮らしてもらうつもりだったのだ。そう考えたムディートは、2人を警戒して監視するようになる。
 
イリスが出産するのはいつだろうと話す老婆たち。
かつてイリスが処女であると告げた呪い師マリア・ベニテスは、以前イリスが中庭で発作を起こした際に、男が修道院に忍び込んで彼女を妊娠させたのではないかと恐る恐る語る。
それを聞いて、妊娠中に男と寝ると、かたわ(身体障害者)の子が生まれるという言い伝えを盛んに話す老婆たち。畸形の子が生まれることをムディートは歓迎する。ドン・ヘロニモの子、アスコイティア家の跡継ぎに相応しいと彼は考える。
 
ムディートのブリヒダ&イリス監視は続く。
イリスの子をロムアルドの元へ渡したいダミアナ&イリス vs ヘロニモの元へ渡したいムディート
ムディートはペータ・ポンセを恐れて自分から町の外に出ることはしない
ダミアナは修道院から突如として姿を消した。老婆は再び6人に
イリスは外に出してほしいとムディートにせがみ、誘惑する
あなたが本当は唖でないことをシスター・ベニータに言いつけるわよ、とムディートを脅迫するイリス
彼女は外へ出てもダミアナと再会はせずに、自分の子の父親を捜して一緒に暮らしたいと言う
イリスの誘惑を何とかかわして、「自分が代わりに外へ出て父親を捜してこよう」と提案するムディート
なんとかヘロニモの元へイリスを届けたい
父親を連れてくるまで山小屋のオルゴールで遊んでいてくれとイリスに言い残してムディートは去るが、門を出た瞬間に何者かによってかんぬきが下ろされ、彼は雨が降りしきる町へ投げ出される。
 
 
(イリスは妊娠してるハズだがお腹が大きくなる描写がまだない→お腹に子供がいる描写があった)
 
ムディートは出版するつもりのない大量の原稿や、彼の名が挙げられた批評などがあるらしいことから察するに、かつては作家・小説家だった?
小説家の語り手は即座にメタ作者的な位置づけをしてしまいたくなるが、どうであろう。
『別荘』ではドノソが直接に作者兼語り手として作中に出てきたが、本作ではどうなのか。ムディートの過去が語られるのを待ちたい。
 
ムディートの語りが安定しない。自分こそがイリスの子の父親であるとか、そうではないとか、自分は老婆であるとかそうではないとか、言ってることがコロコロ変わる。嘘をついている、信頼できない語り手であるというよりも、もっとぐちゃぐちゃしている印象。精神倒錯的に狂っている、白痴のような語りというわけでもない。
「信頼できない語り手」や「白痴」という単語に/彼個人に 押し込められる異常性ではなく、修道院やこの小説世界全体が寄る辺無さに覆われている。まさにその寄る辺無さを積み重ねて小説が構築されている。そんなイメージをここまでで受ける。
 
特に「真相がわからない」要素として「〇〇を孕ませた、あの子の父親は誰だ」というのはとても王道の要素なんだと感じた。ヒストリアの子の父親はサスペンダー男ではなくエレンなのではという流言を思い出した。
 
ただ、そうした寄る辺無さ、ところどころの怪しい点はあれど、文章自体はそんなに錯乱しておらず、2章以降はかなり読みやすい端正な文章と言えるのではないか。
また、いきなり幼児の振る舞いをし始めたダミアナが実は策謀のための演技でした〜という「普通の小説」っぽい、異常性を否定する、そこそこロジックの通った展開もある。
何もかもがめちゃくちゃでヤバいわけではなく、『夜のみだらな鳥』という前評判のバイアスを除けば、実は結構王道の文学作品なのではという気もする。
ドノソはラテンアメリカの<ブーム>世代で最も文学的な作家と言われることがあるらしいのも頷ける。
 
赤ん坊のフリをする老婆、それに合わせて母親として振る舞うイリスなんかは、『別荘』の<伯爵夫人は午後六時に出発した>だ!!!とテンションが上がった。
ごっこ遊び(虚構)を現実と混同したり、それを現実として受け入れてしまうような倒錯性のモチーフを好む。スイスの山小屋のオルゴール(ミニチュア模型)も同じ。
騙し絵のような、思わず本物と見紛うほどの精巧な作り物への志向は強い。ドノソの小説観が窺える。
(それだけに、ダミアナの幼児退行が策略だという展開にはちょっとズッコケた)
 
 
 

9章

(8章の続き?年月が飛んでいる可能性もある)
《ムディート》がシスター・ベニータ(あなた)に向けて語る
ムディートはドン・ヘロニモの屋敷へ忍び込み、書斎に100冊もある自分の著書のうち1冊を盗み出した。警察が彼を追うが、車に轢かれそうになりながらも逃げ切る。
盗んだ自分の本を河原で燃やして焚火をしていると、様々に仮装した "顔のない連中" が集まってくる。
いつか100冊全部を燃やせば、完全に顔のない連中の仲間に入ることができると考える。
アイデンティティを仮面のように自由につけ外す顔のない連中(ムディート)と、自己同一性にこだわる普通の人々(シスター・ベニータ)の対比
焚火が終わり、連中は去っていく。
 
いきなり年月が飛び、ドン・ヘロニモは死に、例の子供《ボーイ》は予言通り畸形児として生まれ、すでに少年に育っている。
自分の著書を屋敷から盗んだ罪でムディートは警察に拘束されており、屋敷の住人としてボーイが呼び出され、小部屋で対面する。ムディートはボーイの成長をずっと盗み見てきたが、ボーイはムディートのことを知らない。
ボーイは父ヘロニモの書斎の本を読んで育った。ボーイの興味を惹くために問題の本の著書は自分だとムディートは言う。
その証拠に、その本のどの部分もそらで書けると宣言する。
 
※ムディートの著書には、ボーイやヘロニモやイネスが登場人物として出てくる。当然、この『夜のみだらな鳥』自体がムディートの著書であるというメタフィクショナルな仕掛けの線を勘ぐってしまう。全てが彼の創作であれば、『夜みだ』がムディートの一人称小説であり、記述や時系列の怪しいことも合点がいく。(しかし、著書は180ページと言及されており、夜みだは原書でもそんなに薄くないだろう)
 
ボーイの誕生に立ち会うヘロニモ。彼は自分の息子である畸形児をみて殺そうとするが思い留まる。彼は息子をリンコナーダに住まわせ、自分は寄り付かないようにする。人々は次第に、ヘロニモに畸形の息子がいることを忘れてしまった。彼は公人としてエリートであり非常に魅力的であったからである。
彼は上院議員の引退演説のあと、隠居生活を送った。数年後に彼が死ぬと国中の人が哀しみ、葬儀は盛大に行われた。
 
以上のくだりは、ムディートが空で書いた「序文」であった(そうなの?)
ボーイは彼の前から去り、ムディートも釈放された。結局、彼が忍び込んだ屋敷の主人は来なかった。(誰?ヘロニモは死んでるよね)
雨の中ムディートは修道院へ帰る。
 
 
ヘロニモ、「特権階級のエリート男性」をあまりにも戯画化したような人物像。調和の権化
だからこそ、その息子が映えるし意味深くなる。
 
国の英雄ヘロニモの哀悼シーンは『コレラの時代の愛』のウルビーノ博士のそれを連想する

 

 
「Aであり、かつAではない」という矛盾が根底にある小説といえばアイラ『わたしの物語』もそうだが、あちらがふざけているのに対してこっちはもっと荘厳で文学的。
 
 
 

10章

ドン・クレメンテの生前の話
叔父のドン・クレメンテ・デ・アスコイディアがヘロニモを迎える(時系列どうなってるんだ)
金曜日には男性の有名人を食事に招いているという。この国の政治を牛耳っているのは料理人のマリア・ベニテスだという噂がある。
ヘロニモは、大戦のためにヨーロッパから帰ってきたと述べる。政治の話題が出たため、派閥のメンバー同士が乱暴な言葉を投げ合い、やがて人々は帰ってゆく。ヘロニモは、「自由に尊厳を与えてくれる義務」を求めてこの土地に帰ってきたのだった。
ドン・クレメンテは、ヘロニモに代議士に立候補してほしいと伝える。ヘロニモは嫌がる。政界で名を上げることはクレメンテの夢だった。ヘロニモは、クレメンテの前から消えてしまおうかと考える。その時、クレメンテはホウレン草を喉に詰まらせる。
 
 
ヨーロッパにわたり祖国のあるアメリカ大陸を忌避するも、自身のなかの拭えぬ〈アメリカ大陸性〉に葛藤するヘロニモ、フエンテス作品に通ずるものがある。
 
ドン・クレメンテがヘロニモのことを《ボーイ》と呼んでいたが、一般名詞的にも使われてるのか?
 
