『女と人形』ピエール・ルイス(1898)

 

生田耕作 訳、晶文社アフロディーテ双書

 

こちらのブログで気になったので購入

 


2025/3/21〜27
5日間


3/21(金) p.13〜
スペイン・セヴィリア(セビージャ)が舞台なんだ。男主人公はたぶんフランス人の青年
謝肉祭で投げ合う玉子に"Quiero"と書いて、一目惚れした女性に渡す。
文体に癖があり、おそらく翻訳によるものだと思う。「〜生まれながらの黒味を帯び。」のように、動詞の連体形で文を終わらせることがある。

章題が長ったらしい説明風なのはセルバンテスラブレーの時代をパロディしてるのかな

コンセプシォン・ペレス


3/22(土) p.36〜

スペイン人の知り合い、ドン・マテオから、コンチャ・ペレスがいかに人生を狂わせる女かを聴く。

「どんなことがあっても付き合ってはならない女に二種類あります。まず第一に君を愛していない女、それからもう一つは、君を愛している女です。──この両端の間に、可愛らしい女が無数にいる。ところが私たちはそういう女の値打ちがわからないんです」 p.39


3/25(火) p.54〜

この裸の群衆の中には何から何までありました、たぶん、処女以外は。 p.67

 

アヴィラ修道院はどうなったんだ?」
「娘たちは門から戻って、窓から抜け出すのよ」 pp.70-71

 

「セヴィリアでは誰と住んでるの?」
「母さんとよ」
やれ恐ろしや! 情夫と一緒というのなら、若い娘にとって、まだしも安全の保証になります。ところが母親となると、これはもう手がつけられません! p.71

そうなん?

常体と敬体が混用されているので独特な訳文になっている。

 

「わたしは貴方が好きだからキスしたのよ。だけど貴方は、わたしを好きでもないのにキスすることは許されないわ」 p.87

ファムファタってるのは常に勝手に女性に欲望を投影している男性のほうであることの好例か。語っているドン・マテオが要するに金にものを言わせて少女に接近して懇意にし、肉体関係を結ばせてもらえないことにショックを受けて不可解さを覚えているだけじゃん

p.94 残念ですらなく当然の結果
コンチャ親子がまともで良かった


3/26(水) p.107〜
処女喪失だけは拒むコンチャに、何度も憤りながらもけっきょく絆されるマテオ。反-性器結合中心主義??

わたしが愛されたいようなかたちでわたしを愛して頂戴、ちょっとずつ、焦らずに。 p.119


「悪い女」に翻弄されるというより、「諦めの悪い男」がいるだけでは? 
めっちゃ調教されにいっとる。自覚があまりないタイプのマゾヒスト男?

p.143 黒ストッキングのフェティシズム

「わたしはわたしのものよ、だから自分を大事に守ってるの。わたしには自分より大切なものは何ひとつないのよ、マテオ。わたしからわたしを買い取れるほどお金持ちは一人もいないわ」 p.151


「周章てて(あわてて)」って書けるの初めて知った。


p.167 マゾヒスト垂涎ものの展開だなぁ あの罵倒はなかなかすごい。
寝取りショタのモレニートの描写が極めてミニマルで取ってつけたようなの笑える。
でも、マテオを憎んでて縛られずに自由に生きたいなら、わざわざ彼に頼んでお屋敷を用意してもらうの悪手では? 大嫌いな男に居場所を把握され続けるの嫌でしょ。すぐ引っ越すんかな。一発でマテオを絶望させて、自分の元を去らせることができるという目論みがあったのか。

 

3/27(木) p.169〜
読み終わった。

えーと……けっきょく典型的なファム・ファタールものだったってことで宜しいかな。
サディストとしてでもマゾヒストとしてでも、誰か男を常にたぶらかして自分にご執心にさせておかないと気が済まない、そのようにしてしか世界と関わって生きていけない女性像は、言うまでもなく女性蔑視的であり、残念だ。それは男に依存している女を創造することに他ならない。もっと自立的なヒロインが見たい。

似たような、リョサの『悪い娘の悪戯』が大好きだったのは何故だろう。あれはヒロイン以外の人物とのエピソードも全て面白かったからなぁ

 

ほとんど枠物語だった。はじめ主人公かと思われた語り手が、枠物語中の諦めの悪い男(これにファム・ファタールに対応する用語を付けたい)のための副次的なキャラに過ぎないことが発覚するラスト。

 

生田耕作がフランス文学に傾倒するきっかけとなった作品なのか……

 

 

 

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