「くじ」「背教者」シャーリイ・ジャクスン

 

 

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色んなところで「くじ」の名を聞いていたが、信頼している読書家が「完璧な短篇小説」と書いていたのが決め手となり、早川書房異色作家短篇集シリーズの「くじ」を借りてきた。が、こちらのサイトで手軽に読めたらしい。

 

 (今は文庫でもっと新しいのが出ている)

 

 

・くじ

各所で言及されており、あらすじは既に知った状態で初めて読んだ。

本当に聞いていた通りの話で、それ以外の細部の描写やプロットがほとんどない、あっさりしているというか、研ぎ澄まされた短編だった。


既にオチは知っていたので、「何のためのくじなのか」という通常初読者が思うであろうことはすっとばして、「誰がくじに当たるのか」だけが気になって読んでいったが、いちばん意外性のない、妥当な人物であった。

みかんさんの記事にもあるが、あたかも最初から当選者が決まっていたかのような、合理的で辻褄の合う選択で、それが自分にはあんまり魅力には思えない(「よく出来た」小説があまり好きではないため)のだが、では本作がまったく合わないかというと、そういうわけでもない。確かにこの最後には、読者を突き放して感情をかき乱すおぞましさと凄みがあると思う。
それは、メルヴィルの「バートルビー」を読んだときに感じるものに近い。
「えっ、これで終わり……? どういうこと……?」と、読んだ者を不安の只中に突き落とし、居心地を悪くさせる──がゆえに、それを包括する形での爽快感がある作品。こういう小説こそ、「正しく」文学的な作品だと思う。(ただし、これを「寓話」だとか「不条理」とかいう言葉に押し込めて分かった気になるのは最悪だ。「どういうつもりでこれを書いたのか説明してください」と作者に手紙を書いた当時のニューヨーカー読者たちと同じになってしまう)

 

あたかも初めから犠牲者が決まっていたかのような周到な伏線?の貼り方は、むしろ『オイディプス王』や『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』のような王道の悲劇として読むのが適切かもしれない。

 

小さな集落の広場で行われる催しを描いた話としては、ブンゲイファイトクラブ第1回の蜂本みささんの掌編「いっぷう変わったおとむらい」を思い出した。

 

この話の不気味さは、「くじ」という慣習がこの集落の住民にほとんど何の疑問もなく受け入れられている点にあるが、当選した夫人は「こんなのフェアじゃない!」と激昂し反抗する。その反応だけは、読者の常識の側に立っているのである種安心する。しかし、当選者さえもが平然と運命を受け入れるプロットのほうがより不気味で強烈な読後感を残すのではないかと思い、個人的にはそちらのほうが読んでみたかった。
もちろん、それではこの集落にとっての「くじ」の意義と、周到に用意された"妥当な"当選者──という本作の根幹は完全に変容してしまうだろうが、それでも、読者に一切の解釈の余地さえ与えないやり方を見てみたかった。

 

 

 

・背教者

「くじ」1作だけでは心許ないので、もうひとつ読んだ。

 

犬が好きなひとは気分を害するから読まないほうがいい

飼っている愛犬がご近所さんの鶏を食い殺してしまい、今後の処遇に悩む主婦の話

これも「くじ」と同様に、身の回りの凡庸な人間に内在する嗜虐性を露骨に描いたものとして読める。
子供こそが最も無自覚に残酷に振る舞える(無邪気さ=冷酷さ)のを強調するのも同様だ。("すげえいい天気の平和な一日"という舞台設定まで同じ)

 

「くじ」と違うのは、明確に主人公となる視点人物(ウォルポール夫人)が設定されている点だ。
彼女だけは愛犬に残酷な処置をしたくないと考えており、読者は彼女に感情移入しながら、彼女が他の人物の発言から受けるショックを一緒になって感じることができる。

 

読者側の人物が1人だけなのは、やはり「くじ」と同じとも言える。

「くじ」はその構造上、その唯一の読者側人物(=当選者)が終盤までは伏されているのが大きな違いで、この点で「くじ」は本作よりも優れているのだろう。

 

ただ、明確な主人公を設定したことで、「普通の小説」的な面白みは増えている。

ナッシュ夫人は、どんな種類の混乱も惹き起こさずにドーナッツを揚げられる、不思議な人物なのだ。 p.91

 

「もう二度と犬を飼おうとは思いなさるまいね?」
愛想よくしなければ、とウォルポール夫人は胸のうちで呟いた。田舎の標準でいけば、老人は裏切り者でも悪人でもないのだ。 p.91

このような(アメリカ的な?)ちょっと気の利いた細部の言い回しに魅力を感じた。

 

本作では田舎-都会という二項対立も持ち込まれているが、これも「共同体の存続には合理的な残酷さが必要である。共同体の輪を乱す部外者は排除される」という意味ではやっぱり「くじ」に回収される。


短編を2作読んだが、作風がわかり易すぎるので他も読みたいとはあまり思えない。

 

 

くじ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

くじ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

書記バートルビー/漂流船 (古典新訳文庫)

書記バートルビー/漂流船 (古典新訳文庫)

 

 

こっちの長篇も読みたい。 

『ヴァインランド』(3)トマス・ピンチョン


 

hiddenstairs.hatenablog.com

続き

 

4章・5章まで(約100ページまで)読んだ。

 

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https://vineland.pynchonwiki.com/wiki/index.php?title=Chapter_4

 ヴァインランドwiki

 

4章 pp.54-83

 

なんとか借りられたのが「リトル・ハスラー」の異名をもつダットサンの小型トラック。近くに住むトレントがキャンパーに改装したものだが、そのつくりがユニークで、コーナーリングのハンドルさばきが大変そうだった。「だいじょうぶだよ、ただね、ガソリン表示が満タンと空っぽの間のときは、右折と左折は控えたほうがいい」などとトレントは真顔で言うのだが、問題がキャンパーのほうにあるのは明白だった。 p.54

全然大丈夫じゃねえ!!!


ダットサンって何かと思ったら日産のブランドだった)

vineland.pynchonwiki.com
ピンチョンwikiに画像あった。ヤバww

 

 

トレント=詩人兼画家


まさか2章で言ってた近隣のヴェトナム帰還兵がほんとうに登場するとは
亭主RC、連れ合いムーンパイ、子供たくさん。川でザリガニを獲って稼ぐ
ゾイドとは70年代はじめ以来の付き合い(長っ!)