ドン・クレメンテの家父長制と神への信仰心が結びついた象徴としてのあの修道院
 
 
 

11章

pp.181-191
ヘロニモとイネスの馴れ初め〜結婚初夜
議員候補としての旅行の合間のパーティーで、ヘロニモはイネス・サンティリャーナに一目惚れし、すぐに2人は親族公認の仲となり結婚の支度が進められる。
挙式の一週間前の昼食会のあと、イネスは乳母ペータ・ポンセを自分たちと一緒に結婚生活に連れていくとヘロニモに嘆願する。
かつてイネスが修道院ですさまじい腹痛に襲われた際にペータ・ポンセが痛みを「吸って」救ってくれたため、命の恩人として大切にしている。吸ったあと、イネスの代わりにペータ・ポンセはずっと腹痛に苦しんでいるのだという。
 
イネスがヘロニモをペータ・ポンセの住む汚く薄暗い倉へ連れて行く。ヘロニモは老婆の不浄さに愕然とし、一刻も早くここからイネスを連れ出さなければいけないと考える。
ペータはヘロニモに、三枚の立派な白ハンカチを贈る。彼女の不潔さとは似ても似つかないそのハンカチに、ヘロニモはショックを受けて世界が揺らぐような不安感を覚える。
立ち去る際にヘロニモはペータ・ポンセの手に金をにぎらせた。
 
結婚生活にペータ・ポンセも連れて行くなど到底賛同できないヘロニモ。ペータに穢されたイネスを浄め、呪われた修道院を取り壊すのが自分の役目だと考える。それを聞いて怒ったイネスは夫の頬に爪をたてて流血させる。その頬のまま彼は結婚式を迎える。
ドン・クレメンテから、「夫にからだを拒むことは犯してはならぬ大罪である」と教えられたイネスは、初夜にその大罪を犯す。拒まれたヘロニモは早朝には正気を失い、「なんでもしますから」と約束する。(なんでもするとは言っていない)
こうしてイネスはペータ・ポンセを連れていくという希望を夫に承服させることに成功したのである。
 
その夜から、ベッドの上のヘロニモとイネスは、彼らふたりきりというわけにはいかなくなった。ある影、このおれの影、《ボーイ》の影、福者イネスの影が、いつも彼らにつきまとった。あの初夜の晩、彼らを励ましながら勝ちを争っていたのも、実はドン・クレメンテとペータ・ポンセだった。ボール紙細工のでくを操る人形師のような、ふたりだったのだ。 p.191
 
イネスと同名の修道院の伝説的な聖女イネス・デ・アスコイティア(福者イネス):重要人物そう
 
 
 
 

12章

pp.192-212
おれ=ヘロニモ
君=イネス
お前たち=ヘロニモの飼犬たち
 
選挙の前日
ヘロニモとイネスの結婚生活5年目、リンコナーダの庭園でヘロニモは四頭の犬を飼っていた。彼らのための臓物を黄色い牝犬が横取りする。この牝犬はイネスのお気に入りらしい。
飼犬を世話する小作人は明日の選挙で自分の敵に投票するだろう、なぜなら自分を憎んでいるから──とヘロニモは考える。
 
結婚して5年間、イネスはヘロニモと性行為することを避け続けていた(マジ?)。
夜遅く、庭園の茂みで光る飼犬たちの目に囲まれながら、ヘロニモはイネスを茂みへと連れ出し、落ち葉の上でセックスをする。
飼犬の目は「ふたりの幸福を要求する証人たちの目」であり、「証人であるお前たちこそ主人なのだ」とヘロニモは言う。
 
シームレスに語りが《ムディート》へと切り替わる。(数行でまたヘロニモへ戻る)
ムディートはシスター・ベニータ(あなた)に向けて語る。飼犬たちの目のうちのふたつはおれの目で、ふたりの行為を覗き見していたのだと。
 
犬たちの目の光が薄れ始め、ヘロニモは慌ててことを終えようとする。イネスが絶頂して叫び声をあげたが、それは黄色い牝犬を至近距離で見たからでもあった。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーー
 
選挙中、急進党の勝利が確実視されていた地区で投票箱が何者かによって盗まれた。急進党陣営はこれを保守党の仕業だと考えて、ヘロニモのクラブ(教会)の前の広場に群衆が集った。
出ていけば命が危険だという仲間からの制止を振り切って、ヘロニモはリンコナーダへ帰ろうと教会の扉を開けて広場に出る。
群衆と一触即発になり、同行していたウンベルト(ムディート)がヘロニモを教会へと戻す。
ふたりは教会の屋根を伝って裏道から逃げようとするが、屋根の上にいるところを群衆に見つかり、一発発砲され、ヘロニモは司祭館の中庭へと落ちていった。警察が来るが、誰が撃ったのか誰もわからない。警部は教会の扉を叩き、司祭と対面する。
以上が公式の新聞や書物に書かれていることだが、実は撃たれたのはヘロニモではなくウンベルトだった、と彼自身がシスター・ベニータに語る。
 
ヘロニモが広場に出たとき、ウンベルトは彼のポンチョの背後に隠れるように立っていた。実はウンベルトはヘロニモを憎んでおり群衆の仲間になりたかったが、それと当時にヘロニモ自身になりたいという倒錯した思いを抱いていた。それゆえに、教会の屋根から逃げようとしたときに、ヘロニモを騙ってウンベルトが屋根の上に仁王立ちになり、腕に銃弾を受けたのだ。
被弾して中庭へころがったウンベルトは司祭とヘロニモに介抱され、一命を取り留めた。ヘロニモはこれを絶好の機会だとして、ウンベルトと同じ位置に包帯を巻き、彼の血を付け、自分が撃たれたように扮した。
これによって世間を味方につけ、ヘロニモは選挙に勝ち上院議員となった。
 
 
 

13章

pp.213-234
・イネスの懐妊
イネスはヘロニモが仕事で家を空けているとき、よくリンコナーダの建物の奥に住むペータ・ポンセに会いに行った。彼女はそこで老婆に新婚生活の愚痴や不妊の悩みを打ち明けた。
女ふたりは生まれる赤ん坊のための服や下着を縫っていたが、思うように妊娠できずに5年もの年月がたつにつれて、縫う服が次第に小さくなっていった。服以外にもベッドやテーブルや椅子などの家具のミニチュアも作った。
そうして、選挙の日の夜に、ペータ・ポンセは自分の汚部屋に主人ドン・ヘロニモを連れてくるように、「おれ」=ウンベルト(《ムディート》)に告げた。
 
でも魔女のお告げなんですよ。あの方がひと晩、このわたしの部屋でいっしょにお過ごしになれば、イネスお嬢様、あなたは間違いなく、みごもることができるんでございますよ。 p.220
(魔女≒福者イネス?)
 
