「くじ」「背教者」シャーリイ・ジャクスン

 

 

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色んなところで「くじ」の名を聞いていたが、信頼している読書家が「完璧な短篇小説」と書いていたのが決め手となり、早川書房異色作家短篇集シリーズの「くじ」を借りてきた。が、こちらのサイトで手軽に読めたらしい。

 

 (今は文庫でもっと新しいのが出ている)

 

 

・くじ

各所で言及されており、あらすじは既に知った状態で初めて読んだ。

本当に聞いていた通りの話で、それ以外の細部の描写やプロットがほとんどない、あっさりしているというか、研ぎ澄まされた短編だった。


既にオチは知っていたので、「何のためのくじなのか」という通常初読者が思うであろうことはすっとばして、「誰がくじに当たるのか」だけが気になって読んでいったが、いちばん意外性のない、妥当な人物であった。

みかんさんの記事にもあるが、あたかも最初から当選者が決まっていたかのような、合理的で辻褄の合う選択で、それが自分にはあんまり魅力には思えない(「よく出来た」小説があまり好きではないため)のだが、では本作がまったく合わないかというと、そういうわけでもない。確かにこの最後には、読者を突き放して感情をかき乱すおぞましさと凄みがあると思う。
それは、メルヴィルの「バートルビー」を読んだときに感じるものに近い。
「えっ、これで終わり……? どういうこと……?」と、読んだ者を不安の只中に突き落とし、居心地を悪くさせる──がゆえに、それを包括する形での爽快感がある作品。こういう小説こそ、「正しく」文学的な作品だと思う。(ただし、これを「寓話」だとか「不条理」とかいう言葉に押し込めて分かった気になるのは最悪だ。「どういうつもりでこれを書いたのか説明してください」と作者に手紙を書いた当時のニューヨーカー読者たちと同じになってしまう)

 

あたかも初めから犠牲者が決まっていたかのような周到な伏線?の貼り方は、むしろ『オイディプス王』や『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』のような王道の悲劇として読むのが適切かもしれない。

 

小さな集落の広場で行われる催しを描いた話としては、ブンゲイファイトクラブ第1回の蜂本みささんの掌編「いっぷう変わったおとむらい」を思い出した。

 

この話の不気味さは、「くじ」という慣習がこの集落の住民にほとんど何の疑問もなく受け入れられている点にあるが、当選した夫人は「こんなのフェアじゃない!」と激昂し反抗する。その反応だけは、読者の常識の側に立っているのである種安心する。しかし、当選者さえもが平然と運命を受け入れるプロットのほうがより不気味で強烈な読後感を残すのではないかと思い、個人的にはそちらのほうが読んでみたかった。
もちろん、それではこの集落にとっての「くじ」の意義と、周到に用意された"妥当な"当選者──という本作の根幹は完全に変容してしまうだろうが、それでも、読者に一切の解釈の余地さえ与えないやり方を見てみたかった。

 

 

 

・背教者

「くじ」1作だけでは心許ないので、もうひとつ読んだ。

 

犬が好きなひとは気分を害するから読まないほうがいい

飼っている愛犬がご近所さんの鶏を食い殺してしまい、今後の処遇に悩む主婦の話

これも「くじ」と同様に、身の回りの凡庸な人間に内在する嗜虐性を露骨に描いたものとして読める。
子供こそが最も無自覚に残酷に振る舞える(無邪気さ=冷酷さ)のを強調するのも同様だ。("すげえいい天気の平和な一日"という舞台設定まで同じ)

 

「くじ」と違うのは、明確に主人公となる視点人物(ウォルポール夫人)が設定されている点だ。
彼女だけは愛犬に残酷な処置をしたくないと考えており、読者は彼女に感情移入しながら、彼女が他の人物の発言から受けるショックを一緒になって感じることができる。

 

読者側の人物が1人だけなのは、やはり「くじ」と同じとも言える。

「くじ」はその構造上、その唯一の読者側人物(=当選者)が終盤までは伏されているのが大きな違いで、この点で「くじ」は本作よりも優れているのだろう。

 

ただ、明確な主人公を設定したことで、「普通の小説」的な面白みは増えている。

ナッシュ夫人は、どんな種類の混乱も惹き起こさずにドーナッツを揚げられる、不思議な人物なのだ。 p.91

 

「もう二度と犬を飼おうとは思いなさるまいね?」
愛想よくしなければ、とウォルポール夫人は胸のうちで呟いた。田舎の標準でいけば、老人は裏切り者でも悪人でもないのだ。 p.91

このような(アメリカ的な?)ちょっと気の利いた細部の言い回しに魅力を感じた。

 

本作では田舎-都会という二項対立も持ち込まれているが、これも「共同体の存続には合理的な残酷さが必要である。共同体の輪を乱す部外者は排除される」という意味ではやっぱり「くじ」に回収される。


短編を2作読んだが、作風がわかり易すぎるので他も読みたいとはあまり思えない。

 

 

くじ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

くじ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

書記バートルビー/漂流船 (古典新訳文庫)

書記バートルビー/漂流船 (古典新訳文庫)

 

 

こっちの長篇も読みたい。