『ヴァインランド』(6)トマス・ピンチョン

 

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つづき

 

10章と11章を読んだ。

 



10章 (pp.279-295)

 

〈秒速24コマ〉の回想・フレネシとブロックの出会い

 

<あらすじ要約>
プレーリー、タケシ、DLの3人はLAの高層ビルに入っているタケシの探偵事務所へたどり着く。そこで〈秒速24コマ〉の仲間だったディッツァと合流。プレーリーは母フレネシ達が青春と命を掛けて撮ったフィルムを観せてもらう。そこではアナキストとして権力闘争の現場を映像に収めようとする若者たちの成果が映し出されていた。スクリーンはオレゴン州の反政府活動の裁判を映し出す。そこでフレネシはミスター検察官ブロック・ヴォンドと運命的な出会いをし、それがサーフ大学での事件へと繋がっていくのであった──

 


<付箋引用・感想メモ>

 

彼らはクロースアップの手法に──その曝け出す力、暴き立てるパワーに──格別の信頼を寄せていた。権力が腐敗していくプロセスは、人間の顔におのずと描き出される。大きくズームアップした人間の顔は、最高の感度を持つ記憶装置なのだ。光に対して真実を隠し通せる者がいるだろうか? pp.283-284

もうぜったいに真実味を取り戻すことはできない。
「ぜったいに?」ローカル局のレポーターが突っ込みを入れる。場所はサンワキーン・ヴァレーのどこかだろう。
ここでショットの切り返し。フレネシ・ゲイツが映し出される。部屋の中の二人の女性が座り直すのが感じられる。 p.284

〈秒速24コマ〉の撮る映像について説明する三人称の語りに、いきなり「ぜったいに?」という映像内のレポーターの突っ込みが入ることで、三人称の語りと映像内の(おそらくは)ナレーションが重なる。

また、次の段落の3文では「フレネシ・ゲイツが映し出される」という映像内のショットの切り返しと、「部屋の中の二人の女性が座り直す」という映像外(映像を観ているDLとディッツァ)への視点(ショット)の切り返しを続けて行っており、多分にメタ的な仕掛けが施されている。

 

これまでの章の回想では、誰かが誰かに語りだしたり、全知の語り手が勝手に喋りだしたりする形をとっていたが、この回想では「映像を見る」形でプレーリー(と読者)に、秒速24コマの話を伝えている。

 

こんなにも映画・映像についての小説だと思ってなかった。『重力の虹』のラストシーンでスクリーンにロケットが映し出されるメタ演出があったが、『ヴァインランド』では映画的演出をより発展させて広範囲に多岐にわたって、「過去(60's)と今(80's)」という物語の根本テーマとも結びつけて繰り広げている。正当進化していて良い。

 

 

姉妹の仕事ぶりを見ていると、思考なき行動というものの優美さに魅せられる。編集するのにズィピは爪とセロテープに頼り、ディッツァは歯とクリップを好んで使うのだけれど、ムヴィオラを回してみると、どちらの仕事もフレーム一つ狂いがない。作業中タバコはふかし放題で、TVは二、三台それぞれが別番組を流している。ラジオからはロック、それも好みのハードなアシッド系のものが流れっぱなし。その重厚なグルーヴ感の中で彼らの編集作業は続いた。グループの星占いを担当するミラージュが、双子座の二人に、日々の星位を教えるようになってからは、とんでもない時間に起き出して仕事を始めたり、新月の日には何もしなかったり。 pp.286-287

すげーキャラクターキャラクターしてる

 

 

〈秒速24コマ〉主要メンバーリスト
・リアリストな護衛役:DL, スレッジ
・夢に没頭するタイプ:ミラージュ(星占い役), ハウイ(金髪白人, ズィピ&ディッツァから嫌われている)
・天才フィルム・エディターのピスク姉妹:ディッツァ, ズィピ(ニューヨーク育ち)
・皆のご機嫌を取る役:クリシュナ
・照明係:フレネシ


こういう若者の集まりいいなぁ。〈ヤンデルレン〉みたいな
むしろ活動グループだから『野生の探偵たち』の〈はらわたリアリズム〉に近いかな

 

 

これらの無慈悲な映像にも、ときたま、偶然の産物としての救いがあった。デモ隊の一人にライフル銃を振り向ける州兵の腕に光る汗の逆光ショット、口が言うまいとしていることをすべて雄弁に伝えてしまっている農園主の顔のクロースアップ、ときどき割り込む田園と日没風景……。でも、これらはあまりに散発的で、スクリーンから溢れ出す陰惨なメッセージをさえぎるだけの力はない。
ある時点でプレーリーは理解した。これらのシーンのほとんどは、自分の母親がカメラを回している。だから、心をカラッポにしていれば、だんだん自分がママになり変わっていけるのではないか。ママと同じ眼を共有し、フレームが、疲れや恐れや吐き気から揺れ動くと、その振動に合わせて、ママの体をまるごと感じ、フレームの選択からママの考えを、歩いていってフィルムを入れカメラを回す動きからママの意志を感じることができるのではないか。 p.290

 

 

父ハブ・ゲイツが設計し、好んで「若い照明主任」と呼んでいた娘に伝授したこの装置を、フレネシはその場の必要に応じてカスタマイズし、ファシストの怪物である〈電力中枢〉からの生き血を、機会あるたびに吸い出すのに使っていた。この怪物は、竜巻や爆弾に似た情け容赦ない破壊者で、それ自体の意志をもって自覚的に動く。 p.293

電力と資本主義の怪物といえば、重力の虹の〈電球バイロン〉の挿話が思い出される。

 