選挙当日、(前章で語られたように)広場で負傷したウンベルトはリンコナーダの家に搬送された。自身をヘロニモだと思い込んでいたウンベルトは、その夜更けにペータの部屋へ赴いた。するとイネスが現れ、ふたりはペータの汚いベッドの上で交わった。彼女はウンベルトのペニスを受け入れたが、それ以外の身体の接触は徹底して拒んだ。
 
シスター・ベニータ、おれがおれであることを認めてくれ、と要求する声を、彼女が聞こうとしなかったあの瞬間から、実は、おれは唖になったのだ……  p.222
 
その夜(多分)、ドン・ヘロニモも帰宅し、イネスとふたりで寝ていた。外の窓のところで例の黄色い牝犬がずっと吠えていた。それに我慢できずにヘロニモは彼の四頭の黒い犬を引き連れて外へ出て、その牝犬を喰い殺させた。
翌日、ヘロニモとウンベルトは首府へ発った。数カ月後に帰ってきたとき、庭師に聞いても黄色い牝犬の死骸なんて無かったと言われた。
夫が外に出ているあいだにイネスはペータの部屋でウンベルトと性交していたのか? そうではなく、実はウンベルトと交わったのはペータ・ポンセだったのだ、と彼は語る。
ウンベルト≒ヘロニモ、ペータ≒イネス、という妄想的な対応関係のもと、ウンベルトとペータという「闇のカップル」が交わることで、ヘロニモとイネスという「光のカップル」が交わったことになり、数カ月後、イネスはようやく懐妊をしたのだ、と。
 
あの夜以来、ペータは再びの行為を求めてウンベルトを付けまわすようになった。瞳以外をアスーラ博士の手術で変えてもらったウンベルトは、これで彼女に見つからないだろう……と思っている。
 
イネスが妊娠してから、ヘロニモは不能になった。彼はウンベルトを誘って貸し切りの女郎屋(風俗)へ行くようになった。そこでヘロニモは自分が女と交わるところをウンベルトに眺めさせた。そうすることでヘロニモは興奮できた。
 
ウンベルト、わたしの精力を思いのままにできるのは君なんだ。わたしが君の腕の傷を奪ったように、君はわたしの力を奪ってしまった。わたしのそばを決して離れないでくれ。ねたましさであふれた君の視線が、わたしには必要なんだ。それでやっと、わたしは男でいることができる。 p.232
 
ーーーーーーーーーーーーーー
 
遂に生まれた《ボーイ》は醜悪きわまりない畸形だった。
それは混沌あるいは無秩序そのものであり、死がとった別の形、最悪の形だった。 p.234
 
ーーーーーーーーーーーーーー
 
ペータ・ポンセのような老婆たちには、時間を重ね合わせたり混乱させたりする力がそなわっている。彼女たちは時間を掛けたり割ったりする。あらゆる出来事はその皺だらけの手の上で、華やかなプリズムに当たったように屈折し、拡散する。彼女たちはものごとの連続的な流れを断ち、その一片一片を平行に並べたり、折り曲げたり、輪にしたりして、自分たちのもくろみに役立ちそうな仕組みを作りあげる。 p.228
 
 
 
 
2022年4月18日 深夜〜
13章までで中断していたのを再開。14, 15章
父親による息子への壮大な虐待モノと見ることもできる。
 
 

14章

pp.235-244
 
・畸形の王国
《ボーイ》のために、父ヘロニモはリンコナーダの屋敷から「外の世界」に繋がるモノを徹底的に排除した。
畸形の息子が自身を「畸形」で「異常」なものだと認識しないように、各地から畸形の人間を集めて《ボーイ》の召使いとして雇った。《ボーイ》の身の回りの世話以外では、畸形の人々は屋敷の敷地内で好きに社会を作って暮らしていいとした。
そうして、互いに惹かれ合う者たちも現れた。
 
醜悪と怪異とはまったく別のものである。後者の意味するものは美のそれと対立しながら対等である。したがって怪異は、やはり美と対等の特権を与えられなければならない。ドン・ヘロニモ・デ・アスコイティアがその誕生の日から息子に与えたいと願ったのは、ただひとつ、怪異なるものだった。 p.236
 
ヘロニモはウンベルト(《ムディート》)を畸形の王国の責任者にした。畸形の召使いたちはウンベルトを通してしかヘロニモに連絡できない。
屋敷で唯一畸形でないウンベルトこそ「異常な人間」であり、《ボーイ》に「畸形」の何たるかを教える役目があった。
またウンベルトはヘロニモから作家としての才を認められており、リンコナーダの暮らし、《ボーイ》の世界を記録する仕事も任された。
 
 
・屋敷に雇われた畸形の人々
エンペラトリス:ヘロニモの遠い親戚。とても小さい
ミス・ドーリー:世界一の大女。
ラリー:ミス・ドーリーの亭主。手足がとても長く頭が小さい。
アスーラ博士:顔のほぼ中央に隻眼がある。
ベルタ:下半身不随の女。トカゲのように這って移動するため手や腕が異常に太い。
メルチョール:赤黒い肌を持つ男。顔はぶちになっている。
バシリオ:大頭の怪力男
 
 
 

15章

pp.245-260
 畸形夫妻の追放
《ボーイ》は出産直後にアスーラ博士の手術を受けて一命をとりとめた。
リンコナーダの屋敷に畸形たちが住みはじめて数年が経ち、彼らのなかでも階級が形成されていた。召使いのトップはエンペラトリス。ウンベルトは年に一度しかヘロニモと連絡をとれない。
アスーラ博士は次第に《ボーイ》の世話に飽きて男女構わず近くの畸形たちと情交に耽るようになった。
そんなあるとき《ボーイ》が緑色の下痢をするようになった。その原因は、ミス・ドーリーが母乳を飲ませていたことだった。彼女とラリー夫妻のあいだには何人も子供が生まれたが、畸形児ではなかったので屋敷から外に出さざるを得ず、代わりに《ボーイ》を育てようとしていた。
それを目撃したウンベルトとエンペラトリスは、ただちにふたりを追放することに決めた。
ミス・ドーリーの胸に抱かれた《ボーイ》はウンベルトを見て「コワイ」と言った。その場にいたエンペラトリス、ミス・ドーリー、ラリーの3人にも嘲笑された。自分だけが畸形でないことに疎外感を覚えていたウンベルトにはこれが決定的なトラウマになった。
 
 
 
4/19
16, 17章
 

16章

pp.261-280
・ウンベルト・ペニャローサの苦悩と変身
ウンベルトは主人ヘロニモに任された通り、《ボーイ》にまつわる記録を書こうとするが、胃が痛んでなかなか書き始められない。先日、エンペラトリスたちから嘲笑されたことも深く尾を引いている。彼は焦燥し、エンペラトリスが自分と深い仲になって地位を乗っ取るつもりではないかと考える。彼女を殺さなければと思い、そして同時に彼女に欲情している自分に気付く。
彼は法学生時代に人類学博物館のミイラの展示の前で初めてドン・ヘロニモに出会ったときのことを思い出す。あのとき作家だと名乗らなければ今こうしていることもなかったのに、と後悔する。
痛みと苦悩に堪えきれなくなったウンベルトはエンペラトリスの部屋へ行く。そこには畸形たちが集まっている。ウンベルトはベッドに寝かされて下痢をする。アスーラ博士が介抱する。畸形たちの血が彼に輸血され、彼の身体はみんなの畸形を取り込んで変貌していく。彼のもとの血はどんどん吸い取られていく。畸形たちは「普通」の人間の血を欲しがっていて、自分は騙されたのだと妄想する。遂には「ウンベルト・ペニャローサ」という名まで略奪される。
 
