『ボヴァリー夫人』ギュスターヴ・フローベール(1856)
2021/1/?
2022/4/13
第1部 第2章の終わりまで読んだ
~数年間放置~
2025/2/13(木)
河出文庫の 山田𣝣 訳で新たに読み始める。
もともと、近代小説の古典を読みたいと思っていたのと、友達との通話で話題に出たので。
第一部
ずっと真顔でふざけているような小説だ。冒頭からして、転入生シャルル・ボヴァリーを迎えるクラスの男子生徒たち=「僕ら」の一人称の語りで始まるところからしてやっている。すぐに語り手は全知の三人称へと移行していくというのに。
エンマに出会った頃の人物仕草の描写もすごい。エンマの唇やうなじや髪の描写が……エロティックすぎる。ラブコメかエロゲが始まったのかと思うほど露骨に色めきたって輝いている。脳内で無意識にイベントスチル化してしまう。少女漫画なら周りに花が咲いていた。
最初の妻が都合良くあっさり死ぬところで何度読んでも笑っちゃう。このスピード感はふざけているとしか言いようがない。たしかこの第2章までしか読んでなかったはず。
翻訳は今のところとても読み易い。訳者名から、もっと格調高くて癖の強い文章かと身構えていたが、新潮文庫の新訳よりも読み易い気がする。
そして彼は、一種可憐な自己欺瞞から、あの娘に会うのを禁じられたということは、そのかわりあの娘を愛してもいいという権利が与えられたことなのだと考えた。 pp.32-33
ふたりは窪地の道を歩いて行き、別れの瞬間が迫った。今をおいて時はない。シャルルは生垣の曲がり角をぎりぎりの線と決めた。そしてとうとう、その生垣を通り過ぎてしまったとき、
「ルオーさん、ちょっとお話ししたいことがあるんですが」ともぞもぞ言った。 p.41
草 通り過ぎちゃうし、けっきょく全部向こう側に進めてもらうし、こういうところがシャルルらしいんだろうな。
うおおお OKの知らせ方が粋だなぁ
エンマ萌え過ぎ キュンキュンする。この本の楽しみ方これであってる?
シャルルにとっては、宇宙とは妻のペチコートの絹の手ざわりの内側を超えるものではなかった。 p.55
2/14(金) p.60〜
妻にベタ惚れしてひとりで浮かれて調子に乗ってるシャルルも愚かだが、エンマはエンマで、感傷的なロマンチストを拗らせていて、いまだに尼僧院時代の芸術で夢見た白馬の王子様幻想から抜け出せていないアレなひとだな…… 思ったより夫に愛想を尽かすのが早くて、不倫秒読みだ。
文章の流麗さからはナボコフを連想する。フローベールとナボコフの影響関係はやっぱりあるのだろうか。『小説教室』で扱ってはいたか。
『ディフェンス』と河出文庫繋がりなだけではないと思いたい。
2/15(土) p.95〜100
2/17(月) p.100〜
第一部おわり
エンマにのしかかる「退屈」という絶望をひたすら克明に描いていく。よくそんなところまで描写するなぁと呆れるほど。
男は働きに出て女は家を守るというイデオロギーが元凶ということでいいのか。他人の芝が青く見えているだけで、たとえ都会に出たとてエンマは人生に絶望してそうだが。
子どもは作らないのかと思っていたら、最後に身籠った! そういう引きかぁ
第二部
田舎から別の田舎へ引っ越して「神経症」は治るのか?
話の合うこの金髪の青年と不倫するのか……待ったなしだな
歳下なのかな。シャルルやエンマが今何歳なのかわからない。
あからさまにこの小説そのもののようなタイプの、凡庸な生活を描写した小説は嫌いだと述べるエンマ。
仲を深めるレオンとエンマの描写が抒情的すぎてウケる まぁはじめにシャルルがエンマを見初めたときの文章もそんな感じだったので、要するにロマンチシズム(を誇張して相対化する態度)が通底しているのだろう。
この時代、生まれた赤子は親が面倒を見ずに乳母や里親に預けるのが一般的だったのか? 階級によるのかな
2/18(火) p.150〜
レオンはそばに腰かけて、ふたりはいっしょに絵をながめ、ページの下までくると待ち合わせた。 p.153
ロマンチックな表現!