フレネシが照明にめちゃくちゃこだわる人物である、というのがまた象徴的だ。光と影、表と裏、アナキスト運動家だったはずが警察の雇われ人に……

光と影、というのは2006年の『逆光』("Against the Day")でより深く掘り下げられるだろうし、そういえば前章(9章)にも朝と昼の光の当たり方によって町の見え方が変わるという描写があったな。

「ほら、見てごらん」 地平線から陽が射し始めていた。ふたりともほとんど眠らぬまま迎えた朝である。眼下の通りはみなクネクネとして傾斜も急な坂道なのだが、家々に通じるあらゆる路地も、段々をなす家の壁も、道の先の急なカーブも、ふだんは隠れて見えないところが、どうした具合か、いまこの窓から、すべてがくまなく捉えられる。一夜を路上で過ごして目を覚ましつつあるもの、カラの容器、誰かの落とした鍵、瓶、紙くず、それら一つひとつのものが、ダークな時の呪縛から解き放たれて、タケシとDLのいる窓に向かって、影も持たず、裏もなく、ただのんめりと、その存在を晒しているのだ。欠伸をしうごめき始め、それぞれの一日に散っていこうとする人たちを、ふたりはしばらく眺めた。「こんなに近くに見えるなんて──。あの人たちにも、あたしたちが見えるのかなあ」「トリックですね、朝の光の!」このままずっと、陽の昇っていく間、ここから眺め続けていたなら、町が姿を変えていく様子を間近に捉えることもできるだろう。物の端がゆっくりと回転し、物の影で内と外とが反転して、遠近の「法」が再び支配を取り戻していくさまが映し出されていっただろう。時計が九時を指すころ、窓から見る町の景色は、すっかり昼間のヴァージョンと入れ替わっているだろう。 pp.251-252

ここスゴく描写がきれいで印象に残っていた。
こうして読み返すと、「物の影で内と外とが反転して、遠近の「法」が再び支配を取り戻していく」とか非常に示唆に富む文だなぁ。映像内(出演者, 過去)と映像外(鑑賞者, 現在)の反転、遠近の法・・・
本作中の二項対立といえば、この世とあの世、生と死をさまよい歩くサナトイドも忘れてはならない。

プレーリーは映像に映った母親の姿ではなく、母親が撮った映像を見ることで、「ママになり変わっていけるのではないか」という錯覚、没入感と親近感を覚える。映像を「見る」(="過去を知る")という行為が、映像を「撮る」(="現在を生き、過去に伝える")という行為と疑似的に重なり合う。それは、一般に過去の出来事を現在として経験していく「小説を読む」という行為と同じことなのかもしれない。

 

なんか批評の真似事みたいな解釈を色々と誘われるけど、第一には、とにかく文章が良い!
引用しなかったけどフレネシとブロックの邂逅シーンなんてスゴく決まってる名シーンだと思う。

この章は短く映画的にまとまってて非常に好み。完成度が高い

 

 

 

11章 (pp.296-314)

 

サーフ大学での〈ロックンロール人民共和国〉成立、フレネシとブロックの逢瀬

 

当時の大統領リチャード・ニクソン邸のあるサンクレメンテのお膝元、トラセロ郡サーフ大学で、数学教授ウィード・アートマンを中心にして、大学の自治権をめぐってミニ国家「ロックンロール人民共和国」(通称"PR3乗")が設立される。ウィード自身には特に強いカリスマ性も意志もないのだが、192センチの長身のせいもあり、あれよあれよと祭り上げられてしまった。

彼の友人で東南アジア地域研究をする大学院生のレックス・スナヴルは、ヴェトナム戦争の知られざる共産主義過激派集団「ボルシェビキレーニン・グループ・オブ・ヴェトナム(BLGVN)」をイエスのように崇めて、「すべての憎き官憲を大学外へ(ADHOCの会)」をウィードを誘い発足させた。

PR3乗の建国宣言翌日には〈秒速24コマ〉がやって来た。フレネシはウィードに執着してカメラに収めようとするが、実は、PR3乗の内部崩壊を企むブロックにウィードの映像を渡すためだった。既に彼女はブロックと深い仲になっていた。

オクラホマシティでのブロックとの嵐の夜の逢瀬。ウィード-フレネシ-ブロックの三角関係のなかで、ブロックは「ウィードの魂がほしい」と言う──

 

「君はだね、私とウィードが通じ合うための媒体なんだ。それが君のすべてだ。ここもあそこも、きれいに縁取られた君の穴たちが、私たちを交互に運んで行き来する。香りのついたメッセージを小さな秘密の場所にしまい込んでね」 p.309

 

自分のことしか考えない最低の学生をそのまま大人に投影したようなヤツ──ではあっても、それとは全然別のどこかに、どう生きていっていいのか分からずに呆然としている少年の、ほんとうの彼がいて、わたしの介在を必要としている。わたしが一緒に手を引いて歩いていけば、その彷徨える魂を、光のもとへ、85番フィルターを入れた太陽プラス空の光へ、導いていき、本来彼がそうなれたはずの真っ直ぐな人間に戻してあげることができるかもしれない。〈ラヴ〉という、ちょっと前まであらゆるロック曲が歌い上げ、それさえあれば世界が救えるはずだった──でも今や魔法が色褪せ、みじめな用法に甘んじている言葉を、今なお信じて使えるのは、そうした思いの中だけだった。 pp.313-314

フレネシはダメ男にハマってしまうタイプか。ゾイドもダメ男だし……

ロックンロール人民共和国、通称ロッ共ワロタ。かわいい

フレネシは結局ブロックのスパイとみせかけたウィードの二重スパイなのか、ここの三角関係の緊張感がヤバい

 

 

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