 
 

17章

pp.281-292
・病床の回想
名前を奪われて《ムディート》となった「おれ」は、ドン・ヘロニモの費用援助によって病院に入れられていた。危篤状態でからだの八十パーセントが切除され、なんとか一命をとりとめたらしい。彼は自分が看護婦たちから嫌われている、と思い込んでいる。また、入院ではなく監禁であり、患者ではなく囚人なのだと考え、ヘロニモに騙されたと語る。
彼は再び法学生時代のヘロニモと出会った頃を思い出す。彼は法学の道を諦めて、場末のバー・エルクレスで大学の仲間たちと駄弁り、小説を書いていた。バーで働くソイラ・ブランカ・ローサ(ロシータ)と関係を持っていた。
小説を出版するコネも金も無かった彼は、ヘロニモに手紙を書き、100部の印刷代金を融資してもらったことで、念願の作家デビューを果たす。新聞に彼の名前が乗り、そこで実の父は初めて息子が文学を志していたと知る。息子が名士ドン・ヘロニモと繋がりがあると聞いて驚き、すぐに挨拶に行くように言う。それに嫌気がさした「おれ」は家を出てロシータと同棲を始める。
大学の仲間たちとは疎遠になっていたある日、バーにいる「おれ」の元にドン・ヘロニモが会いに来る。父から自分の居場所を聞いてきたようだ。ヘロニモを拒絶するが、彼はロシータに「あした十時に屋敷へ来てくれ」と住所が書かれた名刺を渡してバーを去る。「おれ」はその名刺を破り捨てる。
 
 
p.291 変な誤植 「 [ 」 が文中に挟まっている。
 
 
 
これで半分を過ぎた。
 
倫理を徹底的に排除しているからこそ、逆説的に真の倫理が浮かび上がってくるような倒錯構造。
語り手ウンベルトが本当に存在するのかも怪しくなってきた。「本当に存在する」かどうか、という問いが融解し、意味をなさなくなる。いろんな他の人物とウンベルトが同一視される。ドン・ヘロニモ、ペータ・ポンセ、エンペラトリス……。
何もかもが倒錯している。きたないはきれい、きれいはきたない。あらゆる価値の両極が同一化して円環を成す。

「愛する」ことと「殺す」ことは等しく、「この人を消し去りたい」と「この人になりたい」は等しい。醜悪な老婆こそが絶世の美女であり、ただ一人畸形でない者こそが異常な畸形として疎外される。

 
いうほど露悪的・グロテスクではないし、いうほど難解でもない。
というのも、ドノソの文章の基調は正統派のゴシック小説の文体であるし、ジョイスのように言語遊戯レベルで文章が崩壊しているわけではない。一文一文は明瞭に意味を成す。ただ、その構成と世界観が徹底的に倒錯しているため、慣れるまではきつい。
読んでいて吐き気がする、ようなことも今のところない。ケッチャム『隣の家の少女』とか、web上のグロ小説とか、現実に起きた凄惨な事件のルポとかのほうがずっと気分が悪くなると思う。
本書の読書体験は、そういう直球のグロテスクさ、露悪とは異なる次元にある。うまく言えないが、「心地よい(悪)夢」のような感じ。いうほど「悪夢」感もなく、ベースはリアリズムの近代小説で、そこに実験的な構成と語り、そして装飾的な退廃エピソード群によって特異な世界観が構築されている。ホラーでもスプラッタでもないし、むしろ独特な居心地の良さすら覚える。
 
 
 

18章

pp.293-310
 
病状のムディートは肉体の80%が切除されていた。彼の身体の断片は畸形たちに移植され、彼らは正常な身体になっていった。
それだけでなく、彼らの畸形の部分をムディートに移植することで、それが次第に正常なものへと変質するため、それを再び自分の身体に移植し直す、という方法もとられているようだった。
 
 
アスーラ博士の手によって、《ムディート》のペニスをヘロニモに移植する手術が計画される。
実はあの夜、ペータ・ポンセと性交したのはウンベルトではなくヘロニモで、ペータの中に入ったヘロニモのペニスは腐って使い物にならなくなってしまった。(イネスを抱いていたのはウンベルトだった?)
だからヘロニモは、ムディートのペニスを奪うことにした。
 
屋敷を逃げ出して牧場のような公園(草むら)で焚火をしながら夜を明かしていたムディートをペータ・ポンセが追いかけて、寝ている彼のズボンの前を開けてペニスの有無を確認する。
 
ムディートと結婚することになった[エンペラトリス]は、ウェディングドレスを着て彼のベッドの横でずっと待っていた。病床で結婚の儀をあげかけたが、彼のペニスの有無を見て(?)、エンペラトリスは逃げ出してしまった。
 
《ムディート》が病室から通りを眺めていた四角い窓は、実は壁に貼られた写真だった。彼はずっと閉じ込められていたことに発狂して写真を剥がして引き裂いた。
 
 
 
 

19章

pp.311-331
 
エンカルナシオン修道院の取り壊しが決まり、売却物の目録の制作が始まっていた。
シスター・ベニータとラケル夫人が話す。
シスター・ベニータは長年この修道院で老人たちの世話をしてきた。牧師様に、転職させてくれるよう何度も頼んできたが聞き入れられなかった。修道院が無くなるということで、もう老人たちの世話は絶対にしたくないと思っている。
 
ラケル夫人が、先日亡くなった女中ブリヒダとの過去を話す。
ブリヒダは株・投資に関して天賦の才を持っており、ものすごい資産を蓄えていた。彼女は外出が嫌いだったので、不動産の売買や管理にはなぜか主人であるラケル夫人がこき使われていた。
ブリヒダは生前から、自分の(豪華な)葬式の段取りを細かく手配していた。
ブリヒダが遺した莫大な資金をどうするかラケル夫人は悩んでいる。修道院にいる老人たちの豪華な介護病院を建てて、そこの世話役をやってもらえないかとシスター・ベニータに告げるが、当然断られる。
 
修道院の礼拝堂の灯明のところにある、唯一価値のある聖餅をアソカル神父が盗みに来た。
それを、いちばん後ろの席でうとうとしながらシスター・ベニータが見ている。椅子に乗って取ろうとしている神父に「危ない」と注意するよう《ムディート》に頼むが、彼は唖なので喋れない。
壊れそうな不安定な椅子の上で神父はジタバタする。その様を見てシスター・ベニータはついにこらえきれず大笑いしてしまう。神父は椅子から転落し、「畜生」と吐き捨てる。彼は聖餅を持ち去っていく。
 
 
 

20章

pp.332-356
 
・妊婦イリス・マテルーナと老婆たち、そして《ムディート》
競売人たちによって物が運び出され、がらんどうになった礼拝堂で、老婆たちは身籠っているイリス・マテルーナを囲んで祈る。修道院が完全に取り壊されて追い出される前にイリスに出産してもらい、その奇跡の子供に天国へ連れて行ってもらうため。老婆たちは中庭の石像の欠片を拾い集めて接合し、聖像を作ってイリスを祀る。
イリスは《ムディート》を「人形」として子供に見立てて抱いている。20パーセントの小さな身体になってしまった彼は子供のよう。
《ムディート》はしばしば修道院のどこかへ逃げて身を隠す。イリスは老婆たちに、彼(=自分の子供)をすぐに探し出してここへ持ってくるよう命令する。老婆たちは必死に探し回り、本の山の上にいたりする《ムディート》を見つける。発見された《ムディート》は繃帯でグルグル巻きにされ身動きがとれない状態で地下室のベッドのイリスの隣に添い寝させられる。
毎夜、監視役の一人の老婆が寝静まった頃、繃帯に我慢できなくなった《ムディート》はイリスに助けを求める。イリスはお腹の子供の父親ロムアルドに会って子を認知してもらいたがっているため、《ムディート》を夜の町に解き放ってロムアルドを探させていた。しかし《ムディート》曰く、彼は貧しくイリスの子の父親になる気はなく、追っ手から必死に逃げ回っているという。
《ムディート》はイリスに、ロムアルドは諦めて、金を調達した自分と一緒に修道院を出るように持ちかける。しかし彼女は今夜も、《ムディート》だけを夜の町へと出ていかせる。今夜ロムアルドを連れてこなかったらペニスを切ってもらう、と脅す。
彼のペニスはヘロニモのものであるらしい。
 