彼女の信ずるところ、恋愛とは電光石火におどろおどろしく人を襲うもの、生活の上に落ちかかってこれを一挙にくつがえし、木の葉のように意志を吹きちぎり、心のすべてを深淵のなかに運び去る天空の大旋風でなければならなかった。 p.156
すげぇ表現
エンマは相も変わらず自己陶酔的なまでに夢見る乙女だなぁ……
シャルルが愚鈍な夫として描かれすぎていて可哀想
「ほんとうにかわいい人! かわいい人!……あの人は恋しているのではないかしら?」と彼女は自分に問いかける。「だれを?……だれって、わたしにきまっている!」 p.159
2/19(水) p.165〜
ものすごい陶酔的な美文が続く。よくこんなん書けるなぁと感心を通り越して呆れてしまうほど。
しかしながら、本作はおそらくこうした文をベタに美しく良いものとして提示してはいないだろう。根底では皮肉っていると感じられる。なぜか。それは扱っている物語内容の凡俗さとのギャップにあるだろうか。エンマの陶酔的な性格造形にあるだろうか。
だから、フローベールが本作で徹底的に皮肉っている大元の対象の作品はなんなのだろうか、ということが最も読んでいて気になる。フランスのロマン主義文学の系譜……ルソー『告白』とか?
不倫モノということでそれなりにストーリーも楽しんでいるのだが、ひとつ惜しいのは、夫シャルルがあまりにも妻の浮気に鈍感でおめでたい人物であることだ。滑稽な寝取られ夫(コキュ)の典型なのだろうが、こいつが蚊帳の外なせいでNTRマゾ的な要素が今のところまったく無く、三角関係モノとして愉しめないのが非常に残念。
2/20(木) p.180〜
レオンとはけっきょく不倫しないんかい! 思ったより常識があるというか、勇気のない青年だった。
レオンとの関係が絶たれてますます落ち込んでいるエンマを、ロドルフ・ブーランジェとかいう34歳のヤリチンミソジニー男が狙う。今度こそ待ったなしか!?
てかエンマの子・ベルトって女児だったんだ……
2/21(金) p.206〜
田舎村にお偉方が集まる一大イベント、農事共進会
農業礼賛プロパガンダの演説と、ロドルフがエンマを落とすために語る情熱礼賛の美辞麗句とが、交互に並べられ、共にボルテージを高めてゆく。それでいていずれをも馬鹿にしているようなのが特徴。
54年間も農業に従事した老婆が戸惑いながら表彰される。エンマとの対比?
2/23(日) p.239〜
エンマは彼に腕をかした。 ふたりは帰途についた。彼は言った。
「さっきはいったいどうなすったのです。なぜ急にあんなにこわがられたのか、わけがわかりません。 なにか勘違いなすったのではありませんか。あなたは私の心のなかでは、台座の上の聖母像のように、高く、きびしい、清らかな場所にいらっしゃるのです。しかし私はどうしてもあなたなしには生きられません! あなたの目が、お声が、お心がなくては生きてゆけません。 どうか私の友だちになってください、私の妹に、私の天使になってください!」 p.253
「私の妹に、私の天使になってください!」とかいう激キモ告白
ついに不倫したか。といってもハグやキスまで? 省かれててようわからん。
シャルルにここまでバレないと、いっそ夫のほうも愛人と不倫していてくれたほうが安心する。
イポリットかわいそう……足の手術失敗されて
描写がすごいので、エグさがマシマシ。ピンチョン『V.』の顔面手術シーンみたいな
2/25(火) p.289〜
手術失敗した夫にさらに幻滅して憎悪を燃やすエンマ。ルール―に莫大な借金をして破滅するわけじゃないんだ
2/26(水) p.305~
エンマも彼の今までの情婦たちとそっくり同じに見えた。当初の目新しさの魅力は脱ぎ捨てる衣服とともにしだいに剥げ落ちて、情欲の永劫不変の単調さを裸形のままにさらけ出した。けだし情欲のそのときどきに帯びる形姿、語る言葉はひっきょうつねに等しいものなのである。(中略)
胸いっぱいの魂の声すらも、ときにはおよそ、そらぞらしい比喩となってあふれ出るものだのに! いや、人間だれであれ、自分の欲求、想念、苦痛をあるがままの正確さで他人に伝えることはできはしない。しょせん人間の言葉は破れ鍋のようなもの、われわれは空の星まで感動させようと望んではこの破れ鍋をやっきとなってたたくが、たかだか熊を踊らすくらいの節まわししか打ち出せはしないのだ。 p.305
これだけ凄まじい「言葉」によって小説を作り上げていながら、作中でこうして、その言葉の空虚さ、無意味さを皮肉るようなことを言わせる。「人間だれであれ、自分の欲求、想念、苦痛をあるがままの正確さで他人に伝えることはできはしない」ならば、客観主義とかいうものも成立しないのではないか。ここの文じたいが相対化され、小説としては完成するということか?
