「純な魂」カルロス・フエンテス


ラテンアメリカ文学好きと言っておきながら未だほとんど読んだことがないフエンテス
この作家の名を初めてちゃんと認識したのは、セサル・アイラ『文学会議』──主人公のマッドサイエンティストが尊敬する作家フエンテスのクローンを大量生産して世界征服を企む──を読んだのがきっかけだ。最高の出会いである。


作品としては、その後に岩波文庫野谷文昭氏が編纂した『20世紀ラテンアメリカ短篇選』に収録されている短篇「チャック・モール」を読んだだけだ。この短編は怪奇ゴシック小説の傑作らしいが私にはあまりピンとこなかった。それも、今までフエンテスをしっかり読もうという気にならなかった遠因かもしれない。

 

フエンテスといえば、『澄みわたる大地』『テラ・ノストラ』そして最近岩波入りした『アルテミオ・クルスの死』(ふくろうさんの書評が良かったので積んである)といった大長篇こそ本命っぽいのだが、いきなりそこに挑んでも砕け散る予感しかしない。そんなとき、フエンテス入門としてうってつけの岩波文庫の短篇選『アウラ・純な魂 他四篇』が自室の本棚に見えたので(これ買ってたんだ……過去の自分ナイス!)喜び勇んで手にとった。

 気が早いが、本書が良かったら〈フィクションのエル・ドラード〉から出ている『ガラスの国境』を読んでみたい。積んでる『アルテミオ・クルスの死』にも挑戦したい。
そんな楽観と期待を胸に、まずは表題作の片方から読み始める。

 


・純な魂

ちょっとヤンデレっぽい女性がある男性に向けた1人語り書簡体?小説
この形式はやっぱりパワーがあるな
フエンテスの技巧によるものかはまだわからんが


やたらステロタイプな幼馴染エピソード
毎正月メキシコの海辺でふたり戯れた
3歳差かあ
尊い……

 

pp.121-122

海賊ブラッド、サンドカン、アイヴァンホーといったように新しい冒険をはじめるたびにあなたは変身したけれど、私はいつも名前もなければ、これといった特徴もない恐怖におののくお姫様という役どころだった。

次々と名前を変える勇敢な冒険者と、名前のない囚われのお姫様
『彼女の「正しい」名前とは何か』
ちょい家父長制への攻撃/皮肉っぽい?

 

p.123

私たちは真面目だったけど、決してもったいぶったりはしていなかった、ねっ、そうでしょう。うまく説明できないけど、私たちはきっとそうとも知らずお互いに支え合っていたのね。それはたぶん裸足の足の裏に感じとれる熱い砂や夜の静かな海、歩いている時にぶつかる腰、あなたがはいていた仕立ておろしの白くて長いズボンや買ったばかりの私の裾の広がった赤のスカート、そういったものと関係があったんでしょうね。


p.123

アン・ルイス、あなたも知っているように、たいていの男性は十四歳で成長が止まってしまうのよ──さいわい、私たちは十四歳にとどまってはいなかったけど。いつまでたっても十四歳のままで、自分が不安なものだから人に残酷なふるまいをする、それが男性至上主義の正体なのよ。


アン・ルイスは男性至上主義に染まりたくないからメキシコを飛び出してジュネーヴへ行ったというが、やっぱり根っからの男性至上主義に囚われているように思える。
風俗が嫌で女性をちゃんと理解したいという心がけは紳士かも知れないが家父長制と紙一重だ。


p.126

「私のことを忘れないでね。どうすればいつも一緒にいられるか、その方法を考えてね」

 


あれ、もしかして兄妹って比喩じゃなくてマジのやつ?
家が隣の幼馴染かと思ったらお兄ちゃん大好き妹だったのか。

 


p.133

あなたの手紙を読むたびに、これまでよくないとされてきたことすべてを聖別する必要があるということに気づきはじめたの。手袋をくるりと裏返しにしなければ生きてゆけない、そう自分に言いきかせているのよ、フアン・ルイス。いったい誰が私たち二人を引き裂いてしまったのかしら。奪い取られたものすべてを取り戻す時間なんてないわ。私はべつに何かしようと言ってるんじゃないのよ、プランを立てて何かしようなんて考えていないわ。私はラディゲと同じことを考えているだけなの。「純な魂のする無意識の工夫工面は、邪な心のする企みよりもはるかに特異なものである」

冒頭に引かれているように、題はラディゲ『ドルジェル伯の舞踏会』からの引用。

 


pp.135-136

クレールのそばにいると秋がいつもとちがって見えるんだ、とあなたは書いてきたわ。日曜になると、あなたたちは手をつなぎ、ひと言も口をきかずに何時間も歩いたのね。公園には、枯れたヒヤシンスの残り香が漂っていた。長い間散歩しているうちに落葉を燃やす匂いが鼻をつくようになったけど、そんな風に散歩していて、むかし私たちが海岸を歩きまわった時のことを思い出したのね。

