『第三の書』フランソワ・ラブレー(1546)
つづき
2024/3/19~2025/1/25
24/3/19(火)
・作者の前口上
読者に対して色々と予防線を張ったり牽制したり媚びを売ったりしている。それら前口上をやること自体を馬鹿馬鹿しく書いている。
前巻から相変わらずものすごい躁、諧謔の筆致だ…
風刺でありところどころ攻撃的なんだけど、カラッとしている。陰湿さがなくて現代の冷笑や自虐ともまったく違う。
気力を猛烈にふりしぼり、両腕をば、ぐいっと広げますと、樽を、ごろごろ、ころころと転がして、きりきり舞いさせ、べたべたと汚し、馬櫛でひっかき、押し倒し、ひっくり返し、なでまわし、ひっかいて、愛撫し、攪拌し、荷鞍みたいにゆさぶって、おっぺして、つまずかせ、どーんと揺らし、でんぐり返して、地団駄踏ませ、水たまりにばちゃんとつけて、ぽんぽん叩いて、ぱんぱん鳴らし、割れ目を麻くずでふさいでは、その麻くずを外し、ずっこけさせては、空足踏せ、足踏みさせて、ごんごん叩き、ぐらぐら揺すり、放り投げ、けんか腰にぶったたき、ゆらゆら、ぐらぐらいわせて、持ち上げて、じゃぶじゃぶ洗い、釘を差して、足枷はめて、あっちを向かせたと思えば、こっちを向かせて、ブロックし、引っかきまわして、拾ってあげて、泥をぴちゃぴちゃかけると、どさっと置いて、砲架にすえつけて、縄でしばりつけ、釘で固定し、火口でなでなでして、タールを塗って、とろ火であたため、手探りして、がらがらみたいに動かして、お手玉にしたり、投げ飛ばしたり、メスで傷つけ、カンナで削り、かつんかつんとぶつけて、魔法をかけて、紋章で飾り、矛槍でいたぶり、馬具をつけたり、羽根飾りをつけて、ケープ着させて、この樽を、山から谷へと突き落とし、クネライオンの丘まで転がり落としますと、今度は、かのシシュポスの岩のように、この樽をば、谷底から山頂へと、ぐんぐん運び上げたのでありましたが、ものすごい勢いでしたので、もう少しで樽の底が抜けそうなのでございました。 pp.33-34
お得意の反復ゴリ押し連打
訳も引き続きすごいアクロバティックで最高
5章まで 〜p.106
めっちゃ関西弁のパニュルジュ、借金の良さについて長広舌を振るう 人体のミクロコスモス推しはルネサンス期のネオ・プラトニズムらしい。
お奈良漬け!
2/21(木)
6章〜11章 〜p.153
パニュルジュのブラゲット論
9章、パニュルジュとバンタグリュエルの漫才みたい。パニュルジュが結婚したいとかしたくないとか繰り返す。パンダグリュエルはツッコまずにひたすら同調している。
てかほんとパンダグリュエル丸くなったな〜 奔放役はすっかりパニュルジュに奪われている。
ウェルギリウス占い面白いな
3/26(火) p.154〜199
12章
ウェルギリウス占いで明らかに不吉な結婚の結果を引いても、ああ言えばこう言う屁理屈でパニュルジュが無理やりポジティブに捉える。弁が立つなぁ まあそもそも占いの時点でこじつけではあるのだけど。
15章
脱線に次ぐ脱線 パニュルジュの比喩を受けて修道院のビーフの話題に飛んだりする。ピンチョンやレサマのよう ほとんどストーリーと呼べるものに動きはない。
3/28(木) p.200〜
16章〜
201注1、物語空間の瞬間移動について。城主となったディプソード国でパニュルジュはこれまでパンダグリュエルと話していたの? あんまそういう想定ではなかった。シノンに最初からいた、でも成立しそうだが。
17章 やっと動きがあった。
結婚運を占ってもらうため、パンズーの巫女のあばらやへ。この老婆のムーブがおもしろい。占い中、「ザリガニの脚をもぎとるサルみたいに、鼻歌を歌ってる」ってどういう直喩だよ。最後にいきなりお尻を見せて別れるのも最高。