言葉は「破れ鍋」である……
エンマがとても愚かで、彼女にずっと付き合って読み進めていくのがかなりきつくなってきた…… エンマだけでなくロドルフもシャルルも、およそあらゆる登場人物が滑稽に描かれてはいるけれども、どうしても(特に)ミソジニー的なものを嗅ぎ取ってしまうのもある。
駆け落ち直前になって、ロドルフがエンマを振る手紙を書く。そりゃあ、単なる不倫相手として狙っていた女性に過ぎないのだから、いくら相手にぞっこん惚れられても、駆け落ちするわけないよなぁ。クズ男には変わらないけど、何も告げずに姿をくらますとかではなくて、ちゃんと手紙書くの偉いな。エンマからして見れば、ひとつ前の青年レオンにしても、このロドルフにしても、両想いで燃え上がりながら、いいところの手前で勇気なく自分から逃げる酷い男たちだろう。彼女も彼女でいつまでも夢見ている重い面倒な人間なので、逃げるのは懸命な判断だが……
「そら飛べ!」 pp.329-330
さすがに名シーン
ものすごい強迫的心理状態にある人間の描写がうまい。そして死から人間を引き戻すのは、「ごはんだよ」という凡庸な夫の凡庸な生活の声。
シャルルのような、不倫されていることに気付かない寝取られ男コキュって、現代のNTRモノの男主人公とは決定的に違う。読者がマゾ的に感情移入する対象ではなく、あくまで滑稽さを馬鹿にして嘲笑う対象だから。
2/27(木) p.336〜
ほんと、精神世界は波瀾万丈な人生だなぁエンマは。今さら信仰かよと思ったけど、そういえばエンマってもともと尼僧院時代になかなか熱心だったな。熱心が過ぎてひとりで暴走しているところまで変わってない。
エンマを看病しながら仕事しながら借金返済に追われるシャルルはさすがに気の毒だ。
2/28(金) p.346〜
エンマはいま何歳なんだろう。年齢がいっさい言及されないんだよな〜 25歳くらい?
良くも悪くも、この時代の有名(古典)文学としてヴォルテールが名指されることが多い。
オペラ・グラスの原義の使い方を見た。
あっさりオペラの主演男優に惚れ抜くエンマ。本当にいつまでも夢見る乙女で、物語へ容易に没入してしまう。現実を物語のように生きたいと願っているとも言える。物語の機微や筋書きがよく分からない愚鈍な夫シャルルと対比されている。
しかし、かといって、物語の魅力を理解できる人々を称揚しているわけでもない…… これだけ見事な文学作品のなかで、文学好きを相対化する身振りはそれ自体が矛盾を孕んでいると思うのだが。
エンマは一瞬、オペラを馬鹿馬鹿しく感じるが、また陶酔しては、青年レオンとの再会で興醒めてしまう。躁鬱というか、陶酔と幻滅の絶え間ない往還が烈しい!