 

実をいうと、ゾイドがムーンパイに出会ったのは、フレネシとの離婚が最終的に決まった晩のこと──それは同時に、ある意味、離婚の取り決めと一緒に盛られた協約にしたがって、彼が最初の窓破りを敢行する前の晩のことでもあった。 p.55


ギグって小規模な演奏会(ライブ)のことか。

 

 

「フレネシ・マーガレット、ゾイド・ハーバート、汝らは、困難の日々も幻覚の日々も、ラヴという名のグルーヴィなハイに留まることを誓うなりや……」式は数時間も続いたのかもしれないが、三十秒で終わったようにも思われた。そこでは誰も腕時計などしていなかった。メローなるシックスティーズの住人は、デジタル以前の、TVによってさえ切り刻まれていなかった時の中を、ただゆったりと流れるように生きていただけ。この日のことは、後のゾイドの記憶にソフト・フォーカスの映像として焼きついた。 p.58

ノスタルジック〜〜〜
いかにゾイドが過去に囚われているかが分かる
こっちまで感傷的になる

 

野外の宴が続く間、花嫁はしずかな微笑みを保っていた。当時からスキャンダラスなほど青かった瞳が、ふんわり大きな麦藁帽の下で燃え立つのがゾイドの脳裏に焼きついた。小さな子供たちがフレネシの名を呼びながら駆け寄ってくる。演奏の休止時間、ふたりはイチジクの木の下のベンチに腰を下ろした。フレネシはコーンに盛った七色のフルーツ・アイスを舐めていた。祖母が着て母も着たウェディング・ドレスに、溶けたアイスの雫が垂れないようにと前屈みになってペロペロやっていたのだけれど、そのアイスは不思議と色が混じり合うことなく、いつまでもくっきりとした原色を保っていた。そのライムやオレンジやグレープ色の冷たい雫が、どこからともなく現れた三毛ネコの背中にかかる。ネコは驚いたかのようにミャウと鳴いて、土の上で体をくねらせ、狂ったようにクルクル目玉を動かし、全速力で向こうへ走っていっては戻ってきて雫を浴び、それを一からくり返していた。 pp.59-60


なんだこれ・・・感傷マゾのオタクが死ぬ間際に見る夢か!?!?


ルネ:フレネシの従妹。長身でド派手。LAに住んでいた


なんだか一気に話が急展開したな。
えーと、よーするに、フレネシをゾイドから奪ったワシントン連邦検察のブロック・ヴォンドがなぜか今になってゾイドの家を強襲し差し押さえた。
で、TV中毒者ヘクタがフレネシを追うわけは、60年代の不法薬物乱用についての映画を彼女に撮らせるためである、と。
(フレネシはバークレー大卒の映像作家)
家もなくなり娘プレーリーの身も危ないので、彼女はボーイフレンドのイザヤ達バンド御一行に預けることにした。

 

「ひとつ合点がいかないんだが」仏教徒に囲まれてテーブル上に立ち往生している麻薬捜査官にゾイドは訊ねた。「なんでまた、ブロック・ヴォンドの軍団が、今になってオレをいじめにやってくるのよ?」
吟唱がピタリと止んだ。まるで、これから主役のアリアが始まるかのように、みんな静かにヘクタを見上げる。頭上のステンドグラスの模様は、八つに切り分けられたピザのマンダラ。太陽の光によって、まばゆい深紅と金色に染まるそれが、近づく車のヘッドライトに、サッと一瞬、不気味に色づく。 p.77

 

仏教徒に囲まれてテーブル上に立ち往生している麻薬捜査官」の時点ですでにカオス度が振り切れてるけど、ピザマンダラのステンドグラスでとどめを刺された。降参降参

というか仏教徒の健康志向のピザ屋さん〈菩提達磨〉って何やねん。プレーリーのバイト先、癖がありすぎる。

 

このときである。〈菩提達磨〉の表と裏の入口から、NATO軍の迷彩模様の軍服を着たTV解毒隊が押し入ってきた。兵士らは男も女も、甘い言葉でなだめながら、ヘクタの手を引き、「きみを救ってあげられる場所へ」連行すべく、ふたたび吟唱を始めた〈菩提達磨〉の仏教徒らの間を抜けてドアに向かった。ドクター・ディープリー、顎ヒゲを撫でつけながら大股でやってきてバーバ・ハヴァバナンダとハイタッチ。
「いや、助かりましたよ。ウチのほうでできることあったら何なりと──」
「あの男がしばらく出没しないようにしてくれれば、それが一番だね」
「そりゃ保証できませんな。ウチのセキュリティは実に貧弱で、観察つきにしておくので精一杯。本人がその気なら、一週間もせずに外を飛び回ってるでしょうな」
「制作契約、成立じゃい!」解毒隊の護送車に積み込まれながらヘクタはなおも叫んでいる。その護送車が猛然と走り去ったのと交代に、ヴァンに乗って猛然と走りこんできたのがイザヤ君と仲間たち。 pp.79-80

 

ここのスピード感もすごい。「NATO軍の迷彩模様の軍服を着たTV解毒隊」とか「レストランで吟唱を始める仏教徒」とか「60年代ドラッグカルチャーの映像制作に固執するTV中毒の麻薬捜査官」とか「娘のボーイフレンド率いる荒くれ若者集団」とか、濃い面子の頂上決戦か?ってくらい。(最後の若者集団が相対的に存在感薄いと思ってしまうのがヤバい)

 

 

 

 

 

4章おわり。

 

ちょっと待って……めちゃくちゃ感動するやんけ……
プレーリーとのやり取りの最後数ページ、すべて完璧すぎて引用しきれない。


とりあえず帯にも載ってるこれを

「マリワナばっか吸ってんじゃないのよー」去りぎわに娘が放つ。
「股をきちんと閉じてるんだぞー」父が返す。
p.83

そういや、この帯文を見てヴァインランドめちゃくちゃ面白そうだと最初に思ったんだっけなぁ……
父と娘の一時の別れ。直球なテーマを直球にいい文章で描く。
その気になればいつでも感動させられるんだぞ、という圧倒的な筆力を感じる。

トレーラーで親子最後の夜を過ごすときの、二段ベッドによる空間的な2人の位置関係とコミュニケーションの流れとかマジで完璧。

ここまでで、やっとイントロが終わって、ここからが本番の予感

 

5章(p84.-p.101)

 

いやこれ凄いな。


「別れ際にゾイドは、とある偶然から日本人を助けたお礼にもらった名刺(お護り)をプレーリーへ渡した」という、その日本人との出会いをこの章まるごと使って語るわけだけど、脱線に次ぐ脱線……というか、そもそも日本人とのエピソードを目指して話が進んでいるとは微塵も思わせないほどサイケでポップでスピーディなストーリーテリング。語られるエピソードがいちいちカオスでフザケていて最高。


ゾイドとフレネシが離婚する前日譚も描かれるのだけど、なかなか無慈悲というか、前章でゾイドが懐かしんでいた結婚当時は本当に「2人の関係の絶頂」であって、あとは陰鬱たる地獄しか待っていなかったんだなぁ……まぁ一時的別離といいながらハワイまで追いかけるのは普通にヤバいと思うが(しかもホテルの隣の部屋!)

