「ナチュラル・ウーマン」松浦理英子

河出文庫松浦理英子ナチュラル・ウーマン』に入っている3つの作品のうち、表題作だけを読んだ。

 


1
なんだか少女マンガか、女性作家のサブカル青年漫画でありそうな雰囲気の話だなぁとしか思わない。
男の人に心を寄せられない私が出会った「運命の人」……!という感じで、典型的なシンデレラストーリーをジェンダーだけ倒錯させてなぞっているようにしか今のところ思えない。
メイン2人とも、容姿の面では恵まれていて、周りの人を男性も女性も貶めて、自分たちだけの特別で甘美な関係を構築しようとしている感じがキツい。
しかしそれは恋愛小説なら一般的なことで、殊更に反発を覚えるものでもない気がするが、私が受け入れられないのは結局、異性愛中心主義やミソジニーを露呈しているだけなのかと思うと怖い。

 

2

奴隷解放宣言前後のアメリカの黒人を主人公にした漫画ばかりを描き継いでいる花世は音楽も有色人種のものしか聴かない。 p.134

なにそれおもろ。

 

花世=女であることに執着する。男性経験抱負

容子=女であることに執着しない。男性経験ナシ
という図式。

異性愛規範を内面化する女としない女が、お互い初めて同性愛に耽る

 

男性経験ないのに手を突っ込んでも出血しないのはホントに体質なのだろうか。意味深

というかいきなり手を突っ込むのって下手したら同性間レイプだよな……痛そう

 

「本当のセックス」とか露骨にテーマ性を打ち出してきてやっぱり今のところ好みじゃない。綺麗に作品が図式化されていて、提示した問題意識への解答を上手く行っている系の「優等生」の文学には興味ない。

 

3

結ばれても互いにどこか分かり合えず、体を重ねながらすれ違う。

 

花世の顎が少し上がった。視線が私の顔に移った模様だった。今まで花世の眼に映っていたものが視線と共に顔面に移動したような気がして、私は頭を横に向けた。 p.150

ちいちゃんの影送り

 

容子、「私が可愛いからでしょ」ってそういう自覚はあるんだ。自己評価低めかと。

 

4

「だけど、男にはリードさせるんでしょう?」
「だからままごとなのよ。男と女ごっこ。」
「ままごとじゃないセックスなんて、あるの?」
p.154

 

暗がりで際立つ花世の白い肌はとても魅惑的なのだが、触れると肌の白さに弾き飛ばされそうだった。 p.155

この表現なんとなく好き。視覚(色彩)情報から触覚への比喩

 

「あの子に言わせると、私はどこからどう見ても女だけれど、容子にはいわゆる女らしさがない。もちろん男のようでもない。一般的な性別には属さない、と言うの。では何に見えるかと言えば、夕暮れに家に帰りそこねた子供に見える。属すべき性別を見つけることができなくて戸惑ってる雰囲気があるんだって。」
「それはいいけど、なぜ小僧なの?」
「家に帰りそこねても生きて行けるしたたかさがあるのは小僧に決まっているからよ。だたの子供じゃ飢えるか凍えるかして死んでしまうわ。」 p.158

「夕暮れに家に帰りそこねた子供」とかいうエモい形容をいきなりぶっこんでくるの好き

 

5-6

いや〜マジで全然面白いとも凄いとも思えないのなんでだろ。傍から見れば至極しょーもないけど本人たちにすれば命よりも切実で大真面目に悩んでいる恋愛心理のすれ違いを描く……って、例えばラディゲの『肉体の悪魔』とかもそうだったけど、あっちはまぁまぁ良さは分かったのになぁ。やっぱり女性同士だとダメなのかな。異性愛中心主義を内面化したクソ野郎だとしたら絞首台に上るしかないな。

 

7

私には皮膚の鳴る音が笑い声に聞こえた。 p.178

実際の音は知らないけど、つま先立ちすればギリ理解に手が届きそうなくらいの連想すき

 

8
肉感的というか、身体(やそれに伴う精神)の瑞々しい動きを注意深く描写する小説が苦手というのはある。デリーロ『ボディ・アーティスト』もそうだったけど。

 

もうだめだ、と瞼をきつく閉じた時、冷えた紅茶が腿の付け根に振りかかった。まがまがしい音がして火は消えた。 p.187

まがまがしい音!