「公園には、枯れたヒヤシンスの残り香が漂っていた、とあなたは書いた」や「公園には、枯れたヒヤシンスの残り香が漂っていたのね」ではなく、「漂っていた」と書くのには単なる省略以上の効果があると思う。
このように、フアンが経験した事柄で、ときおり伝聞調が剥がれてあたかも語り手がその場にいたかのように描写されるのがゾッとしていい。
普通の三人称小説における越権行為を一人称の語り手の狂気を演出するために適切に使用している。
ストーリーが割とありきたりなぶん、地味に技巧的というかマニエリスティックだ。露骨な実験性まではいかず、表層は通常の書簡体小説になっているのも技術の高さを感じる。

 

文章は事前に身構えてたよりずっと読みやすい。
古典的な「おはなし」の趣がある

 

 

いや〜妹が暴走してるだけかと思いきや、兄の方もけっこうヤバくないか
ジュネーヴで出来た彼女をかつての妹との思い出に重ねて比較して、それを妹への手紙に書く…
伊達に近親間恋愛してないな

 

p.136

僕が部屋でひとりでいる時は、いつも君のことを考えていたんだ。そうした時間が今、僕のものになったんだ。君の背中が僕の胸にぴったりくっつき、僕はうしろから君の腰に腕をまわして一晩過ごし、夜明けを待つ。君もそのことに気がついて、振り向くと、目を閉じたまま僕にほほえみかけるんだ、クレール。

きめぇ〜〜〜
妹と彼女の区別がつかなくなってるやん
でも「どうして手紙をくれないんだ」と言ってるあたり、ちゃんと区別したうえで敢えていもうとに宛てて「クレール」と呼びかけているようにも思える。余計にキモいわ。最高


p.137
うわっ!!!!!
え!?!?マジ?!?
やりやがった……そういうことか。
こんなにキャッチーな仕掛けを臆面もなくやるとは
伊達に実験的なラテアメ文学の源流のひとつとされてないな(そうなの?)

あちらとこちらが入れ替わる。コルタサルみたいだが、夢と現実の反転ではなく、あくまでリアリズムに基づいた、メキシコ(ラテンアメリカ)とスイス(ヨーロッパ)という歴史的文化的空間が小説の語りの構造を通してすり替わり融合する。
ラテンアメリカ性」みたいなのがこの作家の追求するテーマらしいけど、それがすごくわかり易くあらわれてるなぁ


いや、違った。早合点の勘違いだった。
上で書いたことはぜんぶ誤り
てっきり語り手が妹クラウディアから彼女クレールにすり替わったと思ったけどそんなことは無かった。ただクラウディアが現在スイスに滞在しているため「あなたはひとりで生きてゆこうと考えてこちらに来たんでしょう」と語っているだけだった。

 

p.139「私は癖のない金髪を撫でつける」
クレールもクラウディアも金髪ストレートで明らかに類似性をもたせてはいる。


p.140
まぁそうなるよな、さんざん仄めかされていたため驚きはない(こっちは早とちりではない)
ヤンデレとか形容したのが申し訳なく思えてきたが、でもやっぱり並々ならぬ執着を互いにしているのは間違いないし…

 

p.142

僕を見る彼女の目つきが、君にそっくりなんだよ、クラウディア。君が海岸の岩にしがみついて、食人鬼から助けてもらおうと待っている時と同じ目なんだ。君は、僕が君を助け出そうとしているのか、それとも牢番になって君を殺そうとしているのかわからないふりをしている。けれども、時々ぷっと吹き出してしまって、一瞬のうちにせっかくの遊びが台無しになってしまうこともあったね。

クレールとの話にクラウディアとの記憶がシームレスに介入してきて乗っ取る。どちらのことを話しているのか曖昧になる。

 

 

pp.143-144

私はどちらでもいいのよ、フアン・ルイス。でも、私ひとりでは決められないのよ。生活も仕事も成りゆきまかせでやってゆくというのなら、それはそれでいいのよ。それとも、生活も仕事も今のまま続けてゆくというのなら、それでも構わないわ。だけど、仕事はその場かぎりのもので、愛は永遠だとか、その逆だといった考え方にはついて行けないのよ、わかるでしょう