 

その後にゾイドシンセサイザー奏者の職を得るカフーナ航空のエピソードも馬鹿馬鹿しくはっちゃけていて最高
高度1万メートルで謎の飛行物体が接近して接合し、謎の部隊がドカドカ入ってくる(しかも機内はハワイ風のクラブハウスで乗客は皆ぐでんぐでんに酔っ払って踊り狂っている)とか、マジでそれ書いてんの?って話がずっと続く感じ。

 

ブギに踊り狂い、あるいは脱力発作に襲われている客を、侵入した隊員たちは調べて回っているが、ここでウクレレを掻き鳴らしている男のことは眼に留めるふうでもない。さらにゾイドは気がついたのだが、最高音のBフラットを鳴らすたび、侵入者たちが無線受信に支障をきたしたかのように、ヘッドフォンを両手でつかんで耳に押し当てるのだ。そこでゾイドは可能な限りそのキーを押し続けてみたのだが、そしたらじきに彼らは、うつろな当惑をあらわにしてジャンボ機から引き上げていった。 p.100

常にツッコミ待ちで大真面目にフザケ倒しているから、こっちも大真面目にツッコミまくれる


名刺をくれた日本人の名は、タケシ・フミモタ(調整師)
「フミモタ」の、「外国人が頑張って考えた日本人姓」感がいい。「フミモト」を英語話者が聞くとこう聴こえるのかな。

ここまで読む限りヴァインランドは、『V.』や『重力の虹』のなかのポップなドタバタパートだけを抽出してきた感じで、要するに超自分好み。
ただ、初期長篇は、シリアスでお硬いパートがあるからこそドタバタパートがそのギャップでより魅力的に思える面はあって、本作ではそのギャップによるバフは無いため、どっちもどっち説もある。
まぁ自分はピンチョン作品にお硬い文学性はそんなに求めていない一般読者なので、今のところ一番のお気に入りになりそう

ピンチョンが難解とか言ったやつ誰だよ!世界一面白くフザケた小説を書く作家の間違いだろう

 

 

続き

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ヴァインランド (トマス・ピンチョン全小説)
 

 

『ヴァインランド』(2)トマス・ピンチョン

 

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↑の続き

 

 

2章と3章を読んだ。(p.53まで)

 

https://vineland.pynchonwiki.com/wiki/index.php?title=Chapter_2

ヴァインランドwiki, chapter 2

 

2章


毎年の恒例行事としてメディアに報じられてるのか…思ってたよりずっと大規模な取り組みだった。
めちゃくちゃふざけてんな〜競売ナンバーの序盤のモーテルでのカオスなくだりとか、早めにキャッチーな展開を入れてるのかな

 

「おい、オレは金がないって言ってるだけだぞ。誰だ、このごろおまえにヘンなこと吹き込んでるなぁ」
長くしなやかな首と脊椎の上で、少女の頭が微妙に回り傾いた。父親と話すための適切な角度に微調整したふうである。「そうね。イのつく人が、ひとことふたこと言ってたみたい」 p.27

ここの地の文いいなぁ

 

 

「そいでさ、思うんだけど、イザヤと組んでビジネスする気ない?」ゾイドの耳に聞こえた限り、たしかにプレーリーはそう言った。「彼ならノルわよ。パパは心を開きさえすればいいの」
どういう意味だか理解できないゾイドは軽口で受け流した。「心かい、心だけなら開いてやってもいいね。アイツがヘンなところをオレに向けて開かなけりゃね」──と言うが早いか、顔面めがけてスポーツシューズが飛んできた。中に足が入っていなかったのはラッキーで、首をすくめるとそれは耳をかすめて飛んでいった。 p.29


プレーリーの彼氏?イザヤ。モヒカン。地元のヘヴィメタバンドのメンバー。親がヒッピー
「ヴァイオレンス・センター」なるふざけた小型テーマパークの設立を目指しゾイドに連帯保証人を頼んでくる

 

登場するなりイザヤがやってみせたのは、ヴェトナム兵士の挨拶と彼が信じる、複雑な手のひらパチンの挨拶である。この少年はなぜかいつも、ゾイドをヴェトナムと結びつける。このあたりに住みついた帰還兵や監獄の囚人たちから仕入れたネタの部分はゾイドにも伝わったが、私的な解釈になっているところはついていけない。演技中、イザヤはずっとジミ・ヘンドリクスの「紫のけむり」をハミングしていた。「ヘーイ、ミスタァ・ホイーラー、ハウ・ユ・ドューイン?」 p.30

この辺のカオス感たまらん

 


3章

ゾイドとヘクタの馴れ初め回想
1967年、ゾイドがキーボードを務めるザ・コルヴェアーズの仲間たち数人で南カリフォルニアのゴルディータ・ビーチのボロ家に住んでいた頃、ドラッグ捜査のためヘクタが訪ねてきた。

 

現在時制
ボウリング場〈ヴァインランド・レーン〉併設の食堂にゾイドは呼び出される。ヘクタの奢りが条件で。

ゾイドの元妻フレネシはヒッピー過激派で体制の監視下に置かれている?
彼女のデータが何者かに消されて行方がわからない……こっちへ向ってる?

 

シックスティーズ=60年代世代=ヒッピー世代?

 

人生にくたびれた中年のオッサン2人……お互いに若かりし頃の威勢やプライドはもう無く、妥協と惰性で生きている。
追いかけ追われる関係であっても、置かれた状況や心境はとても似通っており、お互いに共感できることが多そう。
相手を非難しても、それが結局自分に跳ね返ってくることを知っているから自嘲気味になってしまう。

 

これまで何人もがヘクタを狙って時間を無駄にしたらしいが、彼の暗殺にもっとも適した悪漢は他ならぬヘクタ自身であっただろう。いつどこでどんなやり方でやったらいいのか、ベストの選択肢を知っているのは彼だったし、動機にしても誰より彼自身が一番持ち合わせていたわけだ。 p.47

哀しい……

 

ヘクタはゾイドと元妻のよりを戻そうとしてる?
何にしろ、元妻捜索の件でゾイドを特別に雇うっぽい。普段どおりの生活をするだけで給料がもらえる。

 

若い娘が片方の親と暮らしていて、離婚したもう1人の親は行方知れず……っての、フランゼン『ピュリティ』っぽい。
というか王道の設定よな。親探しの旅
しかし本作では父親たるゾイドが主人公

 

 