 

花世、DV夫(と表現するのはまたセクシズムだが)みたいで普通に嫌だなぁ。別に小説のなかで嫌な人物が出てきたからといって小説自体を嫌いにはならないが、うーむ。それになあなあで絆されている容子もなぁ。
なんか単純に好きなカップリング関係じゃないからヤなのかな。
この2人のやりとりを注意深く拾い上げて、深遠だか純粋だか業が深いだか何だか知らないが、大層な文学的価値を見出だせるひとは凄いなぁと思う。煽りじゃなく。自分のような恋愛……だけでなく人間関係全般に疎い人間にはわかりませーん

吉村萬壱「クチュクチュバーン」の感想でも書いたけど、やっぱり自分は人間関係や人間じたいにあんまり興味が無いからこういう作品を楽しめないのかな。

 

9
そういや圭以子が仲人だったな。
何度目のサイン会やねん。同人漫画サークルにいただけの筈がいつの間にやら地方都市でも複数回サイン会が開催される人気作家になっていることに現実感が感じられない。2人の恋愛のことしか描写がなく、漫画どうこうに文字を割いていないので。わざと空疎な現実として恋愛と対比させる演出なのか?
スリッパビンタ3連発はなかなか良い。女性も暴力を振るえることを示してる?とか余計なことを考えてしまう自分が嫌だ。

 

10

「何だか、いつもあなた1人がいろいろなことをわかってたみたい。私は何も知らなくて。」
花世は少し驚いた風に私を見た。
「それは逆でしょう? 私はあなたが怖かったくらいよ。あなたは空を飛びかねないほど自由で、私は愚鈍に地べたを這いずり回っていて。」 p.205

お互い様

 

男性経験豊富で女であることに執着していた花世が「一生誰とも寝たくない。私はセックスが苦手なの。よくわからないのよ」と言うようになり、男性経験が無く、自分が女であることに執着しなかった容子が「いつかナチュラル・ウーマンになるのかしら?それとも、そのままでナチュラル・ウーマンなの?」という言葉を投げかけられて動揺し絶望するまでになった。という変化を描きたかった?


別れのシーンは……「やってんねぇ!」という感じ(は?)


んーなんか最後まで圭以子は容子あるいは2人あるいはこの小説にとって都合のいいポジションの道具的キャラクターでしかなかったように思えて残念だな。最後にいきなり圭以子が飛び降りたりしたら面白かったのに(私はこれを冗談で書いているのかどうか分からないほど自分に失望し憔悴し混乱している)

 

 

「こういうお行儀の良い優等生小説は嫌い」とか「こういう肉感的な小説は苦手」などという言葉が、異性愛中心主義者や性差別主義者としての自分を覆い隠すためのおぞましい弁明なのではないか(という風に反省する仕草をここに書き加えることが、自分は差別主義者かもしれませんけど自覚はあるし自省もしてるから許してーという魂胆であることを否定できない)という気がして本当に参る。これを読んでいた時間は、小説を読んでいたというより、自分とひたすらマッチポンプの対話と自傷に見せかけた自己擁護を繰り返していただけのように思う。

私は自分を嫌いになるために小説を読んでいるのではない。

 

 

 

ナチュラル・ウーマン (河出文庫)

ナチュラル・ウーマン (河出文庫)

 

 

【追記】

巻末の解説を読んで、本書が独立した短編集ではなく短編連作だったと知った。「いちばん長い午後」「微熱休暇」は全然関係ない別の話だと思ってた。(ので、それらを読まずにいきなり3つ目の「ナチュラル・ウーマン」だけ読んだ。)そりゃあ良さが感じられないわけだ、という安堵もありつつ、前2編を読むかはちょっと分からない。あまり気が向かない。