p212注12で初めて話者が現れているが、この巫女の動作に引きつけるためのレトリックだろう。
4/5(金) p.229〜
19章 言語の恣意性ゆえに、生まれつき「聾者」のジェスチャーこそ最も真実を伝えるという説。ナチュラルな女性差別の俗説も。ルキアノス『ダンスについて』読みたい
20章 『パンタグリュエル』19章のリフレインっぽい、身振り手振りの応酬。トリオコントっぽい
2025/1/10(金) p.249〜
ほぼ内容を忘れているが、再開
21章〜23章
マジで変なおじさん達がしょうもない雑談しかしてない。でもふざけたトーンの文章がほんと心地よく読み易くて好き。
補集合までも可能性に含むことで必ず当たる占いの風刺か。
p276 フランス語翻訳で「悪魔みたいに」と「あくまでも」と韻を踏むのえぐい
1/11(土)
24章〜25章
膨大な種類の占いを羅列して薦めてくるじいさんのもとへ相談しに行き、パニュルジュはまた怒って帰ってくる。
結婚相談のためにいろんな人に会いに行く話ではあるものの、道中の描写がほぼ無いので、けっきょくふざけた奴らがひたすら対話というか雑談や議論や口論をしてるだけの、実に動きのない小説になっている。
1/12(日)
26~30章
これが〈たまきんブラゾン〉かぁ……
1/14(火) p.348〜
30〜32章
これまで各地の4名の人物を結婚相談で訪ねたのに対応して、今度は神学者・法学者・医者・哲学者の4名を招いて相談する。
コキュになることをパニュルジュらはとにかく心配する。根本的な女性蔑視・男権主義がある。
p.366〈すべての妻帯者は、コキュの予備軍なり〉 これはなかなか思い切った論だ
p.368 解剖学的な観点?からエグいミソジニー発言が繰り出される。ほぼ全てがアホな台詞として戯画化されているのでまだいいが、現代でもこういうのを真面目に言う人が皆無ではないからな……
1/15(水)
33〜36章
寝取られ大明神を信奉すればかえって寝取られなくなるという馬鹿話?
前巻以降出てきていない人物がいきなり喋り出したり、発話者不明の台詞があったりと、近代小説とはまったく違う。フランソワ・ラブレーの名もサラッと言及された。
父ガルガンチュアまでサラッと再登場しとる!!
判断停止主義の哲学者にのらりくらりとかわされるパニュルジュ。
1/17(金)
37〜40章
38章 愚者トリブレの愚者の種類を、パンタグリュエルとパニュルジュがそれぞれに羅列する。なんだこれ。『紙の民』みたいなのをこの時代にやっているのか。タイポグラフィ小説としても源流なのか
39章 さいころ裁判の弁明 比喩が具象へとずらされていることのおかしみ
マジでおびただしいほどの法律書関係からの引用 よくぞ翻訳したな、気が遠くなる……
1/22(水)
41〜45章
老翁判事ブリドワのさいころ裁判訴訟編おわり。結局、長期間に渡って偶然にも妥当な判決がさいころを振って出続けていたということなのか……。すげえ込み入った法律の話題なのか、すげえしょうもないおふざけなのかよう分からん。どっちもか……
そして宮廷道化トリブレでようやくパニュルジュの結婚相談が決着を見るのか。意味わからん動作を他の人が意味深に解釈していくやつ、前巻でもあったような。
1/23(木)
46〜47章
p.494 注7 ランテルノワ国 『パンタグリュエル』に触発されて書かれた『パンタグリュエルの弟子』からの逆輸入ということで、いわば二次創作を公式に逆輸入しているかたち。まぁそもそも『パンタグリュエル』自体が『ガルガンチュア』の二次創作に他ならないが。
ここから次巻に続く大冒険の準備が始まるのか
1/24(金)
48〜49章
パンタグリュエルってまだ結婚してなかったんだ。パニュルジュにすっかり主役の座が渡って、もうすっかり身を固めて大王として隠居してる感じだと思っていたので、ここから再びパンタグリュエルに御鉢が回ってくるのか。