勘定書を持ってウェイトレスが近づいてきた。条件反射で席を飛び出たヘクタを見て、慌ててゾイドが一緒に飛び出てゴッツンコ。びっくりした彼女が後ずさりした拍子に落ちたチェックは、それに飛び掛かった三人の間を巡り巡って回転式の調味料トレイにヒラヒラ舞い降り、端っこが半透明化したフルフルのマヨネーズの丘に半分沈み込んだ。 p.51

お得意のコミカルでスピード感あふれる描写

 

先日、ピンチョンの文体はハードボイルド探偵小説のそれだと言ったが訂正する。
ピンチョンの三人称の語りは変幻自在で破天荒なんだけど、例えるなら講談とか、芝居の口上、あるいは魚屋のたたき売りみたいな弁舌に近いと思う。「寄ってらっしゃい見てらっしゃい、今日も面白い素っ頓狂な大冒険譚を仕入れてるよ〜」的な。
リズムが小気味よく、スラスラ読める部分があることはおそらく翻訳の佐藤さんも意識しているだろう。


え、ヘクタもまた精神的に問題があり、組織から追われてるの!? TV中毒の伏線だったとは……
ピンチョンにオタクを主題にした小説とか書いてもらいたいな。パラノイアとも相性良いし。

 

 

今のところかなり読みやすい。視点人物もゾイドに一貫してるし、コミカルだし、時系列も舞台も超絶シャッフルされてないし……

なんかヴァインランドでは文章のなかで流れるように過去と現在を行き来すると聞いているけど、それはこれからなのかな。ワクワク

 

 

続き

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ヴァインランド (トマス・ピンチョン全小説)
 

 

ピュリティ

ピュリティ

 

 

『スワロウテイル人工少女販売処』(2)籘真千歳

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↑の続き

 

第1部第2章(p.90)まで読んだ。

 

自治区の大半の人間と人工妖精は、世界一の福祉に守られ、時間を持て余している。(中略)
憂いのない都市。安寧と平穏と平等と充実の詰まった二十八万区民だけの玉手箱。 p.71


お手本のようなユートピア。そういえば前章に「世界一の福祉」とやらのおかげで人種差別などのあらゆる差別は無くなった、みたいな描写があり、流石に楽天的過ぎるというか雑過ぎて有害なのではと思った。魔法のアイテムで一足飛びに差別が解消される描写は、差別の根深さを何も捉えておらず、それどころか実際にジェンダーマイノリティ的な差別意識を内包し隠蔽しているためにきわめて危険であるとさえ言える。

こうした「間違った」描写が、ユートピア=ディストピアの批判的検討の伏線である可能性もなくはないが……

 

それにしても、こうしたユートピア下では子供を持って子育てをする人の割合はどれくらいなんだろう。

時間を持て余しているから暇つぶしも兼ねて子育てする人が多いのか、それとも生活に満足して子供を欲しいとも思わない人が多いのか(精神的な去勢)

あと、子育ては女性型の人工妖精にある程度任せるのか、人間男性がちゃんとやるのか。女性区画側だとどうなるのかも気になる。というか、そもそも人工妖精は生殖能力が無いのだから、人工妖精と結婚して家庭を持つことと、受精センターで自分の子供を持つことは特に関係なく独立しているのか?人工妖精のパートナーがいないと子供は持てないのか?
独身だけど子供を持つ人っていないのだろうか。

こうした子育て周りの詳細が気になる。

 

 

『ご首尾はいかがです?』
「どうせご存知なんでしょう?」
『左様かもしれませんね?』
全能抗体(マクロファージ)は絶対に断定をしない。揚羽が確認しても決して肯定も否定もしないし、肝心な部分は言うつもりだったこと以外たずねても言わない。 p.72

新キャラ全能抗体、キャラ立ち過ぎてて草
数学ガールのノナちゃんを連想した。。o O

r.binb.jp

コールセンター的なアレかと思ったら揚羽からは唯一の友人とみなされていて「おっ百合か!?」と腰を上げそうになった。
ステイステイ……

 

人と人工妖精は、心身の仕組みが同じでも結局は人間から生まれるか、人間から造られるかで区別される。 p.79

「心身の仕組みが同じ」と断定しておきながら、区別意識も常識化していることに違和感を覚えるが、まぁこの島の住人にとってはそうなんだろう。

 

きっと儀式だ。これも、それも、あれも、全部。電気を溜めて空回りする歯車、人を思って人を殺めてしまう人工妖精、人工妖精と人間が相憎むことを恐れて殺して回る故障品の自分。
意味がないというならそれまでの、何もしない人々の、空回りする歯車と儀式。 p.81

ああ、男女を分担するクソデカ歯車を「空回り」というモチーフでも利用してくるのか。なるほど〜上手い

歯車というモチーフから喚起されるイメージは、「回転」「噛み合う/噛み合わない」「空回る」「社会の歯車=実存が無い」など。これらをユートピアという舞台のもとで上手〜く展開しているなぁ

 

 

一年で一生を終える花が、種を残し、次の年にまた咲いたとして、その二つが同じ花だと言えるかどうか、そんなことを全能抗体は言いたかったのだろうか。(中略)
「愛でる」のが、「愛する」ことであるなら、愛するモノが死んだ後に、よく似た別のモノを愛することは、「不貞」にあたるのだろうか。それとも、人間は横に並べて愛していいモノと、ただひとつだけを愛すべきモノとの間に何かしらの一線を引いているのか? p.82

すげぇ露骨にテーマを提示してくれている。
主人公が妻に先立たれたのといい、微細機械によるアイデンティティ概念の揺らぎといい、実に上手く様々なモチーフを絡めているなぁと感心する。

 

 

それが悲しいと人は言う。彼女たちの夢が、希望が、人生が人間たちに利用され、尊厳を踏みにじられているのだと人は言う。そして幼いままの彼女たちは、君たちは不幸だと教えようとする人間たちに言葉を返せるほど大人には、いつまでもなれない。 p.84

まんま『彼女の「正しい」名前とは何か』じゃん!と思ってしまった。併読している本に影響を受けやすい


西洋フェミニズムによる「第三世界」の女性たちへの抑圧。「あなた達は可哀想だから私たちが解放してあげるね」と言いながら植民地主義的に彼女らを支配し、その支配・搾取構造じたいを隠蔽しようとする。

自分たちに安易な同情を寄せてくる火当事者に対して声を挙げられない人工妖精の少女は、女性割礼を受けた女性であり、ホロコースト被害者であり、クッツェー『敵あるいはフォー』の舌を抜かれたフライデイである。

 


"性の自然回帰派" の描写はちょっと過剰にネガティブさを演出し過ぎているきらいもある。明らかな悪役ではなく、もっと常識人のほうが問題の根深さを表現できるように思えるのだが。でもまぁ、話の都合上仕方ないのだろう。