 
 

21章

pp.357-376
 
・イネス夫人の電報とイネス・デ・アスコイティアの伝説
修道院に[イネス]夫人からの電報が届いた。近いうちに修道院に帰還するようだ。バチカン教皇の決定に反して、そこではいまだに「福者」という言葉が使われていた。
 
・イネス・デ・アスコイティア(福者イネス)の昔話
18世紀末、マウレ河の南の農園に住むバスク系の裕福な地主がいた。彼は9人の息子とひとり娘の父親である。このひとり娘が、のちの福者イネスである。
彼は農園からはるばる旅して、姉が院長を務めるカプチン派の修道院を訪れ、16になるひとり娘をそこに軟禁しようとした。理由は不明。姉に説得され、彼はその場所に一族と神とを直接に結ぶ礼拝堂を建立し、そこにイネスを死ぬまで閉じ込めることにした。牢審役の尼僧たちが住み着いてイネスの見張りと面倒を見始めた。イネスは修道の誓いは立てなかった。独立戦争期のあと、20歳で息を引き取った。
大きな地震の際、イネスが中庭の中央にひざまづいて両手を広げることで、修道院の崩落を止めた、という伝説がある。その時の彼女の腕はまるで枯れ木のようだった。(これが現存する修道院最古の中庭の一本木の由来?)
こうした「奇跡」は次第に噂になり、死後数十年をへてようやく、大司教まで伝わった。大司教が彼女の柩を開くと、柩の繻子が真新しかったという。この墓の所在は不明。
 
《ムディート》の想像。魔女イネス=福者イネス
福者イネスは修道院で地元の男と交わって妊娠・出産していたのではないか。地主の父はそれを隠蔽するために彼女を修道院に閉じ込め、「福者」に仕立て上げた。
その男は捜索もされなかったが、子供は農園に捨てられた。そこで育てられた子供は成長し、その土地一帯に母方のアスコイティアの血をばら撒いた。それがペータ・ポンセの祖先・血筋であるという。すなわちペータ・ポンセにはイネス・デ・アスコイティアの血が流れている。自身に流れる高貴な血を認めさせるためにムディートを追いかけ回している、と「おれ」は考える。
 
《ムディート》の幼少期、色んな老婆にたらい回しにされたあげく、ペータ・ポンセに連れられてエンカルナシオン修道院に最初にやってきた、という老婆たちの噂話。(ヘロニモとの出会いの回想では父親がいなかったっけ?)
 
 
 
 
 
 
 
2023/1/12 再開 pp.376-430(22章から23章の終わりまで)
 

22章

pp.377-401
ヨーロッパから修道院に帰ってきたイネス夫人は、自分の部屋の壁紙を貼り替えさせた。壁紙と壁の間には古新聞が入っている。
イネス夫人がドーラとリータとドッグレースの賭けをやる。
イネスは召使いの声真似をして夫ヘロニモに電話をし、服や毛布、ボードゲームなどの物品を家から修道院に送ってくれるよう頼む。夫はそれが妻の声だと気付かない。
 

23章

イネスがヨーロッパ滞在していた真の目的は列福ではなくアスーラ医師に不妊でありながら60過ぎまで月経が止まない子宮を剔出してもらうことだった。しかし、当人の知らないうちに、子宮だけでなく他の内臓器官もほとんど剔出され、金持ちに売却されていた。
ムディートはヘロニモの屋敷の近くまで行って聞き耳を立てる。ヘロニモとラケル夫人が話している。
クリス(クリソフォロ・アスーラ医師)の相方エンペラトリス(ヘロニモの従妹)の苦悩・愚痴。畸形の王国からウンベルトが出ていってから何年も経つ。《ボーイ》の生育に関する毎月の報告書でエンペラトリスはヘロニモに嘘をつき続けてきたが、自分が真実を彼に話すだけでこの王国が崩壊することに想いを馳せる。《ボーイ》はすくすく育ち、いまは身の回りのすべてに疑問を持ち、誰彼かまわず質問しまくるお年頃のよう。
 
 
久しぶりに読んだら読みやすすぎてわろた
その原因が、『パラディーソ』のあとだからなのか、たまたま読みやすい章なのか、天気の良い温かいお昼時に外で読んだからなのかは分からない。

 

 
でも上で書いているように、やっぱりドノソって文章自体はとても端正で意味も取りやすいんだよな。
『夜みだ』は、そのきちんとした文章で語られる内容が、「〇〇です。やっぱり〇〇じゃないです。いやさっきのは嘘でした〜」みたいに何が本当なのか判然とせず曖昧で幻惑的なだけ。あとは語り手ムディートの位相と人称、それから「……」で挿入されるうわ言に慣れれば問題ない。そもそも文章がずっとおかしすぎる『パラディーソ』なんかとは全く違う。
完成度は『夜みだ』のほうが圧倒的に高いと思う。ただ、ヤバさ、エネルギー、衝撃度でいったら『パラディーソ』になる。ドノソも当然『パラディーソ』は読んでいただろうから、本書もいちおうその影響下にあるとは言えるのかな。
しかしながら、『夜みだ』、テーマがすごく好みではあると再確認した。いち個人という人物の輪郭、アイデンティティが融解して、アスーラ医師の手術によって人体を部分的に交換可能にされ、何が自分なのかいつの間にかわからなくなっていく……という内容は好きだ。
正/陽の男に対する負/陰の女の倒錯的な復讐というジェンダー面だったり、また死ぬことと生まれること、「産むこと」のおぞましさというやや反出生主義/反生殖主義的な側面だったりも好ましい。(もちろん、単純な男女二元論/ジェンダーバイナリーや、女性性を定める本質主義フェミニズムクィア理論的に問題含みであることは承知のうえで。)
 
 
1/13 金

24章

pp.429-442
夫に注文していた物品が修道院に届き、イネス夫人はゲーム盤類を老婆たちに配る。老婆たちは嬉々として遊び始める。
イネスは数人の老婆を誘って賭けドッグレースをする。彼女自身も豪華な衣服や宝石を賭けると宣言し、人だかりができる。イネスの「黄色い牝犬」はリードを守りきり一着でゴールする。イネスは老婆たちの賭けていた粗末な私物をすべて装着して出ていく。再び夫ヘロニモにリータの声真似で電話をし、屋敷にある自分のものをすべて修道院に早急に運ぶよう頼む。その豪華な私物を賭け事で老婆たちに配ってやろうと考えてのことだった。
 