(フアンからの手紙中の)クレールの台詞
仕事と生活(恋愛)の扱い方がバラバラなのには反対ってどういうことだ

 


pp.144-145

自分自身の闇の中で、秘められた知性を研ぎすまし、魂のほんのかすかな動きにも敏感に反応するよう感受性を鋭敏にした上で、自分の知覚、予知能力、現在の厄介な問題を弓のようにぎりぎり引き絞った。未来を見つめ、それに狙いをつけて的に当ててやろうと考えたんだ。矢は放たれた。けれども的がなかったんだ。前方には何もなかったんだよ、クラウディア。手の先が冷たくなるほど懸命になり、苦しんだ末に心の中に作り上げたもの、それが打ち寄せる波に洗われる砂の町のように脆く崩れ去ったんだ。けれど、消え去ったわけじゃない、記憶と呼ばれるあの大海へ帰って行った、つまり、少年時代やいろいろな遊び、僕たちの浜辺、喜び、むせ返るような暑さといったものへと回帰して行っただけなんだ。僕たちは将来に向けていろいろなことを計画したり、びっくりするようなことをしたりしているけれど、すべてはあの頃の模倣でしかないんだ。

兄もめちゃくちゃ幼少期の妹との思い出に執着してんなー

 

p.145
クレールからクラウディアに宛てた手紙の末尾「妹クレールより」がクソ怖い
宣戦布告やん

 


pp.146-147

私たちに愛、知性、若さ、沈黙以外の何ものかになるようにと求めてくるものがあるけど、そういうものを断固として撥ねつけなければいけないわ。まわりの人たちは私たちを変えて、自分たちと同じ人間にしようと考えているの。私たちを許せないのよ。フアン・ルイス、負けてはだめよ、お願いだから、あの日の午後、文学部のカフェで私に言った言葉を忘れないでね。そちらに一歩でも踏み出したら、もうおしまいよ。二度と戻れなくなるわ。

「負けてはだめよ」って切実だなぁ…
若者と大人を素朴に対立させて前者の立場から語りながら、後者へと飲み込まれてゆく絶望を記述する、かなり古典的な青春小説の枠組みも含んでるんだな。トニオ・クレエゲルのような。

 


p.148
妊娠→流産→自殺も非常に典型的な展開。
ここで男女カップルの人生観・仕事観のすれ違いから、メキシコを離れる動機だった男性至上主義へと繋げるわけね。はいはい。よく出来てるな

 

え、どゆこと!?
クレール宛の手紙にクラウディアのサイン?

訳者解説を読んでやっと理解した。そういうことか。別に流産が原因で自殺したわけじゃないのね。
クラウディア怖いし、クレールの父親の彼女への態度もめっちゃ怖い。
どんな手紙を送ったら自殺に追い込めるんだ。流産との時系列もよくわからない。

 

クラウディアはフアン・ルイスにとってメキシコに残してきた自分の半身でありアイデンティティである、と解説されていた。まさにその通りだよなぁ
成熟したヨーロッパに浸り大人へと足を踏み入れたことで、青春期の自我を体現するメキシコの半身から猛烈な反発を受け、崩壊してしまう。
フアンの歴代の彼女がヨーロッパ諸国を象徴してるというのも反論しようがないがあまりにシステマチックで笑った。

こういうウェルメイドで隙のない八方美人的な小説は好みでないんだけど、これはかなり好きだなぁ


旧大陸/新大陸のアイデンティティ云々は置いといて、男女の狂おしい結びつきを女性側から淡々と語る形式と、失われた青春へのノスタルジーと切迫的な崩壊というテーマが非常に好み。
あと男女の三角関係モノでもある。性癖

妹小説としてもかなりパワーがある。ヤンデレの女の子に死ぬほど愛されて眠れない
また兄妹の近親姦っぽい雰囲気の短篇としてコルタサル「占拠された屋敷」に比肩する出来栄えだろう


家父長制や男性至上主義については、この兄妹を一心同体とみなせば表層的には無化される(自分が自分を抑圧することは(最もナイーブな次元ではとりあえず)できない)が、しかしより深い次元では、個人のアイデンティティの中に根を張る、抽象的で複雑なレベルの抑圧として立ち上がってくるのではないか。
つまり、本作で描かれるクラウディアやクレールといった女性も、〈男性〉的主体の内部に位置するイマジナリーな女性であり、女性のひとり語りの形式を採ってはいるものの、根本的には男がその内面化された家父長制から勝手に自分を引き裂いて自己崩壊する話のようにも思える。
まーあんましフェミニズム的な読みばかりやっていても仕様がないが。付け焼き刃だし


付箋を貼った文をタイプしてて思ったこと。
素朴でわかり易い文章と言ったものの、つくづくいい文章だなぁと感じる。
プロットも形式も文章も好みで、お気に入りの短篇がまた1つ増えた。大満足

 

 次は中編「アウラ」を読む。 

 →読んだ

hiddenstairs.hatenablog.com

 

 

 

 

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