 

 

水気質は公共のプラットフォームを臨時決起集会場に変えた青年の傍らへ歩み寄って、取り囲む人々の邪魔にならないようにひっそりと咲いた。
青年の恋人か、伴侶なのだろうか。
モノレールのドアが閉じ、人間たちの熱狂と揚羽の世界を分け隔て、ゆっくりとずらしていく。 p.88

この辺の描写にやられた

「ひっそりと咲いた」という表現のハッとするほどの静けさ・慎ましさとその奥にある衝動。ドアによって分断され、引き離されていく2つの世界の隔絶感と、モノレール車内の何とも言えない静けさ。

男女が分断されているという設定から、「分断」「隔離」というモチーフを見事に応用している。

さらに、ここでは静的な分断ではなく、モノレールという移動機関を用いた動的なイメージを生成しており、それをすぐ後で鮮やかに昇華している。

やがて、隣の車両から覗き見る同級生の少年たちの顔を見つけ、顔を輝かせる。しかし、少年たちが悪戯を大人に見とがめられたように首を引っ込めると、女子児童は突然顔をくしゃりと歪め、揚羽の手を離して反対側の後方車両へ走っていってしまった。
どこへ逃げるというのだろう。時速六十キロで走るモノレールの中では、彼女が全力で駆けても前へ前へと引きずられるのに。 p.89

シーンの空間的なデザインがあまりにも完璧……

 

 

人間は優しい。
人間はいつも、自分たちがいつか、人造人間や言葉を話す動物や、あるいは言葉を話すことも出来ない生き物ともつかないモノたちを迫害し、尊厳を奪い取り、虐げてしまうことになるのではないかと恐れてきた。でも、そうはならなかった。
人間は人間が思っているよりずっと優しかった。愛おしいぐらい繊細で、泣きたくなるほど純粋で、抱きしめたくなるくらい儚い。
だから、殺したくなるぐらい冷たい。 pp.89-90


直球のリベラル思想へのアンチテーゼだなぁ。人造人間を取り上げることでこうした角度の応答ができるのか。
この島にはヴィーガンとかいないのだろうか。というか人工妖精って人間と同じように食事するんだっけ

 

ここで提示された人工妖精側の思想は検討に値するが、しかし、彼女らが「人間の手でそう思うように造られている」という事実をどう扱うべきかが難しい。

例えば、第三世界で女性割礼や父権制を素朴に擁護する女性に対して、先進国の人々が「あなた達は環境・文化によってそう思うように育てられてきた。でも真の人権主義的な立場からは、あなた達は間違っている」と言って介入しようとすることと似た問題があり、そして、まったく異なる問題であるとする向きもまた存在するだろう。(第三世界の女性は人造人間ではない)

 

これはむしろ、『トイ・ストーリー』のオモチャたちの実存的な問題に近い。
自分はある道具的な目的のために造られた存在であることを認めることで真に実存的な存在への道が開ける?

その存在の根本に他者の意図が根付いている存在における当事者性の問題、と呼ぶべきか。これは高度に哲学的だ……
人工妖精にとって、自身を造った技術者は非当事者なのか?部分的な当事者なのか?

 

 

1-2章は20ページと短かったけど、思想的にも物語的にもよく纏まってて完成度が高かった。

 

 

 

スワロウテイル人工少女販売処

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『スワロウテイル人工少女販売処』(1)籘真千歳

 

 

スワロウテイル人工少女販売処

スワロウテイル人工少女販売処

 

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SF研の机に平積みされていたときから気になってはいたが、読もうと決心するきっかけは、みかんさんのおすすめのSF小説リスト↑に載っていたからだ。表紙やタイトルからはラノベ臭がすごいが、あの人がそんなに好きな本なら……ってことで読んでみたいと思った。

 

 

 

第1部

第1章(p.70)まで読んだ。

 

・SF設定と描写

なかなかSF世界観が凝ってる。

〈種のアポトーシス〉感染拡大防止のための人工島の男女隔離(クソデカ歯車、ハーフミラーによる"第2の太陽"!)、蝶型微細機械群体(マイクロマシン・セル)による人工妖精の伴侶としての運用などなど。(SFって東京を海に沈めるの好きだな……伝統でもあるのか?地方出身者としては、それに首都民の自虐を装った驕りを透かし見てしまう。まぁ作者は沖縄出身だけど)

根本的には感染症ジェンダーについてのSF作品だと現時点では認識している。たとえ物語では前景にあっても人工妖精はその副産物。

 

私はSFがそんなに好きじゃないので、設定が凝っていたところでそれほど何とも思わないが、しかし本作はSF設定が凝っているのに留まらず、それらがちゃんと小説的・物語的な魅力へと繋がっている点は評価している。

 

特に冒頭の、疑似無重力ラブホでの死体鑑査シーンの五感的な鮮やかさは大変に素晴らしい。
高層階で半透明な床というクリーンで無機質なイメージと、普段嗅ぎ慣れていないが故に強烈な精液と死体の悪臭というダーティで生物的なイメージの混交が鮮やかで印象に残る。
また、壁をびっしりと覆っている大量の蛹という不気味な存在(火元ではNaが反応して爆発物になり得るという危険性も付与される)が、遅れて到着したヒロインの"オカルト"たる〈口寄せ〉によってダイナミックに飛び集まり人の形を成していくというアクロバティックなイメージの転換(変態)の衝撃、そして神経網と片腕だけを形成してヒロインの喉元に血管を浮き立てて襲い掛かる暴力的な姿の鮮烈さ……一連の流れはほとんど完璧と言ってよい。

 

羽ばたく禿鷲のように五等級が大きく袖を広げると、室内の蛹が一斉に羽化した。朱、碧、蒼、黄金。人目に見苦しくないように様々に彩られた蝶たちが一斉に乱舞し、全員の視界を埋め尽くした。 p.19

今気づいたけど「一斉に」を反復しているのはわざとなのだろうか。

 

神経だけの人型は、脊髄に直結した四枚の羽以外には、右腕の肘から先だけが骨を、筋肉を、肌を得て、自らの重みに負けたようにぽとりと床に落下した。 p.20

「斬られた相手は重みに耐えかね必ず地に這いつくばり侘びるかのように頭を差し出す……故に『侘助』」!?