イネスの「黄色い牝犬」が駆けるシーン(p.436-)、それがすごろくゲームの出来事から一気に実際の犬の疾走の描写に切り替わって最後まで行き着くところの文章が最高だった。ちょっと泣きそうになった。ここが本書の「サビ」かもしれない。以前にヘロニモ宅で登場した「黄色い牝犬」にもここで繋がる。
壺にかけられたお前の手に集中している視線。ゲームはまだ始まっていない。その目の前で繰りひろげられようとしている大勝負に夢中になり、老婆や孤児たちは息を殺している。お前が壺をあげる。
「四だわ。一、二、三、四、と……」
 黄色い牝犬は、ほかの犬に追われながら逃げる。銀色に輝く月夜に土煙だけを残して駆け抜ける、復讐の念に燃えた旗手たちに追われて逃げる。毛の脱けた皮膚をひっ掻く茂みのなかに身を隠す。水たまりや湖を、何百年もの歳月や川を渡る。しかし、胃が痛くなるような飢えを満たすことはできない。口にする残飯や、がじる骨が十分ではないのだ。苦労して盗んだ餌をくわえて、しょっちゅうそんな目に遭っているが、どやされないうちに逃げだす。共犯者の星が指さす方角に向かって走る。山を駆けのぼり、谷に駆けおりる。当然果たさなければならないのに、その見込みのないあることを果たすために、走りに走る。獰猛な獣どもに八つ裂きにされるのを避けて、物陰にひそむ。連中は、醜悪で、痩せこけて、貧欲だというので、黄色い牝犬を憎んでいるのだ。彼女は畑や砂漠、荒れた岩場や棘を伸ばして刺そうとするサンザシの森を走りに走る。通りや公園を駆け抜ける。闇にまぎれてほんの少し人家に近づき、めぼしいものを求めてうろつきまわる。牝犬は痩せていて、虱だらけで、臆病だ。黄色い牝犬は獰猛ではない。決して攻撃はしない。その気がないことはないのだが、噛みつくことさえしない。しかし、四頭の黒い犬が遊びに夢中になっていると、機会を逃さず彼らの脚の下にもぐりこんで臓物をかっさらい、闇のなかの公園に身をひそめる。いつものように目を光らせながらあたりを警戒する。月に向かって吠え、忠告や謎をとく鍵を求める。月も知らないことを伝え、その助けを求める。引き裂かれた死体が庭師によって発見されなかったところを見ると、月は助けを与えたのだろう。黄色い牝犬は走る。走りに走る。弱っているくせに、ほかの犬が追いつけないほどの速さで走る。疲れきって休まなければならないはずなのに、いつも先頭を駆けていく。眠るときは何十年も眠る、誰にも見つからない森の奥で。目を覚ますとそこを出て、ごみ捨て場で餌をあさる。そして、若い男たちに蹴とばされる……あっちへ行けったら! 頼む、ゆっくりやらせてくれ。何も、そんなにじろじろ見るこたぁないだろ! いやな犬だぜ、ズボンを破くなよ。破いたらその顔を思いつきり蹴っ飛ばして、ぐしゃぐしゃにしてやるぞ!……おい、見ろよ! 舌なめずりしてるみたいだぜ。おれもゲラゲラ、お前もゲラゲラ。おれのツツサキは下がっちゃうし、お前はパンティーを上にあげちゃう。これじゃあ、おれもお前も気分が出るわきゃねえよ。あいつだけじゃないか、よがってるのは?……黄色い牝犬はふたたび逃げだす。舌を垂らして、あえぎながら走り去る。土埃と、追いつけなくて怒り狂うほかの犬の吠え声が、あとに残される。彼女はいつも飢えているが、しかしいつも敏捷だ。ほかの犬よりも敏捷で油断がない。黄色い牝犬はすでにゴールに迫っている。老婆たちは笑い、大声でわめく。お互いに賭ける。歯をほじくる。ののしり合い、金切り声をあげる。みんな親切なイネス夫人が勝つことを願っているのだ……黄色い犬が勝ちますように。緑や、黒や、青や、白が勝ったりしませんように。黄色い犬はいつも強いんです。勝つに決まっています。どうぞ勝たせてやってください……六が出て、黄色い牝犬はついに水たまりを越えた。もう一度、さいころが振られる。四が出た。一、二、三、四。彼女はゴールに倒れこむ。
「やったわ!」
「黄色い犬の勝ちよ!」
「わたしが勝ったの」
「イネス奥様の勝ちです!」
「よかった!」
「イネス奥様、おめでとうございます!」 p.435-437
 
老婆たちが夢中になってトランプやボードゲームをする場面も、子供と老人の倒錯として印象深い。そもそもこの修道院が取り壊されたあとに建てられると噂の《少年の家》という孤児施設(実際には建てられないらしい)も、老人と子供の対比=合一だし。老いと幼さが同一視され、死から誕生へと、穢れから純粋さへと逆行する。
 
 

25章

pp.443-463
解答編みたいな章だな。これまで語られてきた物事の真相が明かされる。
 
ヘロニモ ー ムディート
イネス  ー ペータ・ポンセ
という男女四者の構図
 
イネスがアスーラ博士の手術を受けた真の目的は、子宮切除ではなく「歳をとる」ためだった。臓器をより老いた者のそれと交換してもらう。
アンチ-アンチエイジングじゃん
しかし、イネスのその行動を見越して、ペータ・ポンセがあらかじめアスーラ博士に自身の臓器を保管してもらっていた。ペータはイネスへの嫉みから彼女と一体化することを狙っていた。
その罠にまんまとハマり、イネスはペータに身体を侵食されたのだった。
ペータの根本的な望みは、ヘロニモ=ムディートに抱いてもらうこと? よくわからん
 
とにかく、ここでは「イネス」とか「ムディート」といった名前による同定/差別化による指示が機能していない。
しっかりとした文章で物語ることで、逆説的に言語、言葉の現実への届かなさ、無力さを描き出している。しかしまた、真相を撹乱するのもまた言葉に他ならず、言葉の無力さとそれゆえの万能さを同時に示しているともとれる。
これは言語それ自体が飛翔していく『パラディーソ』とは対照的であるが、結果的には同じところに行き着いているようにも思える。
 
てか、これもまた「老女が存在感のある小説」じゃん!! ペータやイネスもそうだけど、修道院で暮らす大勢のモブ老婆たちの存在感、描写もすごい。
 
 

26章

イネスがイリスとおこなう、電話越しの会話を演じるゲームが面白い。2回目はイネスがヘロニモ役を、イリスがイネス役を演じる。
1/14(土)26章おわり
聖者ということになったイリスからイネス夫人がドッグレースで物を奪い続け、遂には子供──ムディートでありボーイ──をわが物とする。(この最終ラウンドの「黄色い犬」の描写がやっぱり良い。もうタイトル『黄色い犬』でもいいとおもう)
わたしは、いつも黄色い犬だわ。やめるわけにはいかないの。山や道や畑を走らせたり、小川や湖を渡らせたりする義務があるのよ。わたしの手のなかで生に返るのよ。ほんとに、わたしには年寄りから巻きあげようなんてつもりはないの。あんながらくたが要るわけはありません。現に着ている汚れも破れも少しはましな服を、垢だらけで虫喰いもひどいものと替えたいっていうのなら、話は別だけど。わたしは勝ちたくないの。犬のほうがトラックを走りまわって、わたしを無理やり勝たせるのよ…… p.469
 