シャルルの貞淑な「妻」であることから抜け出したい気持ちは応援したいのだけど、まったく自立的ではなく、結局どこかの男に依存して、「わたしを連れ去ってほしい」と夢見ているだけなのが残念。自分ひとりで逃げ出してほしい。無論、この時代の女性が置かれている社会環境からは到底無理なんだろうが。。 オペラ観劇しても、立派な舞台女優に憧れるんじゃなくて、あくまで男優に惚れて、彼の恋人になることを夢見るところがなぁ…… 自分で幸せな運命を切り開きたいんじゃなくて、誰か魅力的な男に自分の運命を切り開いてほしいといつまでも思っているのがエンマだ。
まさかのレオンとの再会。ロドルフじゃなくて良かったね。別れから何年経っているのだろうか。
ここで第二部が終わりってことは、最後の第三部でレオンとの恋が再び燃え上がって今度こそ駆け落ちするんだろうか。ワクワクしてきた
第三部
3年ぶりだったか。
「いいえ、あなたは女ではいらっしゃらないから、おわかりにならないのです」 p.372
3/1(土) p.374〜
レオンとエンマは、互いにかつて2人が惹かれあっていた頃や、別れてからのことを、現在の情熱に対して都合よく改竄して思い出し、語ってゆく。ほんと恋に恋する滑稽な人間を描き出すのがうまい。
大聖堂で観覧させたがる守衛わろた
3/3(月) p.393〜
3/6(木) p.396〜
村の薬剤師オメーのキャラがずっと濃い
エンマはオメーに呼ばれたのに、薬剤師は助手のミスに怒り狂っていてちっとも用を聴けないというコント
義父が死んだのに不謹慎にも愛人のことしか考えたくないエンマ
ここでレオンの職業が活きてくるのね
エンマとレオンが夜デートをしている小舟にちょうど先日、ロドルフが乗っていてニアミスしたってこと?
毎週ルーアンでレオンと会うために夫を騙してピアノレッスンを取り付けるエンマ。周到。そもエンマってピアノ弾けるんだっけ。
エンマは、あらゆる小説の恋の女、あらゆる劇の女主人公、あらゆる詩集の不特定な「彼女」だった。 p.428
すごい象徴的な文
甘ったるい逢瀬のあとの狙い澄ましたかのような醜怪な「乞食」描写はとても評論向きだ。
3/7(金) p.432〜
かくていまや、嘘は方便を通り越して、それ自体ひとつの欲求となり、執念となり、快楽ともなった。 p.437
ルールーにいいように言いくるめられてのエンマやシャルルの借金問題、どうなってるのか細かいところは何も分からないが、着々と破滅に近づいているのだけはわかる。
レオンは彼女の考えには何ひとつさからわず、彼女の好みはすべて受け入れた。彼女が彼の情婦というよりも、むしろ彼が彼女の情婦になった。 p.450
エンマわがままにも程がある……
オメー空気読めないにも程がある…… この小説のコメディ成分のかなりの割合を一身に負っている
3/9(日) p.457〜
借金地獄
エンマの情念や夢想といった浮世離れしたものと、現実的な借金が対比されている
3/10(月) p.471〜
遂にはレオンにも見放され(当然)、エンマ側も幻滅して、自暴自棄になっとる。
情念に身を焦がしているエンマにはげんなりするが、自己にも世界にも絶望してすごい速さで堕ちていくエンマにだけは共感しちゃう。躁鬱がすごい。さすがに育児放棄・児童虐待が甚だしいとは思うが。