 

再び手が這いずり、神経軸索に引っ張られた脳がひっくり返ったが、その場の誰も、当の手自身も気にとめた様子はなかった。 p.21

ここで誰も気にもとめていないってのが、状況の緊迫感を伝えていて凄い良い

 

五等級の喉にまでたどり着いた手が、ネックウォーマーの上から首を掴み、締め上げる。顔のない憎悪が、血管と関節が浮き上がる手の甲から伝わってくる。もし今、彼女に目が、口があったなら、いったいどんな表情をしているのか、泣いているのか、怒っているのか、その両方か。 p.23

ここの迫力も凄い。川端『片腕』とかもそうだけど、こういうフィクションにおける手だけのキャラにフェティシズムを感じるかもしれない。ペルニダとか……(あらゆる物事をBLEACHに繋げる男)

 

 

ジェンダー観について

ジェンダーマイノリティの観点はほとんどなく、その線での批判は免れないだろう。
"性の自然回帰派" を過激派と呼ぶ資格がないほどに、異性愛中心主義が作品設定に根を張っている。

「SFなんだからいいじゃん!」という反論は無意味で、そも現実の日本から地続きのそう遠くない将来の世界を舞台にしている以上、ジェンダーマイノリティは依然として人工島住民のなかにも存在するはずだし、何よりジェンダーSFをやる上でそこの解像度が低いのはフィクションとしても勿体ない。

〈種のアポトーシス〉は男女間の性交でしか感染しないから、人工島住民はジェンダーマジョリティしかいないはずだ、という指摘も当たらない。ジェンダーアイデンティティは遺伝のみで決まるはずがない。

 

彼らは人工島でどのように生きているのだろうと考えずにはいられない。同性愛者は人工妖精など差し置いて行為をしているのだろうか?(というか同性間の性行為では絶対に〈種のアポトーシス〉感染リスクはないのか?その辺の設定の詰めが甘い気がするし、少しでもあるとしたら、同性愛は固く取り締まられてそう。取り締まられてすらいないということは、本作では一切同性愛者の存在が抹消されているということになる)

 

トランスジェンダーXジェンダー、ノンバイナリー、クィア、クエスチョニング系の人たちは、そもそも身体的性によって男性区画か女性区画のいずれかに一生閉じ込められるという点で尊厳が剥奪されまくっているだろう。

世界観の根幹に古典的な性別二元論があるために、これらの人々の存在はさらに強く抹消されている。(始めから考えられてすらいない)

 

アセクシャルノンセクシュアルの人は……上の人たちに比べると、人権侵害の程度はそれほどでもないかな。性別二元論に基づく異性愛中心主義は蔓延っているけど、恋愛至上主義はそこまで強くは無さそう。独身者も多いらしいし。あくまで(異性の)伴侶を持ちたい人には人工妖精があてがわれるけど、全員が人工妖精を持たなければいけない義務とか風潮は無さそうなので。

いずれにしろ、「男女が隔離されたらどうなるか」という発想に基づくジェンダーSFを素朴にやろうとした弊害として、(作中世界に存在するはずの)ジェンダーマイノリティへの配慮が抜け落ちていると言えるだろう。

 

その代わりに、男性には女性の姿をした、女性には男性の姿をした人造人間である人工妖精(フィギュア)が区民にあてがわれている。人工妖精は容姿、人格、性格、技術、趣向など広範なマーケティングによって人間の多様な嗜好に応えるバリエーションが用意される。 p.31

ジェンダーマイノリティは「人間の多様な嗜好」には含まれていないようだ。「男性には女性の姿をした、女性には男性の姿をした」という言い回しの抑圧性・加害性にあまりにも無自覚であることがよくわかる。

 

なお、今後ジェンダーマイノリティに関する描写が来る可能性は大いに有り得るので、手のひらを返す準備はできている。

 

 


・人工妖精について

"第三の性"ではなくないか?男性用の人工妖精は、あくまで生身の女性の代替物であって、女性的でも男性的でもない、正真正銘 "第三の性" と呼べるような外見・人格を有しているとは今のところ思えない。やはり男女二元論が根底にあり、それを"第三の性"などという言い方でなにかジェンダー的に進歩しているかのように錯覚・隠蔽する向きがあるように思えてモヤモヤする。

実は、そうした隠蔽的な意図さえも作中思想として織り込み済みで、ここから人工妖精によってジェンダー脱構築する展開になったら大絶賛するけど。

 

 

人工妖精にとっての微細機械(ナノマシン)は人間にとっての細胞みたいなもので、そうしたミクロなレベルで人間の構造を模しているという設定から、ヒューマノイドにしても実質的にほとんど人間と変わらないと見なしていいだろう。(だからこそ"妖精人権擁護派"が存在する。この辺りの整合性は取れている)

にしても、人間と全く同じ構造でありながら、肉体的に成長せず、子供を造る能力もない、というのは首をかしげる

それって全然違う構造では?人間と全く同じ構造を保ちながら成長能力も生殖能力も持たないのってすごく矛盾している気がする。そのへんの設定の怪しさは「微細機械だから」で片付けられる(それ以上のリアリティは求めてはいけない)のだろうけど、少し不満が残る。微細機械についてのより詳細な説明が今後されることに期待。

 

 


・文章について

文体は……三人称で、そこそこお堅めにやろうという姿勢は見える、文学っぽさを意識した典型的なラノベ・エロゲ文体の範疇ではあると思う。三人称の語り手は、作品世界のSF設定や人物設定を適宜都合よく読者に説明しており、語りの恣意性などへの目配せが見られる兆しはない。(まぁそれはこうしたエンタメ系作品では仕方ないが)

しかし読んでいくと、細かい言い回しやSF設定に関する用語のチョイスなど、なかなか巧いなぁと感心させられた。

赤色機関(Anti-Cyan)とかゼッタイ語感だけで選んだだろって感じほんと好き。一度見たら忘れない完璧なネーミングだと思う。

精神原型(S.I.M.)とかは遊び心あって良い。多様なバリエーションのはずがなぜ4タイプしかないのかは謎だけど。

火気質(ヘリオドール)とか水気質(アクアマリン)とか、毎日が楽しくて仕方なかったあの頃を思い出すネーミングセンスで好き。

 

 

・その他


人工知性の「倫理三原則」に加えて人工妖精に課される「情緒二原則」という設定はなかなか面白い。
この第4原則が今後のストーリーの鍵を握ることは明らかなので楽しみ。


男女が隔離されてる状況下で子孫はどう残すのか(人工妖精に生殖機能はない)気になっていたが、男性は〈受精センター〉なる施設の人工子宮で生殖するらしい。女性側は普通に妊娠するのか、それとも人工子宮を用いるのだろうか。


スワロウテイル」と名の付く作品のヒロイン、100%アゲハ説(岩井俊二……)

 

 

 

 

スワロウテイル人工少女販売処

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スワロウテイル

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  • 発売日: 2014/06/20
  • メディア: Prime Video
 

 

 

 

 

『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』桜庭一樹

 

 

 

 

kageboushi99m2.hatenablog.com

 