「わたしは、この歯を賭けます」
 闇のなかに浮んだ顔が落ち着きを取り戻す。手をぼろの下に隠す。さまざまなことを見てきたはずだが、じくじくした目が、これから見られるものへの期待で光る。押し黙った老婆たちの輪が、それぞれゲーム盤の一方について、金箔の玉座の下にひざまずいたふたりを締めつける。黄色い犬がイネス、白い犬がイリスだ。さいころが壺のなかで鳴る。
「数の大きいほうが先よ」
 イネスが二、イリスが四を出す。イリスからだ。白い犬がまた四だ。一、二、三、四。白い犬はプラスチック製で、同じ安っぽい材料でできた小さな台の上にのっている。それをイリスの手が進める。ゲーム盤はありふれたボール紙製で、家や斜面や小川がまずい筆で描かれている。イネスが五を出す。いらいらしながらそのときを待っていた黄色い犬が、パッと飛びだす。吠えながら畑を突っきる。一で、埃っぽい道を駆け抜ける。二で、月桂樹の生垣をくぐる。三で、月を映した水たまりのなかで足を止め、水をちょっぴり飲む。四で、なだらかな山腹を駆けあがって、五で、一軒の農場の中庭に達し、なおも走りつづける。白いプラスチック製の犬は後ろに取り残され、黄色い犬の姿はほとんど見えない。それは、かつてないスピードで走る。おれがほしいからだ。おれが自分のものになるからだ。めざましい勝ちっぷりでおれを手に入れたくて、それで黄色い犬は頑張っているのだ……一、二、三、四、五、六……イネス奥様は、ほんとにツイてるわ!……彼女はまた振る……四だわ。一、二、三、四……おれはイネスのものになりそうだ。黄色い犬のやつ、その腕がペータ・ポンセの腕に変わってしまわないうちに、イネスの腕におれを抱かせてしまうにちがいない。仮にペータ・ポンセのものに変わったら、その腕はおれを捉えて放さないだろう。おれのセックスはその腐ったセックスにのっとられるだろう。貧欲なうじ虫であふれたそのセックスのなかで、おれのセックスも腐っていくだろう。黄色い犬はおれをあの老婆の腕から救おうとしているわけだ。走れ、黄色い犬よ。月に吠えながら、稲妻を追いながら、走れ、走れ。プラスチックの犬の影はどこにもない。老婆たちが金切り声をあげる。身もだえする。ロザリオの祈りをくちずさむ。どちらに勝ってほしいのか、本人たちが分からなくなる。気の毒なイリスが寒さにふるえていることを知りながら、みんながイネス夫人に賭ける。ついにおれはお前のものになるのだ。かつて存在しなかったほど完璧だが、しかし十人の危険な騎手から身を隠すために、沼の岸の燈心草の茂みをくぐる黄色い犬には従順な、あのイネスのなごりでしかないのかもしれないけれど。黄色い犬の揺れる影である老婆たちの顔がかげり、その瞬間だけ別の顔が浮かびあがる……一、二、三……たった三だわ、でも、ゴールは目の前ですもの、どうってことありませんわ、イネス奥様……さあ、イリス、急がなきゃ。あまり狙わないほうがいいわよ。さあ、振って……なんだ、たった二よ……こんどはイネス奥様ですよ。簡単に勝てそうですわね……一、二、三、四、五、六。あら、もどらなきゃ……でも六ですから、もう一度振れます……三だわ。一、二、三……ちょうどだ。お前の勝ちだ。黄色い犬がゴールインしたのを見て、イリスは悲鳴をあげ、顔を蔽う。一方、老婆たちはイネス夫人におめでとうを言う。イリスは用のない抜け殻に化してしまう。もはや福者でもなんでもない。イネスが立ちあがり、自分の入れ歯を蹴とばす。蹴とばされて入れ歯は礼拝堂のすみっこへ消える。イネスはその腕で──昔のふくよかさをおれは記憶している──いそいそとおれを抱きあげる。彼女こそ真の福者なのだ。彼女こそ奇跡の女性なのだ。 p.476-478
こうして自分自身が聖者になったイネスは、しかし夜にベッドで赤ん坊と寝ているときに、ムディートに襲われ、それを騒ぎ立てて完全に狂ったと思われた老婆たちに救急車を呼ばれ、精神病院へと強制送還されてしまう。こうしてムディートは、ペータ=ラケル修道院から追放することに成功した。
イネスはここで退場か?
 
1/15 日

27章

pp.4-506
リンコナーダから《ボーイ》が脱走して行方不明になっている、と、ヘロニモとの年一の会合を済ませたあとでエンペラトリスは夫アスーラ博士(クリス)から告げられる。ふたりでヨーロッパへ逃げよう、と薄汚れた喫茶店で夫から提案される。知らないうちに周りの席は人("おれ")で埋まっており、畸形であるエンペラトリスらふたりを奇異の目で見ている。店から出るが、《ムディート》が追いかけてきて、ヘロニモ抹殺についてお願いされる。
 
……おれに手を貸そうとするように、ふたりは街灯の下に立ち止まる。畸形たちはおれに同情を差しのべる。おれの唇の動きをじっと見つめる。シラブルを、単語を、それから意味を読み取り始める。仰天しながら聞く。おれはもう身振りをあまり使う必要はない。おれたちは話をする。いくらでも話すことがある。おれとあんたたちは、話すことが山ほどあるはずだ。最後までおれの指示にしたがってほしい。彼を完全に抹殺することを、ここで、おれに約束してほしい。 p.498
 
リンコナーダの屋敷にふたりが戻ると、中庭のドアから《ボーイ》が現れて、ふたりに裸になるよう命じた。彼は5日間外の世界を見て色んなことを知って戻ってきたらしい。その5日間の記憶を脳から剔出し、以前の無知な状態に戻してほしいとアスーラ博士に頼む。
 
ぼくがいわば抽象的な存在に戻ることを認めてくれさえすれば、父の死後、ぼくの財産をどうするかは、あんたたちの勝手さ。外に5日間いて、ぼくは生きることへの興味を失った。ある詩人が言っているよ。『生きる? 生きるだと? なんだ、それは? そんなことは代わりに召使いにやらせておけ』って。あんたたちはぼくの召使いだ。あんたたちは、ぼくが生きることを拒絶したものを生きるんだ。現実を知ったいまでは、ぼくは人為的な世界にしか興味がない p.504
 
ヘロニモが《ボーイ》にしたことって究極の幼児虐待であると同時に、親から子への愛の究極的なかたちとも言える。畸形として生まれ、彼にとって生き辛いマジョリティの社会に晒されずに幸せに育ってほしい、という親の想い。上の引用とひっくるめて反出生主義っぽさは強い。そもそもなんで生んだんや、って話だけど、《ボーイ》に関してはまさに出生にいちばんの謎があって、処女懐胎とかいう線もあるくらいだしな……。
 
現実を見ないようにするために、虚構の、ゲームの世界をつくってそこに逃避する……というのは後の『別荘』でも描かれている。
やっぱりドノソの文学(観)って「現実逃避」なんだろうな。
ただ、エヴァのシンジ君的な「引きこもり」の文学(私小説)ではなくて、複数の人間の集団でゲームのルールを取り決めて虚構に耽溺するという、ある程度の社会性の上に成り立った現実逃避。陽キャの集団引きこもり。
これはおそらくチリのブルジョワ階級風刺といった、社会階層を戯画化してドノソが小説化していることも関係するのだろう。社会階層はひとりではなりたたない。
 
また『別荘』の現実逃避との違いもある。
あちらはブルジョワ階級の大人やその子供たちが、周囲の都合の悪い残酷な現実を見て見ぬ振りするために遊戯などに逃避する形だが、今作は畸形という社会的なマイノリティ達が「世間」から逃避する形で、社会階層としては対照的になっている。
強者/差別者の逃避と、弱者/被差別者の逃避。これらをひとまとめにして語ることには抵抗があるが、ひとつの単純な解釈としては、「恵まれていようがいまいが、人間は現実逃避する生き物である」という人間観を作品群全体で提示しているとか?
 