ついには、自分から切り出す勇気がないままに、何か突発事が起こってふたりの仲を裂いてくれればいいのにとすら願った。
そのくせ、エンマには、女はかならず恋人に手紙を書くべきものだという固定観念があって、今でもレオンに恋文を書くことはやめなかった。しかし書いているうちに、ほかの男が目に見えてきた。それは彼女の最も輝かしい思い出と、最も甘美な読書と、最も熾烈な欲望とが織りなした幻影だった。いつしかそれは生きた人のように、手を差しのべればとどきそうになり、エンマははっと胸をとどろかす。だが、すぐそこにいながらも、その男は、異教の神さながらに無限の属性に飾られているあまり、ついにその姿をさだかにとらえることはできない。その男は、月光のもと、花かおるところ、絹の縄梯子が露台にかかって揺れている青霞む国に住んでいる。エンマは彼を身近に感じる。彼はやって来る、そしてたった一度の接吻で彼女のすべてを奪い去るのだ。エンマはやがて精根尽きて倒れ伏す。こうして、はかない空想の恋のあがきは、放縦な房事にもまして彼女を疲れさせるのだった。 p.472
文章が凄すぎるのが常であって、かえってあえていちいち引用しようとも思わないし、いちいち感銘を受けるレベルではなくなっている。なんなんだろうな、この、豪華絢爛で装飾過多で大袈裟な文章表現を、提示しながらにしてそれらから距離を取っている感じは。
【ありがたい教訓】→いい年して運命の相手を夢見続けても、たぎらせた情念に振り回されても、浮気や不倫をしまくっても別にいいから、借金だけはしない方が良い。
借金の用立てを請うた公証人ギヨーマンに身体を狙われ言い寄られるも、そこはしっかり拒絶するエンマ。エロゲ回避
夫シャルルにすべてを打ち明けて謝って赦してもらうと考えただけでも耐え難いエンマ。そんなこと言ってられない状況とはいえ、なるほどなぁ。
3/11(火) p.500〜572
ロドルフって会おうと思えば会えたんかい。あの頃と一緒のとこに住んでたのか
金の問題を恋の問題にすり替えて胸を痛めるエンマ。徹底して観念的な情欲の世界に生きている。そりゃ破滅するわ
オメーの屋根裏って伏線だったんだ
これでもう死ぬのね。あと50ページあるけどどうするんだ
オメーやヨンヴィルの人々の、これでもかというくらいに不謹慎な言動が諧謔として描かれる。捩れ足手術のときの名医よりさらに格上の医者が出てくるとは。シャルルもいちおう医者であることを忘れかけている。
こんなにも多くの人に囲まれて看取られるとは。なんとなくひとりで死ぬのをイメージしてた。享年何歳?
司教ブールニジャンと薬剤師オメーがコンビでコントをやる。似たもの同士
けっきょくシャルルは最後まで妻の不貞にもまったく気付かずに愛し続ける「いいひと」だった。ある意味理想的な夫??
あ〜死後にようやくエンマの浮気の数々をその遺留品からシャルルは知るのね。それでも、失った哀しみがデカすぎて全てがそれに吸収される。
シャルルがロドルフとばったり会って一緒に呑むシーンすき。生涯唯一の名言……
お前も死ぬんかーい 徹底的な、寂寥感漂うバッドエンド 功名心全振りの薬剤師オメーがエンマらに対比される裏主人公のような役回りで最後にはいちおう勝利?を収めるかたち。
おわり
おわり!! 乙!!!!!