結婚に両親の同意を必要と定めることが、当時の知識人たちの主流な意見だった。現代からすればとても考えられないが、教会と国家の権威を巡る争いなども背景にあり、かなりゴタゴタ揉めていた話題らしい。
そして最後には冒険で乗る船に積み込むパンタグリュエリヨン草とかいう植物の説明が始まった。なんで……?? 筋書きがテキトーすぎる。
1/25(土)
50〜52章
植物の命名法について
なんでパンタグリュエリヨン草が絞首刑に使われていると述べているのかと思ったら、喉をからからにする悪魔が原義であり「パンタグリュエルにのどをやられた!」と言う者が多いからか。どこまでも言葉遊び。
パンタグリュエリヨン草の万能さを羅列する語り手。そういやいつの間にか語り手が前面に出てきていた。
最終章は耐火性能を語り、8行詩でフランス礼賛する。パンタグリュエルやパニュルジュら登場人物が出てこなくなったw
「国王の特認」が付録で付いていた。マジでフランス国家スケールで流行った、当時のフランスを代表する文芸書なんだなぁ
『第三の書』読み終わった!! 中盤で1年近くあいだを空けてしまったが、ようやく読めた。
第一の書『ガルガンチュア』、第二の書『パンタグリュエル』に比して、この第三巻は圧倒的にキツかった。物語が……動かない! ほとんどパニュルジュの結婚相談でいろんな人たちとしょうもない会話してるだけ!
まだ『第四の書』を未読だが、冒険譚になるらしいとは聞いているため、この『ガル&パン』全4巻のうち、もっとも好きな巻に『第三の書』を挙げるひとはめちゃくちゃ逆張りだろうと思う。それくらい一周回ってラディカルな内容になっている。
これまでの巻は諷刺や滑稽な言葉遊び・羅列などを使って荒唐無稽な出来事を語っていたが、今回は実際に起こっていることはほとんど無くて、ついに言葉だけになってしまった、という印象。登場人物たちの会話、しゃべくりのなかで、相変わらずしょうもない話や言葉遊びがひしめいている。喩えるなら、コント漫才としゃべくり漫才の関係みたいな感じ? いちおう物語上、いろんな場所に移動しているのだが、その空間的な移動はほとんど語られず、意図的に動きを抑制しているとすら感じる。
悪漢パニュルジュが結婚すべきかしないべきか、さまざまな人に尋ねることが大半を占めているが、そこではコキュ(寝取られ男)になることへの恐れ・不安が非常に大きな存在となっているのが印象的。この時代から「男」ってそんなに寝取られるのが怖いのね……と呆れたり、「女」をすぐに浮気する淫乱な生物だと見なしているのね……と女性蔑視にドン引きしたりと、ジェンダー本質主義に絡めとられそうになる。
宮下さんの翻訳は相変わらずめちゃくちゃすごかった。読み易く、アクロバティックな翻訳不可能な言葉遊びを見事に日本語に移し替えている。
訳者解説
いや〜ラブレー研究の前線を概観して、多様で深遠な意味が込められた傑作だったのだと思わされる……実に解説の役割を果たしている。前半と後半でちょうど鏡像的になったシンメトリー構造、なるほどね。借金礼賛で始まり草礼賛で終わる。にしてもこういう読解はいつの時代もどんな文献に対してもあるのね。『チェンソーマン』レゼ編の考察とかでよく見るやつだ。
あまりにその読解に拘泥するのもどうなんだと訳者は一線を引いてはいるが。
ブリドワ裁判についても、ワイズフールの体現として好意的に読む識者もいるようだが、じぶんは断然、明らかに風刺的にやってるだろ!派だなあ。まぁ、ふざけたものから高尚な意味を見出したがるのが人間というものだが。そしてそれが何よりラブレーの追求して表現しているものだと言われれば、それはそう。
でもエンタメ的にはかなり厳しい巻であるのは間違いないと思うんだよな〜。