エンペラトリスとアスーラは、ヨーロッパ行きを取りやめ、リンコナーダでこれからも生きていくことを決意する。
エンペラトリスは、《ムディート》(=ウンベルト・ペニャローサ)が《ボーイ》に外で接触して何かを話したことを察する。
 
ムディートとボーイってほぼ同一人物みたいな感じだと思ってたけどそうじゃないんか。実質的に同じっぽいけどなぁ……。ヘロニモ≒ムディート、のように。ペータ≒イネス、のように。
ここの男ふたりの関係が、この話のいちばん根幹の謎であり矛盾、メビウスの輪であるだろうことは察せられる。
 

28章

pp.507-
ヘロニモがリンコナーダの庭園を訪れ、ウンベルトの部屋に寝泊まりすることに決める。
 
「結局、いい作品を書こうと思って……ウンベルトの困ったところは、ひとつは、わたしの伝記が文学的な素材だと信じていることだった」
「そうなのよ。いつもそこから話を始めたわ。でも、すぐにすべてがデフォルメされちゃうの。彼には簡潔平明に書くという素質がなかったわ。普通のこともひとひねりせずにはいられないのよ。復讐と破壊の衝動みたいなものを感じていたのね。最初のプランをやたらに複雑にし、ゆがめるものだから、しまいには、彼自身が迷路に踏みこんでしまったような感じだったわ。彼が築いていく、闇と恐怖に塗りこめられたその迷路のほうが、彼自身よりも、またほかの作中人物よりも強固でしっかりとしていたんじゃないかしら。作中人物はいつも不明瞭で、不安定で、決して一個の人間としての形をとらなかったわ。いつも変装か、役者か、くずれたメーキャップとかいった……そうなのよ、現実よりも彼自身の妄想や憎悪のほうが大切で、現実は、彼にとっては否定すべきものだったと……」
「面白いね、エンペラトリス。きみは大した文芸批評家だ」
「長いあいだ彼といっしょでしたからね」
「そうだな。しかし、わたしが思うに、彼の根本的な問題は、わたしに精神的な高さとある強固さを持たせる必要があるにもかかわらず、気の毒なことに、わたしにはそれが欠けていたことだった。だから、あんな風にわたしの伝記を建造しなければならなかったし、そのなかに自分を見失う結果にも…… pp.508-509
 
終盤で露骨にこの小説自体を指していそうなことを作中人物に話させるのも『別荘』と同じだ。
ヘロニモの欠点を彼自身にこうして小説内で語らせる、という皮肉(復讐)?
 
ヘロニモは《ボーイ》に対面するのを先延ばしにし続けるが、《ボーイ》を結婚させて子供を作らせようとエンペラトリスに語る。
エンペラトリスはそのヘロニモの計画を《ボーイ》に伝え、父親に抗戦してリンコナーダの庭園を自分が守っていくと宣言する。
 
父と息子の対決。クライマックスっぽくなってきました。
「正しい世界」の体現者であり主人公サイドを抑圧する〈父〉ヘロニモの造形は、どうしても『パラディーソ』のホセ・エウヘニオ父ちゃんを連想する。独裁体制などの政治的な社会背景から、ラテアメ文学でこういういかにもな家父長キャラが登場しがち、みたいな論はあるのだろうか。
 
1/16 月 p.514~p.568

29章

ヘロニモと《ボーイ》の歪んだ父子関係の構築。父殺し。ここのヘロニモの死はかなり典型的で「こういうやつね」と思った。池の水面に映った自分の「顔」に手を伸ばして溺死。水面の「鏡」がドノソ的な虚構/現実の境界面(『別荘』における騙し絵のような)の最たるものであることは分かるが、もう少し想像を超えてきてほしかったかな〜
 

30章

 
おわり!!!
ラストは謎の老婆(ペータ・ポンセ? "魔女"?)による橋の下での焚火かぁ
 
マイクロバスで老婆達が出発する直前の修道院に500個のカボチャが届けられるのワロタ。最後に一気にカボチャが持っていくかと思った。老婆たちは最後まで元気だった。ウッキウキのピクニック気分だ(天国行き)。ピクニックといえば『別荘』だけど、大量の人物がわちゃわちゃやるのは『別荘』の一族の子供たちと似ている。子供↔老婆
 
修道院でのブリヒダの死/葬儀で始まり、ブリヒダの遺産で他の老婆たちが新しい施設(天国?)に移れるようになって修道院の取り壊しで終わる。にしても修道院ぜったい易易と取り壊せないだろ。呪われるフラグがビンビンなんですけど。
 
・まとめ
1年半かけて読了。最後の3分の1は、レサマ=リマ『パラディーソ』を2ヶ月間かけて読んだあとに向き合ったためか、読みやすくてびっくりした……。
いうほど悪夢的でも狂気的でもグロテスクでもなく、個人のアイデンティティが融解していく姿勢に心地よさ、安心感すら覚えた。
あと大量のお婆ちゃんたちが元気にわちゃわちゃやっててくれてるのが読んでて楽しい。
いちばん刺さった箇所は賭けドッグレースでイネス夫人の黄色いコマがひた走る描写。自分が本作に『夜のみだらな鳥』以外の題をつけるなら『黄色い牝犬』にするかな。
 
 
 
つまり『夜のみだらな鳥』の説話の構造は、詩の領域のそれを利用しているとも言えるし、詩における説話の構造を小説として成立させようとしているとも言える。『夜のみだらな鳥』は幻想小説ではなく、詩の説話構造を借りた妄想小説なのである。
そしてツヴェタン・トドロフは詩を幻想文学の世界から除外する。なぜなら「幻想は虚構の中でしか存続しえない。つまり、詩は幻想的ではありえないのだ」から。『夜のみだらな鳥』は虚構ですらない。それはホセ・ドノソ自身の内実を詩的妄想として構築したものに他ならないからだ。
 
寺尾隆吉は次に「魔術的リアリズムの新展開」として、ホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』を取り上げていくが、その語り口はルルフォやガルシア=マルケスを論じるときほど滑らかとは言い難い。
『夜のみだらな鳥』のあらすじ紹介(この小説のあらすじを書くことにどんな意味があるかということを、寺尾自身が知っていながらもなお)に終始し、この小説の構造についての分析に至らない。苦し紛れに『夜のみだらな鳥』における方法のことを「負の魔術的リアリズム」などと呼んでみせるが、そんなものがあり得るとは私には信じがたい。
寺尾が言うところの『夜のみだらな鳥』への評価を見ると、ことごとく『百年の孤独』とは逆方向を向いていて、それでも「魔術的リアリズム」を言い立てるなら〝負の〟という形容詞を付加するしか仕方がないのである。
 
このような文章を読んで、私は寺尾が素直に『夜のみだらな鳥』は魔術的リアリズムによる小説ではない、と結論づけたら楽になれるだろうにと、心底思う。私はラテンアメリカ文学をむやみに魔術的リアリズムで括る必要はないと考えているので、寺尾の議論に賛成できないのだ。
では、ホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』には」何があるのか? それこそが私の今回のテーマであって、これまで23回にわたって書き継いできた原動力になっている。まとめて言えば次のようになるだろう。
『夜のみだらな鳥』は閉所恐怖と相続恐怖を特徴とするゴシック小説であり、二つの恐怖を極限にまで推し進めた、ラテンアメリカ文学最大のゴシック小説である。一方『夜のみだらな鳥』は、執拗な繰り返しと取り替え可能性の偏在、そして多くの矛盾を孕んでいる。
それはこの作品が伝統的な小説のディスクールによって書かれているのではなく、むしろ詩のディスクールによって書かれているからである。小説のディスクールは表象を必要とするが、詩のそれは表象を拒否するのであるから。
 
やはりこの方も、自分と同じくドッグレースの黄色い犬が走る場面を重要な箇所に挙げている。
また、『夜みだ』は幻想小説ですらなく妄想小説であり、描いている虚構のリアリティを追求する小説のディスクールによってではなく、言葉そのものを表象している点で詩のディスクールを採っている、という指摘が興味深い。
また、寺尾隆吉『魔術的リアリズム』における、夜みだを「負の魔術的リアリズム」と呼ぶのではなく、もっとはっきりと「これは魔術的リアリズムではない」と言ってしまったほうが良いという主張には首肯せざるを得ない。じぶんも、これのどこに魔術的リアリズム要素があるのだろうと思いながら読んでいた。