早速、soudaiさんの長篇ベスト100に入っていて未読だった桜庭一樹砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を手にとった。その前から、ちょくちょくいろんな読書オタクの皆さまから本書の評判は聞いていたのでいつか読みたいと思っていた。神戸三宮の古本屋に感謝

 

 

 

ー読み始めー

 

 

これはラノベ……ではないのか。児童文学でもないし……ライト文芸?こういう系ぜんぜん読んだことなくてよく分からん。
小中学生向けの小説よな。

 

ミステリーなんていつぶりだ……?下手するとはやみねかおるやホームズを読んでいた小学時代以来だぞ
(あ、ホームズシリーズを長篇ベスト100に入れるの忘れてた)

 


実弾ー砂糖菓子の弾丸
は、よくある二項対立(右翼ー左翼, 田舎ー都会, 労働ー芸術etc.)のキャッチーな言い換え、亜種とみなしてそれほど間違いではないだろう。
この問題系それ自体はありふれているが、本作のポイントはそれに「砂糖菓子の弾丸」なんてファンシーでポップなラベリングをしたこと。それから、この問題系にぶち当たる主人公が幼い(女子)中学生であることだ。
そもそもまだ中学生なのに「わたしは実弾しか撃ちたくない」と意識せざるをえないなぎさの状況はかなり悲惨で、それを物語の開始時点では悲惨とも思っていない〈わたし〉が語ることに意味がある。

 

兄は現代の貴族なのだと思う。
働かず、生活のことを追わず、ただただ興味のあるものだけを読んで、考えて、話して、暮らす。現に兄は中学に行かなくなって高校も受験しなくて、家から一歩も出なくなって三年が経ったいま、昔よりずっときれいで、夢みたいな容姿をしている。あたしも母も、かつての兄とは別の存在──美しい生き物を当局に秘密で飼っているような感じがする。 p.30

なぎさの兄、友彦はデデデデのおんたんのお兄ちゃんを連想した。
高スペックでイケメンだったのに突然引きこもって社会不適合者になるキャラクターの系譜
どちらも妹を持つ。

 

 

バスに乗ってきた道を帰りはゆっくり歩いた。三人とも黙り込んでいた。時折、ダンプが揺れながらあたしたちを追い越していった。道に落ちた、藁を混ぜた牛糞がダンプにつぶされて、アスファルトの上に薄くのびていく。夏の日射しが眩しかった。 p.66

海と山の合間にあるうらぶれた田舎町の夏の雰囲気がとても良い。エモい。

 

しばらくすると視界がぱっと開けた。樹木の密集が薄まって、古ぼけた木のベンチが一つだけかたむいて置かれている場所に出た。遥か下の町並みと、遠く遠くまで広がるくすんだ日本海。(中略)
小さな小さな世界だった。まるで古い箱庭。
あたしは胸が締めつけられるような、不思議な気持ちになった。都会からやってきたきれいでおしゃれでミュール履いてる芸能人の娘の海野藻屑に、この風景を見られたことがなんだか恥ずかしくて、やたら腹が立った。 p.85

 

あたしは親にも兄にも友達にも口にしなかったけれどじつは自分の境遇にたいそう不満を持っていたので、どうやらいつのまにかその不満というか不幸があたし自身の個性というか自己イメージになってしまっていたようだった。自分は不幸だ、かわいそうだ、と思うことがあたしを支えていて、それが将来の見通しまで全部に関わっていた。 p.109

こういう自己分析シーンは一般に好みなんだけど、これに関しては、このような正確な自己分析をこのタイミングでこの子にさせてしまっている状況がなんだかやるせない。

 


田舎の閉塞感、思春期、暴力性、悲劇……これらにデジャヴを感じると思ったらあれだ、映画『リリィ・シュシュのすべて』だ。
こういうの好みなんだよなぁ……

 

 

あたしたちは十三歳で、あたしたちは未成年で、あたしたちは義務教育を受けてる中学生。あたしたちにはまだ、自分で運命を切り開く力はなかった。親の庇護の元で育たなければならないし、子供は親を選べないのだ。あたしはこの親の元でみんなより一足も二足も早く大人になったふりをして家事をして兄の保護者になって心の中でだけもうダメだよ、と弱音を吐いてる。藻屑も行けるものならばどこかに行くのかもしれない。大人になって自由になったら。だけど十三歳ではどこにも行けない。 p.136


子供向けの小説と言ったが、そういうことではなかった。
社会的に弱い立場である「子供」がテーマの小説であり、中学生の主人公で一人称で語ることに必然性がある。
そういう正しい意味での青春小説ではあるのかもしれないが、読者層は決して子供に限られてはいない。

 

 

読み終えた。傑作だった。


完成度の高い悲劇であるという解説も説得的。作中外の読者しか知らない〈運命〉に作中人物が翻弄され、それによって我々の予想を越えた凄みが立ち上がってくる。その通りだった。
終盤の展開がかなりスピーディで、あっという間に終わってしまった。彼女の死と、その後のなぎさや兄の姿をわれわれ読者が噛みしめる暇なく幕切れて、この取り残されたような読後感まで含めて秀逸な構成だと感じた。


うら若き少女が残酷に殺されることのセンセーショナルさを安直に利用したポルノではなく、その悲劇性を文学的な悲劇にまで高めることに成功している。
花名島を藻屑が殴るシーンとかも非常に鮮烈だった。ここに関しても、やはりポルノに陥ることを注意深く避けているというか、そうした下品さはまったく無い。
これらを可能にしているのは、おそらくなぎさの語りによるところが大きいと思う。


なぎさは中2でありながら〈実弾〉を撃つことに固執せざるを得ないほど悲惨な境遇に身を置いており、そうした子供らしからぬ子供が、藻屑というフィクショナルな現実と相対し、その世界観や自意識を確実に改革していく様が一人称で表現される。本作で起こる暴力も悲劇も、こうしたなぎさの語りに基づいて読者の前に提示され、われわれは、悲劇を読むと同時に、吐きながら目を覆いながらそれらと向き合う1人の少女の生の叫びを読む。その過程でセンセーショナルなポルノの安直さは剥ぎ取られ、われわれの元に辿り着くときには、そうでしかありえなかった厳然たる事実としての物語だけが残される。なぎさが引き返して下山せずに目に焼き付けたように、わたしもこの物語を目に焼き付けなければならない。

 

 

 

リリイ・シュシュのすべて

リリイ・シュシュのすべて

  • 発売日: 2014/06/20
  • メディア: Prime Video
 

 

 

『ヴァインランド』(1)トマス・ピンチョン

 

『V.』でピンチョンデビューしてから、『競売ナンバー49の叫び』, 『重力の虹』, 『スローラーナー』と出版順に読んできてるので、とうぜん次は本書。

しかし来月にはいよいよ『ブリーディング・エッジ』が出版されるらしいし、それまでに読み終えられる気がしねぇぜ

 