はすみーの解説をよむ
導入部の描写の著しい偏り(極端な書き込みと省略)について。全然意識してなかった。それ以降とそんなに違いあったかなあ。「写実主義」とはまったく異なるのは、それはそう。語り手の恣意というか、癖がかなり強いので、めちゃくちゃ主観的な文章だった。ずっと。「客観主義」とかは意味がわからない(定義を知らない)。
執筆時からすれば作中時は王制の時代なので過去であり、三文小説的なプロットの地下に通底する王権の存在を無視すべきではない説、なるほど。
「何についても書かれていない小説」を目指して書くこと、かっこよすぎてわろた。
なんだかものすごい崇高な作品を読んでしまったような気がしてきた。読んでる最中はそんなこと思わなかったのに。
しかし、やっぱりわたしは俗物な読者なので、どうしても文体だけではなく、この小説のプロットやストーリーを無視できない。上のような崇高な文体上の理想を達成するために、こうしたいち女性の浮気と借金と破滅の物語が採用されたことには必然性があるのだろうか。こういう「内容」こそが、何も書いていない、主題がもっとも希薄なものなのだろうか。……これが、読み終えていちばん気になる(考えたい)ことかもしれない。
読んでる最中に考えていた、恋に恋するロマン主義小説へのアンチテーゼである、という仮説はぜんぜん違うんだろうな、というのはなんとなくわかるが、じゃあなんなんだこれは。
わたしが『WHITE ALBUM2』(エロゲ)を、「なにも大層な思想もメッセージ性も崇高なテーマもなく、ひたすら俗にまみれた人間たちの生があるだけなのが最高」だと褒めているのに、なんとなく似てる気はするんだよな……
とはいえわたしは、WA2を愛するようには、『ボヴァリー夫人』を愛することはできない。一読した限り。
それは、けっきょくのところエンマというキャラクターをそんなに好きになれなかったことが最大の原因だと思われる。むろん、本作を高く評価するひとの大半は、べつにエンマのことが好きで感情移入しているわけではなくて、やはり先の文体上の試みの完成度やらにくらっているのだろう。わたしは残念ながら、めちゃくちゃ壮美で「解像度の高い」うまい文章だなぁとは思うけれど、特に好きでもないし刺さってもいない、というのが正直なところ。
開き直ってとことん俗な感想をいえば、本作は浮気・不倫を扱っているが、「寝取られ男(コキュ)」役たる夫シャルルがぜんぜん妻の浮気に気付かない能天気で哀れな男として描かれていて、三角関係モノというには嫉妬・焼きもち・失恋などの要素があまりに少なかった点が残念だった。もちろん、本作はわたしの期待するような「三角関係」をやるつもりは毛頭なくて、むしろエンマというひとりの人間の内面と外面の人生を描くことに注力していると言った方がよいので、三角関係の旨みを求めるのがお門違いであろう。
ただ、本作を読んで、上記のように自分の好みの解像度が上がったことは僥倖である。NTRモノのなかでも、寝取られ役にいっさい寝取られている自覚がないタイプはそそらず、逆に寝取られていることを知って苦悩したり興奮したりする寝取られ役の様に興奮している可能性がある。今後も調査を続けたい。
上で、エンマという人間の生を描くことに注力した小説だと述べたが、その他の登場人物もいろいろと印象的な記述はある。なかでもやはり、薬剤師オメーは裏主人公ともいえる面目躍如っぷりで、情念に生きるエンマとはまた違うタイプの、功名に生きるプライドの高い面倒くさい人物だった。
また、中盤からボヴァリー夫妻が移り住むヨンヴィルという村(町?)も、ひとつの劇空間として印象的に造形され描写されており、『百年の孤独』とか『丁子と肉桂のガブリエラ』のように、ひとつのムラ社会のある時期をスケッチした文学としても味わい深いかもしれない。
「自由間接話法」がなんなのか何も知らないので、何も意識せず、気にせずに読み終わってしまった。
そういえば、2009年に初版が発行された河出文庫の山田ジャク訳で読んだが、これがもともとは1965年の訳だというのには驚いた。そんなに古いんだ。ぜんぜん古さを感じなかった。(それはおそらく、版組の新しさに誤魔化されているのだと思う)
というか、仰々しい絢爛豪華な文体は、原文由来だけでなく、訳の影響も多分にあるのか。
いちおう新潮文庫の芳川訳でかつてちょっとだけ読んだが……違いを比べられるほど覚えてない。
ともかく、山田訳は60年前の訳だとは思われないほどに読み易くてよかった。ただし、前述の通り、訳文じたいにそう感じたのか、それとも文庫版の新しい版組や装丁といった非本質的な要素から「読み易さ」を感じているのかは、正直わからない。新潮文庫の印字フォントや文字組みはあんまし好きじゃないので、訳文の如何に関わらず読みにくさを感じたのかもしれない(し、もっと言えば単にそのときの気分やモチベですべてが左右されている可能性も非常に高い)。