 

ヴァインランド (トマス・ピンチョン全小説)
 

 いま、↑こっちの版のヴァインランドがネットで手に入りにくくなってて、書店をいくつか梯子してようやく見つけた。ありがとう紀伊國屋書店 梅田本店。梅田ジュンク堂にも無い本が意外と置いてあったりする。

 

今年の年明けに数ページ読みかけて止まっていたが、このたび本書を一緒によむオンライン読書会(まるで自分のためのイベント!)が開催されるということで、久しぶりに引っ張り出してきた。『コレラの時代の愛』?……うん、まぁちょっと枕元で休んでてね。

 

 

 

 

主人公ゾイド・ホイーラー。14歳の娘プレーリーのパパ。わざとヤバい振る舞いをして精神障害者用受給を貰ってるっぽい。
ゾイドってあのロボの怪獣が出てくるかと思ってたら名前なのね。でもゴジラ出るんでしょ?

 

ゾイドが取り出したのは、婦人用オーダーメイドのチェーンソー。「立木を倒すパワーを貴女のバッグに」とCMがうたうもので、ガイドバーにも握りにも蔽いにも本物の真珠貝が張ってある。 pp.13-14

いきなりチェンソーマン出てきて草
どこまでが本気でどこからが冗談かわからないこの感じ、ああ今じぶんはピンチョンを読んでるんだなぁとテンションが上がる。

 

1984年夏。音楽もファッションも労働環境も、アメリカ社会全体がお行儀よく新たな時代に向かいつつあるらしい。
時代の流れについていけないあぶれ者の中年男性がいろいろやらかす話なのかな。
スター・ウォーズ ジェダイの帰還』〔1983〕 ジョージ・ルーカス監督。観たいな。

p.16 砂糖菓子のトラック!?

 

「オマエの窓破りには、いまじゃ戦略的な価値もついてるんだ。いまさら新しい手に走ったりしてみろ、州の役所はコンピュータのオマエの情報を打ち直さなくちゃならなくなるな。これは心証を悪くする。この男は反抗的だ、ってことになって、小切手が届くのがだんだん遅れることになるぞ。(後略)」 p.16

精神障害者用受給目当てにする窓破りという社会への犯行でさえも、マスコミやお役所といった社会のシステムに内包され管理される絶望をユーモラスに描く。お行儀よく「クレイジー」な反抗をしないと反抗的だとみなされるという倒錯。

 

「しょうがねえなあ。まあいつか、ショーのほうがオレ自身よりビッグになる日がくるだとうと覚悟はしてた」 p.17

同上

 

ゾイドの相棒ヴァン・ミータ。元ベーシストのバンドメンバー
あ、北カリフォルニアなんだ。
お〜、この〈キューカンバー・ラウンジ〉(通称キューリ)が今回のダメ人間たちの溜まり場か。『V.』のヤンデルレンみたいな。

 

むかしゾイドがTVで見た日本がテーマの番組では、東京とかの狭い団地に人間たちがひしめき合いつつ、それでもみんな礼儀正しく暮らしていた。民族の長い歴史が育んだ知恵というのか、窮屈そうな空間で仲よく暮らす術が見られた。だから、いつも求道を口にしているヴァン・ミータが、キューカンバー・ラウンジの小屋に移り住んだと聞いて、ゾイドも期待したのだった──その暮らしに、日本的な静寂が伴うことを。しかしそれは大ハズレ、人口過密を処理するのにこの "コミューン" が選んだ方法は、エネルギーの抑止でなくて解放、つまりデシベル値のきわめて高い、容赦なき罵り合いで、これがまもなくセレモニーと呼べるだけの荘厳さを帯びるに至る。争いごとの見えざる背景を記事にした「毎日口論」とかいう名の家庭内新聞まで発行された。罵倒は森を越えてフリーウェイに鳴り響き、ゴーゴーと走る18輪トラックの運転手の耳にも届いた。あるものはそれをラジオ電波の混信と思い、あるものは成仏できぬ霊の叫びと思ったという。 p.18


文章の加速とともにホラ吹きのギアが上がる感じが最高。
さっきからちょくちょく日本に言及してくるな。80年代って高度経済成長期だっけ?(無知)※いや、wikiによると73年で終わって安定成長期だったらしい。
毎日口論は草。上手いこと訳したな〜原文知りたい。
あとラジオの混信ネタ好きだな〜V.や重力では海軍無線とか海を渡る混信だったような気が。

 

やっぱりピンチョンの文体の根っこってハードボイルド探偵小説の文体なんだよなぁ。ハードボイルド探偵小説読んだことないけど
三人称の語り手が饒舌に好き放題あることないこと弁舌を振るうのが好きだなぁ

 

トレードマークが "「傷つけられた正義」の顔" って凄いなヴァン・ミータ
p.19

 

ESPって何?→「Extra Sensory Perceptionの省略形」wiki 超感覚的知覚 ふーん…
DEA捜査官って何?→麻薬取締局(Drug Enforcement Administration) ふーん…

DEA捜査官ヘクタ・スニーガ。ゾイドの宿敵ってところか。訛りがすごい
〈キューリ〉の支配人ラルフ・ウェイヴォーン・ジュニア。シスコのドンである父親からの仕送りでやっているおぼっちゃん

シスコって何?調べたらカルフォルニアのコンピュータ機器会社がヒットしたけど、設立が1984年12月……ギリギリまだじゃん!

 

ゾイドは息を整えマントラを唱えた。ヴァン・ミータが去年、それまで凝ってたヨガ熱が冷めてきたころ、ほんとは100ドルするんだが特別に20ドルにしとくからとゾイドに無理矢理売りつけた呪文だが、ゾイド自身まだ、それを使う機会はなかった。 p.21

マントラって売り買いするものなの…?

 

窓に相対して突き破る前後の描写、映画の冒頭のつかみ感があって良いなぁ
「砂糖菓子のトラックも待っている」はそういうことだったのね

 

新たなトラブルが確実に予感された。ゾイドはこれまで自分を情報源にしようとするヘクタの執拗な攻撃に耐えてきた。テクニカルな意味では「童貞」を保ってきた。 p.22

スロースロップは幼少期に既にテクニカルな意味で童貞喪失してることになる。
p.23 文章うめぇ〜

 

p.23で第1章終わり。章番号も章題もない
ピンチョンwikiによると全15章。

 

 

hiddenstairs.hatenablog.com

続き

 

 

ヴァインランド (トマス・ピンチョン全小説)
 

 

hiddenstairs.hatenablog.com

 

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重力の虹』を読んだ証拠としていちいち自慢気に貼ってるやつ